第111話 勝負の行方
悠吾は緊張の面持ちでテーブルの前に座っていた。
目の前にあるのは装飾も何も施されていない、ただの木組みのテーブル。悠吾の緊張の原因はそのテーブルの先にあった。
「……ええと……」
何か声を口に出さずには居られない張り詰めた空気が悠吾を襲う。
その空気を悠吾に向け放っているのは、仏頂面の表情で丁度悠吾と対面するように腰掛けている2人の女性、ルシアナと小梅だった。
「お前が硬くなってどうする」
取って食われるわけでもあるまい。
悠吾の背後、無造作に置かれた椅子に腰掛けて何処か楽しげに悠吾達を見つめるのはトラジオだ。
しかし、そこに居るのはトラジオだけではない。ミトやロディ、そしてカメラを持つ雨燕が、ここ、解放同盟軍の倉庫の一角に設けられた食事処に集まっていた。
彼らの目的は1つ。
──ふたりの「女の戦い」の決着を見届ける為だ。
「しかし平和的な解決方法で良かったな悠吾」
ロディが小さくささやく。
「腕っ節で決着をつけようとしていましたからね。それを考えると」
とミト。
「大丈夫だ、シャッターチャンスは逃さん」
そして、すっかりカメラマンになってしまった雨燕がぽつりと締めくくる。
何処かこの状況を楽しんでいる様な穏やかな表情を浮かべている面々だが、当のルシアナと小梅、そして被害者とも言える悠吾は浮かない表情だった。
「……何も今日じゃなくても良いんじゃ?」
丁度今頃、工廠では「お祭り騒ぎ」になっているだろう。
その光景を思い起こし、悠吾は重い溜息をひとつついた。
悠吾とミトがチャレンジしたジャガーノート量産プロジェクト。
結果的にそのプロジェクトは大成功に終わった。
予想していた16個の素材で完成したのは紛れも無く、天高く拳を突き上げるアーティファクトマークが付いたアイテム──ジャガーノートだった。
先日まで悠吾が持っていたそれと幾分違わない、フェライトの電磁装甲に包まれた超兵器。
テストを兼ねてアーティファクトを装備した悠吾の姿に場は興奮に包まれ、その姿に彼らは希望の光りを見た。
それが「祭り」の始まりだった。
「よくやった」「俺は信じていた」とねぎらいの言葉をかけられながら、もみくちゃにされる悠吾とミト。そして彼らの話を聞くうちに、前回の竜の巣以降、密かに悠吾の存在が解放同盟軍の中で重要な存在になっている事を悠吾自身が知った。
誰かに必要とされている事実。
そして話したことも無い人達とともに喜びをわかち合う高揚感。
それは悠吾にとって現実世界でも体感したことのない時間だった。
「つーか、今日やらなくていつやンのさ」
「申し訳ありませんが、悠吾くんには最後まで付き合っていただきます」
「うっ……」
躊躇すること無く、そう言い放った小梅とルシアナの言葉に胃が締め付けられる悠吾。
鉄鉱石を探しに狩場に行く前、小梅さんとルシアナさんが何か不穏な空気を放っていたような気がするけど、まさかこんなことになっているなんて。
でも、それよりも──
「どうして2人が『料理対決』をすることになったんですか?」
そこの所が理解できません。
恐る恐る問いかける悠吾。
悠吾がこの場所に呼ばれた理由、それはルシアナと小梅の「料理対決」の勝敗を判定する為だった。
「言ったでしょ? 平和的解決よ」
「戦闘技術で勝敗をつけても良かったのですが、小梅さんにも勝てるチャンスが無いと可哀想でしょう?」
「……なんつった今?」
ルシアナの言葉に瞬間的に怒りに包まれた小梅。しかし、彼女の後ろに立っていたノイエが強引に小梅の視線を正面に戻す。
「あだだだっ! ちょ、ちょっとノイエ!」
「平和的解決だ、小梅」
ジタバタと暴れる小梅を力でねじ伏せるノイエ。
悠吾はその姿を呆れた様な表情で見つめながら、そもそも、何故小梅とルシアナがいがみ合う事になったのか、この場に案内される中ミトに説明された事情を思い起こした。
やはりミトはルシアナに狩場で悠吾が口にした小梅に対する話を面白半分で口にしていた。
普通であれば、温厚なルシアナの器量で流されていたであろう、他愛もない話だったが、ミトが口にした場所が悪かった。
ルシアナが居たのはここ食事処、それも──料理人マスターのアムリタに師事して、料理人クラス習得前に料理のイロハを学ぶ小梅と、その料理を試食してもらうために呼ばれたノイエが居る中だった。
