気になる先輩(後篇)
よろしくお願い致します。
放課後。晃儀様が二階に向かわれてから暫く経つけれど、一向に戻ってくる気配がありません。
私は一人、下駄箱の前で待ち続けていました。晃儀様が無事に戻ってくるのを。
(心配ないって!少し話をしてくるだけだからさ)
「晃儀、様……」
すると、突然外から、さぁっと何かが降り注ぐ音が聞こえてきました。振り向くと、晴れ渡った空に不釣り合いな雨が、しとしとと降っているではありませんか。
(晃儀様……まさか)
ふと胸騒ぎを覚えた私は、急ぎ足で階段を駆け上がりました。
二階へ着いた瞬間、何やら身に覚えのある気配を感じとりました。これは――
(「結界」が張られている……やはり、同類だったのですね!)
急ぎ足で「結界」の気配を辿ると、左側の廊下の突き当たりから二番目の部屋に集中していることを突きとめました。ご丁寧に「オカルト研究会本部」と書かれた張り紙まで貼ってあるその扉を、慎重に開きます。すると、今までのものよりも大きな気配を感じ取りました。
気配のする方を向くと、怪しげな影がひとつ、ゆらりと立ち上がったようです。
「あ~ら、随分早かったじゃない?“鴉天狗の鈴音”さぁん?」
「!? 何者です!」
「ん?そっかぁ、自己紹介がまだだったわねぇ」
ゆっくりとこちらへ近づいてくる影を見て、私は一瞬息を飲みました。頭に生えた、特徴的な尖った耳・絹糸を束ねたかのような一房の尻尾――その姿が、聞き及んでいた『妖孤』のものと、寸分違わず一致していたからです。
「まさか、貴女は『妖孤』!?しかも、只の化け孤にしては気配が強すぎます!」
「へぇ~、物分かりが良くて助かるわぁ♪そ、あたしは『妖孤』の中でも、名のある一族の家系なのよ」
「……何故、貴女のような者がこんな場所へやって来たのです?目的は何なのですか!」
「もう、なんでそんなにせっかちなのぉ?私はただ「妖怪観察に勤しんでる」だけなのにぃ♪」
ふと、私の脳裏に不安がよぎります。その不安は、程なくして現実となりました。
「あ、晃善様はどこへやったのです!?白状なさい!」
「んふふ♪そんなに焦らなくたって会わせてあげるわよ~、アナタの大事なご主人様に」
彼女が指をはじくと、部屋の奥からもう一つの影が現れました。それはまさしく――
「晃善様!」
「……」
「晃善様!私です、鈴音です!お助けに参りました!」
しかし、私が呼びかけても晃善様からの返事はなく、俯いたままこちらへ近づいて参ります。そして、私との距離が縮まった途端、急に飛びかかってきたではありませんか。
「きゃっ!な、何をされるのですか!?晃善様!」
「ウゥゥ……」
「彼に何を言ってもムダよぉ?私の『魅了の術』の影響で、彼はもう私のモ・ノ・な・の♪」
「そ、そんな……」
『妖孤』の行使できる『魅了の術』には、かけた相手を自分に従わせる効果があると聞いたことがあります。たしか、術を破るには「行使している本体を気絶させる」しか方法がないと記されていた筈……けれど、この状況では下手をすれば、晃儀様を傷つけてしまうやもしれません。
「くっ……晃儀様!正気にお戻り下さい!」
「んふふふ、無駄よ!この術の影響下にある限り、何を言おうが通用しないわ!さあ晃儀くん、その子を捕まえちゃって!」
「ウオオオオオ!」
私の呼びかけも空しく、晃儀様は唸りを上げて飛びかかってきます。その力は、普段の晃儀様とは比べ物にならない程。ひと度捕まえられたら、流石に私でも身動きが取れなくなるでしょう。
(こんな時、一体どうすれば……)
私がまごついている間にも、我を忘れた晃儀様は徐々に距離を詰めてゆき、とうとう私の腕を掴みました。そのまま部屋の壁際まで連れて行かれ、後ろ手に腕を掴まれた状態で、私は『妖孤』と向き合います。
「あぁっ……は、離して下さい!晃儀様!」
「んふふ♪流石の鴉天狗も、人質には弱いみたいねぇ?一つ収穫だわ♪」
「あ、貴女は一体何がしたいのです!私を捕えて、何かしようと企んでいるのですか?」
私が言い放つと、彼女は口元を緩めて笑みを浮かべました。
「違うわよぉ。私が求めているのは「情報」だけ。アナタが大人しく「情報」を打ち明けさえすれば、別にそれでいいの。」
「情報……?」
「そう、物々交換ってやつよ♪私が欲しいのは、アナタの里に伝わる『秘術』にまつわる話。それさえ頂ければ、彼にかけた術を解いてあげるわ」
彼女の言う『秘術』とは、天狗の里で厳重に管理されている、大天狗様しか閲覧を許されない禁術の数々が記された巻物の事。私達鴉天狗は、その存在を知ることはあっても悪用を避けるため、内容までは知らされていないのです。
しかし、何故一介の『妖孤』でしかない彼女が、そのような話を聞き及んでいるのか……私には見当がつきません。
「なっ……!?何を言うかと思えば、立場を弁えなさい!」
「あ~ら、自分の身がどうなってもいいってわけぇ?」
「里の秘密は、他の妖怪には漏らしてはならない貴重なもの!例え私の命果てようとも、教える訳にはまいりません!」
