第130話 イースターエッグ
ブロッサムを拠点に置いていたノスタルジア王国の生き残り達のほとんどはその襲撃で息絶えてしまったらしい──
ノーゲンベルグの街に続き、ブロッサムの街が正体不明の黒い戦闘服のプレイヤー達に襲われたというニュースは、プレイヤーからプレイヤーに伝わるうちに形を変え、誇大されてそう広まった。
広告メディア等の情報伝達方法が無いこの世界でプレイヤー達が口にする噂は現実世界のそれよりも拡散能力が高く、そして簡単にねじ曲げられてしまう。
ラウル市公国のプロヴィンスと境界を接するユニオン連邦のプロヴィンス、国境にも程近い街「クベタ」に拉致された小梅はユニオンプレイヤーの口からその噂を聞かされていた。
「……だから何?」
両手を縛られ、黒服の男達に囲まれてクベタの街を歩く小梅は刺々しい口調でそう返した。
「別に。俺ァ只事実を伝えた迄だ。まぁ、つってもあいつらをぶっ殺したのは俺たちなんだけどよ」
「……ッ!」
クツクツと卑下したような笑みを浮かべるのはグレイスだ。
直ぐ脇に立つグレイスに強烈な肘打ちを放たんと縛られた腕を振りかぶる小梅だったが、すかさず別の黒服の男が小梅の動きを制する。
ブロッサムの街のプライベートルームの前で殺されると思っていた小梅だったが、気がついた時にはこの見たこともない街にグレイス達と共に居た。
クベタはブロッサムと比べて、ずいぶんと寂れた街だ。この街に住んでいる地人は少なく、狩場へ向かうプレイヤー達が休憩に立ち寄る程の小さな街だった。
一緒に居たアムリタは無事だろうか。
ふと小梅の脳裏に寝息を立てていたアムリタの姿が浮かぶ。
引きずりだされた時に部屋は立入禁止設定にしたからこいつらは中には入ってないだろうけど……
「何なのよッ! あんた達ッ! こんなトコに連れてきて、どうするつもり!?」
「あん? 決まってンだろ。これから全員でお前を嬲る」
「……ッ!」
グレイスの言葉に一瞬表情から血の気が引いた。
以前、あの廃坑でも同じような事を口走っていた。あの時は悠吾が助けてくれたけど……今は居ない。居たとしても助けてくれるはずはない。
プライベートルームでのあの情景が浮かんだ小梅の胸が小さく疼く。
「……っつーのは冗談だ」
「なっ……!」
「クク、ビビったか? 俺らは只命令に従っただけだ。詳しくは……本人に聞け」
「……本人?」
グレイスが顎で前方を指した。
ぽつぽつと立ち並んでいた家屋の向こう、ひときわ大きなモルタル塗りの西洋館が小梅の目に映った。
いくつも設けられた窓から見える明かりと、周囲に設けられたデッキライトが白亜の西洋館を熟夜の暗闇に浮かび上がらせている。
「本人って……誰よ?」
「俺に命令できンのは1人しか居ねぇだろ。ユニオン連邦のGMであらせられるクラウストさんだ」
西洋館の明かりでグレイスの狡猾な横顔が浮かび上がった。
東の空は次第に青く透き通りつつあった。
***
小梅が連れてこられたのは小さな部屋だった。
17世紀イギリスカントリー調のウィンザーチェアと丸テーブル、濃厚な黒紫色のワインが注がれたグラス。
そして、シックな内装にはまったくもって似つかわしくない、作業台とその前に立つプレイヤーらしき姿──
長い銀髪に黒い正装軍服を着たそのプレイヤーに小梅は息を呑んでしまった。
後ろ姿でもはっきりと分かる、グレイス達とは空気が全く違う紳士的な佇まい。このプレイヤーが男なのか女なのか、小梅には全く判らなかった。
「……恐怖は未知なるものから産まれると、アメリカの哲学者エマーソンは言った」
「……ッ!」
男なのね。
まるでさらさらとせせらぐ小川のような優しい口調で流す言葉を聞き、このプレイヤーが男性だということにやっと気がついた。
思わず、じりと後ずさってしまう小梅。
「……じっとしていたまえ」
「ッ!!」
突如背後から放たれたこの銀髪の男と対照的な冷ややかな声に思わず身を竦めてしまう。
背後にいつの間にか立っていた男。鷹の目のように鋭く、皮の薄い頬──
グレイスじゃない。
「怖いかね?」
背を向けたまま、銀髪の男が囁く。
「別に」
「成る程、では君は──これから君の身に何が起こるのか知っている、と?」
「判るわけ無いじゃん、そんなの」
ぎりと唇を噛み、睨みつける。
そうしないとこの場に崩れ落ちてしまうほどの恐怖が小梅を襲っていた。
「気丈な女性だな、君は」
優雅にゆっくりと銀髪の男が振り向いた。
その神々しい銀の髪に隠れていたのは、恐ろしいほどに整った端正な顔立ち。
その狂気的に美しい男の姿に、思わず小梅は言葉を失ってしまった。
「それに……とても美しい」
「……なっ!?」
男が言い放った一言にうろたえてしまう。
だが、優しい微笑みを携えながら、ゆっくりと近づいてくるその男の目に潜む狂気を小梅は無視出来なかった。
「はじめまして小梅さん。私が──ユニオン連邦のGM、クラウストです」
クラウストは胸に手を当て、小さく頭を垂れる。
逃げなきゃ──
