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第三章 勝利、困惑、感情

 翌日、青雲ファイブの練習が終わると、真琴は神妙な顔つきで告げた。

「そろそろ予選が始まるわ。これからは実戦を想定したメニューに変わるから、気持ちを切り替えて」

「はい」

「とは言っても、五人しかいないから特別なことをできるわけじゃない。ただ、いつでも試合に臨める心構えにしてほしいの。わかるわね」

 幻舟たちはうなずいた。

「由奈ちゃん、プリントを配って」

 真琴の指示で、由奈はコピー用紙を五人に渡した。そこには予選の組み合わせが書いてある。

「去年の実績がないから、まずは予選を突破しないとね。地区予選を勝ち抜いて、県大会に進む。そこでベスト四に入って、決勝リーグで二位以内に残れば、全国への切符が手に入るわ」

「長い道のりですね」

 さつきがつぶやく。

「でも、試合をこなしていくうちにチームの結束は強くなるし、雅和と小太郎は伸びますよ」

「幻舟の言う通り。葵に勝ったといっても、まだまだうちは未完成のチームよ。全国ではもっと厳しい戦いが待っているんだから、いろんな戦術を試して、完成度を高めるつもり。いいわね?」

 五人はうなずいた。

 まずは徹底的に走りこんで、基礎体力を磨く。一休み入れたのち、シュート練習。さらに二対三をメンバーチェンジしながらこなすなど、ハードなメニューが続いた。

「どうだ、雅和、小太郎?今日はこれで上がるか?」

 息を切らしている二人に、幻舟は声をかけた。

「いえ、まだやれます!」

「わしもです。この程度、どうということはない。目指すんは日本一なんじゃから、それなりの練習をこなさないと!」

「気持ちはわかるけど、張り切りすぎて怪我したら意味ないですよ。真琴さん、今日はこの辺でいかがですか?」

 さつきの提案に、真琴は微笑した。

「そうね、今日は飛ばしすぎたかもね。じゃあ、十分にストレッチをして、帰宅したら必ずお風呂に入るように。疲れを残さないで。解散でいい、幻舟?」

「はい。みんな、汗をしっかり拭いておけよ」

 キャプテンの指示に従い、それぞれ帰り支度をした。

「お疲れ様、幻ちゃん」

「由奈ちゃんは帰らないのか?」

「うん、モップがけと真琴さんに話があるから」

 幻舟は沈黙した。由奈が不思議そうに頼もしいキャプテンを見つめる。

「どうしたの?」

「いや、いくらマネージャーとはいえ、由奈ちゃんに甘えすぎかなと思って……」

「いいのよ。わたしにはこのくらいしかできないもの。それに、五人には万全の状態で練習してほしいの。気を使わないで」

「ありがとう」

 由奈の笑顔が、幻舟にはまぶしかった。幼馴染の少女が、少しずつ大人になってゆく。その期待にこたえるには、なんとしても全国制覇を成し遂げなければならない。幻舟の胸中で、ふつふつと闘志が燃え上がった。

