第119話 赤い目の男
その非常事態にノーゲンベルグの街は瞬時に混乱状態に陥った。
街の西側で起こったと思わしき爆発はルシアナ達を乗せたトラックが出発して合計3回発生した。地面を揺らす衝撃とともに建物の窓ガラスが割れ、地人のものらしき悲鳴とともに砂塵が舞い上がる──
ノーゲンベルグの大動脈と言うべき街の中心を通る大通りには、一体何が起きたのか状況を飲み込めないまま呆然とするプレイヤーと響き渡った轟音と立ち上る黒煙に恐怖し、逃げ惑う地人達で騒然となっていた。
「タオ殿はまだ動いていないか」
「はい。未だどのクランにも命令は出ていないようです」
地人達を避けて進んでいる為に徐行運転にならざるを得ない状況に苛立ちを覚えながら、バルバスが運転席のプレイヤーにそう問いかけた。
通常GMが統治する国家では、こういった非常事態にGMの指示の元、即応できる所属クランが対処に当たる事が多かった。特に外部からの侵入者による攻撃があった場合、クランランキング上位の精鋭プレイヤー達が当たることが常だ。
だが、すでに爆発が起きて30分程が経過している。普通であれば既に誰かしらが対処に向かっていてもおかしくないはず。先ほどこの爆発は敵の攻撃だという情報が入ってから何の情報も流れて来ない。
その異様な状況にバルバスの脳裏にふと不安が過った──その時だった。
『……バルバス聞こえるか』
ふとバルバスと運転席に座るプレイヤーの耳に同時に小隊会話が飛び込んできた。
それは、冷静に淡々と語る女性の声だ。
『雨燕殿か』
咄嗟に答えるバルバス。
その声は同じヴェルドに所属し、悠吾が提唱したアセンブリに参画している情報屋「カナリヤ」のリーダー、雨燕の声だった。
『バルバス、今何処だ』
『ルシアナ殿と合流し、南方へ向かっている。そちらは?』
『クランメンバーと現場へ』
『現場……爆発のか? タオ殿からの下知が?』
やっと出ましたか。
不安を抱えながらもとりあえずほっと胸をなでおろすバルバス。
だが、雨燕から返ってきた答えはバルバスの期待を裏切るものだった。
『いや、未だどのクランにも来てない。我々は独自に動いている』
『……ッ! まさかタオ殿に何か!?』
『判らん。敵の正体も不明だ。現場に居た生産職プレイヤーからの情報によると黒い戦闘服を着た連中だったという話だが』
『……国境を破った奴らか?』
どこか確証に似た強い口調で問いかけるバルバス。
『推測するに間違いないだろう。既に街の西側に居たプレイヤー達がやられている』
『くっ……』
雨燕の口から放たれたその情報に、思わずバルバスは苦悶の表情を浮かべる。
現在この世界は探索フェーズが終盤にさしかかり、各国家のプレイヤー達は最後のひと押しだと言わんばかりに狩場に潜り、探索に励んでいる為、どうしても街に滞在しているプレイヤーが少なくなってしまっている。特に高レベルの熟練プレイヤーほどだ。
もし、この爆発を起こしたのが国境を破った者達だとすれば、国境が破られたと判明した時点で非常事態を宣言し侵入者を発見するまで探索を禁止するべきだった。
『バルバス、お前はルシアナを連れて南へ逃げろ。こちらは私が対処する』
『待ってくれ雨燕殿、敵は国境を難なく破った連中だ。タオの指示を待ち、増援のクランを待った後に──』
と、バルバスが雨燕を制止しようとしたその時だった。
『──中隊から小隊が離脱しました』
「……!?」
突如バルバスのトレースギアから冷ややかなアナウンスが発せられた。
それは、組んでいた中隊から、小隊が離脱した事を知らせるアナウンスだ。
『……雨燕殿!?』
嫌な予感が過り、小隊会話でそう問いかけるバルバス。
彼と同じ事が頭に過ったのか、その声を聞いていた運転手が凍りついた表情でバルバスの顔に視線を送った。
この状況で中隊から離脱する必要は無いはず。
考えられるのは、「雨燕殿が組んでいた小隊は強制的に解散させられた」という事。
それはつまり……彼女はやられてしまった──
「バルバスさん、どうしました?」
「……ッ!」
突如背後から呼ばれた声にバルバスは瞬間的に身をすくませてしまった。
