第94話 暗殺者(クリーパー)の少女 その2
一定の決められたルーティンで動くプログラムと戦うわけではない人と人との対戦、いわゆる「対人戦」において、勝つために必要とされる「強さ」には様々な要素がある。
刻々と移り変わる状況を瞬時に判断できる「瞬間的な判断」や、意外な動きに対応するための「反応力」、そして相手の癖を読む「読み」などが勝つために必要な要素としてあげられるが、チームで戦うルールが多いFPSゲームにおいてはそこに「連携力」や「統制力」などの「チーム力」が需要とされている。
チームに的確な指示を出す司令塔となる状況判断力に優れたプレイヤーを中心として、自チームの動きを相手に知らせないように立ち回りながら、相手チームの弱点を突く。状況によって烈火のごとく攻め、小糠雨の様に気配を消す。それが強いチームが持つ「チーム力」だ。
そして、戦場のフロンティアで伝説的存在になっているクラン、オーディンも例外ではなかった。
個人個人の能力もさることながら、所属しているプレイヤーの誰しもが優秀なリーダーとしてチームをまとめあげる能力を持っていた為、いかなる状況においてもチームに迷いが生まれること無く、次々と勝利を重ねる事が出来たのだった。
『僕が支援射撃で奴に「怯み」を与えます。トラジオさんはセンチネルスキルを使って奴を足止めして下さい。パライズスキルで動きを鈍らせる事が出来ればなお良いです』
『了解した』
『小梅は一端離脱。アサシンスキルと、バックスダブスキルで背後から接近戦を挑め』
『あいよ』
恐るべき身体能力を持つ地人の少女を前に、即座に状況分析を行ったノイエがそう指示を下した。
パライズスキルは戦士専用のアクティブスキルで、まれに敵を麻痺状態にさせることが出来るスキルだ。少女の動きを止める事は出来ないかもしれないが、少しでも動きを鈍らせる事ができるなら、有利に状況を運ぶ事ができる。
ノイエはそう考えていた。
「……準備はもう良いの?」
とんとん、とリズムを刻むように飛び跳ねる地人の少女がにこりと笑みを漏らす。その姿はおもちゃを前に「お預け」されている、落ち着きを失っている子供のようにも見える。
この少女にとって「戦闘」は遊びの1つでしか無いんだろう。
その表情を見て、ノイエはそう思った。
何時からこうしてここに居るのかは判らないが、彼女はこの狩場に配置された地人だ。例え自我があろうと、配置された地人であれば、この狩場「蒼龍の番」から出ることは出来ないはず。
彼女にとって遊び相手は、この狩場を巡回する地人と、こうしてここに訪れるプレイヤーだけ。
一体何のために自我が与えられたのかは判らないが、久しく遭遇したプレイヤーに浮足立つのは仕方のない事なのかもしれない。
「良いぞ、遊ぼうか?」
「……キャハハッ! うん、行くよっ!!」
と、無邪気な少女の笑い声が放たれたと同時に、手加減はしないとノイエの銃、M249 SPWが火を噴いた。
反動がノイエの肩に伝わり、周囲の空気を歪ませながら、雨のような薬莢が地面へと降り注ぐ。
少女が攻撃に移る前に先手を打ったノイエだったが、小梅の銃を避けた時と同じように、少女はその小さい身体で可憐に舞いながらすべての銃弾を躱した。
少女の身体を追い、地面に次々と弾痕を残していくM249 SPWの弾丸──
だが、ノイエの弾丸は少女の身体を捉えるることは出来ないものの、彼の狙い通り周囲に着弾した弾丸が少女の身体に一定時間行動に制限がかかる「怯み」効果を与えた。
「トラジオさんッ!」
正面ではなく、大きく左から回りこむように距離を詰めてくる少女と、少女を追うM249 SPWの発砲音にまぎれてノイエの声がトラジオの耳に届いた。
作戦通り、足止めをお願いします。
続けて放たれたノイエのその声が届いた瞬間、来いと言わんばかりにトラジオは少女に向け駆け出した。
HK416の引き金を引き銃弾を浴びせるトラジオだったが、またしてもくるりと身をひねりその弾丸を躱した少女に即座にHK416を捨て、ナイフを抜いた。
トラジオのスキル構成は接近戦に集中したスキル構成になっていた。
弾丸の威力を上げる、「火力支援」スキルやリロードスピードが速くなる「クイックロード」スキルを外し、接近戦ダメージが増える「テイクダウン」スキルと長い時間走れる様になる「タフネスマン」スキルを装備していたトラジオ。
