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第122話 小梅と悠吾 その2

 ソファーの上でぐっすりと眠っていたアムリタの鼻がぴくぴくと小さく動いている姿を見て、思わず悠吾は頬をゆるめてしまった。

 もちろんその可愛い鼻を釣っているのは、キッチンから漂ってくる料理の芳しい香りだ。


「おまたせ」


 気まずそうな表情を浮かべつつ、ふわりとした良い香りを引き連れて現れる小梅。

 彼女が運んできたのは一皿の料理だ。

 

「これは……」

「な、何よ」


 ソファーから降り、テーブルの前に座り込んだ悠吾は思わず目を丸くしてしまった。  

 そっとテーブルの上に置かれた料理──そこに置かれたのは丸皿に盛られたシチューだった。明るいクリーム色のスープに、ごろごろと大きめの野菜が顔を覗かせている、見る限りは美味しそうなシチュー。

 しかし、悠吾が驚いている理由は少し別の所にあった。


「ちょっと……赤い?」


 どう間違えれば辛くなってしまうのか全くわからない前回のビーフストロガノフの件があったため、恐る恐る問いかける悠吾。

 悠吾の目の前に出されたシチューは普通のクリーム色ではなく、褐色のシチューだった。


「ち、ちがっ……! かぼちゃのシチューよ、これはっ!」


 かぼちゃのシチュー。その言葉に少し疑いつつも悠吾はシチューの中に見え隠れしている野菜に視線を落とした。

 スープに溶けかけている四角い野菜。

 ……確かに小梅さんが言うとおり野菜の中においしそうなかぼちゃの姿があるな。


「へぇ、かぼちゃですか」

「かぼちゃの甘みがとろっとろのスープとマッチする美味しいシチュー、のはずだけど」

「……はず? これ、余り物ですよね?」


 アムリタちゃんの為に作った料理の余り物だと言った小梅の言葉を思い出しながら、小首をかしげる悠吾。

 

「あ……いや……余り物だった」

「……アムリタちゃん、食べたんですよね?」

「もちろん」


 そう答える小梅だったが、ふらふらと目を泳がせている小梅に悠吾は何か違和感を感じてしまった。

 ソファーで寝ているアムリタちゃんは確かに食後のお昼寝、といった感じだけど、料理の香りに反応していた事からまだ食べ足りないといった感じだし、小梅さんの表情も自信満々という訳じゃない。

 一体どういうことなのか暫く考えてしまった悠吾だったが、彼の頭に的確な答えは思い浮かばなかった。


「……まぁ、とにかく頂きますね」


 冷めちゃうから、と気を取り直して用意されていたスプーンを手にとる悠吾。

 そして、固唾を呑んでそれを見守る小梅。


「……」


 じっと見つめる小梅に、気まずさを感じながらも悠吾はひとすくいスープを取り、口の中へ運ぶ。

 そして、続けざまにとろとろに溶けかけているかぼちゃをすくい取り、頬張る。

 

「……どお?」


 もくもくと無言でかぼちゃを咀嚼する悠吾に、我慢できず小梅が戦々恐々問いかけた。

 美味いの? 不味いの?

 はっきり言って頂戴、と心配気な眼差しを悠吾へと送る小梅。

 と──


「……美味しいです」

「……え」


 お礼と言わんばかりに満面の笑顔を小梅へと送る悠吾。

 その表情に小梅の心臓はどきりと跳ねてしまった。


「え、嘘? マジで?」

「ええ。美味しいです、すごく」


 これはイけますね。

 悠吾はもうひとすくい野菜と共にスープをすくい取ると、嬉しそうにそれを頬張る。

 そんな悠吾の姿を見て、小梅の顔にも恥ずかしそうな笑顔が浮かんだ。


「これは、この前のビーフストロガノフとは雲泥の差ですよ、小梅さん」

「ッ!! あ、あれは……無かったことにしなさいよっ!」


 忘れてしまいたいあの事件を思い出してしまった小梅はそれを拭い去るようにシチューと共に出してたパンの一切れををひょいとかすめ取ると、シチューのスープに浸すとぱくりと口の中に投げ込む。