「公平な戦いをするために、今回サブクラスに料理人は設定しませんでした」
「フン、使ったって勝てるわけないじゃん」
「……なんですって?」
「……ッ!! ルシアナ! ハウスっ!」
まるで犬か何かを叱るようにノイエが小梅を睨みつけ始めたルシアナの視界を遮り、小梅のそれと同じく強引に顔を正面へと向き直させる。
「痛……っ!」
「平和的解決だ、ルシアナ!」
おとなしくしろ、と続けるノイエに悠吾はもう一度重い溜息を付いた。
平和的解決──
はたから見ればこれほど平和的解決は無いと思います。だけど……僕にとって、どちらを選択しようと待っているのは……地獄じゃありませんか。
工廠で騒いでいる皆の所へ戻って僕も混ざりたい。
悠吾がどんよりとした空気を纏ったその時だった。
「じゃっじゃじゃ〜ん!」
食事処のカウンター奥、クラス料理人の「工房」とも言えるキッチンから現れたのはアムリタだった。
その両手に、自分の身体よりも大きいのではないかと思うほど、巨大なサービストレイが持っているアムリタは、よたよたとおぼつかない足取りで見るものをはらはらさせてしまう危うさを放っている。
「準備できたよっ!」
うんしょ、とサービストレイをテーブルの上に置き、そして給仕のようにアムリタは悠吾の前に2つの皿を並べた。
「……おお、それは……何だ? カレー?」
ひょいと悠吾の肩越しにロディとトラジオが覗きこむ。
悠吾の前に出された、まるでフレンチ料理で使われるような中央がくぼんだディナー皿に盛られていたのは、黄色みがかったライスと、大きな牛のモモ肉にデミグラスソースがかけられた褐色のシチュー、ビーフストロガノフだった。
「ビーフスロロガノフだよ!」
「ビーフ……スロロ?」
「あ、間違った。ビーフストトラノフ!」
「……ビーフストロガノフね」
どうしてもその名を呼べないアムリタに変わって小梅がポツリと囁く。
今回の料理対決で出された題目はロシアの代表的な料理、ビーフストロガノフだった。
人参や玉ねぎ、セロリを炒めて赤ワインで煮詰めたデミグラスソースに、バターで焼いた牛もも肉を入れさらに煮込んで完成させた、思わず生唾がにじみ出てしまう程の良い香りを放つソースをバターライスの上に乗せた一品──
そして、目の前に差し出された2つの皿を交互に見て悠吾はふと、とある事がその脳裏に浮かんだ。
一緒に工廠に行って以降、小梅さんがずっと姿を見せなかった理由。
小梅さんはずっとこのビーフストロガノフの特訓をしていたというわけか。
「どっちがママのでどっちがおねえちゃんのか判らなくしてるから」
「……」
安心でしょ、と笑うアムリタだったが、悠吾は何もコメントを返せなかった。
確かに作った本人が自分の料理を運んでくるのではなく、どっちがどっちか判らなくするのはいいアイデアだと思う。
だけど、だけどね。
「……明らかに一方は変だな」
うーむ、と難しい表情を浮かべながら顎を擦るトラジオ。
言ってしまいましたねトラジオさん。
そうなんです。明らかに一方のビーフストロガノフは……とてつもなく赤く、なんというか見ただけで判る危険な彩色なんです。
「悠吾さん、賞味いただく前にひとつ」
赤いビーフストロガノフに萎縮して、スプーンを手に取る事を躊躇していた悠吾にルシアナが語りかける。
なんでしょうか。むせたら負けとかじゃないでしょうね。
「小梅さん、勝者への褒美の件お忘れじゃありませんよね?」
「トーゼンじゃない」
その為の勝負なんだから。
そう言い放つ小梅。
「……褒美って、負けた方が勝った方に何かするんですか?」
何かを感じ取った悠吾が不安げにぽつりと問いかける。
勝負ということは、勝った方が何かしら褒美を与えられても何らおかしい事はない。おかしいのは、何故そのことを今、僕の前であえて言うかってことですよね。
「違いますよ、悠吾くん」
「え?」
「褒美を用意すンのは、あんたよ。悠吾」
「……はい?」
小梅とルシアナの口から放たれた予想だにしていなかった言葉に、悠吾はぽかんと呆けてしまう。
何を言っているんでしょうか。
僕が褒美を用意? 勝った方に、僕が?