そのスキルを駆使すればなんとか足止めが出来るかもしれない。
「来いッ!!」
「アハハッ! お兄ちゃんカッコイイッ!」
たん、と地面を蹴りあげ、まるで重力がなくなったかのように空中に舞い上がった少女は、くるりと見をひねり、ククリナイフを構えるとそのままトラジオの身体に向け落下を開始した。
小柄な体格の少女だったが、その全体重が乗ったククリナイフは恐るべき破壊力を産んだ。
センチネルスキルで防御力を上げ、コンバットナイフで少女の攻撃を防ぐトラジオ。
防御力を上げれば、少女の攻撃を受けきれると確信していたトラジオだったが、そのナイフが少女のククリナイフとかち合った瞬間、思わずナイフを手放してしまったかと思うほどの凄まじい衝撃がトラジオの右手に走った。
「うぐッ!」
「ま~だだよッ!」
苦悶の表情をにじませるトラジオに、少女は続けざまに左手のククリナイフを振り下ろした。
その切っ先を視界の端に感じたトラジオは咄嗟にぐんと身を引き、その一撃を躱したが、少女の攻撃はそれで終わりではなかった。
始まったのは、鬼神の如き怒涛の攻撃──
ひゅんひゅんと風を斬り、上下左右から放たれる白銀の切っ先。くるくると身を翻しながら変幻自在の斬撃を放ってくる少女のそれは「剣舞」と形容できる美しく鋭い攻撃だった。
「くるくる、たーん!」
心のそこから楽しんでいると判る満面の笑みを浮かべながら斬撃を放つ少女に、防戦一方のトラジオ。
だが、切れ目の無い攻撃の中でトラジオは虎視眈々と反撃をタイミングを計っていた。
ナイフを二本持てば、少なくとも手数で少女と渡り合う事は出来る。しかし、防ぐことはできても反撃は出来ない──
そう考えたトラジオは、一本目のククリナイフをガードした後、続く二本目のククリナイフをギリギリで躱し、近距離からハンドガンの一撃を放つタイミングを狙っていた。
重く鋭い初撃を防ぎ、バックステップで距離を置く。
そして踏み込んで次の斬撃を繰り出す少女のククリナイフを紙一重で躱し──
「ここだッ!」
少女の身体がぴんと伸びたその瞬間、踏み込んだ足を狙いトラジオはハンドガンの引き金を引いた。
ハンドガンの弾丸でヘッドショットを狙っても1発で倒すことはできない。動きを止めさえすれば、追っているノイエの銃が少女を仕留めるはず。
即座にそう判断したトラジオだったが──
「ぎゅーん!」
「……なっ!?」
はしゃぐ少女の声が響いたと同時にまたしても信じられない光景がトラジオの目に飛び込んできた。
重心が上がっている為に踏み込めるはずのない右足で地面を蹴りあげた少女は背面から空へと跳躍すると、トラジオを飛び越えその背後へと着地したのだ。
──手痛い斬撃をトラジオへと放ちながら。
「ぐうっ!」
「トラジオさん!!」
ハンドガンを握った左手から上腕、肩に抜けるように一筋の黒い線がトラジオの身体に模られた。
それは紛れもない、少女のククリナイフによって作られた傷跡。
そして、トラジオの頭上に浮かぶ、がくんと減った体力ゲージがノイエの目に映った。
「たたたん!」
少女はトラジオの背後を取りながらも追撃をすること無く、トップスピードを保ったまま目の前のノイエへと襲いかかった。
「チッ!!」
アイアンサイトを少女へと合わせ、引き金を押し込むノイエ。
だが、黒い風となった少女は、その脚力で左右へとぶれながら弾丸を避けると、瞬く間にノイエの脇をすり抜けていった。
「くっ!!」
びゅう、とノイエの身体を風が吹き抜けた瞬間、彼の脇腹を激痛が襲った。
右の脇腹、戦闘服の上にくっきりと浮かぶ黒い切り傷。そのあまりの激痛にノイエは深々と眉間に皺を寄せると、その場に膝から崩れ落ちた。
瞬く間にトラジオとノイエに痛手を与えた少女。
ノイエの状況判断とチームの連携力を簡単に覆す程、少女の能力は現実離れしていた。
「もう少しだったね」
「……クソッ」
激痛に悶えながらも、脇腹を抑えながら背後に銃口を向けるノイエ。だが、すでに少女の姿はそこには無かった。
また姿を消したか──
じり、とトラジオの元へ下がる標的を見失ったノイエ。辺りに残る、くすくすと笑う少女の声が、ノイエの喉の奥から苦い恐怖を滲み出す。
『大丈夫ですか、トラジオさん』
『センチネルを持ってしてもかなりの体力を奪われた。あの少女は化け物か』
ノイエは、迫り来るその恐怖を振りほどくようにトラジオの腕を掴みその身体を引き起こすと、次の少女の攻撃に備え体勢を立て直した。お互いの背を預け、周囲を警戒するノイエとトラジオ。
