第115話 対抗手段
アセンブリに参加している情報屋の面々が会議室へと現れたのはそれから30分ほど経ってからだった。
先日この場所に来たカナリヤの雨燕をはじめ、ギフトマーケットのアイゴリーや黒部一味の黒部──
だが、集まった情報屋達を見る悠吾とルシアナの表情は優れなかった。
「……少ないな」
ぽつりとそう切り出したのは黒部だった。
悠吾とルシアナの前に座っているのは、先の3名だけ。その他のメンバー達は招集に応じなかった。
「他の方達はどうしても時間の都合がつかないと言う事で、メッセージで後ほど依頼を出させていただくことにしました」
「……俺達も暇というわけじゃ無ぇんだけどな」
ルシアナの言葉にちくりとトゲを指したのはアイゴリーだ。
ルシアナの招集にアセンブリのメンバー達が答えなかった理由は明確だった。交戦フェーズ以降、爆発的に情報屋達への依頼が増えたという事と、ユニオンが出したマスターキーに関する声明に、解放同盟軍同様、アセンブリ内にも不安が広がったからだ。
交戦フェーズ以後、約束通りユニオンへの情報提供を再開していた情報屋達だったが、アセンブリの会合の中で「ユニオンに所属するプレイヤーからの依頼は全て断るべきだ」という意見が出ていた。
ユニオンに徹底的な強硬姿勢を貫き、次回の交戦フェーズで手痛い打撃を与える事が数多くのプレイヤーの命を救うことになる──
ノスタルジアがマスターキーを手に入れ、現実世界に戻る事が可能になるイースターエッグに一歩近づいた事が拍車をかけ、アセンブリの面々はユニオンを打倒すべくそう意気込んでいた。
だが、ユニオンがマスターキーを手に入れたという情報がそれを一変させた。
一歩リードしていたアドバンテージが無くなり、さらにイースターエッグに関する進展が無い事が情報屋達に焦りを産んだ。
ユニオンの情報遮断を意図的に行うべしとした意見はいつの間にか鳴りを潜め、一方でユニオンに対し情報提供を遮断していたことの反動か、増え続けるユニオンからの依頼にあろうことか、一部の情報屋からは「協力すべきはノスタルジアではなく、ユニオンなのではないか」という考えすら産まれるほどになってしまっていた。
「それで、依頼は……イースターエッグの調査だったか?」
重苦しい空気をはねのけるように雨燕が口を開く。
報酬は追加の人材提供。そしてこちらから渡すのは、イースターエッグに関する情報──
「フン。報酬といえるものではないが……まぁ、ユニオンの奴らに先を越されるわけにもいかんからな」
仕方ないか、と鼻息荒く腕を組みながら黒部がそう吐き捨てる。
もしユニオンの奴らが先にイースターエッグに辿り着いてしまえば終わりだ。敵対している国家に所属するプレイヤーが現実世界に戻れる可能性は限りなくゼロになる。
「だがそもそもお前たち解放同盟軍に割ける人員は居るのか?」
探索で手一杯だと聞くが。
そう問いかけるアイゴリーにルシアナが小さく答える。
「探索チームから数名。それと……」
そう言いかけてルシアナは言葉を詰まらせてしまった。
何か言葉を選ぶように俯くルシアナ。
「……どうしました?」
重苦しい沈黙と彼女のただならぬ雰囲気に思わず悠吾が優しく問いかけた。
やはりルシアナさんが何か変だ。あの時、僕に声をかけた時からルシアナさんは何かおかしい。
心配の眼差しを向けられたルシアナは、その悠吾の顔を見ることなく、硬い表情のまま小さく息を吐きながら静かに続ける。
「……工廠チームから、戦闘経験があるプレイヤーを」
「……え?」
ルシアナが放った言葉に悠吾は思わず唖然としてしまった。
「こ、工廠チームは生産職プレイヤーで構成されたグループですよ?」
「分かっています」
悠吾の言葉に、自分が語っている言葉の意味は理解しています、と正面わ見据えたまま頷くルシアナ。
「……工廠チームが探索に同行して大丈夫なのか?」