 硬いパンの生地をじゅわりと溶かすようなシチューの甘いスープが口の中に広がり、思わず笑顔が滲みだした。

 

「ちょっ、盗らないでくださいよ! 小梅さん、食べたんでしょ!?」

「良いじゃん、あたしが作ったんだから!」


 そういってもう一切れシチューに漬けたパンを頬張る小梅。

 これまでこのプライベートルームの中で一度も聞こえる事がなかった小梅と悠吾、ふたりの笑い声がまるでダンスを踊るように部屋の中に広がっていった。


***


 楽しい時間というものはあっという間に過ぎるものだなぁ、と悠吾は改めて感じた。

 わずかなスープすらも残っていない皿に、パンの欠片も残っていないバスケット。

 かぼちゃのシチューを堪能した悠吾と小梅は満足気な笑顔を浮かべながら、並んでソファーに腰掛けていた。

  

「んでさ、皆は今どんな感じなワケさ?」

「……え? どんなって……探索がですか?」

「ん。準備とか、イースターエッグとか」

「ん〜と……正直な所、あまりよくないですね。どちらかというと……悪くなってる感じがします」

「ふ〜ん……」


 気のない返事を返す小梅。

 ちらりと小梅の横顔を盗みみた悠吾の目に映ったのは、唇を尖らせている小梅の姿だった。

 その姿に悠吾はどきりと身をすくませてしまう。

 しまった。余計な心配をかけてしまっただろうか。この事は話すべきじゃなかったかな。


 ノイエがこの部屋にたまに顔を見せていたが、解放同盟軍の現状に関する情報はあえて伏せている事を悠吾は知っていた。そしてノイエが何故その事を伏せているのかも。

 妹に余計な心配をかけたくないという兄心もあったが、大きな所ではぐずられては逆に時間を割かれてしまうと考えたからだ。


「ま、いいけど」


 気にしないし。別に。

 ぷらぷらと足を振りながらそう続ける小梅の表情は明らかに不機嫌な色がにじみ出ている。

 場の空気が一瞬で重苦しい空気に変わった事を察知した悠吾は、起死回生だと言いたげにとっておきの「例の話」を切り出す。


「そ、そんなことよりも小梅さん。今日はお土産を持ってきたんです」

「……え? お土産?」

「はい」


 ひとつ頷き、トレースギアのアイテムメニューから、先ほど解放同盟軍の料理人クリナリアンの協力を得て作ったサンドイッチを取り出す。

 バスケットに並んだそれを見て、小梅の目が丸くなった。


「……何これ?」

「何って……サンドイッチです。ほら、以前解放同盟軍のキャンプで言った事、覚えてます?」


 悠吾の言葉に口元に手を当て、虚空を見つめる小梅。


「あ、サブクラスに料理人クリナリアンを……ってやつ?」

「ええ。取る前にサンドイッチを食べてもらいますってやつです」

「ええっ!? たた、確かに言ってたけど……」

  

 まさか本当に作ってくれるとは思ってもいなかった小梅が頬を紅潮させる。


「アアア、アタシ、美味しいサンドしか食べないって言ったじゃん?」

「美味しいですよ? これ」

料理人クリナリアンのサブクラス取ってないくせに、美味しいのが作れるわけ無いじゃん」

「小梅さんだって取ってないじゃないですか」

「……う、確かにそうだけどさ……」


 ぐうの音も出ない返答を返され、塞ぎこむ小梅。

 でも、悠吾が言うとおり、美味しそうに見えるサンドイッチだ。


「……でもまぁ、せっかくだし、1個くらいは……」

 

 食べてもいいけど……

 ちらちらと悠吾を見つめながら「仕方ないわね」と恐る恐る小梅がサンドイッチに手をのばす。

 

