第108話 カメラ生成
空に広がっていた琥珀色のキャンパスは淡い紺瑠璃色に変わりつつあり、1日が終わりを告げようとしていた。
夜の帳が下りるブロッサムの街で、こうこうと明かりが灯っている古びた長屋。しんと夜の静けさに包まれた工廠の作業台の前に悠吾は居た。
悠吾の目の前に広がっているのは、解放同盟軍のキャンプで見た同じ光景、生産職プレイヤー達がまもなく戻ってくるであろう探索チームへ渡すアイテムや装備を急ピッチで進めている。
悠吾に対してどこか友好的になった工廠のメンバーだったが、作業に没頭するその熱気が篭った空気は相変わらずだった。
「……ミトさんに連絡してみましょうか?」
かれこれ1時間ほどこの場所に居る悠吾に気を使ったのか、そんな彼らをぼんやりと眺めていた悠吾に1人の生産職プレイヤーが声をかけた。
「いや、大丈夫です。先ほどメッセージを送ったのでもうそろそろ戻ってくると思いますので」
悠吾がこの場所にいる理由、それは未だにミトが戻ってきていないからだった。
カメラの生産に必要だと想定されている機工士の生産アイテム「シリンダ(空圧)」はすでにいくつも出来上がっている。
一度この長屋を離れて街をまわってこようかとも考えた悠吾だったが、タイミングを逃していしまったために席を立てないでいた。
「そうですか。ミトさんが戻ったら連絡することも出来ますが?」
「あ〜……いえ、大丈夫ですありがとうございます」
丁寧にそう返す悠吾。
だが、悠吾には内心少し焦りがあった。若夜になれば各地に出ている探索チームが戻ってくるからだ。探索チームが戻ってくれば、工廠はまるで戦場のような慌ただしさに包まれてしまう。そうなれば、カメラの生産どころではなくなってしまう為に、悠吾は探索チームが戻ってくるまでにカメラの件は片付けておきたいと考えていた。
すでに工廠にロディやレオン、トラジオの姿は無い。
カメラの完成が気になってはいたものの、明日からの探索の準備があるために彼らは早々に長屋を後にした。
「何かあったら連絡しろ」とトラジオは申し訳無さそうに語りかけ、レオンは「カメラが出来るなら、俺とロディさんのツーショットを撮れ」と最後までグズっていたもののロディに首の根っこを捕まれ、強制退場になった。
話かけてきたプレイヤーが去り、元の静寂が悠吾を包む。時折鼻を啜る音と、風がトタンを叩く音だけが優しく長屋を走りぬけ、そしてまた静寂が訪れる。
その流れを何度繰り返した頃だろうか。
静まり返っていた長屋に入り口の引き戸を開ける激しい音が響き渡った。
そして続けざまに放たれた甲高い声が長屋に立ち込めていた静寂を弾き飛ばす。
「すみませんっ! すっかり遅くなっちゃいましたっ!」
引き戸から長屋の中に飛び込むように身を滑り込ませ「ほんと申し訳ない」と両手を合わせたままぱたぱたと駆け寄って来たのはミトだ。
まだ日があった頃にわかれたままの姿のミト。
その姿から想像するに、着替える事なくずっとルシアナさんと話していたんだろうか。
「遅すぎですよ、ミトさん! どんだけ盛り上がってんですか!」
「……あ、バレてた?」
「バレるも何も、素材が工廠にあるって知ったら、そんな企みバレバレになるに決まってるじゃないですか」
「ほんと御免なさい。本当は少しして戻るつもりだったんだけど、ルシアナと小梅さんがさ……あっ」
危ないと、言いたげにそこまで言いかけて急に口をつむぐミト。
「ルシアナさんと小梅さんがどうかしたんですか?」
今ルシアナさんと、小梅さんって言いました? そういえば鉄鉱石の探索前から小梅さんの姿を全く見てない。分隊長の仕事や探索の仕事があるルシアナさんは仕方ないけど、暇なハズの小梅さんは何をしているんだ??