少女の気配は無く、状況は良いとは言えなかったが、最悪でも無かった。
小梅が闇の中に気配を消していたからだ。
最初の作戦は失敗したが、バックスタブを指示した小梅は上手く闇に紛れることができたようだ。
このまま少女の次のアタックを待って、なんとか動きを止めて──
周囲の状況からノイエが次の作戦を練り始めた、その時だった。
ふとノイエの目に映ったのは、闇の中から放たれた見覚えの無い、小さく黒い円球の物体──
そしてその黒い玉は地面に跳ね、かん、と甲高い音を放つ。
「何だ……?」
その音に反応して、即座に音の方向へと銃口を向けたノイエとトラジオ。
だが、ころころと転がってくるそれが何なのかノイエにもトラジオにも判らなかった。
そして、それがすぐ足元まで転がって来た瞬間──
「ううッ!」
「ぐっ!!」
突如、ガキン、と金属が破裂したような凄まじい衝撃音が2人の鼓膜を襲った。
衝撃は何も無かったものの、空気を震わすその凄まじい音に思わず身を竦めてしまう2人。
一瞬少女の攻撃か、と焦ったトラジオだったが、すぐにそれが勘違いだという事が判った。
『6時の方向ッ!』
2人の耳に小隊会話で届いたのは、小梅の声だった。
これまで姿を消し、少女と同じく闇に紛れていた小梅の声。
突如放たれたその声に、困惑してしまうノイエとトラジオだったが、瞬時に身を翻し、2人は小梅が言う「6時の方向」である背後へと銃口を向けた。
そしてそこに居たのは──
「……ッ!!」
はっと、息を呑む声がはっきりとノイエとトラジオの耳に届いた。
その声を放ったのは……2人の背後に立っていたククリナイフを構える少女だった。
なんで判ったの──!?
そう言いたげに目を丸くした少女の姿が飛び込んできた瞬間、ノイエとトラジオは躊躇せず引き金を引いた。
「うっわッ!」
虚を突くどころか、逆に虚を突かれる形になってしまった少女は、得意の跳躍を見せる事も出来ず二本のククリナイフで彼らの弾丸を防ぐしか無かった。
そして、初めて効果的な先手を取ったノイエとトラジオは、ここぞとばかりに弾倉が空になるまで引き金を引き続けた。
金属がかち合う甲高い音が次々と放たれ、捌かれた弾丸が少女の周りに小さい弾痕を残していくが、途切れること無く放たれる弾丸はひとつ、またひとつと少女の身体を捉えていった。
「こ、このっ……!」
それは初めて見せる少女の焦りの表情だった。
逃げなきゃ──
じわじわと減っていく体力に危機感を覚えた少女は軽く地面を蹴り、再度闇の中へと身を滑らせる。
だが──
「……痛ッ!!」
次の瞬間、衝撃と激痛が少女を背後から襲った。
その痛みに膝を崩しながら、顔をしかめる少女。
「やっと捉えたッ!」
「……小梅!?」
少女の背後、そこに立っていたのはナイフを少女の背中に突き立てた小梅だった。
どうよ、と少女の背中に突き刺したナイフを抜き取り、自信満々な笑みを浮かべる小梅の姿に、体力がもう僅かしか残っていない少女は驚きを隠せない。
「どうして……どうして私の場所が──」
「音波探知よ」
これが答え。
狐につままれたような表情を浮かべる少女にそう言い放つ小梅。そして、ぽろりと小梅の手から落ちたのはあの小さく黒い玉だった。
「音波探知? ……なんだそれは」
「キャンプで悠吾に貰ったアイテム。ヤギのウンコみたいだけど、音波の反響で敵の位置を探る投擲武器らしいわ」
銃口を倒れる少女に突きつけながら問うトラジオに小梅は得意げにそう答えた。
確かに出発する前テントで何かを渡されているような気がしたが、それだったのか。
このタイミングで悠吾に渡された音波探知を小梅が思い出したのは運が良かったと言うしかなかった。
音も聞こえない、リーコンで調べる事もできない少女の居場所。
何か調べる方法は無いかとトレースギアを開いた小梅の目に映ったのが、悠吾から渡された音波探知だった。
「こんなに効果があるとは思わなかったけど」
「でかしたぞ小梅」
「でっしょ?」
ま、でかしたのは悠吾かもしんないけど。
賞賛するノイエの言葉に心のなかで小さく舌を出す小梅。
「……そんな、私が負けるなんて」
ひとりごちるように少女は、くしゅくしゅと鼻をすすりながら、小さく悔しさに滲んだ言葉を漏らした。
「それで、どうする? ノイエ」
このまま引き金を引くか?
