第110話 ジャガーノート その2
悠吾が発案したアーティファクト兵器であるジャガーノートの生産は、ルシアナやノイエ達解放同盟軍の公式なプロジェクトとして動いてはいたものの、一部のプレイヤーのみが知るいわば「トップシークレット」的なプロジェクトだった。
他国、特にユニオンへの情報漏洩を恐れたルシアナが情報統制を行い、工廠の中でも管理職に近いプレイヤー数名と、解放同盟軍上層部の一部のみにその事実が伝わっているだけのはずだった。
「なんでこうなっちゃったんですかね」
作業机が並べられた長屋で一番広い部屋でその光景を見ながら悠吾が信じられないと言いたげな表情を浮かべ、ぽつりと囁いた。
悠吾の前に広がっているもの──
それは、この部屋はもちろん、入り口の引き戸すら締まらない程に溢れかえり、異様な熱気で包まれた解放同盟軍のプレイヤー達の姿だった。
ルシアナ達にメッセージを送って10分ほど経ってからだろうか。何故かポツポツと現れたのは探索から帰還した戦闘職のプレイヤー達だった。
そして、解放同盟軍の本部の方へ向かった工廠のメンバー達と入れ替わるように現れた戦闘職プレイヤー達の数は増え続け、30分ほどで工廠の長屋には入りきれない程のプレイヤー達でごった返す程にふくれあがっていた。
「……まるでお祭りだわね」
「これは、壮観だな」
唖然とするミトと思わずシャッターを切る雨燕。
だが、彼女達がこの状況から想定出来る事はひとつしかなかった。
メッセージを送った中で誰かしらが情報を口にして、それが広まっていったんだ。
「悠吾くん」
「悠吾ッ!」
「……あ」
と、この状況をどう収拾するべきか思案していた悠吾の目に、プレイヤー達のあいだをかき分けてくる人影が映った。
ルシアナに、ノイエ、そしてアムリタを肩に担いでいるトラジオと小梅だ。
「ルシアナさん、ノイエさん」
「御免なさい悠吾くん。ジャガーノートの件はしっかりと漏れないようにしていたはずなんですが」
一体何処から情報が漏れたのか。
どうやらその原因はルシアナにもノイエにも判らないようだった。
「兎に角、原因を特定してしかるべき処置を──」
「……フン、GMっていう偉〜い立場のお方なのに、男にうつつを抜かしているからそーなンでしょ」
ルシアナの言葉を遮り、そしてなじるように小さく悪意のあるセリフを吐いたのは小梅だ。
そのセリフだけではなく、じとりとルシアナを睨みつけるその視線にも少なからず敵意、というよりも嫉妬に近い紅蓮の炎のが揺れて居るように見える。
「なっ……なんですって!? 今なんておっしゃいました!? 小梅さん!」
「あれ、聞き逃しちゃった? じゃあ何度でも言ってあげるわよ! あんたが! 男に! うつつを抜かしている間に! 情報が漏れちゃったんじゃないかって言ったのよッ!」
「なっ!!」
今度はしっかりとルシアナの耳に届くように一言一言はっきりと吐き捨てる小梅。
現れて早々、突然目の前で口喧嘩を始めたルシアナの小梅に状況を把握できず、呆気にとられてしまう悠吾だったが、そんな彼をよそに彼女らは更にヒートアップしていく。
「……いい度胸してンじゃないの」
「!!! ま、待てっ! ルシアナ!」
小梅の言葉にルシアナのまとっていた温厚な空気が一変し、まるで悪鬼羅刹の如き危ういオーラを纏った瞬間、背後からノイエが彼女を羽交い締めにした。
「離しなさいノイエ。小梅さんは踏んではいけない領域に足を踏み入れてしまったのよ」
「ルル、ルシアナさんっ……!」
あのノイエの腕力を振りほどかんと言わんばかりにずるずるとノイエの身体を引きずりながら小梅との距離を縮めるルシアナに、思わず悠吾は背筋に冷たい物が走った。
ずっと不思議だった。
いつも温厚なルシアナさんがどうしてオーディンの、それもクランマスターなのかと。
これがノスタルジアのGMではない、オーディンに所属するプレイヤー、ルシアナさんの……もう一つの顔だったのか。