声をかけたのは、運転席の背後に設けられた荷台とつながっている小窓から顔を覗かせているルシアナだった。
「つーかよ、全ッ然進んでねーじゃねぇか」
「……お前は黙っていろ」
「あだッ!」
とろとろと進んでいるトラックに苛立ちを隠せないレオンがルシアナの横から口を挟んだものの、瞬く間にロディに腕力でねじ伏せられてしまった。
「何か判ったのか、バルバス」
「……」
そう続けるロディに、彼女らに話すべきか思案してしまうバルバス。
真実を告げれば余計に不安が増長するかもしれない。しかし、状況を知ることは不慮の事態に備える為に重要な事だ。
「現場に対処に向かった情報屋『カナリヤ』のリーダー雨燕がやられた可能性が高いです」
「……え?」
バルバスの言葉にぽかんと呆けてしまうルシアナ。
「良いですか、ルシアナ殿、ロディ殿。状況は刻々と悪い方向へ向かっています。私が察するに、街の西側は敵の手に落ちたと考えて間違いないでしょう」
「……手に落ちたって……まさか」
信じられない、と言葉を失うルシアナ。
ヴェルドは世界屈指の大国で、手練のプレイヤーも数多く所属している国だ。その中心都市であるノーゲンベルグの一部が瞬く間に掌握されてしまうなんて。
「交戦フェーズではないため、被害は一時的だと思いますが西側を掌握された事で脱出がより困難になりつつあります」
「何故だ?」
「侵入者が狙ったのは、西側にある生産職の工房だと推測されます」
「……よく解かんねぇんだけどよ、なんで侵入者は工房を狙ったんだ?」
またもやひょっこりと顔を覗かせたレオンが意味不明だ、と零す。
目的は解かんねぇけど、襲ったのがヴェルドの国境を破った奴らだとしたら、ンな場所狙わなくてもGMが居るあの場違いな宮廷とか狙えば良いだろ。
「敵地の中心で戦う際に重要なのは、補給物資の確保です。敵はそのセオリー通り、この街の機工士の工房と鍛冶屋の工房を攻撃し、そこを奪ったんです」
「……成る程な」
障害になる兵器を生産する機工士の工房と、装備を生産する鍛冶屋の工房を押さえれば、前線基地として橋頭堡を築くことが出来、さらに敵の物資提供を遮断させることができるというわけか。
バルバスの説明に納得したロディが小さく眉を潜める。
「敵が脱出の障害になる厄介な兵器や武器を生成する前に私達は街を離脱します」
「ちょっと待て。雨燕は見捨てて行くつもりかよ?」
西側で戦ってんだろ。その侵入者と。
そう言いながら、バルバスに軽蔑したような視線を送るレオン。
「安心してください。もし万が一雨燕殿がやられていたとしても、彼女はマイハウスに復活するだけです」
「……あ、そっか」
亡国者の称号を持ってる俺たちとは根本的に違ェんだった。
バルバスの言葉にレオンは気まずそうにすごすごと顔を引っ込める。
「だがその侵入者、雨燕を退ける程の手練だとすれば、油断は出来んぞ」
「その通りです。このまま身動きが取りづらいようであれば車を捨てて足で──」
南へ抜ける。
バルバスがそう言いながら周囲の状況を確認しようと視線を前方に戻した時だった。
前方に見えるレンガ造りの建物、その屋根上に立つ黒い影がバルバスの視線に映った。
そして、次の瞬間、その黒い影の手元から吹き出した白い煙──
「……下がれッ!!!」
瞬時に状況を判断したバルバスの叫び声が運転席に響き渡った。
その声に一瞬固まってしまった運転手だったが、前方に見えたそれに青ざめながら即座に車のギアをバックに入れ、全力でアクセルを踏みつける。
時間にして一秒にも満たない刹那の時間。
白い尾を引きながら、バルバス達が乗るトラックに向かって放たれたそれは、ロシア製の携帯型対戦車ロケット──それも、成形炸薬弾を2段重ねにして、より大きなダメージを与えるように設計されたタンデム弾頭のRPG-29だった。
「……ッ!!」
前方から放たれたPRG-29の弾道が逃げ惑う地人の間をすり抜けた次の瞬間、まばゆい光が弾け、すさまじい衝撃と破壊されたフロントガラスがバルバス達を襲った。
***
耳の奥で鐘の音が響いている。
巨大な鐘の中に閉じ込められ、橦木で突かれているようなしびれた様な感覚すらある。
「……さん」
ぼんやりとした視界の向こうに影があった。
