邪なる勉強会(片桐さん視点)
朝。目が覚めると、傍らには大好きな猫のぬいぐるみがあった。
私は大きく伸びをすると、布団から出て学校へ行く支度をする。
私の名前は片桐沙綾、高校1年生。好きな科目は歴史、取り分け
戦国時代に興味のある、所謂“歴女”です。
好きな戦国武将は上杉謙信。彼は「越後の龍」とも呼ばれ、かの独眼竜
伊達正宗とも親交が深かったと言われています。けれど、最大の魅力は
そのミステリアスな経歴。史実には「武田信玄のライバル」とされている
部分が大きいのですが、それ以上のなにかを秘めているようで……。
嗚呼、妄想すると止まらなくなってしまうこの癖、どうにかならないかなあ。
と、髪を梳かしながらふと物思いに耽ってしまう私。
眼鏡を掛けていて無口、おまけに反応が薄いと言われる始末……。
こんなだから、クラスでもあまり馴染めず口をついて趣味の話をしそうに
なるのを堪えているので、友達なんて一人もいません。
というより、いたらいたでその友達が引いてしまう事受け合いなのですが。
けれど、そんな私にも気になる人がいます。
同じクラスの、秋葉晃儀君……真摯で誠実で、どことなく他の男子生徒とは
違う変わった雰囲気を纏う彼の姿に、私は知らずのうちに惹かれていました。
家庭科の調理実習の時。私が包丁で指を怪我した際に真っ先に保健室へ
連れて行ってくれたのも、体育の授業で足を挫いた私を「大丈夫?」と
気遣ってくれたのも、晃儀君だけ。
(やっぱり、これは勘違いなんかじゃない。私、晃儀君のことが好きなんだ!)
私は、意を決して学校へ向かう。今日こそ、彼にこの想いを伝える為に――。
「はーいそこな女子生徒、ちょーっと待ったぁ!」
「えっ、え……?」
「ん?おおっ、片桐さんじゃない!何だか今日は雰囲気違うわね!」
「え、あ……はぁ」
校門を通り抜けようとすると、同じクラスの風紀委員・星奈嘉枝さんが
道を塞いだ。私、嘉枝さんは嫌いじゃないけれど、風紀の高圧的な
態度はちょっと苦手。だから、いつも会話にならずに終わってしまう。
「どうしたの?あ、もしかして男子に告白とか?」
「ふぇ!?な、なんで……?」
「んん~?いつも無反応なあなたがそんなに動揺するってことは……図星?」
「しっ……しつれいし、ますっ!」
私の顔を覗き込みながら、にやりと笑みを浮かべる嘉枝さん。
な、何で私の考えてることが分かっちゃったの!?と動揺してしまい
足早にその場を去る。これ以上この場にいたら、告白すると決心した
覚悟が揺らぎそうで……。
(そんなに私って、無反応だったのかなぁ……。)
嘉枝さんは風紀委員だから、生徒ひとりひとりの感情の機微に敏感らしい。
毎日のように生徒と顔を突き合わせるんだから、先生と同じ位観察眼があっても
可笑しくはない、とは思うけれど……流石に先程の一言には狼狽えてしまった。
そんな事を考えながら、私は教室の戸を開く。
相も変わらず、私に挨拶をしてくれる生徒はいない。それでも、別に
その事が苦にはならないので、いつものように中央真後ろの席へ座った。
授業の準備を整えると、愛読書の歴史小説を開く。これが朝の日課に
なってしまっている。
(あ、そうだ、晃儀君……)
と、ふと晃儀君のいる窓際前列の席へ目をやる。
彼はいつものように、友人の爽太君と談話中のようで……?
そういえば、急に転入してきた転校生――確か、鈴音さんって言ったかな。
いくら小学校時代に同級生だったからって、毎日晃儀君と
付かず離れずだなんて、何だか違和感がする。
まるで、小姓時代の豊臣秀吉みたいに彼の後ろをついて回って……!?
(ま、まさかあの二人、そこまで親密な関係だったの……?)
嫌な予感が頭を過る。けれど、二人は手を繋ごうとする素振りも
見せていないし……ただ単に仲が良いだけと考えて間違いないと思う。
嗚呼、こんな時に、私がもっと話しかけられるように行動出来ていれば……と
いつも後悔してしまう。
取り留めのない事を考えている内に、朝のホームルームの予鈴が鳴った。
どうしよう、こんな事で今日中に、晃儀君に告白出来るのかな……。
――その後、私の決意も空しく、時間だけが過ぎて行き……気がつくと既に
下校時間と相成ってしまいました。
(もう!私の馬鹿!何度かチャンスはあったのに、なんで……?)
今日こそは、ちゃんと想いを伝えなきゃって、思ってたのに……。
私は涙が零れそうになるのを、必死に我慢しました。
掃除当番が泣き出したりしたら、変に思われるでしょう?
「あー、片桐さん、もういいんじゃない?
ゴミはあたし達が捨てとくから、先帰りなよ」
折角私に話しかけているのに、返事すら出来ず……やっぱり私、駄目な奴だ。
なんで今朝、あんな事を考えてしまったのだろう?
こうなることは分かっていた筈なのに、何故……
「あのー、片桐さん?」
「っ!?は、はい!」
……い、今の声、晃儀君……?
私が吃驚して顔を上げると、そこには晃儀君の姿。
どうしよう、今絶対変な顔してるのに!
(え?どういうこと?何でこのタイミングで……?)
「あのさ、今週の木曜日、授業午前中までだろ?
だから爽太たちも呼んで勉強会を開こうと思う――」
「ぜっったい駄目!!」
「はぁ?星奈、俺は何もやましいことなんか――」
勉強会?木曜日に?
その単語だけははっきりと聞こえた。晃儀君、態々勉強会に
誘おうと声をかけてくれたんだ!
……考えようによっては、これは最大にしてまたとない好機!
「侵略すること火の如し」、武田信玄の名言がふと浮かんだ。
(今度こそ……今度こそ晃儀君に……!)
私は決意を新たに、教室を出た。
「……って、あれ?片桐さん?」
「ほら!片桐さんも嫌がってたでしょう!?
あなた達のような煩悩丸出しの奴なんかと一緒に居たくないって!」
「だーかーら!それはお前の行き過ぎた思い込みだろ?」
「思い込みなもんですか!私の勘は生まれてこのかた……」
その夜。洗面台の鏡に向かって、私は精一杯の笑顔を作ってみた。
鏡に映ったのは、口角が緩み目尻の皺が浮きだった、なんともまあ、それは
見事な変顔だった。
(こんな顔して告白するなんて、恥ずかしいよぉ……)
当日はファンデーションを厚塗りにして、チークも入れて行こう、と
心の内で呟いた。だって、生まれて初めての告白なんだもの!
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」と、古代中国の学者も仰っている。
自信を持て私!木曜日は絶対告白するんだ!
……あれ?けれど肝心の晃儀君について、調べはついてるの?
好みの女性はどんなタイプだとか、好きな仕草はとか、全然聞いてない!
……嗚呼、私ってなんでここまで無計画なんだろう。
もう、悩んでたって仕様がないよね。早く寝よう……。
――そして、運命の日、木曜日の午後一時。
「お、お邪魔しみゃす!」
開口一番、焦って噛んでしまった私を、はにかみながら見つめる晃儀君。
思わず湯気が出るかと思う位に、顔を真っ赤にする。
(うわぁ、最初から不利な展開だよぉ……ここから挽回できるかな?)
画して、私の『告白大作戦』は幕を開けるのでした。