「なら、お言葉に甘えて俺も帰るよ。由奈ちゃんも無理をしないで」

「うん、また明日ね」

 手を振って、由奈は幻舟を見送った。


 地区予選開催の日がやってきた。舞台は大船中央体育館。主催者のあいさつが終わると、四つのコートに初戦突破を目指すチームのメンバーが散らばった。

 青雲の五人がユニフォームに着替え、アップを済ませると真琴がいつものようにメガホンを持って自信ありげな表情を浮かべた。

「さてと、記念すべき青雲の公式戦初試合ね。みんな、気合入ってる?」

「はい!」

「よろしい。相手は大西高校。特にこれといった実績も選手もなし。あなたたちが力を発揮すればわけないと思うわ」

「真琴さんから具体的な作戦は?」

 質したのはさつきである。

「今日に限っては、なにもないわ。ただし、怪我だけには注意すること。さあ、暴れて来い!」

「わかりました。よし、みんないくぞ!」

「おお!」

 幻舟を先頭に、五人が整列した。

 一方の大西は試合前からおびえている。無理もない。大西の平均身長は一八〇センチ足らず。センターの山岸ですら、一八五センチしかないのだ。

「では、これより青雲高校対大西高校の試合を始めます」

「お願いします!」

 両軍が礼をしたが、鬼神と雅和の声はほとんど怒鳴り声に近い。気迫負けしている大西のメンバーが声を掛け合った。

「おい、あんな怖そうな奴らに勝てるのかよ?」

「だいたい、相手のセンター、二メートル近くあるぞ」

「とにかく、腹をくくるしかない。こっちは高さで負けてる分、走るんだ」

 待ちに待った試合が始まった。主審がボールを上げたが、案の定、らくらくさつきがタップし、ボールは幻舟に渡った。

「よし、まずは先制よ!葵を粉砕した攻撃力を見せつけて来い!」

 ベンチから真琴が声を出す。それに応えるように、五人は猛攻に出た。

「各自、マークを怠るな!簡単に打たせるんじゃないぞ!」

 大西の監督、松原が手をたたく。指示通り、大西はマンツーで青雲を封じにかかる。

「大杉さん、こっち!」

 小太郎が声を上げると、それに応えて幻舟が鋭いパスを出した。

「このチビ、打たせるかよ!」

 大西のガード、桜井が立ちはだかるが、小太郎はシュートではなく、ゴール下でほぼフリーになっていた鬼神にパスを出す。

「え?」

「ナイスパス、小太郎!」

 鬼神が軽くジャンプして、得意の左手であっさりダンクを決めた。

「よーし、まずは先制だ。この調子でいこう!」

 真琴がはっぱをかける。客席からこのプレーを見ていた強豪校の偵察部隊がうなった。

「岩倉のダンクも見事だが……」

「あの状況で、冷静にパスを出した一年、ただものじゃないな」

「大杉並みとは言わないまでも、大した視野の広さ、パスセンスだ」

 大西の攻撃に移る。青雲は二-三ゾーンを敷いた。唯一、高さで勝る小太郎の位置から桜井がシュートを放つが、リングにはじかれた。

「どりゃあ!」

 吠えながらリバウンドを制したのは雅和だった。司令塔の幻舟にボールを渡し、さつきが冷静に押し込んだ。

「また一年だ」

「ああ、岩倉、天野がいながら七番の西園寺が制空権を握っている」

「身長だけならあいつはさほど大きくないが、天性のリバウンドのセンスを持っているな」

「おそらく、この試合、あの若い女性監督は一年を伸ばす試金石ととらえているんじゃないか」

「同感だ。三年が本気を出すまでもない。県大会まで一年を鍛え上げるつもりだろう」

「いずれにせよ、見に来て正解だったな」

 第一クオーター終了時点でスコアは三二対一四。青雲の圧倒的リードで終わった。

 その後も一方的な展開が続いた。幻舟のリードは冴えわたり、小太郎が外から正確に打ち抜く。ダブルエースのさつき、鬼神が得点を重ね、雅和のリバウンドも強い。終わってみれば一三二対五三というダブルスコアで試合は幕を閉じた。

「お疲れ様、みんな」

 由奈が笑顔でドリンクとタオルを配る。真琴も満面の笑みだ。

「さて、初戦が終わったけど、感想は?」

 真琴に問われて、幻舟は額の汗を拭きながら答えた。

「まあ、今日に限っては特に言うことはないですね。なにしろ相手が及び腰だったし、本当の勝負は明日以降だと思っています」

「そうね。まだまだ五人ともエンジン全開には程遠そうだものね。しっかり体の手入れをして、次に備えてちょうだい」

「はい」

 翌日、二回戦の相手は柏木高校。平均身長一八八センチの大型チームで、県大会常連の中堅高だ。

「でけえな」

 練習風景を見て、鬼神がつぶやく。一九〇台三枚を擁する柏木の選手は遠くから見ても迫力がある。

「なに、バスケは高さだけじゃない。小太郎、そのことをお前が思い知らせてやれ」

「了解です」

 幻舟の励ましにうなずきながら、小太郎は一抹の不安を抱えていた。

「では、試合開始です!」

 ジャンプボールを制したのは青雲だったが、相手センター、一九五センチの伊達とは紙一重の差だった。

「よし、一気にうちのペースでたたきつぶそう!」

 真琴の掛け声とは裏腹に、幻舟のドリブルが止まった。マッチアップする大型ガード、藤堂のプレッシャーに、幻舟らしからず、戸惑いが見える。

 由奈が不安げに監督を見上げた。

「真琴さん、こんなことって……」

「ええ、やるわね、あの幻舟をひとりで止めるなんて、ただものじゃない」

 ドリブルもパスも限定されたキャプテンに、小太郎が助け船を出した。

「大杉さん、こっち!」

 相手の実力を認めて、幻舟は小太郎にパスを出した。そこへ、待ってましたとばかりにもう一人のガード、西条が腕を伸ばす。ボールはカットされ、そのまま西条がコートを駆け抜けてレイアップシュートを決めた。