「交戦フェーズの準備を遅らせる訳には行きませんし、私達が何よりも優先すべきはユニオン連邦よりも先にイースターエッグの情報を手に入れる事ですから」
「……ッ!?」
黒部の問いに答えるルシアナの言葉に悠吾は耳を疑ってしまった。
最優先すべきは人命であり、この世界で生き残る事だ。それはルシアナさんやノイエさんをはじめ、解放同盟軍の誰しもが判っている事のはず──
悠吾にはルシアナの「イースターエッグの情報を優先する」という言葉が信じられなかった。
正面を見据えたまま、凛とした表情を浮かべるルシアナ。
そしてその横顔を見て、悠吾はふと待機所で見たルシアナの沈んだ表情の理由が理解できた。
あの表情の原因は、工廠チームにあったんだ。僕に話す前に、ルシアナさんは工廠チームにその事を伝えた。
そして、彼らの同意を得て──
「……ルシアナさん」
「何も言わないで下さい。悠吾くんが言いたい事はわかります。ですが、私達に残された道はそう多くは無いんです」
静まり返った会議室にルシアナの凛とした声が通る。
その声からは、並々ならぬ決意がにじみ出ている。さらに不信感が広がろうとも、茨の道を進まなくてはならないと言う決断の意思が。
ルシアナのその気迫に言葉を失ってしまう情報屋と悠吾。
「俺達の探索は解放同盟軍の組織的な探索と違ってサポートもなければバックアップも無い。その身一つで狩場に潜り、情報を集めるだけだ。戦闘職のプレイヤーならまだしも、生産職プレイヤーの身の安全は保証出来んぞ?」
サポートが無い探索では命の保証は出来ない。戦闘職ではないプレイヤーならば高い確率で死が忍び寄る事になる。
それでも良いのか、と念を押す黒部に、ルシアナは固い表情のままひとつ頷く。
それがルシアナの決断であり、工廠チームの決意だった。
「……分かりました」
しばしの間を置き、どこか決心したかのように悠吾がポツリと言葉を漏らす。
「僕も、同行します」
「……悠吾くん……」
その言葉を聞いたルシアナは瞬時に苦悶の表情を浮かべた。
こうなることをルシアナは予想し、そして浅ましくもその予想が外れてほしいと心の何処かで願ってしまっていた。
戦闘経験が豊富な工廠チームのプレイヤーはそう多くはない。
情報屋に同行させるプレイヤーの候補でルシアナの中にまず浮かんだのは悠吾だった。だが、彼女の中でひとりの女性としての感情と、非情になるべきGMとしての意思がせめぎあった。
今動けるのは工廠チームだけ。──だけど、だけど、悠吾くんには参加してほしくない。
そんな醜い己の感情に自己嫌悪しながら、結局待機所でその事を悠吾に伝えることはルシアナには出来なかった。
「大丈夫ですよ、ルシアナさん。僕達にはジャガーノートがありますから」
つい先日ジャガーノートの量産に成功している。レア素材が必要なため、固まった数の生産はまだ出来ていないけど、すでに10体近くのジャガーノートが出来上がっている。その全てを各生産職プレイヤーに渡せば、命の危険性はぐっと下がるはず。
そう笑顔で話す悠吾にルシアナの胸はぎゅうと締め付けられた。
悠吾の優しさに己の中に渦巻いている卑しい考えがルシアナ自身を苦しめる。
「そう気を病むなルシアナ」
苦い表情を浮かべるルシアナに優しくそう言葉をかけたのは雨燕だった。
「黒部は身の安全は保証できないとは言ったが、何もお前達を見捨てるというわけではない。私も解放同盟軍の状況は良く理解しているつもりだ。我々に出来る事は最大限やるさ」
そう言って雨燕は小さく笑みを浮かべる。
それは他の情報屋よりも深く解放同盟軍と関わってきた雨燕だからこそ言える言葉だった。
「だがしかしひとつだけ言わせてもらうぞ」
「……なんでしょうか」
できることがあればなんでも協力します。
しっかりと雨燕を見つめるルシアナだったが、その視線を躱すように雨燕はルシアナの隣に座る悠吾へと視線を送った。
「悠吾、お前は来るな」
