お、俺何も見てないから!!
木曜日の放課後、爽太の画策した勉強会に最初にやって来たのは
やはり片桐さんだった。
若干頬を赤らめて歩いてくる片桐さんに、俺はいつもと違う高揚感を
覚えていた。い、いやいや、これはやましい考えから来るのではなく
彼女の新しい一面が垣間見れた事への喜び、というかなんというか……。
「こんにちは片桐さん、今日はみんなの補佐よろしくね」
「……お」
「ん?」
「お、お邪魔しみゃす!」
驚いた。普段は何が起こってもたじろがない片桐さんが、よもや
開口一番噛んでしまうだなんて。
現に片桐さんは、湯気でも吹き出るかの如く顔を真っ赤にして、俯いていた。
何だか新鮮だなあ、こういう反応……じゃないだろ!
「そ、そんな緊張しなくていいよ?無理に気を遣わなくて大丈夫。
片桐さんは質問されたら話してくれればいいから」
「はっ、はい……よろしく、お願いします……」
眼鏡越しに覗く、上目使いのくりっとした瞳に、一瞬俺はどきっとする。
そして何ということか。本日片桐さんがお召しになっている私服は
露出の高いキャミソールと、チェック柄のプリーツスカート。
着替えてきてなんて一言も頼んでないのに!
加えて爽太の言う通り、彼女の体は女子高生と言うには発育が良く、特に
スカートから伸びる肉感的な太腿とニーソックスが織り成す領域は
男性なら誰もが目を向けてしまいそうな程だ。
「あ、あの……あ、晃儀、くん?」
「……え?あ、ああごめんごめん!さあ、遠慮せずに上がって!」
危ない危ない。あと一歩で彼女に釘付けになるところだった。
というか、片桐さんに名前で呼んでもらったの初めてかもしれない。
その様子を、家の柱の陰から覗き見ている鈴音。何を考えてるんだか。
片桐さんが居間に上がった後、続々と他二人がやって来た。
爽太はまあ、いつもの服装だとして……問題は星奈の方だった。
「おーっす晃儀!五分前行動は守ったぜ!」
「お前なあ……片桐さんは十分前には来てくれたぞ?」
「えっ、マジで!?」
「ああ、マジでだ。
で?こんな小春日和に何故そんな格好を?星奈さん」
「き、決まってるでしょう!あなた達が邪な目で見てくるだろうと踏んで
重装備にしてきたのよ!」
星奈はウインドブレーカーにチノパンという、妙な出で立ちで胸を張った。
まあ、張る程の胸もそこには無いんだが。
「取り敢えず、二人とも上がりなよ。星奈は怪しまれるぞ?」
「そうせざるを得なくなった原因が、よく言うわ!まったく……」
「そんじゃ、お邪魔しまーす!
あ、そうだ晃儀!鈴音ちゃんいんの?」
「は?そこに居るけど……」
背後の柱の陰に目をやるが、そこには既に鈴音の気配はない。
……まさか!
「あれ?鈴音ちゃんいねーじゃん?嘘ついたなあきよ――」
「悪い!靴揃えておいてくれ!お袋が煩いんだ!」
「へ?おい!晃儀ー!」
俺は急いで居間へと飛んでいった。すると……
「まあ、片桐様と仰るのですね?同じご学友として申し訳ありません」
「そ、そんなに、気にしなくても……良いですよ?」
「いえいえ、今後とも顔を合わせる間柄、名前を知らないというのも
何かと不便でしょう?」
やっぱりかーー!
鈴音が片桐さんの目の前に陣取って、二者面談みたくなってる!
しかも、人数分のお茶まで用意して!
俺はそこまでもてなせとは言ってないぞ!
「鈴音、お前はこっち。片桐さん困ってるだろ?」
「え?あ、晃儀様?」
俺は、事前に爽太に言われていた通り、鈴音を片桐さんの向かい側から
ずらした。と、その時。
「片桐様、今の呼び方はお気になさらず。私、そういう喋り方が癖になって
しまっているので♪」
「ふぇ!?は、はい……」
うわ、また「心を読んだ」のか?節操なしにも程があるぞ!