何かをしきりに口ずさんでいる影。
「……バスさん!」
人影の向こうに見えるのはひしゃげたようなフレーム。
そして、粉々に砕け散った窓ガラス──
「バルバスさんッ!」
その影が、先ほどまでトラックを運転していたプレイヤーだとバルバスが気がついたのは、自分を呼ぶ声が鐘の音をかき消すようにはっきりと聞こえてからだった。
「……ッ!?」
一体どうなったんだ──
助手席のドアにもたれかかるように気を失っていたバルバスは、飛び起きるように身を起こすと即座に周囲の状況に目を配った。
時間にしてどの位気を失っていたのか。
吹き飛んだフロントガラス部分から見えるのは、地面にポッカリと開いた穴と、周囲に倒れる地人の姿。
その光景を見てバルバスは即座にあのロケット弾の直撃は免れた事を確信した。
咄嗟にトラックを後退させたのが幸運だったのか、屋根上から放たれたRPG-29の弾道はトラックの鼻をかすめ、地面に巨大な穴を穿っていた。
危なかった。
直撃していれば、私やヴェルドのプレイヤー達はマイハウスで目覚めるだけだが、後ろに乗っているルシアナ殿らはそうはいかない。
「バルバスさん、この車はもうダメです。次の攻撃を受ける前に逃げましょう」
トラックは地面に穿たれた穴に顔を突っ込む形で傾き、後輪が宙に浮いている状態になっている。
あのRPG-29を放った黒い人影がなぜ次のロケットを撃ちこんでこないのか疑問だが、それがいつ放たれるとも判らない。周囲の地人達への被害も考えると、トラックを捨てるのが得策だ。
「急いで行きましょう。いつ追撃が来るか判りませんから」
「……そうだな。私が周囲警戒している間に君が荷台からルシアナ殿達を」
「了解です。直ぐに──」
そう言ってひしゃげたトラックのドアを蹴破ろうと運転手がドアに足を向けたその時だった。
ふと彼の目にトラックの側に立つ人影が目に映った。
そこに立っていたのは、黒い服を着たプレイヤーらしき男だった。
そしてぎらりとその男の目が光った瞬間──
突如目前で起こった光景に、運転手は目を疑ってしまった。
その黒い服を着たプレイヤーがトラックと扉に手をかけると、激しい金切り音が響き渡った。その音は、トラックの扉が放った物だった。黒い服の男は、爆発の衝撃にぐにゃりとひしゃげていたその扉を粘土細工のように簡単にもぎ取ったのだ。
「……なッ!!」
言葉にならないうめき声が一瞬運転手の口から漏れる。
そして、ひゅうと冷たいノーゲンベルグの風が運転席に飛び込んできた瞬間──続けざまに伸びた手で首の根を掴まれた運転手は人形のように車外へと放り投げられた。
悲鳴を上げる暇もなく空中に投げ出された運転手は訳もわからないまま、遥か後方の残骸に頭から打ち付けられ、光の粒へと変わっていく。
「……ッ!」
一体何が起きたのか、周囲警戒していたバルバスでさえ理解するのに時間を要してしまった。
ねじり取られた扉、放り投げ出された仲間。そして黒い戦闘服の男。
その男は異様な雰囲気の男だった。
ボサボサに乱れた頭髪に、痩せこけた頬。そして、異様な程に赤く充血した瞳──
「動くな」
咄嗟にバルバスはトレースギアから愛銃であるオーストリア、ステアー社が開発した引き金よりも後方に弾倉を装填するブルバック方式のアサルトライフル「ステアーAUG」を取り出し、即座に銃口を男へと向けた。
一瞬でスイッチが入ったかのように恐怖を従えたバルバスは、冷ややかな視線でその男を射殺すように睨みつける。
一歩でも動けば蜂の巣にする──
引き金に指をかけながら、そう心の中で投げかける。
「下がらねば、撃つ」
最後の警告をバルバスが放つ。
こいつが国境を破った侵入者に間違いない。そしてこいつがノーゲンベルグを襲った犯人だ。
「……どちらかと言えば、下がらなくて良い」
敵ならば倒すのみ。
表情ひとつかえず、そう言い放つバルバス。
そして、その言葉に応えるかのように、その黒い戦闘服の男が一歩車内へと踏み込み、先ほどトラックのドアをこじ開けたその腕で今度はハンドルをぐにゃりと変形させた瞬間、僅か数十センチの距離でバルバスはステアーAUGの引き金を引いた。