ひくついた喉から漏れだす悲鳴を必死に抑えこみ、心の中でそう叫ぶ小梅だったが、彼女のか細いその足はその場から一歩も動けなかった。
「烈空、いつまでも女性を立たせておくわけにはいかないな」
「判りました」
小梅の背後に立っていた男、烈空は直立不動のまま身をすくめていた小梅の両肩を抱きかかえ、部屋の中央に設置されたウェインザーチェアへと促す。
全身の力が抜けかけていた小梅は、抵抗する事なく倒れこむように腰を降ろした。
「さて、先ほどの話の続きですが」
そう切り出したクラウストの言葉が終わる前に、烈空は音なくクラウストの背後へ回ると、するりとテーブルの脇に置かれたもう一脚のウィンザーチェアを引く。
ゆっくりと腰を下ろし、流れるような動作で足を組むクラウストの姿はまるでこの部屋に飾られた黒曜石に掘られた彫刻のような雰囲気を小梅に与えた。
「ここへ君を呼んだ理由は、君に聞きたい事があるからです」
「……聞きたいこと?」
「単刀直入に言うと……イースターエッグの在処です」
その言葉に訝しげな表情を浮かべてしまった。
青天の霹靂とはこの事ね。あたし達も必死で探しているイースターエッグの情報を聞きたいって。
「あたしが知るわけ無いでしょ、そんなもの」
「……フム、そうでしょう」
と、クラウストが胸のポケットからひとつの弾丸を取り出した。
テーブルに置かれたグラスに注がれているワインと同じ、黒紫色に輝く弾丸だ。
「これを見給え。美しい色をしているでしょう。……この弾丸が何か分かりますか? 小梅さん」
小梅にはその弾丸が何か全く判らなかった。
拳銃や短機関銃の弾丸にしては小さい。
沈黙の返答を送る小梅だったが、続けてクラウストが取り出したものに小梅の心臓はどくんと跳ねてしまった。
「そ、それって……」
「これは君も良く知っている、エンチャントガンの弾丸ですよ」
クラウストの左手に握られたそれ。
小梅も何度か目にしている、悠吾が生成したあの「エンチャントガン」だった。
クラウストは、引きつった小梅の表情に満足したような笑みを浮かべると、ゆっくりと立ち上がり、その黒紫色の弾丸をエンチャントガンに装填した。
「な、何よ」
何するつもりなのよ。
エンチャントガンを手に、ゆっくりと歩み寄ってくるクラウストに逃げようと席を立つ小梅だったが──再び背後に回られた烈空の腕力で強制的に椅子へと戻されてしまう。
「ちょッ! は、離してッ!!」
「少し痛みますよ」
「……あッ……!」
ぷしゅんと空気が放たれた音とともに、小梅の首元にズキリと刺された様な痛みが走る。
そして打たれた首元から、じんわりと温かい痺れが広がっていき、小梅の全身を覆い尽くす。
それには既視感があった。
狩場、蒼龍の番でアムリタから渡されたあの鍵と同じ感覚だった。
「……さて、少し昔話をしましょか、小梅さん」
「むかし……ばなし……」
ふわふわとした感覚に、意識すらも痺れてくる。
「私は昔、君と同じノスタルジアに所属するプレイヤーでした。君も知っているでしょう? オーディンというクランです」
「おーでぃん……」
「そうです。私達オーディンは戦場のフロンティアの世界では無敵でした。今でもプレイヤー達の記憶に残っているでしょう。1回の交戦フェーズで40ものプロヴィンスを落とし、小国だったノスタルジアを大国へと成長させたんですから」
クラウストが右手を掲げた。
きらきらと光の粒が集まると、その指先に小さなアイテムを形成する。
それは、小さな鍵だった。
「しかし、所詮この世界は只のゲームの世界です。どれほどこの世界で生きようとも、接続を切れば……現実が戻ってくる。言わば──この世界は夢の浮橋です」
「……あんたは……」
痺れた意識の奥底で小梅の心が警告を放つ。
この男は危険だ、と。
「今思えば、デジタルデータの固まりでしか無かったこの世界の神が私を導いてくれたのかもしれません。……私は見つけたのです。現実世界とこの世界を繋ぐ、『扉』の存在を」
そういって小梅の足元に跪くクラウスト。
まるで主に従う、従順な騎士の様に。
「さぁ、小梅さん。そろそろ頃合いでしょう? 君の中に少しづつ蘇ってきているはずです」
「あ……あう……」
痺れた意識の向こう、微かに何かが見えた。
遠い向こう。
──錆びた扉と、老人の姿。
「……な、なによ……これ……あんたあたしに何を……」
「先程君に投与したのは、私が発見し、生成したアイテムですよ。マスターキーの称号を得たプレイヤーに眠る『イースターエッグ』の在処を引き出す為のバックドアです」
「な、なんであんた、そんなものを……」
ダメ、逃げなきゃ。
焦り、そしてうろたえる小梅。
だが、その身体は固まり僅かにも動かない。
「恐怖していますね、小梅さん」
小梅の頬にひんやりとした何かが触れた。
クラウストの細く、しなやかな指先だ。
その指先に小梅の口が恐怖で震える。だがそれは甘く、心地よい、恐怖──
「さぁ、私に扉の在処を教えて下さい」
クラウストが優しく囁く。
その言葉に、小梅は逆らうことが出来なかった。




