第127話 守るべきもの その3
ブロッサムの街を吹き抜ける風に乗った焦げ臭い匂いに呼び起こされるように悠吾は瞼を開いた。
目の前に広がる夜の闇。一瞬、目を開けているのか閉じているのか判らない奇妙な錯覚に陥ってしまった悠吾だったが、ごうごうと燃え上がる炎が赤く染め上げている残骸がぼんやりと浮かび上がった事で、ブロッサムの街に熟夜が訪れている事がやっと把握できた。
「……痛ッ」
身を起こそうとした悠吾の全身に激痛が走った。みしみしと身体から悲鳴が上がっている事がはっきりと判る。
しかし、右腕だけには全く感覚が無かった。
ジャガーノートの装甲が剥がれ落ち、肩から指先まで黒ずんでしまっている右腕。
その右腕を見て、悠吾中に少しづつ記憶が蘇っていく。
黒服の男、赤い目、掴まれた右足。そして爆破させたニードルパイク──
そうだ、僕は至近距離でニードルパイクの爆発を受けたんだ。
「……皆は……」
工廠チームは逃げる事が出来たのか。
次の瞬間悠吾の脳裏に浮かんだのはそれだった。
満身創痍の身体を必死に動かし、ゆっくりと立ち上がる悠吾。
そしてまず悠吾の目に飛び込んできたのは壁面が吹き飛び、半壊した工廠の長屋だった。
がたがたと風に揺れるトタン板。燃え上がる炎。
そしてその傍らに、地面に横たわるあの黒服の男の亡骸があった。
ニードルパイクが右腕に刺さったまま、息絶えている男──
何故黒服の男は復活しないのか。
その事が引っかかってしまったものの、悠吾はすぐさまその男の死体から視線を移した。
──黒服の男の死体はひとつだけだったからだ。
『……皆、無事ですか?』
工廠チームのプレイヤー達に小隊会話で呼びかける悠吾。
だが、返ってくるのは沈黙だけだった。
工廠チームとは小隊も中隊も組んでいるわけではない。悠吾自身もその事を判ってはいたものの、受けたダメージの影響か、混乱してしまっている悠吾はなおも小隊会話で工廠チームへの問いかけを続ける。
『……皆、本部へ脱出できましたか?』
ずるり、と痛む右足を引きずりながら、返ってくるはずがない問いかけを続ける。
そして、ふらふらとおぼつかない足取りで、丁度工廠の長屋の入り口付近に着いたその時だ。
その光景に、悠吾は絶句してしまった。
いくつも立ち昇る巨大な炎。破壊された街。
そして、点々と横たわる、工廠チームのプレイヤー達──
そこには死が満ち溢れ、まさに地獄と形容できる光景だった。
「嘘だ……」
思わず長屋の壁にもたれかかり、その場に崩れ落ちそうになってしまった。
守れなかった。
その言葉が悠吾の頭の中をぐるぐると回り続ける。
街も、仲間も何もかも守れなかった。
「……小梅さん」
ぞくりと悠吾の背筋に冷たいものが走った。
そしてその悪寒がじわじわと悠吾の身体の中に広がっていく。ぞくりと寒いはずなのに、じとりと嫌な汗があふれだす。
小梅……小梅さんは──
「……悠吾!?」
と、炎に照らされた薄暗い闇の向こうから幾人かの人影が悠吾の目に映った。
見覚えの有る顔、そして声。
闇の中から現れたのは、トラジオだった。
「悠吾! 無事だったか! 一体これは──ッ!!」
既に到着していた探索チームが生存者の捜索を行っていたのか、HK416を構え、戦闘態勢を取ったまま現れたトラジオだったが、悠吾のその姿を見て思わず息を呑んでしまった。
生きているのが不思議な程の姿。トレースギアに表示されている悠吾の体力ゲージはほとんどゼロだった。
「悠吾、一体何があったのだ」
「小梅さんは……」
トラジオの問いかけに答える事なく、うめき声の様に小梅の名を呼びながら、ゆっくりと長屋の壁から離れ、足を進める悠吾。
悠吾の目にトラジオの姿は無く、悠吾の耳にトラジオの声は届いていなかった。
その目に映っているのは、遠くに霞む小梅の後ろ姿──
「……」