「き、聞いてませんけど」
「言ってませんから」
「だって先に言ったら、ここに来なさそうだもんあんた」
「……ッ!」
けろりと言ってのけるふたりにさらに嫌な予感が過る悠吾。そして得体の知れない恐怖が足元から這い上がってくる。
僕に事前に伝える事を躊躇するような褒美って……一体……一体なんなんですか!?
そして、その答えを放ったのは、小梅やルシアナではなく、悠吾の背後に居たミトだった。
「えへへ、これもあたしが言い出しっぺなんだけどさ。勝った方は悠吾さんに『なんでもひとつお願いを聞いてもらう』って設定させていただいちゃったんです」
「…………ちょっと待てッ!!」
なんでもお願いを聞くって何ですかそれ。
──ミト君、君は何故そうやっていつも僕をドツボにはめようとするんだ。
スプーンを握りしめたまま憤慨してしまう悠吾だったが、即座に「落ち着け」と背後からトラジオが諭した。
「小梅とルシアナ、2人だけの戦いであれば遺恨が残ってしまうが、お前にジャッジされるからには彼女たちも納得せざるを得ないと言うわけだ。褒美の件は……まぁ、流れだな」
ルシアナと小梅、2人の為だと思え。
そう言うトラジオの表情はこれまで見たこともないようなニヤケ顔だ。
「ぼぼぼ、僕の意思は全く反映されないんでしょうか、その褒美には!」
「当たり前だ」
すでにそのことを知らされていたのか、ロディが笑みをこぼしながらそう返す。
恐ろしい。
この世界は人権すらも無視する恐ろしい世界です。
「ぐちゃぐちゃ言ってないで、あんたはさっさと食べてあたしに勝たせなさいよっ!」
「あら、そうは行きませんよ小梅さん。貴女に勝てる要素は一ミリもありませんから」
「フン! こっちには料理人のマスターが師匠についてンだよっ!」
「こらっ! ハウス!」
野に放たれた猛獣のように、隙をみては口喧嘩を始めるルシアナと小梅をまるで調教師のように咄嗟に制するノイエ。
逃げることも出来ない状況が悠吾に重くのしかかる。2つのビーフストロガノフを前に悠吾は決断するしかなかった。
片方が明らかにおかしいふたつのビーフストロガノフを食べ、そしてどちらかに軍配を上げなければこの状況は永遠につづいてしまう。
そして、ええい、ままよ、と悠吾は片方のビーフストロガノフをすくい、一気に口の中へ押し込んだ。
「おおっ」
ついに口にした悠吾に、思わず歓声を上げる無責任なギャラリー達。
そんな彼らの声を背に、悠吾はじっくりと味を確かめるようにゆっくりと噛み締め、喉へと送る。
じっくりと煮こまれているのか、噛む前に肉がソースの中にとろけていき、濃厚な旨味が広がっていく。そして続いて訪れるのは、芳しいワインの香り──
うまい。
これは、文句の付けようがなく、とてつもなく美味いビーフストロガノフだ。
思わず笑みが溢れてしまう悠吾だったが、ことの行く末をじっと見つめている小梅とルシアナの視線に、こほんとひとつ咳払いすると、表情から笑みを消し去る。
「も、もう一つは──」
味が混ざらないように、用意されたもうひとつのスプーンを握りしめる悠吾。
だが、その手がピタリと止まった。
殺人的な真紅に染まっているビーフストロガノフを前に悠吾のスプーンはそれをすくい取る事を拒否していた。
「……」
痛く、苦しい沈黙が暫くテーブルの周りに流れる。
この場に居る全員の視線は悠吾の右手に集中している。
このままスプーンを置くことは──許されない。
そして、意を決し、悠吾はもうひとつのビーフストロガノフをスプーンに取る。とてつもなく赤いビーフストロガノフが悠吾のスプーンから滴り落ち、純白のディナー皿の縁にまるで血痕の様な跡を残す。
ここで手を止めてしまったらもう口に運ぶことは出来ない。
そう判断した悠吾は、そのままその紅蓮のスプーンを口の中に押し込んだ。
一秒にも満たない刹那の時間。
すさまじい衝撃が悠吾の脳天を貫いた。
***
悠吾は深刻なダメージを受け、その場で気を失ってしまった。
聖職者であるルシアナの回復スキルによって危機を免れたものの、そのビーフストロガノフを口にした瞬間、なぜか悠吾の頭の上に体力ゲージが表示され、一瞬で半分のゲージが失われてしまった。