「あっ、いや、なんでもない。うん違う違う」
「……??」
ミトは「忘れて今の」と言いながら手をぶんぶんと振り、悠吾が腰掛けていた作業机にアイテムポーチの中から鉄鉱石を広げる。
女子で一体何を企んでいるのか知らないけど、女子達の企みに土足で踏み込んで良い結果が返ってくるとは思えないし、話したく無いのであればあまり詮索しない方がいいかもしれないな。
何か嫌な予感がした悠吾は、それ以上問い詰める事なく、話題を変える。
「トラジオさんやロディさんがミトさんの帰りを待ってたんですけど、諦めて帰っちゃいましたよ」
「……え、マジで!? ロディさん、今日来ちゃったんだ。あ〜、ヘカート調整完了してたんだけどちゃんと受け取ってたかな?」
「ええ。有難うって言ってました」
レオンさんは「もっと早くやれっつーの」って悪態突いてました。
もちろんロディさんにお仕置きされてました。
「後でロディさんとこ行ってみよっと。……ンで、まだやってないよね? カメラ」
広げた鉄鉱石を幾つかのグループに分けながら、作業机の上に転がっているアイテムを眺めるミト。机の上にあるのは、悠吾が作った素材、「シリンダ(空圧)」だけでカメラらしきものは無い。
「素材のシリンダは出来る限り作りましたけど、カメラの生成成功率がどの位なのか解らないので手はつけてませんよ」
「オッケ、じゃあ早速やろう」
そう言って邪魔だと言わんばかりに戦闘服を脱ぎ始めるミト。
大胆にも赤い迷彩柄の戦闘服の上着を脱ぎ捨て、Tシャツ一枚に着替える。ぐいとTシャツの袖をまくり上げ、ショートボブヘアを掻き上げる仕草は、少女の姿ながらどこか色気があり、思わず悠吾はどきりと鼓動を高鳴らせてしまう。
「せ、生産はミトさんがやる感じですよね」
「うん。多分カメラは銃の照準器と同じ部類に属するはずなんだよね。だから成功率は鍛冶屋のステータスに影響すると思うんだけど、一応機工士もレベル30行ってるから、悠吾さんが作るよりも少しは成功確率上がるはず」
機工士は育成中なんだよね、と明るい表情で言うミトに驚きを隠せない悠吾。
なんというやり込み具合だろうか。
ひょっとするとアムリタが言っていた暗殺者に一番近いのって……ミトさんじゃないだろうか。
「さて、と。じゃあまずは……レンズだね」
手慣れた手つきでトレースギアから生産スキルをタップし、続けて表示された生産リストの「レンズ」をタップするミト。
レンズは普通の生産リストにあるアイテムの為、通常通り生産したいアイテムを選択して、その後に素材である「ケイ酸塩」を5つと「ダークマター」を選択する。
『レンズを1つ生成しました。アイテムポーチに転送します』
問題無く、ミトのトレースギアからレンズの生産完了を告げるアナウンスが放たれた。
そして、続けてミトがタップしたのは、生産リストの一番下にある「アイテムを選択」というボタンだった。
「トレースギアで生産するときはそうやってやるんですね」
「……?? 他に何かやり方が有るの?」
「僕がやった時は、機工士の工房でやりました。生産リストが表示されずに、いきなりアイテム選択画面が表示されるので問題無くできたんですけど、トレースギアの場合はどうするのかなってちょっと疑問で」
ベルファストの村で「匠クエスト」を受け、エンチャントガンを生成した時の記憶を掘り起こす悠吾。そして、竜の巣でエンチャントガンを手にしていたクラウストの姿も──
エンチャントガンはユニオンに奪われてしまった。簡単に使い方はバレないと思うけど、場合によっては障害になってしまうかもしれない。
「ん〜、工房でやったことは無いけど、多分一緒だと思う」
そう言ってトレースギアに浮かび上がったメニューからアイテムを選択していくミト。タップしたのは買ってくる予定だった「ポリエステル」と「銀塩」だ。
そして、その2つの素材を選択した後、ミトのトレースギアにとあるウインドウが表示された。
名前が記載されていない、クエスチョンマークだけの名前──
それは悠吾にも見覚えがあるものだった。
「おお」
「出たね」
流石トラジオさんです、と笑顔で悠吾を見つめるミト。