そういえば、日曜に訊き忘れてたな、その事。後でこっそり話してもらうか。
こうして、勉強会は静かに幕を開けた。
教える教科の分担を決めるのに、そう時間はかからなかった。
片桐さんが歴史と数学を、星奈が理科を、俺が国語を
それぞれ担当することになった。
「あのう、私はこれしか取り柄がないのですが……」
「鞍馬さん、古典出来るの!?羨ましいー!」
鈴音に至っては、古典文学担当に割り当てられ
ほっとしている様子だった。
さて、問題の爽太だが、体育しか得意じゃねえや、という
理由でおのずから質問役に回ってくれた。
(良かった、「英語担当な!」とか言わなくて……)
ほっと胸を撫で下ろす俺。だったが、改めて周りを見回すと
とんでもない事が発覚した。
俺と爽太、そして星奈は右側。鈴音と片桐さんは左側に座って
いるのだが、明らかに左側の女性陣の胸が自己主張してくる。
対する星奈には――合掌。
(これが驚異の、いや、胸囲の格差ってやつか……)
と、俺が他愛もなく発した思念に、鋭く鈴音が反応する。
「晃儀様ー?それは女性にとってとても、とーっても
失礼な発言ではありませんかー?」
「え?秋葉がなんか言ったの?鞍馬さん?」
「い、いや!何でもない!何でもないから!」
ちょっと待ってて、と言って、俺は鈴音を連れ出した。
幾ら何でも、何か考える度にしょっちゅうお小言を言われたのでは
こちらも堪ったものではない。俺は、小声で鈴音に注意を促す。
「おい鈴音!駄目だろ、みんなの前で『神通力』使ったら!」
「も、申し訳ありません……けれど、失礼な発言をしたことは
事実ですよ?」
「だから!時と場所を考えてって言ってるの!分かる?」
「い、いえ……その、それが……」
「何?まさか「自然と聞こえてくる」とか言わないよね?」
「えっ!?どうしてお分かりになられたのです?」
……なんてこった。
今まで俺が『神通力』の一種だと思っていたこの能力。
実はパッシブ(永続発動型)系の能力だったのか!?
だとしたら、俺が彼女の体をまじまじと見ていたあの時も……。
「ち、因みにこの力は「心音」と呼ばれておりまして……」
「……使うな」
「はい?」
「今日この時間、絶対にその力を使っちゃ駄目だ!
聞こえても聞こえないふりをしておくこと!いいね?」
「そ……そんな殺生な!
これは私達天狗の特性なのですよ?おいそれと耐えられるものでは……」
「それなら、何か手立てはないの!?」
「ええと……一つだけ、あるにはあるのですが……」
「対処法があるのか?何でもいい!教えてくれ!」
暫くして部屋へ戻ってきた俺と鈴音を見やり、爽太と星奈はにやりとした。
「おいおいお二人さん、いちゃつくのは後にしてくれよぉー」
「まったく、不埒な事をしていないか心配だったんだから!」
「人のいる所でするか阿呆!妄想逞しい奴らだな!」
と言いつつ、俺はテーブルから少し離れた場所に机を引っ張って
来て、そこへ鈴音を座らせた。
「はーい注目ー。鈴音先生は、只今からこちらの席に移りまーす。
御用のある方はこちらまでどうぞー」
「も、申し訳ありません。晃儀様が「気が散るから」と仰るもので……」
それを見て、他の面々は多少困惑していたものの、
「いや、別にかまわねえけど……」
「ええ、勉強会ですものね。集中できない理由があるなら、対応して
おくに越したことはないし……」
「片桐さんも、それでいいかな?」
「あっ……はい」
満場一致で承諾され、改めて勉強会が開始された。
爽太が分からない部分があり過ぎて、半ばあいつをみんなでフォロー
してやる形になってはいたが、順調に事は進んでいた。
企画者の爽太も、向かいの席に座った片桐さんから丁寧に教えて
もらって、満足そうにしている。
(まあ、嬉しいのと覚えられてるのかは別物だけどな)
と、俺が心中でぼやいた瞬間だった。
「……あ、あの」
不意に、片桐さんが切なそうな表情を浮かべる。
体調を崩したのでは?と心配になったが、理由は単純なものだった。
「その……私、お、おトイレ、借りたいんです……けど」
「ああ、トイレね?恥ずかしがらなくっていいのに」
「そうよ!生理現象ですもの。誰も笑ったりしないわ」
「す、すいま……せん……」
「居間から出て、まっすぐ行ったところの突き当りにあるから。
分かり易いよ」
「で、では、いって……きます」
ふらふらとした足取りで居間のドアをぱたん、と閉めた片桐さん。
直後、俺は隣りの席を睨みつけた。
やはり、と言うべきか。爽太が席から立ち上がり、鼻息を荒くして
居間を出ようとしている。
「片桐さん……片桐さんの……でへへ」
「お前は座ってろっ!」
俺は爽太の腕をひしと掴み、無理矢理席へ引き落とした。
その様子を見ていた星奈が、ここぞとばかりに吼える。
「ほら!やっぱり不埒な事考えて!お猿さんじゃないんだから!」
「なっ……サルとはなんだよサルとは!!」
「何よ、現に今、片桐さんを覗きに行こうとしてたでしょう!」
(うわー……始まっちゃったか)
俺は運悪く、二人の板挟みにされた形で口喧嘩に巻き込まれてしまった。
「晃儀はどう思うんだよ?ラッキースケベならセーフだろ!?」
「ふざけた事を言って!秋葉、こういう時どちらに付くか……
常識を弁えているあなたなら分かってるわよね?」
「あー、その、俺は……」
「秋葉!」
「晃儀!」
「うわぁ!耳元で騒ぐなよぉ!」
その時だった。
机からすっと立ち上がり、こちらを見据える眼光。
拙い、鈴音が何かやらかそうとしてる!!
