第121話 小梅と悠吾 その1
解放同盟軍本拠地であるレンガ造りの倉庫が少しづつ琥珀色に染まりつつ有る午後、しんと静まり返った倉庫内で唯一賑やかな場所があった。解放同盟軍のメンバーが食事を取る「食事処」だ。
だが、その声の主は探索に向かう前に食事を取るプレイヤー達のものではない。
その日が少しづつ傾きつつあるこの時間、探索を終えて戻ってくるプレイヤー達に、この世界で数少ない娯楽のひとつといっていい食事でその労をねぎらおうと忙しなくキッチンの中で生産に勤しんでいる料理人達だ。
「それで……作り方を教えてほしいと?」
「ええ。そうなんです」
何処かめんどくさそうな表情を浮かべている料理人に、申し訳無さそうにそう返したのは悠吾だ。
ブロッサムの街に留まり、有事の際には工廠チームと小梅を守るよう言われていた悠吾がこの場所に居るのには理由があった。
「あー、何だったか? サンドイッチ?」
「ええ、僕は料理人クラスを取得しているわけではないので、初歩的な物で構わないのですが」
「まぁ、サンドイッチくらいなら料理人のスキルを持ってなくても作れっけど……なんで悠吾さんがサンドイッチを造らなくちゃいけねぇワケさ?」
戻ってくる探索チームの生産があるし、めんどくせぇから、俺が作ってやろうか。
そう言う料理人だったが、悠吾は小さく首を横に振った。
「いえ、その……約束をしていまして」
「約束? 誰と?」
「そのー、プライベートルームに居る方と」
「プライベートルーム……あぁ」
悠吾の言葉に、一瞬天を仰ぎ考えた料理人だったが、やっと合点がいったのか何やら良からぬ笑顔を悠吾へと向ける。
「小梅って女か」
「……ッ」
先日この食事処で起きた「ビーフストロガノフ事件」は解放同盟軍の面々、特に料理人のプレイヤー達の中で大きな噂になった出来事だった。
ひとりの男を巡ってルシアナとツインテールの少女が料理対決をし、見事ツインテールの少女がその男を「ノックダウン」させた。
その少女の名は「ツインテールの悪魔」の異名を持つ小梅──
「ちょっと待て。……と言うことは、『あの男』って言うのは悠吾さんの事だったのか」
「え? ど、どの男の事なのでしょう」
料理人の中で広がっている噂だったが、そんな噂話など知る由もない悠吾は何のこと判らず、大きく目を見開き慌てふためいた。
「またまた。成る程な。男を惚れさせるには胃袋を押さえればオッケーだと言うからな。悠吾さんの場合、ノックダウンされたわけだけど」
にやりと良からぬ笑みを浮かべる料理人に、悠吾は苦笑いを浮かべるしかなかった。
「ええ、まぁ、そういうわけなんです」
一体なんの話なのか料理人に詳しく聞きたい所だったが、悠吾はとりあえずは小梅と交わした約束の件を優先させることにし、そう切り返した。
小梅と交わした約束──
ラウル侵攻を止める為のユニオンとの会合に臨む前に小梅と交わした約束を悠吾はずっと覚えていた。
「今の悠吾の腕で作ったサンドイッチを食べたい」と言った小梅の言葉。
ミトに言われ、小梅が住まうプライベートルームに顔を出そうと考えていた悠吾だったが、手ぶらでは何か気まずいと考えた悠吾がふと思い出したのが小梅と交わしたその約束だった。
「フム、だとすると俺が作るわけには行かねぇな。そのサンドイッチ」
「そ、そうなんですよ」
満面の笑顔を見せる料理人に何処か気まずさを感じてしまう悠吾。
今どんな噂が流れているのか知らないけど、多分これも噂になるに違いない。
少し肩を落としてしまった悠吾に料理人は「仕方ない」と言いたげにキッチンの中に手招きする。
「まぁ簡単なもんだが、上手く作るにはコツがいる。じっくり教えてやるよ」
「あ、有難うございます」
小梅さんは「美味しいサンドイッチじゃないと口にしない」と言っていた。
料理は他の生産と違って、非常に繊細だとルシアナさんが言っていたけど、本職の料理人が助けてくれるのであればきっと良いサンドイッチが出来上がるはず。
ふてくされながらもサンドイッチを頬張る小梅の姿を想像し、思わず笑みをこぼしてしまった悠吾は小走りでキッチンの中へと足を踏み入れた。
***
小梅の待つプライベートルームへ向かう悠吾の足取りは軽かった。
食事処で料理人のプレイヤーが教えてくれたコツのおかげで満足いく出来のサンドイッチが完成したからだ。
おいしいサンドイッチを作るには現実世界と同じように、生成する前に素材の下ごしらえが重要だと料理人は言った。そして、料理人のスキル「水切り」で水気を抜いた素材と、パンとオリーブオイルを合成した「パン生地」を使うことで食感が良いサンドイッチが出来上がるとも。