「はっ、あたしとヤるっての? そっちこそいい度胸ね! オーディンだかなんだか知らないけど痛い目みてから──」
「小梅、辞めろ」
売り言葉に買い言葉とルシアナに詰め寄る小梅を背後から制したのはトラジオだ。
ルシアナとは違い、小梅には流石に首の根っこをつかむトラジオの腕力に勝てる力は無いようで、動きを止められたまま宙に持ち上げられた状態で、ぱたぱたと足が虚しく空を切る。
「は、離してよクマジオ! これは女の戦いよ!」
「戦い? 違うわ。これは無礼な貴女に対する制裁よ、小梅さん」
「はっ! どの口がそんな戯言を」
「やめなさぁぁぁいッ!」
小梅とルシアナの言い合いに触発されたかのようにざわめき始めたプレイヤーの蝉騒に包まれつつあった長屋を一筋貫くかのような甲高い声が響き渡った。
そのあまりにも鋭い声に、一瞬で静まり返る長屋。
その声を発したのは、「声、大き過ぎちゃった」と口を小さな手で恥ずかしそうに押さえているアムリタだった。
「な、何よ、アムリタ」
「喧嘩駄目! こーへーに決着付ける為におじさんの所に来たんでしょ!」
トラジオの肩の上から、叱りつけるように言って聞かせるアムリタ。
その言葉に、悠吾やミト、そして何処か居場所が無さ気に視線を漂わせていた雨燕は困惑した表情を浮かべたが、当の小梅達は悔しげに唇を噛みながらもぐっと言葉を飲み込んだ。
「アムリタに言われたのでは目も当てられんな」
「うるさい!」
勝負はおあずけだわ、と捨て台詞を吐きながら身を引く小梅。
そして相対したルシアナも、じろりと小梅を睨みつけているものの、アムリタの言葉に潮が引くように怒りが収まったようで、纏っていた憤怒のオーラは鳴りを潜めていた。
「……えーっと……ノイエさん?」
これは一体何なのでしょうか。
突然勃発した小梅とルシアナの争いに気圧されるように、静かにざわめくプレイヤー達と同じく、何が何なのか全く判らない悠吾は戦々恐々とノイエにそう問いかけた。
「す、すまない悠吾くん。この件は後で説明する。というか、君にも協力してもらわなければならない」
「え? 協力?」
協力ってなんですか? 何を協力刷るんですか?
ノイエの言葉に首を傾げる悠吾だったが、構わずノイエは続ける。
「兎に角……今はジャガーノートの件を」
「え、あ、はい……そうですね」
ルシアナさんのもう一つの顔にびっくりしてすっとんでしまっていたけど、優先すべきはジャガーノートですもんね。
どこかふわふわと浮ついたような心と激しくノックする鼓動に翻弄されるようにこくこくと何度も頷いてしまう悠吾。
「……でも、この状況でジャガーノートの生産にチャレンジするの、ちょっとまずいんじゃない? あたし達がアーティファクト兵器を生産できたっていう事実が広がっちゃったら……ユニオンも同じ事に手を出しかねないもん」
悠吾の傍らで小さくそうつぶやいたのは、悠吾と同じく、ルシアナの剣幕に圧倒されていたらしく、何処か挙動不審になってしまっているミトだ。
「情報はデマだった……っていうのはもう遅いかもしれないけど、今日はお開きにしたほうが良くないですか?」
「確かにそうだけど……僕は逆にこれを利用できると思っているんだミト」
「……?」
ちらりと背後で視線を投げかけているプレイヤー達を一瞥し、そうささやくノイエ。
その理由が判らない悠吾とミトはただ眉根を狭める。
「どういう事です?」
「今の所、生産レシピを知っているのは悠吾くんとミトだけか?」
「ええ、そうですけど」
きょとんとした表情でひとつ頷いて見せる悠吾。
協力してくれた雨燕さんは、ジャガーノートの生産にチャレンジしているということと、必要としている2つの素材については教たけど、レシピの詳細までは教えていない。
「良し、生産については悠吾くんとミト、2人だけで行って、レシピに関しては厳重に管理する。今回と同じような事が起きないように……そうだな、ミトと悠吾くん2人で管理してほしい」
「それは大丈夫ですが……」
「その上で、我々ノスタルジアがアーティファクトの量産に成功したという情報をわざと流す」
