第138話 マルウェア
「……この場所が良く判ったな。それだけは褒めてやる」
左右をジャガーノートを纏ったノイエとトラジオに挟まれつつも、余裕の表情をこぼしながらグレイスがそう吐き捨てた。
なぜトラジオさん達がこの場所に来れたのか──
それは悠吾に取っても疑問だった。
ブロッサムの街を出た時、トラジオさんに行き先は伝えなかった。トラジオさんとフレンド登録しているから、現在位置は大体わかると思うけど、ピンポイントでこの狩場に居るなんて絶対に判らないはずだ。
「運が良かったとしか言えんな」
トラジオが小さくつぶやく。
「情報屋から買った情報で、君がクベタの街に現れた以後姿を消した事は判っていた。そしてクベタにクラウストが居るということもね」
「……クッ、なるほどな」
ノイエの言葉にグレイスは苦笑する。
ブロッサムの街であの女を確保するように命令を下されてから、襲撃メンバー達とともに姿をくらましていた事は事実だ。別チームがルシアナが訪れているヴェルドを襲撃することで奴らの注意をそちら向かせ、手薄になったブロッサムを俺達が襲撃するっつー作戦はうまく行ったが、それが裏目に出ちまったか。
「クベタへ向かっていた時に、偶然ラウルとは逆方向へむかう機械兵器を見つけてな。不信に思って後をつけた所──その機械兵器に独りで突っ走っていた悠吾の姿があったというわけだ」
「……す、すみません、トラジオさん」
ジャガーノートの装甲でその表情は見えないものの、苛立ちが滲んでいるトラジオの口調につい悠吾は謝罪の言葉を口にしてしまう。
「勘違いするな。俺が怒っているのはお前の馬鹿さ加減にではない。憤りを感じているのはお前を止めることが出来なかった俺自信にだ」
「……悠吾くん、アムリタちゃん。僕達も直ぐ後を追います。君達は早く小梅を」
「え、私も?」
ノイエとトラジオと共に残る気満々だったアムリタが肩透かしを食らったように目を丸くした。
「君の戦闘能力は小梅を助ける時に使って欲しい」
今ここでこの男を斃す事にではなく。
グレイスを見据えたまま、ノイエはそう言った。
僕独りで助ける、と言いたい所だけど、正直な所小梅さんの救出の為にはアムリタちゃんの力は必要不可欠だ。このまま小梅さんの後を追って、彼らと対峙した時、クラウストはグレイスが使ったエンチャントガンを確実に使うと思う。能力を強化したクラウストと彼と行動を共にしている黒服のプレイヤー達──彼らを退けるにはどうしても僕独りじゃ難しい。
こんなことになるなら、初期クラスは戦闘職にするんだった。今更言っても時すでに遅しだけど。
「……判った。オジサンと行くよ」
「頼む」
アムリタの言葉に、トラジオが小さく頷いて見せた。
作戦は決まった。後は行動するだけだ。
そう思い悠吾とアムリタが踵を返そうとしたその時、完全に蚊帳の外にされていた男が苛立ちが滲む口調で間に割って入った。
「……おいおいおい、何勝手に話し進めてンだコラ。先に行かせるつもりは無ェって言ってンだろ」
グレイスがクラウストから命令された事はただひとつ。
生死問わず、悠吾達を近づけさせるな、だった。
仲間が来ようが関係無ェ。俺がやることは、この先に向かおうとしている奴らをぶっ殺すだけだ。
だが──
「知らない。行こうオジサン」
「……え? あ、うん」
「……てめッ!! 待てコラッ!!」
アムリタは「もうおじさんには興味無い」と言いたげにぷいとそっぽを向くと悠吾の手を取り、小梅達が消えた森の奥へとかけ出す。
アムリタに振り回されている感があるグレイスに少し同情に似た感情を抱いてしまった悠吾だったが、悠吾の腕に飛びついたアムリタを抱きかかえると、スラスターの浮力を受け、大きく跳躍した。
「逃さねぇっつってンだろッ!」
走力が上がる盗賊のスキル、スプリントスキルを使ったのか、グレイスの身体がぐんとスピードを増し跳躍した悠吾の落下地点へとグレイスが走り出す。
そのスピードに一瞬反応が遅れたトラジオ達だったが──
「手出しはさせんぞッ!」
トラジオの右手に光の粒が収集し、巨大な兵器へと変貌する。
以前廃坑でグレイスを恐怖のどん底へとたたき落とした5.56mmのガトリングガン「XM214」だ。
