第十六章 終幕
「麻生さん」
亮一はなんとも穏やかな声でパスを要求した。
麻生からボールをもらうと、ふっと息をついて、気が付けば幻舟は置き去りにされていた。
(速い!)
槙原が亮一の突破力に息を呑む。天才はそのままゴール下に恐るべきスピードで迫ると、ジャンプしてシュート体勢に入った。
(僕が止める!)
さつきが右手を伸ばして完全にシュートコースを塞いだ。 だが、亮一はボールを手首のスナップだけで高々と放る。さつきのブロックを超え、リングより一メートルほど上がってから、ボールはネットを揺らした。
「なんだ、今のは!」
「大杉を簡単に抜いてあのシュート!本当に高校生か……!」
観客が亮一のプレーに驚愕している。豪胆な鬼神、真琴も口をひらき、度肝を抜かれた様子だ。
「すみません。まさか亮一くんがあんな隠し球を持っているなんて」
「さつき、とうとう俺たちはあいつを本気にさせてしまった。たとえダブルチームにいってもいまの亮一を止めるのは不可能だろう。なんとか俺が踏ん張るから、リバウンドは頼む」
「はい」
真琴がベンチから指示を出した。
「苦しいだろうけど、ここが踏ん張りどころよ!残り時間を考えるとこれ以上さを広げられたらまずい!確実に一本返そう!」
しかし、真琴は亮一のスーパープレーに内心、危機感を抱いていた。ここで一点差に戻しても、亮一なら必ず突き放し、結局は逆転できないのではないか。案の定、鬼神のミドルシュートは外れ、リバウンドは高村が確保した。
「北条、頼んだぞ!」
なんの迷いもなく藤森のキャプテンはエースにパスを出す。受け取った亮一はまず小太郎をかわし、幻舟を抜き、一気にゴール下に迫った。
「これで五点差!」
力強くステップを踏むと、亮一はボールをリングに叩きつけた。
「出た、ついに北条のダンク!」
「完全にエンジン全開だ。もう、勢いに乗ったあいつはファールしても止められないぜ!」
観客も亮一の連続ゴールに沸いている。関本が太い息をついた。
「まずいな。こういう状況では個人技でやられると精神的にきつい。まして、北条は外からでも打てるし、いまのようなダンクもお手の物だ。天野、岩倉にパスが通らないと、ズルズル離されるぞ」
高橋たち応援団も意気消沈してしまった。素人目に見ても、亮一の凄さはわかる。幻舟の力強さ、鬼神の身体能力、さつきのしなやかさを全て兼ね備えたような、超高校級の天才、北条亮一。横浜西の桑谷も、顔は笑っていても背筋に冷たい汗をかいている。
「ついに天才くんが本気モードか。槙原、お前ならどうする?」
「どうにもならん。持って生まれた素質に加えて、一番厳しい環境で練習しているんだからな、北条は」
幻舟はドリブルしつつ、精神的に追い詰められていた。麻生は自分の癖を読んで、突破は難しい。高さの利を生かしてシュートを打っても、外れたらリバウンドを取れる保証はない。あっという間に一五秒がたち、一瞬の油断をついて麻生がスティールした。
「もどって!ここで決められたら致命傷よ!」
真琴の声が悲痛に響く。小太郎がいち早くディフェンスにつき、麻生は速攻を諦めてゆっりとコートを眺め回した。亮一がかなり下がった位置でパスを欲しがっている。麻生はエースを信頼し、ボールはワンバウンドして亮一の手に渡った。 大きなスライドで亮一はインサイドに切れ込む。またしても幻舟は対応できない。だが、鬼神が左手を、さつきが右手を上げてブロックに飛んだ。 亮一は空中でいったんボールを下げ、ダブルエースをかわすと華麗なレイアップを放った。ボールはバックボードに当たり、そのままリングに入った。
