第123話 意外な男の言葉
気がついた時にすでに悠吾はプライベートルームから強制的に退出させられ、小梅が居るプライベートルームが入った白いレンガ造りの建物の前に呆然と立ちすくんでいた。
結局僕は小梅さんの事を解っていなかった。
僕のせいで小梅さんを元気づけるどころか、悲しませる事をしてしまった。
これまで幾度と無く傍若無人ぶりを見せつけてきた小梅だったが、部屋で小梅が見せた、あの怒りとも哀しみともとれる、冷ややかな表情を悠吾は見たことがなかった。
決して見せることがなかった小梅さんの弱気。自分のプライドを捨ててまで見せた
小梅さんの痛み。小梅さんは僕に助けを求めていた。
なのに僕は小梅さんを突き放してしまった。
何度考えても、悠吾の心の中はじゅくじゅくと疼き、つんとした痛みが身体の中をかけめぐる。
そして、悠吾はふと白いレンガ造りの建物を仰ぎ見た。
幾つかある締め切られたカーテンの向こうで落胆しているであろう小梅の姿が脳裏に浮かび、その姿が再度悠吾の心をえぐる。
「……いや、これで良いんだ」
その夕闇にかすれていく建物を望み、小さく己に言い聞かせるようにひとりごちる悠吾。
これでいいんだ。小梅さんを突き放した事で、彼女は外界と接する事がなくなり、あの部屋から出ることは無くなる。小梅さんを守る為には──結果的にベストな選択だったじゃないか。
悠吾は自答する。
だがそれは、冷静を保つための心の安全装置とも言える醜い言い訳だった。無意識でそれを感じた悠吾だったが、その言葉を何度も心の中で繰り返す。
そして、想いを断ち切るようにくるりと踵を返し、小梅の元を離れる悠吾。
だが、ベストな選択だったと己に何度言い聞かせても──悠吾は自分の心を偽ることは出来なかった。
***
日は落ちかけている。そろそろ探索チームがブロッサムの街に戻ってくる頃かしら。
トラックの荷台から流れる景色を眺めていたルシアナはふとそんなことを考えた。
次第に斬りつけるような寒気は和らぎ、純白に覆われた大地からは、赤いテラロッサの大地が顔を覗かせている。
「……」
どこか干渉を避けるようにそっぽを向き、静かに景色を眺めているルシアナ。いつ戦闘が起きても良いように装備の確認をしているロディ。静かに眠るように瞳を閉じているヴェルドのプレイヤー達──
だが、ひゅうひゅうと風を切る音だけが響き渡り、重い空気が立ちこめるトラックに荷台で、ただ一人レオンは苛立ちを浮かべていた。
「……何が気に食わねぇんだ?」
我慢の限界に達したのか、ぽつりとつぶやくレオン。その言葉を投げかけたのは、目の前に座っているルシアナだった。
この重苦しい雰囲気、その原因はルシアナにあるとレオンは考えていた。
バルバスの野郎と今後の事を話した後からこの女はずっとこの調子だ。察するに、バルバスが言った「自分の利益の為に協力している」って言葉が気に入らなかったに違いねぇ。
「何の話でしょう?」
「惚けんな。運転席に居るバルバスの野郎が気に食わねぇんだろ?」
「……気に食わない、という訳ではありません。誰にも価値観というものがあります。私はただ、彼の価値観と私の価値観のギャップに驚いているだけです」
それが気に食わねぇっつーんだろうが。
こちらを見る事無く、そう言い放つルシアナに更に苛立ちが募ってしまうレオン。
「……ま、法も秩序も無ぇこんな世界だからな。どっちかっつーとバルバスの野郎の考えの方が正解だと思うぜ、俺は」
レオンは皮肉を込めてそう言う。
視線を逸らしながらもルシアナの整った頬がぴくりと動いたのがレオンにわかった。
「……そうでしょうか」
「ああ。やたらめったら他人の為っつってる奴の方が信用無ぇだろ普通。自分に利益があるから協力するっつー奴の方がそんな偽善者よりも幾らか信用できるね」
どっかのガキと違ってよ。
続けて放たれたその言葉に、静観していたロディが流石に不味いと感じたのか、チラリとふたりへと視線を送った瞬間だった。
案の定と言わんばかりに、ルシアナの空気が弓を引く弦のようにぴんと張り詰めると、怒りが滲んだ表情の切っ先をレオンへと向ける。
「それは私と悠吾くんの事をおっしゃっているのですか。貴方は」
「あ? なんで悠吾のガキの名前が出て来ンだ? お前、あのガキを慕っていながら偽善者だと思ってやがんのか?」
ひでぇ奴だな。
そう言ってあざ笑うように肩を震わすレオン。
だが、その卑下するような笑みは直ぐにかき消された。
「謝りなさい」
「……あ?」
「私と悠吾くんを侮辱したことを謝りなさい」
