第117話 忍び寄る危機 その1
「ぶえっくしょい!」
舞い降りた雪が一面を白銀の世界へと塗替え、白装束に着替えた家々にどこか儚さを感じてしまう冬日。
ぴり、と痛みを伴うほどに冷えきり、透き通るほどに澄んだ空気の中、豪快な男の声が響き渡った。
「クソ、誰だ俺の噂してンのは」
眼下に広がる街並みに反響していく声に少し恥ずかしそうに鼻をすすっているのはレオンだった。
いつもの戦闘服の上からファー付きの厚手のコートを羽織り、グレーのビーニー帽をかぶっているものの北方地域であるここヴェルドの本格的な冬将軍にはあまり効果がないようだった。
「すごいな。山彦になっているぞ」
「へへ、俺、声がデカイのが取り柄なんスよね」
「そうか。あまり実用的ではない取り柄だな」
冷静な面持ちでそう切り返したのはロディだ。
ロディもレオンと同じく、襟が大きい黒のロングコートに頭には毛皮で作られたシャプカ帽と、しっかりと防寒装備に衣替えしている。
「でも、なんつーか……こんな寒ぃのってこの場所のせいじゃないんスかね」
「……そうだな。景色は良いのだがな」
それは同意する、と身をこわばらせながらロディが肩を竦める。
2人が居る場所、そこはヴェルドの中核都市ノーゲンベルクの丘の上に建てられた「空中宮廷」と呼ばれている場所だった。
19世紀前半のヨーロッパを思わせるルネッサンス・リバイバル様式の宮廷を中心に、周囲数十メートルに広がる色彩鮮やかな冬花達がまるでその一角だけを切り取ったかのように空に浮かび上がらせる、美しい宮廷──
美しいノーゲンベルグの街並みを一望できるこの場所にロディとレオンが居るには理由があった。
「申し訳ありません、間もなくお見えになると思います」
「お気になさらず。無礼を承知で押しかけてしまったのは私達の方ですから」
宮廷の入り口に立つプレイヤーに小さく頭を下げているのはロディ達と共にヴェルドへと訪れたルシアナだった。
この空中宮廷はその素晴らしい眺望と美しい庭園、そして綺羅びやかな宮廷をひと目見ようと、一部のプレイヤーや地人達にに人気が高い、いわゆる観光スポットだったが、一方でヴェルドのGMが住まう場所としても一般的に知られていた。
もちろんルシアナ達の目的は観光などではなく、ヴェルドのGMに面会することだ。
だが、事前にヴェルドのGMにアポイントを取っているわけではなかった。情報が漏洩する危険が有るためだ。
「もう暫く待ちましょう。幸運にも会っていただけるようなので」
「あいよ」
ルシアナの言葉に身を震わせながら小さく返事を返すレオン。
「だったら先に中に入れてくンないのかね。死にゃしねぇと思うけどよ、寒すぎだっつの」
「我慢しろレオン。この宮廷はヴェルドのGMの所有物だ。彼の許可無しでは入る事は出来ん」
白い息を吐きながらも「そうは言っても早く来て欲しいが」とぼやくロディ。
そんなロディのぼやきを聞きながら宮廷を仰ぎ見るレオンは小さく溜息を漏す。
「つか、この建てモンまるで世界観が合って無ぇな。なんでこんな古い宮廷があんだっつーの。誰の趣味なんスかね、これ?」
「このプロヴィンスにはこういった古い建物が多いらしい。古城や宮殿の狩場もあると聞いた」
「あ〜……そうなんスね」
自分から話を切り出しておきながら、レオンは心が通っていない生返事を返す。
めんどくさそうなその表情からは明らかに「聞いたは良いが、興味が無い」という言葉が滲み出している。
「興味が無いか?」
「ん~、どっちかっつーと、中世っていうよりも西部開拓時代の方が俺に合ってる気がするんスよね」
ガンマンとか、これぞ男のロマンって感じじゃないですか。
レオンの口から放たれた全く似合わない「ロマン」という言葉を聞きロディは苦笑いを浮かべる。
「そうだな。ガサツなお前にはこの空気は似合わんかもしれんな」
「へへ、やっぱロディさんもそう思います? なんつーか、嬉しいっス」