槙原が亮一の芸術的なゴールに心中でつぶやいた。ついに七点差。幻舟たちの両肩にどっと疲労感がのしかかった。懸命に食らいついてきたが、地力の差が出てしまった。真琴はタイムアウトを取ったが、疲れきっている五人に対し、かける言葉がない。 応援団長の高橋がそっとつぶやいた。
「関本さん、大杉たちは頑張りましたよ。仕方ない。相手は高校バスケ界の王者、俺はあいつらを誇りに思います」
「そうだな……」
関本がため息をつく。なまじ、幻舟たちの努力を知っているだけに、苦い気持ちだけでなにも言えない。 青雲のスタンドが通夜のようなしんみりした雰囲気になって、藤森側も静まってしまった。遠藤が腕組みしたまま黙り込み、久美子は唇を閉ざしている。 体育館が重く湿った空気で包まれている。バスケを知る者も、知らないものも青雲がどれほど頑張り、死ぬ気でプレーしたのは理解していた。それだけに、亮一の個人技だけで粉砕された五人は十字架を背負って坂を上る聖人にも見えた。ただただ悲壮感だけが漂い、後味の悪さが残っている。
「まだじゃあ!」
突然、青雲のベンチから怒鳴り声が轟いた。観衆はもちろん、藤森のメンバーも思わず振り向いた。
「まだ試合は終わっとらん!一分半も残っとる!」
タオルを握り締めて叫んだのは雅和だった。両肩を震わせて自分を奮い立たせるように熱い息を吐いた。「わしは体力だけの男じゃ!ろくにシュートも入らん!ディフェンスも下手!だけど、大杉さんたちは、小太郎は、センスが!スキルがあるでしょうが!」
幻舟、さつき、鬼神、小太郎は座ったまま半ば呆然として雅和の言葉を聞いた。
「この大会で三年生は引退じゃ……来年、新入部員が入ってくれる保証はありません……青雲バスケ部はもう終わりかもしれんのです……それなのに!試合を捨てるんですか!本当にそれでいいんですか!わしは……納得できません!」
雅和が必死に涙をこらえているのを全員が察知していた。幻舟がドリンクを飲み干し、立ち上がる。
「雅和の言うとおりだな。すまない、キャプテンの俺が諦めかけていた。けど、まだ負けが決まったわけじゃない」
幻舟はいつものように、淡々と、しかし威厳のある態度でメンバーに語りかけた。
「残り一分四五秒、まともに考えれば逆転は不可能に近い。しかし、俺たちが最大限の集中力を発揮できれば、藤森といえども同じ高校生だ。一つのミスで崩れる場合だってある」
何度も苦しいハードルを乗り越えてきた司令塔の言葉には説得力がある。雅和に喝を入れられて、幻舟に諭されて、さつきたちの顔に生気が戻ってきたのを真琴は満足そうに眺めていた。
「どうやら、死んだ魚が生き返ったみたいね」
「ですが、具体的にどんな作戦で行きますか?」
参謀格のさつきが真琴に問いただす。もう一度五人の表情を確認したあと、声のトーンを、真琴は抑制した。
「一つだけあるわ。作戦というより、ギャンブルだけどね」
真琴の話を聞いて、鬼神は反射的に叫んだ。
「無茶ですよ!リスクがでかすぎる!」
「ええ、鬼神の言うとおり。それでも、いちかばちかの賭けに出るしかないのよ」
若き指揮官は全員の顔を見渡した。
「この作戦のカギを握るのは、小太郎。あなたよ。覚悟はいい?」
一六〇センチの体で生き残ってきたシューターは厳かに返答した。
「みなさんが僕を信じて下さるなら、僕も信じます」
「よろしい。泣いても笑ってもこれが最後の試合よ。力を出し切りなさい!」
「はい!」
タイムアウトが終わって、両軍がコートに戻る。青雲の攻撃だが、観客席がどよめいた。
「おい、ボールを運んでるの、あの小さい一年だ!」
「大杉は……ポストにいる!」
藤森のメンバーも自分の目を疑った。青雲は、小太郎がドリブルして、ほかの四人はゴール下に構えている。
(何を考えているんだ?まさか!)
