君の訪れ
「残念だったわね、せっかく久しぶりに一時退院の許可が下りたのに…」
処置室から、数日前に後にしたばかりの病室に戻ってくると、担当看護師の有田さんが話しかけてきた。
「仕方ありませんよ、もう慣れましたから」
「幸村さんがいない間にこの病室の大掃除をして驚かそうと思ってたのになぁ。また今度の機会になっちゃったわ。…さ、もういかなきゃ、何かあったらすぐに呼んでね」
そう明るく笑って有田さんが病室を出ていくと一気に体が重くなる。酷い発作に強い薬…体への負担は半端なく、すぐに睡魔が襲ってくる。
(次か…もう一度くらい、あると、いい…な)
まとまらない思考でそう考えたのを最後に俺は眼を閉じ、意識を沈めた。
次に俺が覚醒したのは誰かが髪を撫でている感触によってだった。
「ん……柚衣?」
「あっ、おはよう、歩永実くん」
びっくりしたように手を引っ込めて、誤魔化すように笑っているのは、市川柚衣。3つ年下の中学3年生。
喘息もちで、昔からよく入院をしていたせいで知り合った。もう10年来の付き合いになる。
「お前また戻ってきたのか?」
「うん、昨日ね。ちょっと発作が出ちゃって…」
中学に入った頃から柚衣の病状は徐々によくなり、学校にも普通に通えるようになっていた。
今回みたいに、時々大きな発作を起こして戻って来るが…
前回会ったのは3ヶ月前だ。
「…なんか、ちょっと雰囲気変わったな」
3ヶ月という短い期間会わなかっただけで、なんとなく顔つきが変わった気がする。
「…中学3年だもんな、変わりもするか。大人っぽくなった」
「えっ…本当に!?大人っぽくなった?」
柚衣は俺の言葉に大袈裟な位に反応して言う。
「あぁ、髪も少し伸びたな。伸ばしてるのか?」
「うん、まぁね。…歩永実くんも伸びたよ、髪」
今回の一時帰宅で切ろうと思っていたため、俺の髪はだいぶ伸びてしまった。
「あー…そうだな。ボサボサ?」
「ううん、別に気にならないよ。歩永実くんはもとが短いからまだ平気だよ。そのくらいもいいと思う」
「そっか」
今度はなぜか、はにかんでそう言ってくる。俺には柚衣の言動が最近しばしば理解できない。
「そろそろ夕食の時間だろ、部屋に帰りな」
ベッドサイドに置いてある時計が6時を指そうとしている。
部屋に戻ったのがお昼くらいだったから、だいぶ眠っていたようだ。
「…ねぇ、ここで食べちゃダメ?歩永実くん一人じゃ寂しいでしょ」
「だめ。お前今回は6人部屋だろ?だったら同室の子の面倒を見てやれよ」
柚衣が居るのは小児科病棟。入院しているなかには小さな子供も多く、面倒みるのは大変である。
「そうだけど、みんな一人でご飯食べれる子だし…」
「だめ。お前が内科病棟の時にならいいけど、今回はだめ。ほら、早く行け」
俺がそう言うとしぶしぶ立ち上がり出入口へとむかう。
「また、後で来てもいい…?」
柚衣は扉を開けたところで振り返っておずおずと訪ねてきた。
「また明日もあるだろ。今日は、おやすみな」
「…わかった。おやすみなさい、歩永実くん」
「おやすみ、柚衣」
そう言うとやっと柚衣は病室を出ていった。
「……っ!!」
扉が閉まり、柚衣が離れたのを確認してから、俺は痛みに顔を歪めた。
「…ったく、発作起こして帰ってきたその夜に、飯なんて食えるわけないだろ。変わったのは外見だけか…」
どうにか柚衣に気づかれずに済んだことに安心する。するとノックの音の後に有田さんが入ってきた。
「調子はどう?薬は効いてるかな…」
「えぇ、大丈夫です。長くは起きていられませんが…」
このくらいの胸の痛みは日常茶飯事。特に言うことでもないと最近わかった。
俺の心臓がそう長くはもたないのはわかっている。
「そう…あと今日は残念だけど夕食は抜きね。幸村さん育ち盛りだから辛いだろうけど我慢してね」
「わかってます、また夜に点滴してくれますよね?そしたらそのまま寝ちゃうんで平気ですよ」
確かに空腹ではあるが、実際に食べる元気はなかった。
「そっか、午後はよく寝れた?」
「えぇ、十分に…柚衣に起こされましたけど」
「あら、二人とも仲がいいわね?」
からかうような有田さんに俺は肩をすくめてみせる。
「妹みたいな感じですよ」
すると有田さんはくすくす意味ありげに笑って出ていった。