「……どちらかというと馬鹿にしたつもりなんだが」
照れ笑いを浮かべるレオンに「まぁ、本人が嬉しいと言うのならば良い」と納得するロディ。
そんなふたりを見てルシアナがくすくすと小さく肩を震わせたその時だった。
「お待たせしました。どうぞ中へ」
「……お、やっとか」
どんだけ待たせンだよ、と悪態をつくレオンにロディが背後から小さく蹴りを入れる最中、宮廷の中から現れたのは戦闘服ではない正装の軍服を着たプレイヤーだった。
ブロッサムで小梅が着ていたものや、この正装の軍服などは往々にして迷彩効果などのステータスが低く、貼り付ける事ができるパッチの数も少ない。
だが、この世界ではこういった外見やファッション性を重視した衣服は現実世界と同じように身分の高いプレイヤー、特にGM同士での会合などで着用する場合があり、相手に対して敬意を表する意味合いと同時に、ステータスが低い装備ということから「こちらに争うつもりは無い」という意思表示としても使われる事があった。
正装の男性が先導し、ルシアナ達が案内されたのは宮廷内の一室に設けられた応接室だった。
絵画や彫刻で華やかに飾られたその一室に先導した正装の男性と同じフォーマルな軍服に身を包んだプレイヤー達が幾人か見える。
「良く来た」
と、応接室内に広がる心地よい静寂の中にぽつりと小さな声が放たれた。
プレイヤー達の影、ひときわ美しいレリーフが施された椅子に腰掛けていたひとりのプレイヤーが静かに立ち上がったのがレオンの目に映る。
「……なんだありゃ?」
そのプレイヤーの姿に思わず目を細めるレオン。
ひょいと飛び降りるように椅子から立ち上がったのは──まだ幼い少年だった。
「久しぶりだな、ルシアナ」
会えて嬉しいぞ、と威厳に満ちた言葉を投げかけルシアナと握手をかわす、白銀のストレートヘアーを短く切った蒼眼の少年プレイヤー──
だが、どこからどうみても育ちが良いただの子供にしか見えないレオンには、そのやりとりが子供のままごとのようにしか見えなかった。
「なんだあのガキ、偉そうに」
「……馬鹿。彼がヴェルド共和国のGMだ」
「げっ……!? あんなガキがっスか!?」
信じられないと驚嘆の声を上げてしまうレオン。
PC版戦場のフロンティアで設定したアバターがそのままこの世界に反映されているというのは誰もが知る事実だった。
元々戦場のフロンティアでは設定したアバターによりステータスに変化は生まれない為に、プレイヤーは自由にアバターを設定できるように設計されていたのだが、幼い子どものアバターを設定するプレイヤーはごくまれだった。
身長が低いということは、相手に見つかりづらいというメリットがある一方で、視線が低く遠方の視界が確保出来ない為に先手を取る事が難しくなるという致命的なデメリットがあるからだ。
フィールドや狩場でもっとも重要な「相手よりも先に視認する」という行為が難しくなる幼い子供のアバターは、一部のマニアの間だけで流行している特殊な物だった。
「レオン、やめなさい。お忙しい所申し訳ありません、タオさん」
「うむ、構わん。話はブリガンダインより聞いている。余も早くそなたと会いたいと思っていた」
嬉しいぞ、とタオは笑顔を浮かべてルシアナの手をにぎる。
だが、どうしてもレオンには滑稽に見えて仕方がない。
「……プッ、『余』ってなんだよ」
「黙れ」
「……っ!」
思わず吹き出してしまったレオンの側頭部に即座に肘を打ち込むロディ。
すさまじい衝撃が脳天を貫いたレオンは「気絶」の状態異常になり、その場に昏倒してしまった。
そんなロディ達のやり取りを視界の端に感じながら、ルシアナは変わらない口調で続ける。
「本日お伺いしたのは、ご支援に関する件なのですが」
「聞いておる。ノスタルジアが主導し、情報屋グループを組織したというのは誠か?」
「はい。ユニオンに対抗するために情報は武器になると考えまして」
