第135話 どす黒い野望
ラウル市公国とノスタルジア王国の兵力は合わせて500程だったが、ユニオン連邦が侵攻に投入した兵力はその3倍、約1500を超えていた。
先陣を切るのは高レベルの戦士や魔術師、そして盗賊で構成されたプレイヤー達だ。さらにユニオンは小隊に一台、重|歩兵戦闘車(IFV)を割り当て、スビードを武器にノスタルジア・ラウルの防衛線を突破する作戦を取っていた。
|歩兵戦闘車(IFV)とは強力な火砲を持ちながらも車内にプレイヤーを乗せ、輸送する事が出来る特殊な軍用車両の事を指す。キャタピラの様な履帯に対戦車ミサイルを装備したものもあれば、8輪駆動のタイヤに25mmクラスの機関砲を装備したものもある。|歩兵戦闘車(IFV)は歩兵を前線まで輸送し降車するまで彼らの身を守る為に設計された輸送車両と違い、歩兵を乗せた状態で戦闘を行うことが出来る画期的な車両だった。
そして、ユニオンプレイヤー達に配布された|歩兵戦闘車(IFV)はそんな|歩兵戦闘車(IFV)という分野を産んだ旧ソビエト軍の車両、BMP-3だった。
最大35mmもの装甲を持ち、100mm低圧砲の主砲と30mmの機関砲、そしてバスティオン対戦車ミサイルを時速60キロの速さで運ぶことが出来る恐るべき兵器だ。
ユニオン連邦が、弓師や聖職者などの援護役ともいえるクラスを編入せず、突貫力に特化した事には理由があった。
彼らは何よりも侵攻スピードを重視したかったからだ。
短いとはいえ、交戦フェーズは7日間続く事になる。もしラウル侵攻が長引き、持久戦になってしまえば、最悪ヴェルドや東方諸侯連合の動きを牽制する為に北方、東方の国境付近に展開しているクランを割り当てなくてはならなくなってしまう。
現在、ヴェルドや東方諸侯連合に動きは無いが、万が一、ヴェルドや東方諸侯連合がラウル・ノスタルジアに加勢した場合、広大な戦線を限られた兵力で補わなくてはならなくなる。
圧倒的有利な状況だとはいえ、今後の事を考えて僅かな時間で戦いを終わらせたいとユニオンは考えていた。
ラウルの持つ2つのプロヴィンスの北側、最もユニオンとの国境に近い拠点「アルファ」に烈空の姿があった。
烈空の周りに見えるのは、砲撃や爆破に耐えうるようにコンクリート製の壁で覆われた要塞──だが、すでに拠点アルファはユニオン連邦の手に落ちていた。
「手応えが無かったな」
破壊されたトーチカの前でぽつりと烈空が漏らす。
烈空はどこか拍子抜けしてしまっていた。
クラウストより戦線を任された烈空は即座に彼が所属し、そしてクラウストがクランマスターを務める「黒の旅団」のメンバーと共に国境にほど近い拠点のひとつに攻め入った。
実行する作戦は、|歩兵戦闘車(IFV)を先頭に橋頭堡を築き、強力な火力で敵を圧倒するいわゆる物量作戦。数で優位に立つユニオンが取るべき作戦はそれだと考えていた烈空だったが、ラウル・ノスタルジアからの反撃は軽微だった。
砦を守っていたプレイヤーはごくわずかで、彼らもしばしの抵抗を見せた後、直ぐに拠点を後にしていた。
「烈空さん、南部のプロヴィンスを攻めている部隊から連絡が。すでに拠点の2つを陥落させたようです」
「……フム」
黒の旅団のメンバーの1人が烈空にそう言った。
この拠点と同じく、反撃は軽微だった──
一件順調にも見えるユニオンの侵攻だったが、烈空の表情は優れない。
「何故、こうも簡単に拠点を明け渡す?」
「……え?」
「南部か北部のプロヴィンス、どちらかを捨て、どちらかの守りに全兵力を集中させるのではないかと思っていたが……まさかどちらの拠点も手薄とは」
人材に乏しい彼らの状況を考えると、広く薄い防御陣を構築するよりも、厚く短い防御陣を築く事は妥当な考えだろう。全勢力を集中することで相手に痛手を負わせる可能性が高くなるからだ。しかし、そう考えていたのだが……何故奴らは2つのプロヴィンスともに拠点にプレイヤーを配置していない。