「ユニオンの連中に? なぜ?」
話が飲み込めず、そう問うたミトにノイエは小さく頷き返す。
「廃坑やトットラで悠吾くんが使ったジャガーノートの噂はクラウストにも伝わっているはず。そして解放同盟軍全プレイヤーにアーティファクトが配布されたという話をでっち上げれば、どうなると思う?」
ふと眉を潜ませ、考え吹ける悠吾。
ジャガーノートの量産は言わば戦況を一変させることが出来る程の力をノスタルジアが得たという事だ。
前回の交戦フェーズでは中止することになったラウル侵攻をすぐにでも再開したいと考えるユニオンにとってそれは、まさに──寝耳に水の知らせになる。
「……それを知ったユニオンは僕達に警戒せざるを得ない?」
「そうだ。運が良ければ、次回の交戦フェーズでもユニオンはこちらに攻撃を仕掛けて来ないかも知れない」
「確かにそうだね。そうなればもう1ヶ月──」
「それは違うよミト」
もう1ヶ月準備期間が作れると考えたミトだったが、そのミトの言葉をノイエが遮った。
「もし次の交戦フェーズでユニオンが侵攻してこなければ──こちらから先制攻撃をしかけるんだ」
「……ッ!」
先制攻撃という言葉に、静かに息を呑む悠吾とミト。
そして、一瞬の沈黙を隔て、悠吾の脳裏にはノイエが考えている作戦が鮮明に浮かび上がった。
次回の交戦フェーズに向け、ユニオンが準備している兵力は全くの未知数だ。だけど、次回交戦フェーズでユニオンがこちらに攻撃を仕掛けなかったとしたら、それはノスタルジアがユニオンの戦力を上回っている可能性が高いということになる。
次回交戦フェーズで計画されていたのは、創成期にノスタルジアが取ったと言う「反撃によってプロヴィンスを奪う」という戦術だ。
戦力を2つに分け、ユニオンがラウルに攻め込んできた場合、防御部隊によって彼らの侵攻を押しとどめ、疲弊してきた所を突破力の高い機械兵器を主軸にした攻撃部隊によって前線を突破し、ユニオンが押さえるプロヴィンスに雪崩れ込む。
その戦力増強の為に組織化した探索を続けていた解放同盟軍だったが、ジャガーノートの量産が成功することでそのパワーバランスは一変し、守る必要もなくユニオンの領土に攻め込む事が出来る可能性がある。
パワーバランスの逆転──
次回交戦フェーズでもしユニオンが侵攻してこなかった場合、それは紛れも無く力の逆転現象が起こった事を物語る事になる。
「成る程、一理ありますね」
「それにユニオンとの戦いを先延ばししてしまえば、奴らは同じアーティファクトの量産に成功するかもしれない。そうなれば、訪れる結果は最悪のものになってしまうだろう」
今回も時間が勝負になるかも知れない。
ルシアナ救出から、竜の巣まで息をつく暇もなく駆け抜けた事を思い出し、苦笑するノイエ。
だが、毎度のことでもうなれました、と言いたげに悠吾は肩をすくめてみせた。
「もしジャガーノートの生産が成功した場合、最優先すべきは……ユニオンへの侵攻準備ですね」
「ああ。イースターエッグの件は保留しよう」
頷きながらノイエがそう返す。
正直な所、イースターエッグの件とノスタルジア復興のどちらを優先すべきか迷っていた。イースターエッグが発見出来て、もし現実世界に戻れるのであれば、ユニオンの侵攻を考える必要がなくなるからだ。
だけど、イースターエッグの件もあれから進展が見られないのも事実だ。
ユニオンからプロヴィンスを奪い、ノスタルジアが復興すれば、亡国者の称号も無くなり探索がしやすくなるし、一端ここはユニオンとの戦いに集中したほうが良さそうだ。
「その件、ルシアナさんは知っているんです?」
「いや、まだだ。実は……ずっとあの感じで、話すタイミングが無くてな」
困った奴だ、と零すノイエに促されるようにルシアナに視線を送る悠吾。
未だ小梅との喧嘩の火がくすぶっているのか、何か言い合いをしているルシアナと小梅を慌てて制止しているトラジオの姿が見える。
「……一体どうしたんです? なんでルシアナさんはあれほど小梅さんと?」
