第137話 反撃の狼煙
その場所は異様な空間だった。
クラウストを先頭に暗闇の中に足を踏み入れた瞬間、機械兵器を呼び出した時のそれのように、きらきらと光る破片が辺りに広がり、彼らの目の前に空間を作り上げていった。
打ちっぱなしのコンクリートのような銀鼠色の壁。だが、それらはもちろんコンクリートでは無い。どこか「作りかけの部屋」のような印象がある不思議な空間だった。
「な、何よ、ここ……」
両脇を抱えられたまま、強制的に歩かされている小梅がぽつりと漏らす。
現れた壁は奥まで続いているというわけではなかった。クラウスト達を奥へと誘導するように、歩速に合わせて壁が造られ、そして通り過ぎた壁はまた光の粒へと戻っていく。
「この世界の中心ですよ」
「ちゅ、中心?」
「この世界のすべてのルールを決めている場所、とでも言いましょうか」
しんと静まり返った空間にクラウストと黒服のプレイヤー達の足音が響く。
その不気味な静けさが小梅に余計不安を募らせていった。
「……ワケ分かんない。この世界を作った神様でも居るってわけ?」
「何故この世界が出来上がったのか、それは判りません。しかし、この世界は作為的に創られたものに間違いないでしょう」
冗談半分で問いかけた小梅にクラウストは振り向くこと無く前方を見据えたまま答える。
作為的に創ったって誰がよ。ゲームメーカーが創ったって言う訳?
「馬鹿みたい。お伽話じゃあるまいし」
「私と君は……そのお伽話の世界に居るんですよ?」
「……ッ」
確かにこの変態野郎が言うとおりだ。ゲームの世界に閉じ込められたなんて、誰も信じてくれるわけない。夢でも見てたんじゃないのって言われて、終わりになる。
「ヒトは自分の常識を超えた事実が目の前に現れた時、それを否定するように造られているんですよ。今の君の言葉のように『馬鹿みたいだ』とね」
クラウストが足を止めた。
歩みを止めると同時に集まった光の粒が形成したのは、道の終わりを告げる行き止まりだ。
「行き止まり……?」
「違いますよ。始まりの場所です。……さぁ、開けて下さい」
ぽつりとクラウストが囁く。
まるでそこに扉があるかのように。
と──
「……やはり来てしまったか」
「ッ!」
どこからか静かな声が放たれた。
とても落ち着く、聞き覚えがあるような男の声。
そしてその声が余韻の彼方に消えると同時に行き止まりだった目の前にぽっかりと扉が開いた。
まるで全てを飲み込む巨大な化物の口のような異様な威圧感が小梅を襲う。
「戻ると言ったはずです。私は必ずここに戻ると」
「何度来ても同じだ。お前の企みは何度でも止める」
どこか高揚感が滲み出しているクラウストの声とは対象的な落ち着いた東雲のような声が返ってくる。
そして、壁に開いた扉の向こう、深い闇の中から声の主が現れた。
白い髭を蓄えた初老の老人。
その姿に小梅の背中にぞくりと冷たいものが走った。
「……あ、あんたは……」
小梅は思わず言葉を漏らしていた。
会ったこともないはずなのに、会ったことがあるような既視感。
なぜそんな感覚があるのか小梅には全く判らなかったが、いつか感じた胸を締め付けられるような寂しさが心の中で疼く。
「彼がこの世界の『神』だよ、小梅さん」
「か、神……?」
闇の中から現れたその老人は、感情が見られない人形のような表情でクラウストを見つめている。
「この世界の創造主。すべてを司る管理者プログラム……『モーガン』だ」
***
悠吾が引き金を引いたCZ-805の銃口から放たれた弾丸がグレイスの身体を捉えた。
7.62mmの弾丸は低レベルの地人であれば一撃で仕留める事ができるほどの高い攻撃力を有する弾丸だ。
フルオートで放たれた弾丸がグレイスの黒い戦闘服にいくつもの弾痕を穿っていく。
だが──
「ッてェなこの野郎」
「うッ!」
グレイスの頭上に表示された体力ゲージは一ミリも動かなかった。
それどころか、7.62mmの弾丸を意にも返さずグレイスは一気に悠吾との距離を詰めた。
「オジサン、この人……私と同じ暗殺者クラスの探索者だよっ!」
アムリタの叫び声が悠吾の鼓膜を揺らす。
だが、ぐん、と目の前まで迫ってくるグレイスの姿に一瞬驚いたものの悠吾は冷静だった。
暗殺者クラスは全てのクラスのスキルが使用できる代わりに、装備できる武器はナイフだけになるとアムリタちゃんは言っていた。
となれば、接近戦はこちらの圧倒的不利──
『アイテム使用! スモークグレネード!』
