第140話 王子様
背後から聞こえてくる戦闘音に耳を傾けながらも悠吾はアムリタと共に森の奥へと駆け抜けていった。
いざという時を考え、ダークマターを温存する為に生身に戻った悠吾の頬を容赦なく草木が斬りつけていく。その痛みにわずかに顔を顰めてしまうものの、躊躇する様子もなく、悠吾は前方を走るアムリタの背を追っていた。
『アムリタちゃん、小梅さんの居場所って判ってる?』
『うん。リーコンスキルでママを追ってた』
『ええっ? あの状況で?』
小隊会話を通じて返された言葉に悠吾は目を丸くしてしまった。
流石はクラス暗殺者の地人だ。もしかしたらアムリタちゃんひとりで小梅さんを救出できるんじゃなかろうか。
『でもね、消えちゃった』
『え? 消えた?』
『うん』
地人には悠吾達が装備しているトレースギアは無い。スキルの発動やアイテムの使用などは全て頭の中で実行するらしい。
そして、頭の中にあった周囲MAPに表示されていた青いマークと周囲に居た赤いマークはある地点を最後に忽然と姿を消したという。
でも、周囲に居た赤いマーク……多分クラウスト達の事だろうと思うけど、小梅さんの反応と一緒に彼らの反応も消えたということは、小梅さんが彼らに殺されてしまったというわけじゃ無さそうだ。
考えられるのはひとつ──
『……もしかして、そこにイースターエッグが?』
『わかんないけど、とりあえずそこに向かってるよ』
そこに行けば何かが判るはず。
そして、そう続けるアムリタの足がピタリと止まった。
アムリタと悠吾の前に現れたのは、幾層にも連なった木々の隙間から降り注ぐ陽の光に照らされている、苔に覆われた巨大な扉。
その扉は僅かに放たれ、扉の向こう、沈み込むような暗闇の中から漏れだすひんやりとした風が悠吾達の脇を抜けていった。
「ここは……」
悠吾は直感した。
この扉の向こうにあるのは、現実世界に戻れるというイースターエッグに違いない。
そして、そこに居るのはクラウストと、連れ去られた小梅さん。
「行こう、アムリタちゃん」
「うん」
錆びた扉の隙間からするりと闇の中へ身体を滑りこませる。
光が無く、輪郭すら見えない深い闇の中、一瞬恐怖が悠吾の足元を這い上がって来たが、構う暇は無いとその奥へとアムリタとともにかけ出した。
***
モーガンが消えた扉の向こうも今まで小梅達が居た場所と似た場所だった。
周囲数メートルの壁面だけが生成され、その他は闇に包まれた「作りかけ」と形容してもいい場所だ。
「この場所は永遠に完成することのない場所なんですよ」
先を歩くクラウストが小梅の心を読んだかの如くポツリと囁いた。
少し前までの小梅であれば、そんな嘘を、と鼻で笑う程度の話しだったが、今の小梅にはその言葉が真実である実感があった。
管理者プログラムに、現実世界と通じる扉。そしてクラウストの野望。
その全てが判った小梅は現実ががらがらと崩れ落ちていく感覚すらあった。
「あのモーガンってヒトの能力が何なのかは解かんないけど、あんたがとんでもないクレイジーだってことはよくわかったわ」
「これは運命だと私は思うよ、小梅さん。あの時、私がマスターキーのレプリカを生成し一時的に扉を開いて、君と……悠吾くんがこの世界に転生した。そして転生した悠吾くんが生成したエンチャントガンが私に次のステージへ運んでくれる」
偶然ではなく、これは必然なんです。
闇の中へ消えたモーガンを追いながらそう口にしたクラウスト。
その言葉にはただならぬ自信と説得力があったが、小梅は頑なにその言葉を飲み込む事を拒否した。
こんな運命なんかあるわけがない。あたしと悠吾がこんな変態野郎の「糧」だっただなんて。
万が一、神様がそんな運命をあたし達に用意しているんなら──あたしが全力で蹴飛ばしてやる。
ぎり、と小梅が奥歯を噛みしめた、そのときだ。
「……ふむ、君の足掻きはほんの僅かな時間稼ぎでしか無かったようですね、モーガン」
クラウストの前に開けた空間が姿を現した。
小さなホール程の広さがある空間だったが、今までと同じように装飾の1つもない殺風景な空間だった。ただひとつ、そこにあったのは、黄金色に輝く一発の弾丸。