今直ぐに。ここで。
今にも吹き出しそうなルシアナの怒りが、目の前の男を屈服させるべく、そのか細い指が腰のホルスターに伸びる。
ルシアナの流れるような動きにレオンとヴェルドプレイヤー達が一瞬ぎょっとしたその時──
「……ふたりともやめろ」
ドスの聞いた芯の通った声が放たれる。
その声を放ったのはロディだ。銃を抜けばその腕を射抜くと言いたげにルシアナを睨みつけている。
「落ち着けルシアナ。それにお前もだレオン。何故そんなにルシアナに当たる?」
確かにノーゲンベルグを出てからルシアナがピリピリしているのは判っていたが──お前が苛立つ理由はあるまい。
「どうもこうも無いっスよ。どいつもこいつも『自分が何とかするんだ』っつって馬鹿みてェに粋がりやがって。ンでうまく行かなきゃ拗ねるときたもんだ」
「……なっ!?」
思わず立ち上がりレオンに食って掛かろうとしたルシアナだったが、そんな彼女にもう我慢ならねぇとレオンが飛び上がり逆ににじり寄った。
「……ッ!」
「良いかよく聞け、女。俺ぁな、正直この世界に転生させられた時は喜々としたモンだ。糞つまんねぇ現実世界とおさらばして、一発逆転のホームランを打てるってな」
これまで見たこともないレオンの剣幕にたじろぐルシアナ。
何か口を挟もうとするも、黙ってろ、と一括される。
「だがな、現実世界と同じようにやることなす事全部裏目にでて、気がついたら仲間を捨て……いや、違うな、『捨てられて』独りになってた。ンでよ、そこで出会ったのがロディさん達『暁』だ。ぶっちゃけよ、俺は……ロディさんの為なら命をかけてやろうと思った。マジでだ」
突然自分の名前が出てきた事に目を丸くするロディ。
狐につままれた様な表情を浮かべるロディがレオンの視界に映るが、お構いなしに続ける。
「結果的に『亡国者』なんつーとんでもない称号もらっちまったけどよ、後悔なんかしてねぇぜ? 俺ぁロディさんの側に居れンだけでなんつーか……幸せだからだ」
「な、何が言いたいのだお前は」
言っている内容が判るようで判らないロディは思わずそう口を挟んでしまった。
私がどうとか、何の関係があるのだ。
「俺は馬鹿で難しい事は解かんねぇけどよ、これだけは判ンぜ? 誰かの力になったり、幸せにしてやりてぇって思ってんなら……まず自分が幸せにならねぇとダメだろ」
「……ッ!」
レオンの口から放たれた意外過ぎる一言。
その言葉に、ルシアナはもちろんロディさえも言葉を失ってしまった。
「お前とか、悠吾のガキを見てるとよ、マジでイライラすんだよな。あー……特にお前な」
「なっ、何を……」
「うっせぇ、黙れ。悠吾のガキは俺以上の阿呆だから天然でやってんのかも知ンねぇけどよ、お前は違うだろ? 『自分の感情を殺して犠牲になってます私』って額に書いてやがる」
「……」
レオンに本心をズバリ言われてしまったルシアナは力なく、再度荷台に設けられた椅子にへたりこんでしまった。
犠牲になる──
確かに私はそう考えてしまっている。それがGMの使命であり、皆を危険にさらしてしまっている私が進むべき道だと。
それに、心の何処かで悠吾くんのそれに憧れていたのかもしれない。それに彼と同じように、自分よりも他人の事を優先していれば……悠吾くんがこちらに振り向くのではないかとも。
──アセンブリとの会合で心の中にうごめいていた「卑怯な私」が顔を覗かせた様な気がした。
「お前今、自分の感情を優先的に考えている私は最悪な女だ、なんて思ってンだろ?」
「そっ、そんな事……」
「あームカつくッ! なんでムカつくか解かんねぇけど、マジムカツクぜお前」
どかんと椅子に腰を下ろしながら、ルシアナを睨みつけるレオン。
苛立ちが止まらないのか頭をガシガシと掻きながら貧乏揺すりを伴わせ、続ける。
「国とか所属プレイヤーの事とか考えンのは分かるけどよ、もっと自分の事も考えろや。なんつーか、見てて痛々しいんだよボケ。わかったか?」
「……」
「わかったかっつってんだよ」
「は、はい……」
レオンの最後のひと押しに、ルシアナは慌てて返事を返す。
苛立ちを吐き出し、ルシアナへとぶつけたレオンだったが、なぜか苛立ちが増し、ふてくされるようにふさぎ込む。
嵐の様に過ぎ去っていったレオンの剣幕に、呆気にとられた静寂が荷台の中に流れる。
すでに雪化粧した大地は鳴りを潜め、赤い土が、がたがたとトラックを揺らす。
そしてその静寂中、静かに唸るようにぽつりとロディがつぶやいた。
「お前、意外とまともな男なのだな」