「ナイス、西条!」

 柏木のメンバーがハイタッチする。会場がどよめいた。

「おいおい、あの大杉があっさりと……」

「高さだけじゃないな。あのガードコンビ、動きも一流だ」

 真琴は動じない。青雲の大黒柱を信頼し、声を上げる。

「一度のミスで自滅するな!みんな、もっと声を掛け合って、下を向いている場合じゃないでしょ!」

「よし、気を取り直していくぞ。まずは一本だ」

 幻舟はさつきからボールを受け、右手の人差し指を立てた。しかし、その幻舟に、今度は藤堂と西条の二人が立ちふさがった。

「な?」

「おい、柏木、オールコートであたってきたぜ!」

 これには真琴も唖然とした。まさか地区予選レベルでこんな高等戦術に出てこられるとは。幻舟は何とか小太郎にパスを出すが、今度は西条とフォワードの釜本が小太郎をつぶしにかかる。

「まずいな、青雲……」

 横浜西の桑谷が心配そうに見守る。対して、槙原はあくまで冷淡だ。

「こんな奴らにやられるようじゃ、その程度ということだ。もっとも……」

 槙原はざっとコートを見渡した。

「威勢のいいのが黙っていないだろうよ」

 鬼神が本来の位置から戻って、孤立している小太郎に声をかけた。

「小太郎、俺によこせ!いきなり奇策に出やがって、思い知らせてやる!」

「岩倉さん、お願いします!」

 かろうじて包囲網を抜けると、小太郎が何とかパスを出した。受け取った鬼神を釜本つぶしにかかるが、あっさりドリブルで突破される。鬼神はその体格から想像できないほどのスピードでそのままゴール下に切れ込むと、立ちはだかる伊達を吹き飛ばしてダンクを決めた。審判が笛を吹く。

「ディフェンス、プッシング。バスケットカウント!」

「よおおし!」

 鬼神が吠えると、スタンドがどよめいた。桑谷がふっと息をつく。

「なるほど、威勢のいいやつがいるね」

「これで付け焼刃のオールコートなど崩れただろう。あとはもう一人のエースがどう出るかだ」

 槙原はどこまでも冷静だ。その視線の先にさつきがいた。

 鬼神は落ち着いてカウントワンスローを決めた。

 柏木が攻撃に移る。ガードコンビがボールを運ぶが、お返しとばかりに小太郎が奪った。

「ナイススティール!」

 小太郎は3Pラインまで進んだが、ちらっとゴール下を見た。シュートに見せかけて、パスを出す。ボールは計ったようにさつきの手に渡った。

「かましてやれ、さつき!」

 幻舟の掛け声に、青雲の誇るゴール下のエースが本領を発揮した。しなやかな長身をひるがえし、右手をのばす。相手のブロックをものともせず、ボールは美しい軌道を描いてネットに吸い込まれた。

「決まった、天野のフックシュート!」

 観客がさつきのプレーに酔いしれている。バスケのことをほとんど知らない社会人の若い女性が黄色い歓声を上げ、さつきもそちらにむかって手を振った。

「よし、それでこそうちのエースよ!」

 真琴も興奮気味だ。由奈も笑顔を見せた。

「五人とも、らしさが出てきましたね」

「うん、相手も決して弱くはないけど、うちの目標は全国制覇。三年生トリオも実践感覚を取り戻して、もっといいプレーが出来るはずよ」

 槙原の指摘通り、柏木のプレスは付け焼刃だった。

 機能したのは最初だけで、すぐに作戦変更。ゴール下を三人で固め、ガード二人で幻舟、小太郎を封じにかかる。

 しかし、これもあっさりこじあけられた。幻舟のパスは変幻自在でらくらくダブルエースのゴールを演出。小太郎のスリーポイントは確実にダメージを与え、雅和も精力的にリバウンドを奪った。

 後半、柏木はメンバーチェンジして打開を図るが、すでに勢いは青雲にあった。とりわけ、司令塔の幻舟は時にドリブル突破で、時に鋭いパスでゲームを作り、ディフェンスでも存在感を発揮。

「さすが天野、岩倉を使いこなすだけはあるな」

 桑谷が感心する。槙原は心中でチームメイトの名をつぶやいた。

(浅野、お前ならどうする?心技体、そろった大杉をどう止める?)