それがあの管理プログラム、モーガンの変わり果てた姿だということに小梅も直ぐに気がついた。
「滑稽ですね。この世界の基礎を形作るシステムプログラムから管理者権限を移譲され、管理する側である貴方が、管理される側の私が実行したプログラムに逆らうことができないなんて」
例えるならば、英雄ギルガメッシュに殺された森の神フンババといった所ですか。
嘲笑を携えながら、ゆっくりと一歩一歩を確かめるようにその黄金色に輝く弾丸に近づき、そして手に取るクラウスト。
まるで口惜しさに泣き叫ぶように、その弾丸が微かに震えたのがはっきりと判った。
「……その弾丸は渡さない」
「……?」
恍惚とした表情で弾丸を見つめるクラウストの耳に小さく、かすれるような声が届いた。
両脇を黒服のプレイヤーに挟まれ、身動きひとつ取れない状況でありながら、鋭い視線を送り続けている小梅だ。
小さく、吹けば消えていきそうな掠れた声だったが、その言葉の奥底には得も知れぬ力があるようにクラウストには感じた。
「私を止めると? 君が?」
「そうよ」
「どうやって?」
この弾丸をエンチャントガンに装填し、引き金を引けば終わり。
「ああ、ひょっとして君は、仲間がここに駆けつけ、私の手からこの弾丸を奪うと考えているのですか? 一体誰が? もしかして……悠吾くんですか?」
そう言ってニヤリとサディスティックな笑みを浮かべるクラウスト。
「本当に君を助ける為に後を追ってくるとは少し驚きましたが、彼は今森の中で息絶えていますよ。彼が作ったエンチャントガンによって能力を強化したグレイスの手で」
「……ッ!」
その言葉に小梅の表情が凍りついた。
エンチャントガンによって能力を強化したグレイス達の力は目の当たりにしている小梅の脳裏にその光景が浮かんでしまう。その光景を必死に振り払うように小梅はきつく瞼を閉じた。
「グレイスが彼を処理してここに来るまで待ちますか? それでも私は構わないですよ。こう見えて几帳面な性格でしてね。物事はひとつひとつ片付けたい性分なんですよ」
散々私の邪魔をした悠吾くんに直接「お礼」が出来ないのは名残惜しいですが、その報告で溜飲を下げるとしましょうか。
まるでおもちゃの様に弾丸を弄びながら、喜々とした表情でまくし立てるクラウスト。
小梅はゆっくりと瞼を開け、嘲笑するクラウストをもう一度睨みつけた。
「……死ぬもんか……」
小梅の喉の奥から絞り出したような声が辺りに響き渡る。
「悠吾があんた達なんかにやられて、死ぬもんか……ッ!」
もうあたしにあの笑顔を見せてくれることは無いかもしれない。だけど、だけど悠吾なら、いつもみたいに絶対にピンチを救ってくれる。
その資格は無いと思いながらも、小梅は悠吾の事を想う。
目的はあたしじゃなくたっていい。助けてよ悠吾。
皆とこの世界を──
次の瞬間、乾いた発砲音がひとつ、深い闇を切り裂いた。
「……ッッ!!!」
ひゅん、と空気を切り裂く音が近づいて来たと思った次の瞬間、クラウストは弾丸を持つ右手に衝撃を感じた。
痺れる様な衝撃と痛み。
それがクラウストの身体を駆け抜けた瞬間、クラウストの右手から黄金に輝いていた弾丸がゆっくりとこぼれ落ちた。
「なっ!?」
きん、と甲高い音を放ち、弾丸が闇の中へと姿を消した。
状況を把握できていないクラウストの顔が思わず引きつる。
「……誰だッ!?」
クラウストが右手を抱えたまま、闇の中を睨みつける。そして絡みつくような闇の中、うっすらとひとつの人影が浮かび上がった。
愛銃CZ-805を構えた、くせ毛のツーブロックマッシュヘアの男──
その男は小梅が待ち望んでいた「王子様」の姿だった。
「……小梅さんを離せッ!!」
「悠吾ッ!!!」
闇の中から低く怒りに満ちた悠吾の声が放たれたと同時に小梅の泣き叫ぶような声が響き渡る。
本当に悠吾が助けに来てくれた。
その対象が自分でも、そうでなかったとしても、小梅にとってはどうでも良かった。
ただ、現れた悠吾の姿に小梅の表情は優しく崩れ、その瞳には自然と涙が溢れだしていた。