「どうぞ、食べてみて下さい」

「……アタシの口にあうかは解かんないけど……っ!」


 と、ぱくりとサンドイッチにかぶりついた小梅は続く言葉を失ってしまった。


 美味しい──

 まさか、という驚きが小梅の中に広がる。

 野菜のみずみずしさは失われてはいないし、パン生地はかりっと歯ごたえがあるサンドイッチ。

 これって、街の食事処で出されているサンドイッチよりも格段に美味しいサンドイッチじゃないの。

 口を隠しながらまじまじとサンドイッチを見つめる小梅だったが、自分反応をじっと見つめている悠吾の視線に気づき、咄嗟に冷静を装う。

 

「あ……うん、まぁ、なかなか行けるんじゃない? まぁそこそこ」


 食べれなくもないわ、と言いつつもぺろりと一つ目を平らげ、ふた切れ目に手をのばす小梅に悠吾はほっと安堵した。


「でしょう? 解放同盟軍の料理人クリナリアンに色々と教わりましたから。小梅さんがアムリタちゃんに教わったみたいに」

「あっ、ずるっ!」

「ず、ずるくないですよ!」

 

 美味しいサンドイッチをつくろうと必死に考えた結果です。

 身振り手振りを加えつつそう語る悠吾に、サンドイッチを口に加えながら小梅の表情がほころぶ。

 

 先ほどとは違う、どこか心地よい沈黙が部屋に流れた。

 さきほどかぼちゃのシチューとパンを少し食べていた小梅だったが、目の前に出されたサンドイッチに次々に手をつけていく。

 ぱくりとかぶりつき、口を押さえながらもくもくと文字通り、悠吾が作ったサンドイッチの味を噛みしめるように堪能する。


「……悠吾」

「はい、なんでしょう」

「ありがとね」

「……はい?」


 突如放たれた小梅の言葉。

 その言葉に悠吾は眼が飛び出すほどの衝撃を受けてしまった。

 今、ありがとう、って言いました? 小梅さんが、感謝の言葉を……!?


「わざわざ来てくれてさ、うん、嬉しいよ。ありがとう悠吾」

「お、お、おう……良かった」


 どう返答すればよいかわからなくなった悠吾はとりあえず当り障りのない返事を返す。

 こういう返事は想像出来ていなかった。不味すぎるわ、とか、こんなもの食べれたものじゃないと言いつつ食べるとか、そういう事は想像できてたけど……

 目を白黒させる悠吾をよそに、最後の一切れを口に運ぶ小梅。


「ねぇ、悠吾」

「はい」


 すでに頭が真っ白になってしまった悠吾は明後日を見つめたまま、問いかけられた小梅の声に条件反射のように返事を返す。


「アムリタと、アタシ、それと悠吾の3人でさ──逃げちゃわない?」

「……え? ……え?」


 突如放たれたその言葉に、その意味が理解できず呆けてしまう悠吾。


「に、逃げるって、何からです?」

「全部。ノスタルジアがどうとか、ユニオンがどうとか。交戦フェーズがどうとか、イースターエッグがどうとかさ。全部忘れて逃げちゃうってわけ」


 どーかな? どこか張り詰めた様な表情で、悠吾の顔を見ずに正面を見据えたまま続ける小梅。

 その言葉で悠吾には小梅が言わんとしている意味がやっと理解できた。

 そして、その意味の重大さも──


「……逃げて、どうするんです?」

「どうもしない。プレイヤーがあんまり居ないどっかの小さな街とかで暮らす」


 いい考えだと思うんだけどな。

 顔の前で両手を合わせ、どこか冗談交じりにそう語る小梅。だが、小梅の眼はそれが本心だと物語っている。


 小梅さんらしからぬ発言だ。

 小梅の姿を見て、悠吾はそう思った。

 負けず嫌いで、男まさりな小梅さんがそんな事言うはずが無い。それに、全部忘れて逃げるなんて出来るはずが無い。こうしている間にもトラジオさんやノイエさん、ルシアナさんやロディさんは命がけで戦っている。