「試合終了!」

 ブザーが鳴った。スコアは一〇三対八四。それでも、青雲を本気の一歩手前まで燃えさせた柏木を褒めるべきだろう。いつもは余裕の真琴も、今日ばかりは冷や汗をかいた様子だ。

「ある意味、葵との試合よりハラハラしたわよ。まあ、必ずひっくり返してくれると信じていたけどね」

「すみません、スタートでつまずいたのは僕の責任です」

 幻舟は真琴に頭を下げた後、鬼神に礼を言った。

「鬼神、お前がいつもの通りダンクで流れを変えてくれた。借りができたな」

「それより、お前、右足を見せてみろ」

 真琴はもちろん、全員が口を半開きにした。

「おい、何でもないって」

「いいから、隠すことはないだろ」

 鬼神が強引に幻舟のシューズを脱がせ、右足のソックスを下した。

「確かに、少しだけど赤く腫れているわね」

 真琴が幻舟のくるぶしあたりをつついた。

「痛みはないの?」

「まったくのゼロではないですが、プレーに支障をきたすほどでは」

「もう、早めに言ってくれないと困るじゃない」

「すみません……」

 真琴は髪の毛をかき上げながらため息をつく。幻舟はただうつむくばかりだ。

「まあ、わたしも監督失格よね。選手の異変に気付かなかったなんて」

「お言葉ですが、それは違うと思います」

 さつきがいつになく強い口調で言った。

「交代要員がいるならともかく、この状況では僕らは最善を尽くしたと思います。真琴さんだけの責任でもなく、幻舟に非があるわけでもない。全員の連帯責任です」

「僕も天野さんの言う通りだと思いますよ」

 小太郎も声は大きくないが、強い意志のこもった言葉を紡いだ。

「大切なのは、これからどうするかだと思うんです。自分を責めたり、誰かをなじったりしても始まりません。このチームを引っ張れるのは大杉さんしかいないんだから、誰がどうカバーしていくかを考えないと」

「……二人の言うとおりね」

 真琴は反省の面持ちで乱れた髪を直した。

「それにしても、どうして鬼神が気付いたの?」

「こいつ、小学生の頃、ミニバスでしょっちゅう無茶やってたんですよ。ルーズボールを追いかけてベンチに突っ込んだり。たぶん、その頃の古傷だと思いますよ。あと、なんとなく右足をかばうように見えたのは、俺の勘ですけどね」

「さて、これからどうしましょうか……とりあえず、幻舟の脚を見てもらう病院を探さないと」

「それに関しては、わたしにあてがあります」

 幻舟に寄り添っていた由奈が笑顔で声を上げた。

「わたしのお父さん、いえ、父が総合病院の整形外科の医者なんです。ここからそう遠くないし、これから携帯で連絡すればすぐに診てもらえると思います」

「それは助かるわ。幻舟、それでいいわね?」

「何の文句もありませんよ。由奈ちゃん、何から何まですまない」

「もう、だめよ、キャプテンがそんな弱気じゃ。チームの士気に影響するでしょう?」

「そうよ。今日は由奈ちゃんと先に帰りなさい。はい、タクシー代」

 真琴が財布から一万円札を取り出すと、幻舟は頭を下げた。

「ありがとうございます。この恩はコートで結果を残すことでお返しします」

「うん、それでこそ青雲のキャプテンよ。じゃあ、ほかの四人も明日も試合があるんだから、疲労をためないようにね」

 こうして、試合を終えた面々は二通りに分かれて帰路に就いた。

 由奈の父、喜多村史彦が勤務する大船総合病院は体育館からタクシーで十分足らずのところにあった。受付で由奈が名を名乗ると、事務の女性が笑顔を見せ、しばらく待合室で待機することになった。

「立派な病院だね」

 幻舟がそっとつぶやく。由奈は自販機で買ったジュースを幻舟に渡しながら、自慢げにささやいた。

「ここはね、四年前に開業したばかりの病院なんだって。お父さんもいくつかの病院を転々としてきたけど、ここまできれいで設備のいい病院は初めてだって、すごく喜んでたの」

「大杉さん、診察室五番へお入りください」

 アナウンスが流れた。

「じゃ、行ってくるね」

「うん、わたしのことは気にしないで。診察が終わるまでここで待ってるから」

 由奈に見送られて、幻舟は診察室へ入って行った。

「大杉君。久し振りだね。元気そうで何よりだ」

 壮年の医師が笑顔で幻舟を迎えた。メガネをかけた温和そうな目元は、医者というより僧侶のようだ。ワイシャツにネクタイを締め、その上に白衣をまとっている。

「お久しぶりです。このような形でお会いできるとは思いませんでした」

「わたしもだよ。まあ、かけたまえ。携帯で由奈から聞いているが、右足首を痛めたそうだね?」

 幻舟とやり取りしながら、史彦は慣れた手つきで器具を扱い、看護師とともにてきぱきと診察をすすめた。幻舟が部屋の中を見渡すと、見慣れない装置でいっぱいだ。十五分ほどで診察が終わり、史彦はボールペンでこめかみをつついた。