トラジオがちらりと視線を送りながらそう問うた。
少女の体力は後わずかだ。引き金を引けば倒すことは出来る。
だが、しかし──
幼い少女を倒すというのはどうも心が引けてしまう。
「……止め、刺す?」
「ううむ、そうだな……」
どこかバツが悪そうにささやく小梅に、ノイエも眉をひそめてしまった。
戦って改めて判ったが、やはりこの少女は僕達を殺そうとしているわけではなさそうだ。トラジオさんや僕の背後を取った時も、致命傷になる追撃を放とうとはしなかった。
やはり単純に僕達と遊びたかったと考えて間違いないだろう。
……遊びの内容がとても危険ではあるが。
「……その鍵を渡してくれるなら命は取らない」
いつの間にか地面の上で丸く縮こまり、はっきりと判る程にぐずぐずと泣き始めた少女にノイエは気まずそうにそう問いかけた。
何気なく放ったその言葉だったが、傍らで少女を見下ろす小梅も同じ心境だった。
「まぁ……流石に、ね。鍵を渡してくれるなら見逃したげるわ」
「……とにかく、顔を上げろ」
遊びに負けてしまったことがそんなにショックなのだろうか。
まるで子供を叱る親のように、低い声で言い放ったトラジオの声にゆっくりと上半身を起こした少女の姿は、先ほどまでの人形のような感情の無い表情からは想像も出来ないほど、ぐちゃぐちゃに涙で崩れてしまっていた。
「……う」
「あ~……」
まるで幼い少女を集団でいじめている様な絵に、はとてつもない罪悪感に苛まれてしまう3人。
少女のその姿はどこからどう見ても、純粋無垢な幼い少女の姿だ。
「ふぐっ、ふぐっ、かぎばわだぢ、えぐっ」
「えっ、な、何?」
じゅるじゅると鼻水をすすりながら答える少女の言葉はもう、聞き取れないほどにくずれてしまっている。
「……んんッ」
「え、あたし?」
じゅるじゅると鼻をすすりながら、自分の耳にはめられたイヤリングを外し、小梅に差し出す少女。
少女の言葉が全く理解できなかった小梅だったが、差し出されたその手に導かれるように、小梅はひょいと少女のすぐとなりにしゃがみこんだ。
『……小梅、気をつけろ』
『わかってるわよ』
突如として素直に鍵を差し伸べる少女のその姿に、罠なのではないかと、つい猜疑心に苛まれてしまうノイエと小梅。
だが、悔しいけど約束だからあげる、と言いたげに小さな手を突き出す少女の姿に、生まれかけた猜疑心が消えてしまった小梅はゆっくりと手を差し伸べた。
そして、小さな少女の手をにぎる、同じく小さい小梅の手──
もしこの時、ノイエが、トラジオが少女に手を差し伸べていれば続く物語は変わっていたかもしれない。
だが、運命はノイエでもトラジオでもない、小梅を選んだ。
「……あッ!!」
そして、小梅が少女の手を握ったその瞬間だった。
鍵を握る少女の手から、湧き出るように現れたた光の泡が、ゆっくりとその手を侵食していくように、じわじわと小梅の手へと伝わっていった。
「な、なによこれっ!?」
「小梅っ!!」
突如小梅を襲った異変に、慌てて少女から小梅の身体を引き剥がすノイエ。
だが、すでに光の泡は小梅の身体を覆い尽くし、まるで降り注いだ雨が大地へと染み込んでいくかのように、小梅の身体の中へとその姿を消していく。
そして小梅の身体を襲ったのは光の泡が自分の中で何かを形成していくような、言葉に出来ない違和感──
その違和感は小梅の身体を駆け巡ると、やがて最後に辿り着いた彼女の瞳の中で小さくばちんと弾けた。