前のめりになったまま、タオはルシアナの話に食い入るように耳を傾ける。
ふたりがけの椅子に腰掛け、まるで対談するかのように話し始めるルシアナとタオ。そして彼らを守るようにプレイヤー達がその周囲に立った。
その物々しい雰囲気に一瞬たじろいでしまうルシアナ。しかしそれが自分達を威嚇しているわけではないということはルシアナ自身よく知っていた。
ここはタオが所有するプライベートルームであるために敵からの襲撃を受ける可能性は無い。だが、そんな場所あっても客人であり、復活する事ができないルシアナ達の警護に全力を注ぎ、会合に集中してもらおうというタオの配慮だった。
「前回の交戦フェーズでも知略によってユニオンを退けたと聞くが?」
「その為に情報屋グループを組織したんです。そして思惑通り情報によってユニオンの侵攻を阻止しました」
「ほう、面白い。実に面白いぞ」
無邪気に笑うタオに、ルシアナは援助の手応えを感じつつも一方で安心はできないとも感じていた。
ヴェルド共和国はノスタルジアと友好な関係を築きつつも、ノスタルジアが滅んだ前々回の交戦フェーズでは援助を渋った経緯があるからだ。
当時、台頭しつつあった正体不明の国家であるユニオン連邦に対抗できるのは、オーディンを抱えるノスタルジア王国と、その北方に位置する大国、ヴェルド共和国の2国だけだと噂されていた。
現在ヴェルド共和国と双璧をなす東方諸侯連合はまだ中小国家の集合体でしか無かった。
国家同士の情報伝達も上手く行かず、クランの配置すらままならない状態にあった東方諸侯連合は、ユニオン連邦の侵攻を察知するやいなやすぐさまヴェルド共和国へ援助の申し入れを行った。
ユニオン連邦とプロヴィンスを接しているノスタルジア王国と東方諸侯連合。
最強のクランと謳われるオーディンを持つノスタルジアならばユニオンの侵攻を防ぐことができるだろうが、寄せ集めの東方諸侯連合はユニオンの侵攻を防ぐ事が出来ないだろう──
情勢を鑑みて最終的にそう判断したタオは、ノスタルジアの援助を蹴り、東方諸侯連合への援助を決定していた。
「次回の交戦フェーズではユニオンはラウルへの侵攻を再開するでしょう。そうなればヴェルドも安全ではなくなります」
「ならばどう考える?」
「先手を打ち、彼らの領土へ」
「……ふむ」
プロヴィンスを守る「防戦」ではなく、ノスタルジア王国の復興の為の「攻戦」──
ルシアナのその言葉に顎に手を当て、タオは塞ぎこむように考え込んだ。
正直な所、タオの心は揺れ動いていた。
現状ユニオンとの関係は敵対関係にあるものの、プロヴィンスを接している箇所も少なく、集中的に該当プロヴィンスに兵力を配置すれば、1週間の交戦フェーズはやり過ごせると考えていた。
だが、ノスタルジアを援助し、ユニオンのプロヴィンスに攻め込む事になれば話は変わってくる。やるからには相当な戦力をノスタルジアへ派兵しなくてはならなくなる。中途半端な援助であれば、手痛いしっぺ返しを喰らい、自国のプロヴィンスを逆に失うことになりかねないからだ。
「ひとつ、良いかな?」
「はい、何でしょうか」
「そなた達ノスタルジアに勝算はあるのか?」
ユニオン連邦を相手にノスタルジア王国が勝利する「策」はあるのか──
そう問いかけるタオに、ルシアナは丁寧に言葉を選ぶ。
「勝算は、有ります。私達は──」
「例のジャガーノートか?」
ルシアナの絞りだすような声にタオが言葉をかぶせる。
私達がジャガーノートの量産に成功しているという噂は作為的に広めている。その情報をタオさんが知っていたとしてもなんらおかしくはない。
タオの言葉に動じる事なく、ルシアナはこくりと頷いた。
「ええ。私達にはユニオンの兵士達を退ける事ができるアーティファクト兵器があります。それらがあれば勝算は十分にあります。ですが──」
ルシアナはふうと一呼吸置き、ゆっくりと続ける。