その表情は、どこかおもちゃを見つけた子供の様な無邪気さがにじみ出ている。
この表示されたクエスチョンマークが「レシピにない生産アイテム」が生成される可能性があるというマークだった。
もしレシピにあるアイテムの素材を選択した場合は、その生成アイテムの名が表示され、全く適当に素材を選択した場合は「生産出来ません」のウインドウが表示される。ただし、ミトがジャガーノート生成で14個の素材を選択した時のように「間違いだが近しい素材を選択した場合」でもクエスチョンマークは表示されるため、過信は出来ないものだった。
『フォトフィルムを1つ生成しました。アイテムポーチに転送します』
「おおおっ!」
悠吾にアナウンスの声は聞こえなかったものの、トレースギアに確かに表示されている「フォトフィルム生成完了」という文字に感嘆の声を上げてしまった。
やった。レシピは合っていた。
トラジオさんの予想通り、やっぱり現実世界の情報がヒントだった。
「やりましたね、ミトさん」
「うん、レア度も高いわけじゃないから失敗する心配はなさそう」
続けるね、と表示されたウインドウを閉じ、生産を続けるミト。
残るは最後の「シャッター」だ。
シャッターを作るには、トラジオさんの情報からすれば、「スチール」と「シリンダ(空圧)」が必要になるはず。
「スチールは……っと」
ひょいひょいとトレースギアのメニューを動かし、ミトは通常生産リストに載っている「スチール」をタップする。
「『スチール』は『鋼板』が2つ必要だから……まずは鋼板ね」
表示されたメニューを指で縦にスワイプさせ、一覧から「鋼板」をタップする。そして「鉄鉱石」を3つ選択し、問題なくひとつ「鋼板」を生成したミトは同じ手順でもう一つ「鋼板」を生成した。
そして流れる様な手つきで、リストから先ほどの「スチール」を選択し、生成を完了させる。
「トラジオさんに聞いたんだけど、シャッターは『シャッター羽根』が最低みっつ必要らしいんだよね」
「という事は……スチールがみっつってことですかね?」
「多分ね」
そう話しているうちに、ミトはスチールを2つ生成し、計3つのスチールが瞬く間に完成した。
「後は……」
「シリンダですね」
そう言って悠吾はミトを待っている間に生成した「シリンダ(空圧)」を渡す。
そして、レシピにないアイテム生成方法で素材を選択し、再度表示されたクエスチョンマークをタップするミト。
『シャッターを1つ生成しました。アイテムポーチに転送します』
「……良し、ここまではオッケーね」
これもトラジオさんの予想どおり。
アイテムポーチ内に出来た「レンズ」と「フォトフィルム」そして「シャッター」を確認しながらミトが小さくほくそ笑んだ。
「一応レシピ、メモっとこ」
「ですね、失敗した時の事を考えて」
さらさらとこれまでの素材を書き落としたミトは、そのまま再度生産リストから「アイテムを選択」ボタンをタップし、その3つの素材を選択した。
何処か緊張したような面持ちのミト。
もしこの次に「生産出来ない」のウインドウが表示されたら終わり。
「いくよ、悠吾さん」
「……お願いします」
はてなマークよカモン! と心の中で祈りながら小さく深呼吸し、ミトは生産ボタンをタップした。
一秒にも満たない、刹那の沈黙が流れる。
そして表示されたのは──
「……えへへ、見て悠吾さん」
自慢気に鼻の穴をぷくりと膨らませてトレースギアの画面を見せるミト。
「……おお、はてなマークだ!」
そこに表示されていたのは、クエスチョンマークのウインドウだった。
この画面でクエスチョンマークが出るってことは、この素材が何かのアイテム生成のレシピとピッタリあっているか、もしくは「近い」って事だ。
もしこのレシピが間違っていて鉄くずができたとしても……例の分解スキルを使えば、あといくつ素材が足りないかは判る。
「それではフィナーレと行きましょうか悠吾さん」
「了解ですっ」
にんまりと笑顔を見合わせるふたり。
そしてクエスチョンマークのウインドウをタップした次の瞬間──
ミトのトレースギアから小さく放たれたのはカメラ生産完了のアナウンスだった。