「実は」
「あー、あれはね」
何か言いかけたノイエを押し戻すようにミトが言葉をかぶせかけた。
微妙な表情を浮かべ、何か気まずそうな空気を放っている。
「何か知ってるんですかミトさん」
「あ、いやさ、そんなに気にする事は無いと思うんだけどね。あの〜……カメラ作る前にルシアナんトコに寄ったじゃん? う〜……その時にちょっと、さ」
「……」
ミトの言葉に、さぁ、と音を立てて自分の顔から血の気が引いていくのがはっきりと判る。
何かとてつもなく嫌な予感がしてならない。
「顔色が悪いぞ、悠吾」
「はい、僕にもすンごく良くわかります」
お酒は飲めない悠吾だったが、瞬時に乾いてしまった喉に冷たいビールを流し込みたいと本気で考えてしまう。
ミトさんがあのタイミングで話した事って1つしかないじゃないですか。僕が狩場でつい漏らしてしまったあのセリフ──
「ま、まぁ、ジャガーノートの件が判明した後、何がどうなっているか君にも直ぐ判ると思うよ」
「……そうですね」
がっくりと肩を落としながら蚊の鳴くような声でノイエに返す悠吾。
そして、そんな悠吾を元気づけようと、ミトが慌てて空気を読まない一言を言い放った。
「そんなに落ち込まないで、悠吾さん!」
「……ッ!」
どっ、どの口が言いますかっ! 君のせいでとんでもないことになりつつあるんでしょうがっ!
思わず先ほどの小梅のように怒鳴り散らしたくなってしまった悠吾だったが、微かに残った理性がそれを阻止し、溢れ返った怒りはその両手をぷるぷると震わせるにとどまった。
「……とりあえず、ジャガーノート生成にチャレンジしましょう。ノイエさんはルシアナさんと集まったプレイヤーの方々をお願いします」
「わ、わかった」
ルシアナのように一変した悠吾の空気に、思わず後ずさりしてしまうノイエとミト。
すかさずノイエはプレイヤー達は任せろと踵を返し、ミトは準備していたジャガーノート生成に必要と想定される16個の素材をアイテムポーチから確認する。
「色々と水を刺される形になってしまったな」
「ええ、全くです」
「……う〜、御免なさい」
すごく反省しています、としょぼくれるミトに雨燕は「やってしまった事は仕方が無いことだ」と優しい言葉をかける。
そしてそんな2人を見て、落胆し小さく溜息を零す悠吾。だが一方で、明るい兆しが見えた事で悠吾の中に喜びがじんわりと広がっているのも事実だった。
この後、一体どんなことが待ち構えているのか少しこわいけど、ノイエさんが言うように事態は好転する可能性が高い。
ふとそう考え始めてしまった悠吾。
そして、そう考え始めたが最後、持ち前の鈍感力がルシアナや小梅の件すらも「大丈夫だ」と根拠の無い希望に変換させていった。
「良し! チャレンジしましょう、ミトさん!」
「……へ?」
「ぐちぐち言っても仕方ないですからね! 今は、ジャガーノートを!」
ころりとまたしても空気が一変した悠吾に、流石の雨燕も目を丸くしてしまう。
お前の中で一体何が心境変化のトリガーになったのだ。前々から良くわからん男だと思っていたが、なんとも掴みどころが判らない奴だ。
「わ、わかったわ!」
悠吾さんがそういうのであれば、とミトはトレースギアからカメラを生成した時と同じように、生産リストの一番下にある「アイテムを選択」ボタンをタップした。
そして表示された選択画面で、ジャガーノートの生産に必要と想定される16個の素材を順にタップしていく。
「これで……オッケーなハズ」
「ですね」
「上手くいくと良いが」
カメラ生成の時とは比べ物にならない緊張が悠吾達を襲う。
この成功如何で状況は180度変わってしまう。でもやれることはすべてやった。僕達にできることは、運を天に任せる事だけだ。
ぱん、と柏手を打ち、天を仰ぐ悠吾。
シャッターチャンスを逃すまいと、カメラを構える雨燕。
そして、ふうと深く、ゆっくりと深呼吸した後にミトは、トレースギアに表示されている生成ボタンをタップした。