「そう。それじゃあ、交渉決裂ね。残念だわぁ」
彼女がそう言うと、急に晃儀様が私の拘束を解き、私の目の前に来て立ち止まりました。そして、徐にズボンのポケットへ手を入れたかと思うと、小型の刃物を取り出しました。
たしか、「カッター」と呼んでいたその刃を、カチカチと押し出していく晃儀様……。
「え?晃儀様、何を――」
「……」
私が言葉を言い切るより先に、晃儀様は刃を自らの首元へあてがいました。
「彼はアナタにとって、それはそれは大事なモノなんでしょう?ということは……彼が死んでしまったら、アナタどうなっちゃうのかしらねぇ?んふふふふ♪」
「い、いけません晃儀様!お止め下さい!晃儀様!!」
(そんな……ここで晃儀様に亡くなられてしまったら、私のお役目は終わってしまう。いいえ、それよりも、晃儀様を大切に思われている方々を悲しませてしまう。そして、私が共に過ごした時間も……)
想いを巡らせながら、私は必死に呼びかけます。しかし、晃儀様の手が止まる気配はなく、首筋から血が滲み出しているのを見るや、私はなお、涙を浮かべながら呼びかけました。
「晃儀様!私はまだ、あなたとお会いしてから一月しか経っておりません!私は、お役目が終わるまで晃儀様のお側にいたいのです!お願いです、どうか目を覚まして下さい!」
「だぁからぁ、無駄だって言ってるでしょぉ?そのまま自分の無力さを嘆いてなさい!」
「あぁ……晃儀様ぁぁぁあ!!」
その時でした。首筋に向けられていた刃先が、徐々に離れていくのを私はしかと目の当たりにしました。
そして、操られていた晃儀様にも、変化が――。
「す……ず、ね……すず……ね……」
「あ、あき、よし、様……?」
「はぁ!?何?どういうことよ!?ほら、さっさと「首を切りなさい」って!さあ!」
「う、うぁぁぁああ!!」
次の瞬間、目に光の戻った晃儀様が、息も絶え絶えの様子で立っておりました。
まさか、晃儀様ご自身の力で、『魅了の術』を破ってしまわれるなんて……。私は、驚きと安堵とが入り混じった心境の中、晃儀様に駆け寄り抱きかかえました。
「晃儀様、しっかりして下さいませ!晃儀様!」
「う……鈴音、か?」
「はい!此度は私がいながら、晃儀様を危険な目に遭わせてしまい……」
「いいんだよ、そんなこと……俺、聞こえたんだ」
「聞こえた?」
「ああ……真っ暗な中で、鈴音が、俺を呼ぶ声が聞こえて……だから、戻ってこられたんだ」
「そんな、私はそのような大層な事、してはおりません」
「おい……泣くなよ。元はといえば、おれ、が……」
そう言って、晃儀様は目を閉じられました。
「晃儀様……よかった」
「う、嘘ぉ……あたしの術を破るなんて、何様なのよこの子!やるじゃなぁい!」
突然響いた歓声に前を向くと、『妖孤』がご機嫌な様子でこちらを見据えておりました。
「これで貴女の術は意味を成さなくなった。観念なさい!」
「んふふ、そうね♪今回は私の完敗だわぁ。それとぉ、面白いモノを見せてくれたお礼に、ひとつ忠告をさせてもらうわね」
「忠告?何を言うつもりかは存じませんが、貴女を処罰するのが先でしょう!」
「まあまあ落ち着いて?もう私は、彼に危害を加えるような真似はしないからぁ」
そう言うと彼女は、人差し指を口元へ持っていく仕草をしつつ、こう言いました。
「これから、香浦市一帯に妖怪が集まってくるわ。時には目に見える形で、時には姿を見せず……アナタ達も用心しておく事ね。「お役目」どころの騒ぎじゃなくなるかも~、んふふふ♪」
「なっ……そ、それはどういう事なのです!」
「いずれその時が来たら分かるわぁ。じゃ、私はこれでドロンさせてもらうから」
彼女は振り返り、窓際へ歩を進めます。いつの間にか、外の雨も止んでいるようでした。
「そうそう、片方しか名前を知らないのもフェアじゃないわねぇ?私の名前は指原くぐり。以後お見知り置きを~♪」
徐に窓を開け放ち、彼女はそこから飛び降りました。一拍遅れで、私が窓の外を確認すると既にその姿は無く、ただ爽やかな風が吹き抜けるのみ。
「逃がしてしまいましたか……けれど、先にするべき事があります」
私は、気を失った晃儀様を担いで、保健室へ急ぎました。
「いやー、一時はどうなる事かと思ったよ。急に目の前が真っ暗になってさあ」
「私も、今回ばかりは肝を冷やしました。晃儀様、お怪我の具合はいかがです?」
「ああ、もう大丈夫。あと少し深く切ってたら、結構やばかったかな……」
「しかしながら、あのくぐりという『妖孤』、今度会ったら天狗流のお仕置きを据えておかなくては気が静まりません!」
「まあまあ、くぐり先輩も脅しのつもりでやったんだろうし、今回は大目に見てあげたら?」
「あの状況は紛れもなく本気でした!」
「す、鈴音!俺の事を心配してくれてるのは分かるけど、近いよ!」
と、帰り道晃儀様と話していましたが、やはり彼女の言っていた「忠告」が、私には気になって仕方がありませんでした。
果たして、この先この場所に、ひいては私達に、何が起きるというのでしょう……。
ご一読頂き、ありがとうございました。