トレースギアからXM214の使用準備が整ったアナウンスが放たれたと同時にトラジオは引き金を引いた。
まるでチェーンソーの様なけたたましい発砲音が森の中に木霊し、放たれた一秒間に100発という凄まじい弾幕が木々と、そしてグレイスの身体をなぎ倒す。
「ぐ……ッ!!」
背後から放たれた弾丸にグレイスは前につんのめる形で倒れこむ。
と同時に、凄まじい砂塵と木の葉が舞い上がり辺りを薄褐色に染め上げていった。
「トラジオさんッ!」
「行け悠吾!! 必ず後を追う!」
トラジオの声に後押しされるように悠吾とアムリタの姿が林の向こうへと消える。
この場に残っているのは、2つの黒い影と──ひとつの狂気。
「……この糞野郎どもが」
薄褐色の霞の向こうに双眼が赤く浮かび上がる。
夢遊病者のように揺れているのは、怒りに身を震わせているグレイスだ。
『ノイエ、全力で行くぞ』
『出し惜しみは無し、ですね』
ダークマターの残量は問題ない。ジャガーノートの全性能を使ってこの男を倒す。
ぱしゅん、と2人のジャガーノートの背中に設けられたスラスターが火を吹き、辺りの砂塵を吹き飛ばすと、その向こうにはっきりと現れたグレイスに向かい2つのアーティファクト兵器が攻撃を仕掛けた。
***
「管理者プログラム……モーガン?」
突如目の前に現れた老人に小梅は眉根根を寄せた。
「そうですよ。この世界の管理者にして……私の計画を妨害した罪深き男です」
「計画を……邪魔?」
未だに話の内容が掴めない小梅は睨み合うクラウストと、モーガンと呼ばれた老人を交互に見やる。
しばしの沈黙が辺りを支配し、空気が次第に張り詰めていく中、口を開いたのはモーガンだった。
「その男はこの世界と向こうの世界の均衡と秩序を乱す『|マルウェア(悪意)』なのだ、小梅」
「|マルウェア(悪意)って何よ……てか、なんであたしの名前、知ってンのさ」
すでにキャパシティの限界に来てしまったのか、小梅が目を白黒させながら小さく唸る。
この変態野郎の企みにイースターエッグ、そんで極めつけはこの管理者の爺さん。
もう何がなんだか判らない。
「それは重要な問題ではない、小梅。問題なのはこうしてこの男が『正式な』マスターキーを持ってこの場所に現れた事だ」
「前回は貴方のミスのお陰で私は運良くマスターキーを生成することが出来ただけですからね」
しかし、今回は違いますよ。
くつくつと笑みを浮かべながらゆっくりと壁に開けられた扉をくぐるクラウスト。だが、これ以上は進ませぬとモーガンはクラウストの前に立ちはだかる。
「扉は開かせぬ。そしてお前はこの場で排除する」
「……排除、ですか」
その言葉にクラウストの瞳がすう、と細く鋭利に尖っていく。
「現実世界とこの世界をつなげるイースターエッグの存在を知ったのは奇跡に近い出来事でした。まるでこの世界に居る神が私を導いているかのように、あの扉を開く鍵を与えてくれました」
まるで歴史のアルバムを一枚一枚めくるかのように、これから起こるべき事を予感させるかのようにクラウストが言葉を紡いでいく。
「そしてこのアイテムを使って私は扉を開いた。『夢の浮橋』の世界と、戻りたくないと誰もが思う現し世の世界を繋ぐ扉です」
それは偶然の産物だった。
クラウストが偶然生成してしまった「リストに無いアイテム」──それがイースターエッグを開く為の鍵、マスターキーのレプリカだった。
「そして私は狂喜しました。現実世界とこの世界をつなげる事ができるということは……この世界で無敵を誇っていた私達は、この世界を私達の『理想郷』にできるのではないかと」
恍惚として表情で、ついにクラウストがその野望を口にした。
この世界で無類の強さを誇ったプレイヤーだからこそ可能な野望。そして、彼らにはそれを実行できる力が確かにあった。
「……下がれクラウスト。お前の追放許可はまだ出ていないが、許可が降りれば即お前を消す」
「ククッ……怖くないですね。この世界を統べる管理者とは言え、貴方はシステムに縛られている只の人形ですから」
年老いたモーガンの瞳が鋭くクラウストを斬りつける。だが、一方でクラウストも気圧されている雰囲気は無い。
ぴりぴりと張り詰める空気の中、小梅は2人のやりとりに静かに耳を傾けていた。