悠吾のアイテムポーチの中で眠るできたてのサンドイッチは料理人も合格点を押す、悠吾の自信作だった。
『小梅さん、着きましたよ』
小梅さんは喜んでくれるだろうか。少しでも気分転換になってくれたら嬉しいな。
期待と不安でほころぶ頬を引き締めながら、悠吾は小隊会話で小梅に到着を告げた。
『うわ、もう着いちゃったワケ? はやいよ』
小梅の返答と共に、扉の向こうでばたばたと慌てている音が悠吾の耳に届く。
そしてしばしの時間を置き、ゆっくりとプライベートルームの扉が開いた。
「もう少し遅い方が良かったですか?」
「別に大丈夫だけど。遅くなったら探索チームが戻ってきて忙しくなっちゃうでしょ?」
少し頬が赤く染まっているように見える小梅。
小梅と会うのは数日ぶりだったが、小梅は相変わらずの小梅だった。ツインテールはおろしたままで、大きめのチェックのレディースパーカーに黒の細身のスウェットパンツと完全に部屋着スタイルだ。
「……な、何つったってんのさ。中入んなよ」
「そ、そうですね。失礼します」
このプライベートルームには以前に一度訪れた事がある悠吾だったが、どこかおろおろとしつつ部屋の中に足を踏み入れた。
これまで見たことが無いラフな格好の小梅に思わず悠吾の鼓動は高鳴ってしまっていたからだ。
なんというか、素の姿を見せてくれてる感じがして緊張してしまう。なんとも情けないです。僕。
「……あれ、アムリタちゃんは?」
「ン」
あそこ、とソファーを指さす小梅。
小梅が指す先、ソファーの上で笑みを浮かべながら夢の世界に旅立っているアムリタの姿が悠吾の目に映った。
満足そうなその表情に悠吾の頭に嫌な予感が過った。
「あ、ひょっとして……もうご飯食べちゃいました?」
「……! え、あ、いや。まだだけど?」
「え、あ、そうなんですか?」
「いや、食べてないったら」
しどろもどろで返事を返す小梅に、安堵しながらも何故小梅が慌てふためいているのか理解できずに困惑してしまう悠吾。
と、悠吾の脳裏に続けてふと有ることが浮かんだ。
あの「ビーフストロガノフ事件」以降、小梅がアムリタに英才的な料理教育を受けているという事を。
「あの、もしかして、なんですけど……料理、作ってたりしてました?」
恐る恐る悠吾が問いかける。
悠吾の質問の意図は単純で、「特訓がてら食べてしまっていて、気を使って食べて無いと言ってくれているんだろう」程度の物だった。
お腹いっぱいの時にサンドイッチを出しても迷惑だろうし、場合によっては日を検める必要があるかも。
「……え、えーと」
だが、そんな悠吾の意図を知らず、気まずそうに頭を掻きながら視線を逸らす小梅。
と、キッチンの方からふわりと漂う食欲をそそる良い香りが悠吾の鼻腔をくすぐった。
「あ……」
「アムリタがお腹空いたっていうからさ、その……少しだけ作った」
玄関まで漂うその香りに小梅も気づいてしまったらしく、観念したかのように小梅がそうまくしたてた。
「そうなんですか……」
「う〜……食べてもらってもいいよ?」
「え?」
どうしても食べたいっていうのならさ、特別に。
視線を逸らしたまま、囁くようにそう漏らす小梅。
「ぜひ食べたいです」
そんな小梅の心境を知ってか知らずか、笑顔で悠吾がそう切り出す。
「……へ?」
「あ、いや、その……もし余ってたら、で大丈夫ですけど」
目を丸くした小梅に悠吾は慌ててフォローを入れる。
だが、小梅は悠吾のその返答が信じられなかった。
前回のビーフストロガノフでは危うく殺されかけたのに、即答であたしの料理を食べたいって言うなんて──やっぱ悠吾って変態なのかな。
半ば呆れながらそう考えた小梅。
そう考えつつも、即答してくれた悠吾に嬉しさが溢れ、思わずほころんでしまいそうになった頬を必死の思いで押しとどめた。
「ま、まぁ、どうしてもッて言うなら……いいけどさ」
ちょうど余ってるし、一人分。
そう言ってくるりと悠吾に背を向け、右手と右足が一緒に動いているのではないかと思うほどたどたどしくキッチンへ向かう小梅。
「……あ、ありがとうございます」
悠吾が掠れそうな声でなんとか言葉をひねりだす。
そして悠吾は、小梅がキッチンへと消えた事を見届けると、ふうと息を整えながら、小梅のそれと同じように、たどたどしい足取りでアムリタが寝息を建てているソファへと向かった。