「しかし、早くラウルを落とせるならば、それに越したことはありませんよ?」
「……」
その言葉に烈空は強ばっていた表情をふとゆるめた。
何処か腑に落ちないが、奴らが何を狙っていたとしてもその準備が整う前に全ての拠点を陥落させられる自信はある。それに、先陣を切っているのは私達黒の旅団だ。例え反撃が軽微だとはいえ、手を緩めることはしない。背を向け逃げようとも、背後から脳天を撃ちぬく。
拠点を明け渡し、楽勝ムードでこちらの油断を誘っているとするならばそれは愚の骨頂というものだ。
さらに──
「烈空さん、後続部隊が到着したようです」
「……到着したか」
続けてプレイヤーから放たれたその言葉に烈空の懸念は完全に姿を消した。
奪いとった拠点を守る為の後詰の部隊が予定通りに到着した。
奴らの狙いは私達先鋒部隊を素通りさせ、後詰の部隊を襲い兵站を遮断するというわけでもなさそうだ。
後詰の部隊は聖職者と生産職を中心にした拠点を守る防衛線に特化した防衛部隊だ。その数は先鋒隊の私達よりも多い。どんな策を考えているのか判らんが、今のノスタルジア・ラウルの兵力で後詰部隊が守る拠点を奪い返すことは難しいはず。
「後詰部隊からクランを1つ、本国からの物資輸送の護衛に回せ」
「……物資輸送の護衛を?」
「念には念を入れてだ」
低い声で烈空がそう言う。
この状況で物資輸送の護衛に兵力を割く事は無駄足になる可能性が高い。だが、ノスタルジアとラウルには僅かな隙も与るわけにはいかん。
例え相手がひ弱なウサギだったとしても一切油断は見せず、付け入る隙を一瞬でも与えず全力をもって屠る。
烈空はそういう男だった。
「りょ、了解です」
「選定は任せる。出発準備を。私達は次の拠点ブラボーへ向かう」
烈空の眼下で勝どきを挙げるように、|歩兵戦闘車(IFV)のエンジンに火が灯った爆音が轟いた。
休んでいる暇など無い。1日……いや、1分でも早くラウルを滅ぼす。
破壊されたコンクリートの拠点の向こう、西の空を赤く染める陽はすでに落ちかけ、交戦フェーズの一日目が早くも終わろうとしていた。
***
小梅の口から放たれたイースターエッグがあるという「無花果の樹海」はその名の通り、鬱蒼とした森の中に存在している森林地タイプの狩場だった。
森林地タイプの狩場は洞窟タイプや廃工場タイプの狩場と違い、はっきりとした入口や出口が存在しない。クラウストのトレースギアに表示されている現在地はいつの間にか「無花果の樹海」に変わっていた。
「我が領地内とは、運が良かったと言う他に無いな」
クラウストはほくそ笑む。
もしこれがヴェルドや東方諸侯連合国内の狩場であれば多少手を焼いていた所だ。
「フン、こんな目と鼻の先にあったイースターエッグを見落としていたなんて、滑稽だわ」
クラウストの後を追うように歩く両手を縛られた小梅が嘲笑した。
「口撃」は黒服のプレイヤーに両脇を抑えられ、反抗の手段を全て奪われてしまった小梅にできる最大の犯行手段だ。
「ええ、仰る通りです。しかし……発見できていたとしても私達はイースターエッグに到達することはできなかったでしょう」
「……どういう意味?」
小梅は小さく首を傾げる。
ユニオンもマスターキーを手に入れているはずでしょ。
「ここまできて隠す必要は無いですね。小梅さん、私達はマスターキーを手に入れることは出来なかったんです」
「……え?」
「我々に世界に8人居ると言われるマスターキーを守る強力な地人、護世八方天を発見することはできませんでした」
嘘でしょ。
クラウストの口から放たれたその言葉に驚きを隠せない小梅。
あの情報は偽りの情報だったというわけ? でも、一体何のために──
「意味がわからない、といいたげな表情ですね?」
「判るわけ無いじゃない。なんでそんな嘘を……」
「貴女達を油断させるためですよ。……いえ、違いますね。それだけではありません」