たん、と地面を蹴り、背後へ距離を置きながら悠吾はトレースギアにアイテム使用の指示を出す。
煙幕がどれほど効果があるのか判らないけど、少しでも時間を稼がないと。
「ハッ! また小細工かよッ!」
ぼん、と悠吾の足元で乳白色の煙が舞い上がる。
瞬時に視界を奪われたグレイスだったが、彼には悠吾の位置ははっきりと判っていた。FPSにおいて、視覚よりも信頼における聴覚を強化する盗賊のスキル「アンプリファイアLV5」を装備していたからだ。
悠吾が持つCZ-805が弾倉からチャンバーへ弾丸を供給する音がはっきりと聞こえたグレイスはその方向へナイフの切っ先を向ける。
グレイスの右手に握られていたナイフは、ユニオン連邦の生産チーム「造兵廠」が生成した、切れ味と剛性を最大まで強化した漆黒のコンバットナイフ「スワットハンター」だ。
「死ねッ!!」
鋭い一撃が煙幕の向こうに霞んでいる悠吾の影を襲う。
左の脇腹から右肩に抜ける、致命傷となる一撃。
肉を切り裂き、骨を断ち切る独特の感触がグレイスの手のひらを伝う──はずだったが、次の瞬間、グレイスの右手を襲ったのは激しい衝撃だった。
「な……!?」
びり、と痺れるような衝撃。そして同時に放たれたのは耳を劈かんばかりの金属音だった。
グレイスのナイフ、スワットハンターの切っ先にあったのは、悠吾の身体ではなく、その両手に持たれたCZ-805のボディだった。
CZ-805の弾丸ではグレイスの身体にダメージを与える事ができないと判断した悠吾は咄嗟に引き金から指を戻し、防御行動に移っていた。
「まだだっ!」
それは悠吾が作った間。時間にして数秒たらずだったが、次の行動の準備を整える為には十分な時間だった。
悠吾の足元から這い上がる光の粒。そしてそれは悠吾の身を守る鎧へと変わっていく。
「最初から本気でいきますよッ!」
「またそれかッ!! 芸が無いッ!」
瞬時にフェライトの装甲が身を覆い尽くし、そして命が吹き込まれたかのようにその瞳が赤く光る──
『転送完了、システムチェック……電磁装甲の起動を確認、システムオールクリア。ジャガーノート、オンライン』
いつもの冷ややかな女性の声のアナウンスが悠吾の耳に届く。
出し惜しみはしていられない。一秒でも早く小梅さんの元に──
「邪魔だっ!!」
ジャガーノートを纏った悠吾は即座に反撃を開始した。
スワットハンターを防いでいたCZ-805を投げ捨てると挨拶だと言わんばかりにグレイスの腹部に向け下突きを放つ。ジャガーノートのアクチュエータにより威力が数倍に跳ね上がった突きだ。
壁を容易く砕くほどの威力を持つ拳が空気を切り裂き、グレイスの腹部にめり込む。ずどん、と拳が突き刺さった瞬間に空気が揺れた。
が──
「なんだそりゃ?」
「……ッ!!」
衝撃でぶわりとグレイスの黒い戦闘服がたなびいたが、またしてもグレイスにダメージを与えることは出来なかった。ぎらりと睨みつけるグレイスの視線に悠吾の身体がぞくりと慄く。
「遊んでんじゃねぇぞッ!」
グレイスが、打ち付けた悠吾の拳を右手で弾くと同時に左手の掌底を悠吾の側頭部へと放つ。
「くっ!」
外傷的な痛みではなく、身体の芯に響くような衝撃が悠吾を襲った。
それはクラス暗殺者だけが可能なスキルの複合攻撃だった。相手を一定時間行動不能にする戦士のアクティブスキル「パライズ」と相手防御力の一部を無効化し、ダメージを与える事ができる弓師のアクティブスキル「ストッピングビート」──
「おら、死ねッ!」
ぐらりと悠吾の視界が歪む。
そしてその隙を逃さない、とグレイスのナイフが襲いかかった。
避けるんだッ……あの攻撃はジャガーノートの電磁装甲でも防ぐことは出来ない──
恐怖とともに悠吾が必死に足を動かそうとした、その時だ。
「おじさん、踊ろうよッ!」
悠吾の頭上からするりと小さな黒い影が舞い降りた。
「……なッ!」
金属が擦れ合う甲高い音が舞い散り、思わずグレイスは距離を置く。
「てめぇは……」
「ア、アムリタちゃん!」
地面を蹴りあげ、空からグレイスに襲いかかったのは、二本のククリナイフを携えたアムリタだった。
そうだ。アムリタちゃんは正真正銘、純粋なクラス暗殺者の地人だった。
すっかり忘れていたけど……。
「てめぇが『前任者』、護世八方天の地人か」
にやり、と笑みを浮かべるグレイス。
だが、その問いかけにアムリタは何も返さない。
まるでおもちゃを見つけた子供のように、目を輝かせながら笑顔を見せるだけだ。
「フン、だがな、てめぇらを処理するくらい、今の俺には簡単なことなんだよ」