無言で見つめるトラジオや探索チームの側を横切り、悠吾は闇の中にその身を預ける。
悠吾が目指す場所はただひとつ。
小梅と別れたあの場所。
その場所にある微かな希望を信じて悠吾は小さく足を踏み出す。
しかし──
悠吾に待ち受けていたのは残酷な現実だった。
***
「……うぅぅうぅぅ」
ジャガーノートが光の粒に戻り、変わり果てたプライベートルームの残骸を前に崩れ落ちた悠吾の全身を熱風が襲った。
舌の奥から這い上がる苦い後悔がうめき声となり、悠吾の喉を揺らす。
だが、目の前に広がる光景はどうあがいても変えることができないひとつの「結果」だった。
ルシアナさんにお願いされた工廠メンバーを守ることも、そして小梅さんを守る事も僕には出来なかった。
命をかけても守ると誓った僕だけが生き残ってしまった。
小梅さんは死んでしまった──
考えたくは無いその言葉がぽつりと悠吾の脳裏に浮かんだ。
信じたくはない。
だけど、もう小梅さんは居ない。
その言葉が悠吾の全身から気力と思考能力を奪って行った──その時だった。
「……ぷっはっ!!」
「……ッ!!」
悠吾の前方、折り重なったプライベートルームの残骸の一部ががらりと崩れ落ち、小さな顔がひょっこりと姿を見せた。
毛先がカールした黄金色の髪を持った、幼い少女──
「アムリタちゃん!?」
「……ッ! 悠吾のおじさん!?」
瓦礫の中から姿を現した少女、それは間違いなく小梅と共に居た地人の少女、アムリタだった。
「アムリタちゃん! 無事だった──」
「悠吾のおじさんッ!!」
悠吾の言葉を遮り、瓦礫から抜けだしたアムリタがすがりつくように悠吾の元へと駆け寄る。
黒いフードはぼろぼろに破け、そして身体のあちこちに生傷をつけているアムリタ。そしてその表情は今まで見たこともないような悲壮感に包まれていた。
「おじさん、ママが……ママが……」
小梅さん。
その言葉にきゅう、と悠吾の心が締め付けられる。
アムリタちゃんは知っているはず。小梅さんがどうなったのか。
悠吾はそれを知りたいと思いつつも……もう聞きたくないとも思った。知らない方が希望が持てるかもしれない。
そんな事を考えてしまう悠吾だったが──
「ママが──連れて行かれた! 黒い服を着た変な男達に……ッ!」
アムリタの背後、プライベートルームの残骸が崩れ落ち、けたたましく空気を揺らす。
しかし、アムリタのその言葉は、その轟音の間を縫い、しっかりと悠吾の耳に届いていた。
予想だにしていなかったアムリタの言葉。
その言葉に悠吾の心臓がどきりと跳ね上がった。
小梅さんは、死んではいない。
あの黒服の連中に──連れ去られた。
人の心とは単純なものだ。
小梅の側にいつづけたアムリタから放たれたその言葉に、微かな希望が悠吾の心を震わし、そして力が抜け落ちた両足に精気を戻す。
「……アムリタちゃん、その男達は何処へ行ったか……判るかい?」
アムリタの手を取り、悠吾が立ち上がる。
黒服の男達の正体が判らなくても、彼らがどんなに熟練したプレイヤーであろうとも──絶対に、絶対に小梅さんを取り戻す。
崩れ落ちた残骸が天高く燃え上がる火柱から火の粉を舞い上がらせた。
その火の粉は天高く舞い上がり、次第に薄くなり、おぼろげな朝をゆっくりと運んで来ている空へと消えていく。
先ほどまで悠吾を苦しめていた全身の痛みは、もう感じなかった。
第七章はこれにて完結でございます!
いよいよ次章から最終章の第八章です。
連れ去られてしまった小梅は……それを追う悠吾達は……交戦フェーズでルシアナ達を待ち受けているものとは……!?
現実世界に戻れるのかどうか、最終章をお楽しみに!!
毎度のごとく、少し書き溜め時間を設けさせて頂き再開させていただきます!
プロットは完成しているので、それほど間を開けず再開出来ると思います。
詳しくはまた活動報告にて〜!