 全員で生き残る為に──


「それは無理ですよ、小梅さん。皆が生き残って現実世界に戻るために必死で戦ってますもん。僕は何かがあった時にこの街を絶対に守らないといけないですし」

「……」

「交戦フェーズの準備が間に合わない可能性が出てきて、トラジオさん達は強行スケジュールで探索に行っています。ルシアナさんはヴェルドと東方諸侯連合の協力を得るために国外に」

「……やめて悠吾」


 表情がこわばると同時に、悠吾の言葉を遮るように冷めた声が小梅の口から放たれた。


「……小梅さん?」

「もう聞きたくない。ノスタルジアがどうとか、交戦フェーズがどうとか聞き飽きた」


 食べかけのサンドイッチをバスケットへと戻し、小梅は正面を見つめたまま、続ける。


「……皆命がけで戦ってる? それは結構ね。でも皆、仲間と一緒に戦ってるんでしょ? 頼れる仲間と肩を並べて。……それに比べてアタシはどうよ?」


 少しづつ言葉を荒らげていく小梅。

 その声に反応して、側で寝息を建てているアムリタがぴくりと反応した。


「こんな所に押し込められて……あたしをここから出してよ、悠吾。あたしも……あたしも一緒に戦わせて」

「小梅さん……」

「ここに閉じ込められたまま、何の力にもなれないまま終わりを迎えるなんて絶対に嫌」


 その言葉は小梅の不安を凝縮させたものだった。

 一人でいる不安。仲間達から蚊帳の外にされてしまう不安。殺されてしまうかもしれないという不安。

 そして、現実世界に戻れないかもしれないという不安。

 

 悠吾は何も言葉を返せなかった。

 小梅の力になりたいと本心で考えている悠吾だったが、その想いを表現できる言葉は何も見つからなかった。

 だが、悠吾にはひとつだけ判っている事があった。

 なんといわれようとも、命がけで小梅さんを守るという事だ。小梅さんを守り、そして一緒に戻るために、僕に逃げる事は──出来ない。

 

「それは……出来ません、小梅さん」

「……ッ」


 悠吾の返答に、小梅はふと表情をゆるめた。

 だが、それは喜びとは真逆の──どこか落胆しているような諦めに近い表情だった。


「……そう、判った」


 そう言って、ひょいと立ち上がる小梅。

 そして、悠吾に背中を向けたままゆっくりと腕を上げる。

 その指が向けられているのは、この部屋の入り口だった。


「出てって」

「……え?」

「この部屋から出てって。あたしの権限であんたを強制的に退出させる前に」

「……ッ!?」


 その言葉に固まってしまう悠吾。

 

「小梅さん、僕は」

「うるさいッ!」


 腕を上げたまま、小さく肩が震えているのが悠吾の目に映った。


「僕は小梅さんをっ!」

「早く出てけッッ!!」

「小梅さ──」


 と、小梅に駆け寄った悠吾が、こつ然と姿を消した。その手が小さく震える小梅の肩に触れる前に。

 小梅がトレースギアのプライベートルーム設定で、悠吾を強制的にこの部屋から排除したからだ。

 断ち切られた悠吾の言葉。時の流れが止まったかのように全てが止まり、そして静寂が部屋を支配する。


 そこに残ったのはソファーで眠るアムリタと、呆然と立ち尽くす小梅だけ。悠吾が居なくなった事で産まれた痛い静寂が小梅の心を責め立てた。

 

「悠吾……」


 かくんと膝が折れ、小梅はその場に崩れ落ちてしまった。

 なんて事をしてしまったのか。アタシの為に来てくれた悠吾に、とんでもない仕打ちを──

 左腕に巻かれたトレースギアを抱きかかえ、ごめんなさいと心の中で叫びながら、小梅は泣いた。

 そして、堰を切ったように小梅の本心が涙とともに溢れかえる。


「行かないで、悠吾。あたしをひとりにしないでよ……あたしは……あんたと一緒に居たいだけなのに」


 複雑な想いが小梅の中でうねり、そして涙として小梅の頬を濡らした。

 だが、そこにもう悠吾は居ない。

 バスケットの中に置かれた悠吾のサンドイッチがひときれ、寂しそうに静かに佇んでいた。

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