先を調べてこい、と黒服のプレイヤーに顎で奥を刺しながらクラウストは足を止めると背後の小梅へと振り返る。
「あの時、私達がマスターキーを手に入れたという嘘の情報を発信する事で様々なメリットが想定されました。まず、貴女達に危機感を植え付ける事が出来るということです。イースターエッグに到達するためのイニシアチブを取っていたはずが、たった1週間足らずでその差をふりだしに戻された、と」
「う……」
あの情報がもたらされた後の解放同盟軍の動向を知っている小梅は耳が痛かった。
情報屋がもたらしたそのを信じて、真意を確かめる事なく慌てふためいていたのは事実だ。
「そして、予想通り貴女達は慌てた。焦りから貴女達は我々よりも先にイースターエッグを見つけようと躍起になり、交戦フェーズでの準備が間に合うかどうかの瀬戸際であるにもかかわらず、強行とも言える調査を行った。そしてそこから産まれたのは、交戦フェーズの準備の遅延と──小梅さん、貴女を守る護衛の隙です」
「……ッ」
その事ばに、小梅はクラウストの狙いがはっきりと理解できた。
最大の目的はブロッサムの街を守る護衛に隙を産ませる事だったってわけか。探しても見つかるかわからない護世八方天を見つけるよりも、そこに必ずいるあたしを奪う方が簡単だもんね。
「……そしてあんたの目論見通り事は進んだってわけね」
「その通りです」
交戦フェーズの準備は遅れ、ブロッサムの街に居た生産職プレイヤー達は殺され、あたしはこんな所に居る。
変態野郎は危険を犯すことなく、マスターキーを手にれた──
「……ちょっとまって」
クラウストの目論見を聞き、小梅の脳裏にふととある疑問が浮かんだ。
「あんた……前に『扉を見つけた』って言ってたわよね?」
小梅の頭に思い起こされたのは、あの洋室でクラウストが言い放った言葉だった。
この変態野郎は確かに言った。現実世界とこの世界を繋ぐ『扉』の存在を発見したって。
「こんな馬鹿げた世界に連れて来られて、あたし達がこんな目にあってるのって……もしかしてあんたのせいじゃ無いでしょうね?」
あんたは扉を見つけてその扉を開けた。この世界と現実世界をつなげる扉ってやつを。
その話が本当なら、この転生事件の元凶は──
「……フム、意外と鋭いんですね。もっと鈍い女性かと思っていました」
「なっ……!」
小梅をあざ笑うかのようにクラウストの口角がきゅうと釣り上がる。
「お話した通り、所詮この世界は只のゲームの世界です。パソコンの電源を切れば夢は終わります。ですが……私は見つけたのです。現し世と夢の浮橋を繋ぐ扉の鍵を」
その言葉を聞き、小梅の中に改めて別の怒りが滲み出してくる。
やっぱりこの男が全ての元凶だ。関係のない人達をこの世界に閉じ込めて、苦しめて……アジーを……皆を殺した──
「あんた……ッ!!」
思わず飛びかからんと身構えた小梅だったが、即座に両脇を押さえる黒服のプレイヤーがその小さな身体を抑えこむ。
「くっ……このっ……離せッ!!」
「私が発見したそれは、本当に奇跡に近い偶然でした。当時生産職だった私は、選択ミスで生産リストに無いアイテムを生成してしまったんです。それがイースターエッグへと繋がる鍵でした」
じたばたと暴れる小梅を静かに見つめながらクラウストは続ける。
「一種のバクアイテムだと思いました。ですが、そのアイテムは食べてはならない『アダムの林檎』だったのです。そのアイテムを使った次の瞬間、私は見知らぬ場所に居ました。巨大な錆びた扉、そしてひとりの老人」
次の瞬間、クラウストの表情が豹変した。それは戦慄を覚えてしまうほどの、まるで世界を滅ぼす悪魔のような狂気に満ちた残酷な笑顔だった。
その恐怖に小梅の肺が痙攣し、思わず小さな悲鳴を上げてしまった。
そして、まるで子守唄を口ずさむようにクラウストが小さく続けた。
「……私はもう一度その扉を開くんですよ小梅さん。この世界の全てを手に入れる為に」