これまでクラウストの口から放たれた情報をひとつひとつつなげていく。語られた事実。そしてその裏側に隠れた真実。
この変態野郎は一種の「バグ」でマスターキーの生成が出来て、その鍵を使って扉を開こうとした。現実世界に居る仲間達を呼んで、この世界を支配する為に。
でも──
「あんたは……現実世界に居るオーディンのメンバーをこの世界に呼ぼうとして……失敗した?」
「その通りだ。扉を開いた時に現れたこの男の妨害を受けてね」
「あの時、システムの許可を待たずお前を追放するべきだったと後悔している。そうすればこれほど犠牲者が出ずに済んだ」
犠牲者──
その言葉に小梅は息を呑む。
つまり、この変態野郎の企みが失敗し、その時に戦場のフロンティアをプレイしていたあたしたちが巻き添えを喰って、この世界に転生させられたという事なのね。
この男……クラウストのせいで──
「そのくだらない野望のせいで……あたし達は……ッ!」
「……くだらない?」
クラウストの背中を睨んだまま、絞り出したその言葉にクラウストの空気がふと変化した。
「確かに、我ながら──くだらない野望だったよ」
「……なに?」
クラウストの口から放たれた思いもよらない言葉に、モーガンは唖然としてしまった。
この世界を手に入れるための野望。その野望をもう一度実現するために、お前はこうやってマスターキーを手にし、この場所に来たんだろう。
だが、モーガンのその問いをあざ笑うかのように、クラウストは優しくモーガンに微笑みかける。その肩にか細い手を添えて。
「今日、私がここにきた目的はイースターエッグではないんですよ、モーガン。私の目的は──」
クラウストは獲物を狙う肉食獣の如き冷ややかな瞳を携えながら、そう言った。
その瞳の先に映っている獲物、モーガンの姿を見据えて。
「お前、まさかッ──!」
モーガンの中に危険信号が発せられたと同時に、クラウストが動いた。
「スキル発動、『分解』そして『固形化』」
「……ッッッ!!」
クラウストの言葉は、スキル発動の命令だった。
クラウストが考えたそれは、廃坑で手に入れたエンチャントガンがもたらしたアイデアだった。
エンチャントガンを手に入れてすぐに、クラウストはアイテムを固形化することが出来る生産職のスキルと、アイテムを分解できるスキル。それを活用することでプレイヤーを素材として付与することが出来る事を発見した。
だが、それは彼の欲望のきっかけに過ぎなかった。
アイテムを分解するには分解するアイテムと同等のレベルが必要になる。レベル10のアイテムを分解するにはレベル10以上のプレイヤーが分解スキルを使う必要があった。
そしてその事に気がついたクラウストの脳裏にもう1つのアイデアが浮かんだ。
能力を奪い、それを付与するには、相手と同等のレベルが必要になる。
という事は己のレベルをエンチャントガンを使い最大化することで──管理者プログラムであるモーガンの能力を付与することが出来るのではないか、と。
それは、恐ろしい可能性だった。
「ま、まさかッ……!」
クラウストの襟を掴んだまま、モーガンは足先から光の粒に変貌していく。
管理者であろうとも、実行されたプログラムには逆らえない。
その光景をクラウストは満足気に見つめていた。
「クククッ……これだッ……! 私はこれを求めていたのだッ!! モーガン、貴方の管理者としての能力ッ! 足かせにとらわれる事なく、この世界を思いのままに操れる、神の能力をだッ!!」
クラウストの甲高い笑い声が暗闇に響き渡る。
「くっ……まさかっ……」
モーガンはクラウストの襟を離し、彼から逃げるように部屋の奥、扉がある闇の向こうへとかけ出した。
それはモーガンの最後の抵抗だった。
管理者の能力を奪われてしまえば、扉の向こうの世界から仲間を呼ばれるよりも、もっと深刻な事態に陥る。それはつまりクラウストがこの世界の全てにアクセス出来る「管理者」になるということだ。
「何処へ行くつもりなんですか? もう貴方は私から逃れられないというのに」
クラウストの勝利に満ちた声がモーガンの後を追う。
そして、クラウストはゆっくりと、支配者への道を一歩踏み出した。