「……え!?」
静かに放たれた雨燕の言葉。その言葉に悠吾はすぐ反応出来なかった。
来るな、とはどういう意味だろう。人員はひとりでも多い方が良いに決まっているし、雨燕さん達もひとりでも多くの人員を欲しているはず。
「お前はここに残れ。ブロッサムから探索チームが居なくなり、戦闘経験があるプレイヤーがいなくなるのは良くない」
万が一を考えなくてはならない。復活が出来る私達ならまだしも、亡国者の称号を持っているお前達なら尚更だ。
「それに、だ」
ちらりと視線をルシアナに送り、どこか言いづらそうに言葉を選ぶ雨燕。
「お前がやるべき事は、私達と共に探索をする事ではなく、保護されている小梅の支えになってやることだ」
「……」
「小梅の支えに」という言葉に一瞬表情が曇るルシアナ。しかし一方で雨燕が語っている事に納得しているのも事実だった。
小梅さんはこれまで3回、プライベートルームを抜け出しブロッサムの街に脱走している。特に大きな事件にならず保護することができているけど、彼女の監視役となる人が必要なのは間違いない。
そして、その役に適任なのはこれまで彼女と苦難を共にしてきた悠吾くんかトラジオさん以外にはない。
「納得がいかない、か?」
「い、いえ、そんな事は無いですが……」
ちくりと刺す雨燕に、慌てて首を振る悠吾だったが、自分だけがブロッサムの街に残るという事に引っかかっているのは事実だった。
戦闘職プレイヤーや戦闘経験がある生産職プレイヤーが命がけで戦っているのに──僕だけが安全なこの街に居て良いのか。
「人には役割というもンがある。俺たちは情報を手に入れるという役割があって、お前にはこの街に残る生産職プレイヤーと、その女を守る役割だ。どっちも重要な役割だろ?」
どちらかっつーとお前の方が大変かもな。
苦笑しながらそう言い放つアイゴリーに思わず表情をこわばらせる悠吾。
この街が安全だと考えていたけど、アイゴリーさんが言うとおりその責任は重大だ。
万が一の時には、僕の両手に小梅さんや工廠メンバー達の命がかかっていると言う事──
その事の重大さに悠吾は続く返事を飲み込んでしまう。
アイゴリーの声が余韻を残しながら小さな会議室の空気に溶け込んでいく。
そして、一呼吸置き、ルシアナがゆっくりと口を開いた。
「……悠吾くん、私は……私は卑怯者です」
しんと静まり返った会議室に潰れそうなルシアナの掠れた声が広がる。
その声はやっとの思いで押し出したルシアナの本心だった。
「探索チームや工廠チームに死地へ強制的に向かわせるような事を言っておきながら、悠吾くんだけは行かせたくないと考えてしまっていました。一国を預かるGMとして、あってはならない愚行です」
はっきりとそう言い切るルシアナ。
それは万が一、ルシアナの事を疎ましく思っているプレイヤーの耳に入ればGMの座を引きずり降ろされかねない言葉だった。
「ですが、これから悠吾くんに伝える言葉には私の一切の私的な感情は含まれていません。……良いですか?」
今まで己の心を蝕んでいた弱さを露呈させるからこそ、続く言葉には大きな意味を持つ。
つまりそれは、GMルシアナとしての下知だという事だ。
ルシアナの言葉に、悠吾は小さく頷いた。
「悠吾くんはブロッサムの街にとどまって下さい。但し、万が一の場合には必ず皆の命を守る事」
例え自らの命を落とそうとも──
その言葉は口にしなかったものの、ルシアナの意図が理解できた悠吾は表情を強ばらせながら、こくりとひとつ頷く。
ルシアナさんから託された重大な責任──
それをはっきりと感じた悠吾は、その重圧に思わず小さく身を震わせてしまった。
「……了解しました」
重圧に飲み込まれる前に、小さく言葉を放つ悠吾。
両手を必死に押さえつけ、その心中を誰にも悟られないように気丈に振る舞う悠吾の声が、掠れながらも小さな会議室の中に広がっていった。