「なんとも、すさまじいアイテムだな」
「う、うるさいっ!」
スタン効果と致命的ダメージか、と囁くロディに小梅が食って掛かる。
地獄の赤いビーフストロガノフを作ったのは自信満々の小梅だった。
「おかしいなぁ……」
ちゃんと教えたはずなのに。
何をどうしたらそうなってしまうのか、小梅に料理を教示していたアムリタにも全く理解できなかった。
「だが、勝敗はついたと考えて良いのか? これは」
「う〜……」
地面で伸びている悠吾を覗き込みながらそうささやく雨燕に、唇を噛み締めながら悔しそうに唸る小梅。
だが、どちらが勝ったか、それは火を見るより明らかだった。
「く、悔しいけど……あたしの負けよっ!」
「……ッ!?」
「やったっ!!」
珍しく潔く負けを認めた小梅に、驚きを隠せないノイエと、嬉しそうにぴょんとひとつ跳ねるルシアナ。
ルシアナは何がなんでもこの勝負に負ける訳には行かない理由があった。
ノスタルジアのGMであるルシアナは、ノスタルジアに所属するひとりのプレイヤーである悠吾と共に行動する時間は皆無だった。共に行動どころか、定期的に行っているアセンブリの報告会とジャガーノートの報告で顔を合わせるくらいの頻度──
だが、一方で同じ小隊だった小梅にはその時間は山ほどある。
お互い喧嘩しながらも、明らかに判るほど縮まってみえる悠吾と小梅の距離を横目にルシアナは焦りを感じていた。
悠吾との関係を巻き返す為に、絶対に勝たなくてはならない勝負。
ルシアナの中でもしこの勝負で勝った際に悠吾に聞いてもらう「お願い」はもう決まっていた。
「それで、悠吾に何をもらうのだルシアナ」
悠吾は殺人ストロガノフで伸びてしまっているが、私達が代わりに報酬を聞こう、と問いかけるロディ。
ルシアナは小さく深呼吸をして、静かにその言葉を口にした。
「時間……私がほしいのは悠吾くんの時間です」
「じ、時間?」
どういう意味よ、それ。
ルシアナがどんな報酬を口にするのか気になって仕方がない小梅は焦燥感を漂わせながら問いかける。
「悠吾くんと1日だけで良いので……その……ブロッサムの街の散策を……」
「……ッ!!」
今までの強気な態度から一変し、恥ずかしそうに俯きながら小さく放たれたルシアナの言葉に、その場の女性陣が息を呑んだ。
「それって……」
「悠吾さんと、デデ、デートって事!? きゃ〜ッ!!」
修羅場よ、修羅場だわ、とはしゃぎ回るミト。
そして、その傍らで固まってしまっている小梅のなんとも言いがたい、味のある表情をすかさず写真に収める雨燕。
「本人の知らぬ間に次々と決められていくのはいささか気の毒にも思うが──まぁ、仕方あるまい」
「仕方なく無いわよッ!! 異議よ、異議を申し立てるわっ!」
「!? こ、小梅さん!」
あんたにデートなんかさせるもんか、もう一回勝負よ、と喚き散らす小梅に思わずルシアナは呆れ果ててしまった。
さっき潔く負けを認めた貴女をちょっとカッコイイと思ったのに。
ルシアナにつかみかかる小梅と、小梅の首の根を捕まえ引き剥がすトラジオ。そしてそんな彼女達を見て笑顔を零すロディ達。
それはこの世界に来てからはあまり無かった、身の危険を感じる事が無いひととき。この場の全員が心の何処かでそう感じ取っていた。
だがそれは、彼らに送られてきた小隊会話の一言で終わりを告げる事になった。
それは、何処かで恐れていた事。
だが、いつかは来てしまうと感じていた事実。
『ノイエさん』
『……風太? どうした?』
静かな声で小隊会話を送ったのは、風太だった。
そして間を起き、風太は続ける。
『黒部さんから連絡が。ユニオンが……クラウストが「全能の鍵」を手にしたようです』
これにて第六章は終了でございます!!
六章スタートと同じように暫くの書き溜め期間を設けさせていただき、毎日更新したいと思います!
再開日時は活動報告とツイッターで告知させていただきます。
もしよろしければ感想、ご指摘などいただけると嬉しいです。
引き続き戦フロをよろしくお願いしますっ!!