「鈴音、やめ……」
「お二人とも!喧嘩はお止めになって下さい!
でなければ……こちらにも手があります!」
瞬間。居間の中を縫って、一陣の風が吹き荒れる。
「えっ!?な、何、これ!?」
「うおっ!?体が……浮いてる!?」
二人は「神風」によって体の自由を奪われ、風船に閉じ込められた
かのように宙を舞った。
しかし、俺が驚いたのはそちらではなかった。
丁度用を済ませた片桐さんが、「神風」を発現させたのと同時に
居間に入ってきて、スカートが……。
「きゃああああああっ!」
「か、片桐様!?」
彼女の悲鳴と共に、室内の風が治まってゆく。
喧嘩していた二人は見事に着席し、互いに顔を見合わせきょとんとしている。
けれど、俺はそれ以上に衝撃的な光景を目の当りにしてしまった……。
「鈴音!何してるんだ!」
「も、申し訳ありません!片桐様がお戻りになられたことを察知して
いれば……」
「い、いえ、私も……タイミングが悪かった、みたいで……」
そう言いつつも、彼女は顔を赤らめながら俺の方を見つめてきた。
(拙い、絶対に分かってる顔だ!どうする?どうする俺!?)
……暫しの沈黙の後、俺は自分なりの最善の手を打った。
決して事実を歪めたい訳ではない。片桐さんが余計なことで
ショックを受けないようにする為だ。
だからこそ、俺は声を大にして言う。
「お、俺何も見てないから!!
いきなり風が吹き込んできて、それどころじゃなかったから!」
身振り手振りを交えて、必死に弁明する俺。
すると、その願いが伝わったのか、片桐さんは尚も赤らんだ顔で
微笑みかけてくれたではないか!
「ああ……信じてくれてありがとう!片桐さん!」
「う、ううん……その……
晃儀君が、そんなこと、する筈……ない、よね?」
(天使だ……目の前にいるこの子は天使に違いない!)
俺は片桐さんの優しさをひしひしと感じながら、部屋の片づけを促した。
その後、勉強会は有耶無耶になり、爽太も当初の目的が果たせた
ためか、解散となった。
俺は鈴音の力がばれてしまわないか心底不安だったが、当の二人が
「なあ晃儀、俺さっきの風でちょっと浮いたんだぜ?」
「嘘おっしゃい!確かに宙を舞ったような感覚はあったけど、浮くなんて
非科学的でしょう?」
と、全く気にしていなかったようで、杞憂に終わった。
そんな二人を見送ってから、最後に片桐さんを見送ろうとした時だった。
「それじゃ、片桐さん、また機会があったら勉強教えてね」
「は……はい。
あ、あの、ね……晃儀、君」
「ん?どうかした――」
鈴音が傍らにいるにも拘らず、俺の耳に唇を寄せて、彼女はなにか囁いた。
そして、笑顔を浮かべながら足早に去って行った。
その様子を、一部始終見届けていた鈴音は、何故かむっとした顔で
「晃儀様ー、一体何を吹き込まれたのでしょうねー?」
と言った。何故不機嫌だったのかは知る由もないが。
(俺の聞き間違いでなければ……まさか、な)
こうして、ちょっとしたハプニングに見舞われた勉強会は、幕を閉じた。
【本日の教訓:仰いで天に愧じず】
何だか読みにくくなってしまった勉強会の話。
もう少し余裕を持たないといけないと、切に感じるこの頃でした。