お地蔵さんと千年の恋
「お母さん、見て見て。お地蔵さんが雪の帽子かぶってるよ」
そう言って少女は、私の顔を覗き込む。季節は冬。しんしんと降り続ける雪は、周囲に広がる田畑も、遠くに見える山々も、目の前の農民らしき母子も、そして私も、この世のすべてを真っ白に染め上げている。それはとても……とても寒い日だった。
「まぁまぁ、かわいそうに。××これでお地蔵さまのお顔を拭いてあげなさい」
母親は、娘に持っていた手拭いを渡す。少女は「うん」と言いながらその手拭いで、私の身体を心をこめて拭いてくれたのだった。きっと冷たかった違いない。何しろ雪に冷やされた私の身体は、氷のようなものだったのだから。
「ふふ。お地蔵さま綺麗になったね。でも、このままじゃまた寒くて凍えちゃうね……」
少女はそう呟くと、おもむろに自分の首を温めていたはずの赤い布を外し、寒くてかじかんだ小さな手で、そっと私の首に巻いてくれたのだった。赤い布を通して伝わる少女の体温。たとえそれが刹那の温もりであったとしても……その時ばかりは、石でできているはずのこの身体にも、まるで血が通ったかのように感じたのを、今でも鮮明に覚えている。
ただ、惜しむらくは彼女の名前をもう覚えていないこと。その時の喜びも、愛しさも、温もりも、すべて鮮やかに思い出せるというのに……時の流れは、無情にも私の魂から彼女の名前だけを削り取っていったのだった。
そして、あれから千年。そろそろ私もその役割を終えようとしている。彼女が首に巻いてくれた赤い布は、とうの昔にボロボロの土くれと化してしまった。彼女の名前を忘れてしまったのと、一体どちらが早かったのだろうか。私はそんなことを思いながら、かすんだ瞳でじっと天高くそびえ立つビルの群れを眺める。
ここら辺もすっかり変わってしまった。もはや昔の面影などどこにもない。自分がまだここに存在すること自体が奇跡のように思えて、ついつい自嘲的に笑ってしまう。自分とて菩薩の一人。むしろ奇跡を起こす側だったはずだ。
いつの間に、自分たちと人間の関係は変わってしまったのだろうか。それはわからない。しかし、なるべくしてこうなったのだろう。それが良いことなのか、それとも悪いことかも、私にはわからない。たとえどんなに人に忘れ去られたとしても、私は人を救うために存在する。それだけが私の真実である。人の良し悪しは、地獄の閻魔にでも任せておけばいいだろう。
もうすぐ、また冬が来る。そうしたら、彼女の生まれ変わりと、もしかしたら会うことができるかもしれない……でも、きっとそれまではもたないだろう。私の魂は削られすぎた。信仰を失ったこの土地に魂を繋げておくことは、もう限界だろう。空っぽのこの魂を留めているのは、只管に彼女への想いだけ。ただ……それだけだ
彼女にもう一度会いたい。その名を知りたい。強く、心の底からそう願う。無限の慈悲で、苦悩に悩むあらゆる人々を救うとされる自分が、たった一人の少女のことだけを思うなんて、本来なら許されることではないのかもしれない。
それでも……!
そこまで思い至って、私の思考は突然停止する。私は初めて、私の考えに疑問を覚える。私はただの地蔵のはずだ。無限の慈悲で悩む人々を平等に救う存在。そんな存在に何故そのようなことを考える感情がある。本来なら持っていない感情。否。持つべきではない感情。それは持っているというのは……壊れているということではないのか……
そうだ。私は一体いつから彼女のことを思い出すようになった。いつから彼女のことを恋焦がれるようになった…‥彼女に出会ったときか。違う。そうではない。それならば、彼女の名前を忘れるよなことは、絶対にない。いや、矛盾している?わからない。
何時からだ。何時から。何時から。いつから。いツか…ラ…イ…カラ…イ…………………ワカラナイ……
冬がやってきた。しんしんと雪が降り続け、辺りを銀色に染め上げようとしている。そんな中、2人の少女が傘をさして歩きながら、楽しそうに話をしている。彼女達ぐらいの年齢ならば、良くあるような恋の話し。クラスの誰が誰のことを好きだとか、男の子で誰がかっこいいとか、そんな他愛のない話だ。
「あれ?」
「ん?どうしたの?」
道端で突然、二人のうちの一人が立ち止まる。それを不思議に思ったもう一人の少女が、首をかしげながら話しかける。しかし、立ち止まった少女は一点をただ静かに見つめるばかりだ。
「ちょっと。何見てんの?そこ何にもないじゃん」
そう。少女が見つめている先には何もない。ただの道路のわき道。しかし、少女は友人の問いかけにも答えずに、ひたすらそのわき道を見つめ続ける。しんしんと降る雪が、少女の見つめるわき道へつもっていく。まるで、そこにあった思いもすべて白い雪で覆い隠してしまうように…‥
立ち止まっていた少女は、突然傘を放り投げると、おもむろに雪を掘り始める。もう一人の少女は、友人の突然の奇行に驚きの声を上げるが、少女の耳には入っていない。ただ無心で雪をかきわけると、そこには掌ぐらいの石が無造作に転がっていた。
その石をやさしく拾い上げる少女。
「……待たせちゃったかな」
彼女はそう呟くと、おもむろに自身の首から赤いマフラーを外し、手に持った石をやさしく包み込んだ。
「でも、ほら……あったかい」
愛おしそうに赤いマフラーに包まれた石を抱きしめる少女。その瞳からは、止めどなく涙があふれている。もしかしたら、気づくのが遅すぎたのかもしれない。彼の心はもうここには居ないのかもしれない。それでも……それでも彼女の温もりは、そのやさしさは、千年前ときっと変わらない。
だから少女は涙を流す。もう元が何だったのかもわからなくなった石ころを胸に、純白の雪のように積み重なったその千年の想いを胸に、ただただ悲しくて、寂しくて、愛おしくて、その思いに応えたくて涙を流す。
「私の名前は……」
ふむ。本当は大好きな女の子のために、お地蔵さんが平安風の雅な男の子に化けて大活躍する話し(ギャグ)になるはずだったのですが。どうしてこうなった。ちなみに少女の名前も決めてあったのですが。本文では使わないことにしました。やっぱ、最後の落ちは難しいですね。
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