「……正直な所を申し上げまして、人材不足と物資不足は否めません。このままですと、必要な物資が揃わないまま交戦フェーズを向かえてしまうことになるでしょう」
「……このままではユニオンと戦えぬ、と?」
「その通りです」
全てを隠さず伝えたルシアナに、タオが小さく笑みを浮かべた。
その表情から、すでに解放同盟軍が置かれている状況についての情報はタオの元に来ていたのだろうと、ルシアナは直感した。
タオさんは、全てを知った上でこちらの出方を探っている。
私達が信頼出来るのかどうかを含めて。
「正直だな、ルシアナ」
「正直に全てをお伝えした上でご判断頂きたい。ユニオンに対する勝算は有ります。ですが、その策を実行するための人材と物資が足りないのです」
だからこそ、ヴェルド共和国の援助が必要──
そう締めくくったルシアナに、タオは再度眉根を寄せる。
非常に難しい判断をタオは迫られていた。
だが、彼の頭に有ることはひとつだった。
それは、「ノスタルジアに協力することがヴェルドにとって得であるかどうか」という事だ。
先ほどとは違う張り詰めた静寂が応接室を支配した。
ひゅうと吹き付ける風が応接室の窓を揺らし、かたかたと小さく声を上げる。
「……判った」
タオはそう一言つぶやくと、小さく太ももを叩き、ひょいと椅子から立ち上がった。
「場合によっては協力を惜しまないが……返答はしばし待て。最終的な判断は追って連絡する」
「……ッ!?」
タオのその言葉に愕然としてしまうルシアナ。
これでは前回と全く同じだ。結局ヴェルドからの援助を得られないままユニオン連邦と正面からぶつかることになり──ノスタルジアは敗れた。
「タオさん、待って下さい」
「ルシアナ、そなた達ノスタルジアの実情を包み隠さず話してくれた謝儀にヴェルドの本音を話そう」
詰め寄るルシアナを小さな手で制し、タオが続ける。
「今、ヴェルドプレイヤーの大半はユニオンを刺激するべきじゃないという意見が占めている。敵対するよりも、歩み寄るべきだという意見もあるほどだ」
「まっ、まさか!?」
ルシアナはその場に地面に打たれた杭のように立ちすくんでしまった。
今この世界で勢力的にユニオン連邦と対抗できると言われているのは、北のヴェルド共和国と東の東方諸侯連合国だけだと言われている。そしてその2国は前々回の交戦フェーズでユニオンの危険性とその野望に危機感を抱いた為に、今日まで敵対関係を続けていた。
その一角であるヴェルドがユニオン連邦と歩み寄る方向に進んでいる──
それはつまり、この世界がユニオン連邦の手に落ちる時が近づいた事を意味する。
「いけません、ユニオンがどんな非道な事をしているのか、タオさんもご存知でしょう!?」
「判っておる。だがこれがヴェルドの総意なのだ」
GMといえども、国家として歩むべき道を独断で決める訳にはいかない。プレイヤー達の意見を取り入れなければ、所属プレイヤー達の離脱を産んでしまうからだ。もし独裁的な手腕をふるうのであれば、ユニオン連邦のような絶対的な恐怖に裏付けされた脅迫的な手法を取らざるを得なくなる。
「しかしな、ルシアナ……余に時間をくれ」
小さくささやくように耳打ちするタオ。
それは遠回しに協力を匂わせる言葉だったが、協力を約束したものではない。
個人的な考えとしてはノスタルジアに協力したいが、国家として今のままでは協力できない。だからこそ、彼らを説得する時間が欲しい──
タオの言葉に含まれたその意図は何処か頼もしくもあり、弱々しくも感じるものだった。
くるりと踵を返し、護衛達とともに応接室を後にするタオ。
その後姿をじっと見つめながら、ルシアナは落胆の色をにじませてしまった。
応接室窓から臨むノーゲンベルグの街には、いつの間にか雪が再び舞い降り始め、その空には重苦しい雲が零れ落ちんばかりに深く垂れ下がっていた。