そう言ってグレイスがひゅん、とナイフを逆手に構えなおした。
|CQC(近接格闘)を仕掛けてくるつもりなのだろう。ナイフしか装備できなくなるデメリットを覆す程の能力から今のグレイスに|CQC(近接格闘)で勝つのは無理だ。多分、プレイヤー能力を付与して、経験値やステータス能力を上乗せしたってことだろう。裏技に近いやり方だけど、時間をかけず暗殺者にクラスチェンジすることができる。
能力的には多分アムリタちゃんより、グレイスの方が上だ。一対一なら負けるのは──アムリタちゃん。
一刻もはやく小梅を追いかけたいけど、2人がかりでないと今のグレイスは倒せない。
「オジサンはママを追って」
「……え?」
「あの人は私がやっつけるから」
アムリタの口から悠吾の心境とは真逆の言葉が放たれた。
「ちょ、ちょっと待って。独りじゃ無理だ!」
「無理じゃないよ」
悠吾に軽く見られたとでも思ったのか、アムリタがぷうと頬をふくらませる。
そ、そんな可愛い顔してもだめですよ。アムリタちゃんひとりをここに残していくなんで出来ない。
「独り? ガキ独りで俺の相手を?」
「うん」
アムリタのあっけらかんとした返事に、グレイスの表情を支配していた冷たく斬りつけるような笑みが瞬時に姿を消した。
そして変わって現れたのは、プライドを傷つけられたと言わんばかりの、怒り──
「全然笑えねぇな」
その言葉と同時に、グレイスに異変が起きた。
鋭く尖っていた瞳が次第に赤く、紅蓮の炎が燃え上がっているかのごとく染まっていく。
来る──
グレイスが放つ押しつぶされそうな圧迫感に悠吾とアムリタが思わず身構えた、その時だった。
「ならば俺達が加勢しようか」
薄暗い森の中に静かな声が響いた。
そして次の瞬間──
「ッ!?」
ぶしゅう、と何かが噴射されるような音がその声に続き放たれたと同時に、グレイスの頭上から黒い影が凄まじい勢いで舞い降りてきた。
ずどんと地面が揺れ、辺りに粉塵が舞い上がる。
「くっ!!」
一体なにが起きたのか悠吾にもアムリタにも、そしてグレイスにも判らなかった。
だが、舞い降りたそれが何なのか次の瞬間、グレイスは身を持って知ることになる。
まるで煙幕のように舞い上がった粉塵の中からにゅうと現れたのは、見覚えのある黒い装甲を纏ったプレイヤー──
「なッ!? ジャ、ジャガーノート!?」
「ええっ!? なんで!?」
グレイスと同時に驚嘆の声を上げたのは悠吾だった。
グレイスの目の前に現れたのは紛れも無く、黒いフェライトの装甲に覆われたアーティファクト兵器、ジャガーノートだった。だがそれはもちろん悠吾のものではない。
悠吾とは別の、ジャガーノート──
「……やっと見つけたよ、悠吾くん」
「えっ!?」
不意にかけられた声に悠吾はびくりと身を竦ませてしまった。
ジャガーノートと対峙しているグレイスの奥、茂みの向こうに居たのは独りのプレイヤーだった。
「ノ……ノイエさん!?」
ロングヘアーを後ろでまとめた少々つり目の男。
そこに居たのは紛れも無く、ブロッサムの街に残してきたノイエだった。
「どどど、どうしてノイエさんがここに……って、まさかあのジャガーノートって……」
思わず悠吾はトレースギアに目の前で背中を見せるジャガーノートを纏っているプレイヤーのステータスを確認した。一瞬の間を置き、目の前のディスプレイに表示されるひとりのプレイヤーの名前。
「トトト、トラジオさん!?」
「……悠吾」
グレイスの方向へ身体を向けたまま、ジャガーノートを纏ったトラジオがポツリと言葉を切り出す。
その声には幾ばくか、怒りが滲んでいるように悠吾には感じてしまった。
「俺の忠告を無視して独走した件については、後でたっぷりと言い訳を聞かせてもらうぞ」
「……うっ」
怒っている。トラジオさんは確実に怒っていらっしゃる。
当たり前ですよね、とジャガーノートの中で引きつった笑みを浮かべてしまう悠吾。
「トラジオさん、それは全てが終わって小梅を助けだした後にしましょう」
「……そうだな」
ノイエがトレースギアを開きながら茂みから足を踏み出す。
そしてきらきらと光の粒が集まり、ノイエの身体にもトラジオや悠吾と同じジャガーノートの漆黒の装甲が形成されていく。
「悠吾くん、アムリタちゃん。ここは僕達に任せて、君達は先に小梅の元に」
この男の処理は僕達が引き受けます。
そう言うノイエの言葉に、グレイスの頬がぴくりと引きつったのがはっきりとわかった。