「大杉君、率直に言おう。君の右足には特に大きな問題は見当たらない。少なくとも、当面の大会に大きな影響が出る心配はないと言っていいだろう」

 史彦の言葉に、幻舟は安堵の息をついた。

「ただし、県大会が終わり、全国大会まで時間が空いたら、一度精密検査をお勧めする」

「どういうことですか?」

「言いにくいことだが……」

 史彦はやや口ごもった。

「君の右足には長年の負担が蓄積されている。かといって、今日検査を行って、悪い結果になったらどうする?キャプテンの君が精神的に動揺したら、取り返しのつかないことになりかねない」

 さすがの幻舟も愕然とした。その表情を見て、史彦は力強く肩をたたいた。

「この判断は、医者として失格かもしれない。しかし、わたしは娘の由奈が兄と慕う君の夢を壊したくないんだ。わかってくれるね」

「はい。僕の心情に配慮していただいてありがとうございます」

「まあ、最悪の事態にならないよう、わたしもサポートさせてもらうよ。今日は疲れているだろうし、ゆっくり休んでくれ」

 幻舟は頭を下げて診察室を後にした。

「どうだった?お父さん、何か言っていたんでしょ?」

「うん、なにも心配いらないよ。由奈ちゃんも遅くまでつき合わせてごめん。自宅まで送って行くから」

「ありがとう」

 二人はタクシーで喜多村家につき、立派なマンションのエントランスで向き合った。

「ねえ、幻ちゃん。わたし、この三年間で少しは大人になれたかな?」

 唐突な問いかけに、幻舟は答えに詰まった。

「もちろん、由奈ちゃんはきれいになったよ。お世辞じゃない。制服も似合っているし、最後に会った時とは別人だ」

「ありがとう」

 由奈は夜空を見上げた。空に広がる星も美しいが、キラキラと輝く由奈の瞳が幻舟にはたまらなく大人びて見えた。

「ねえ、幻ちゃん、わたしの夢を聞いてくれる?」

「由奈ちゃんの夢?」

「まず、大学を卒業して保母さんの資格を取りたいの。それで、一人前の社会人になったら……」

 由奈は頬を真っ赤にして、決定的な言葉を幻舟に語りかけた。

「あなたの……幻ちゃんのお嫁さんになること。それがわたしの夢」

 幻舟は言葉を失った。兄妹同然に育ってきた少女が、薄々自分に好意を抱いていたことは知っていた。しかし、清純派を絵にかいたような由奈が自分から思いをぶつけることは、予想を遥かに超えていた。

「迷惑かな?」

「そんな……迷惑なんて、とんでもないよ。俺も……」

 幻舟は不器用に由奈のきゃしゃな体を抱きしめると、黒髪に頬をうずめた。

「君のことがずっと好きだった。こうして再び出会えて、確信したんだ。俺が愛する女性は由奈ちゃんしかいない」

「幻ちゃん、その言葉に嘘がないなら、キスして……」

 由奈は眼を閉じた。幻舟は長身をかがめ、生まれて初めてのくちづけを由奈とかわした。少女の唇はとても柔らかく、幻舟のファーストキスを受け止めてくれた。二人がキスしていた時間はどのくらいだっただろう。ゆっくりと唇を離すと、幻舟はもう一度由奈を抱きしめた。

「好きだ、由奈ちゃん……」

「うん、わたしも……」

 幻舟の厚い胸板に頬をうずめながら、由奈は酔いしれていた。数分がたって。由奈は体を幻舟から離した。

「今日のこと、しばらくは二人の秘密だよ」

「ああ、もちろんだ。なんといっても由奈ちゃんは頼れるマネージャーさんなんだからね。これからもよろしく」

「うん。幻ちゃん、気をつけてね」

「由奈ちゃんも、ゆっくり休んで」

 二人は手を振りながら別れた。由奈が去った後、幻舟は唇に人差し指を当てた。

「夢じゃない……」

 そう実感すると、幻舟はらしくもなく、へなへなとその場に座り込んだ。足に力が入らないのだ。

「由奈ちゃんが、俺と結婚……」

 数年後、さらに美しくなった由奈がウエディングドレスをまとっている姿を想像して、幻舟は胸が熱くなった。

 ふいに、幻舟は頭を振った。妄想が先走りすぎていることに気づく。いまは真剣勝負の真っ最中なのだ。自分がキャプテンとしてチームを統率しなければならないことを再認識する。

「しっかりしろ、幻舟。お前が青雲のリーダーなんだぞ」

 頬を両手でたたくと、幻舟はマンションを一瞬だけ見上げると、家路についた。

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