麻生と服部がボールを奪いに行く寸前、小太郎はシュートを打った。
ボールはリングに弾かれた。リバウンドはさつきが確保する。すぐさま、小太郎へ返した。
(やはり!)
高村が危機感を募らせる。桑谷が槙原に質した。
「おい、まさかこれは……」
「ああ、長谷川監督はあいつに賭けるつもりだ」
真琴の作戦。小太郎がスリーを打ち、残る四人がリバウンドの制空権を握る。 遠藤もすぐに意図を察知したが、あまりにリスクが大きすぎるだろう。
「もし、岸川がボールを奪われたら大杉はいない。ここでリードを広げられたら試合は決まるぞ」
「でも、これしかないと思います」
久美子がハンカチをつかんでいる。汗でぐっしょりと濡れ、彼女の興奮度を物語っていた。
「ここで岸川選手が決めれば……」
その眼前で小太郎がスリーを放った。観衆が見守る中、ボールはリングにかすりもせずに吸い込まれた。「よし!」
真琴がこぶしを握る。これで四点差。しかし、遠藤たちを驚愕させたのは、青雲の五人がプレスをかけてきたことだった。
「正気かよ、王者を相手に!」
「大杉の膝はボロボロだろ!あいつら、マジで藤森に勝つつもりだ!」
ボールを入れようとする相馬にさつきが立ちふさがる。麻生には幻舟がつき、服部には小太郎。時間ぎりぎりで高村が青雲のコートに入ったが、一瞬のすきを突いて雅和がスティールした。
「来い、雅和!」
鬼神がボールを要求する。雅和が矢のようなパスを出したが、すぐに亮一がディフェンスについた。
「速攻はさせませんよ、岩倉さん!」
「ふん、俺を止めたところで!」 鬼神が幻舟のお株を奪うようなノールックパスを出した。
「あいつを止めなきゃ意味ねえだろうが!」
ボールはコートを跳ね、スリーポイントラインに立っていた小太郎の手に収まった。
(しまった!)
亮一がつぶやいた時、既に小太郎はシュートを打っていた。
真琴、白石、由真、槙原、桑谷が固唾をのむ。ボールは美しい軌跡を描き、リングに沈んだ。
「なんだあ!」
「あの小さい一年、あっさり一点差まで詰めやがった!」
「おいおい、相手は藤森だぞ?しかも決勝、こんなことがあるのか?」
体育館が歓声で大揺れする。幻舟は殊勲のシューターに歩み寄った。
「小太郎、お前ってやつは……」
息を弾ませながら、一年生はスコアボードを指さした。
「まだ、向こうがリードしてます」
幻舟は小太郎が何を言わんとするか、理解していた。
「この試合、必ず勝ちましょう。勝って、大杉さんたちの、最高のフィナーレにしましょう!」
「ああ!みんな、ディフェンス一本!小太郎の頑張りを無駄にするなよ!この試合、俺たちが勝つ!」
「おう!」
亮一は唇をかんでいた。相馬も茫然としている。服部、麻生まで元気がない。
「落ち着いていこう」
冷静な声を出したのは高村だった。
「確かに、せっかく北条が連続ゴールを決めたのに、岸川にやられたのはショックだ」
高村の口調は淡々としていた。
「こういう時こそ、精神力が問われるんじゃないか?監督も言っていただろう、本当の敵は自分だと」
キャプテンの言葉に、相馬たちの闘志が蘇るようだった。
「残り四八秒、じっくりかけてリードを広げれば、俺たちに負けはない。麻生、服部、無理に外から打たずにパスを回してくれ。俺と相馬、北条がインサイドで勝負する。三点差にしたら、ボックスワンで服部が岸川について、残りは中を固める。最後の試合だ、悔いは残さないぞ」
「おう!」
藤森の五人が覇気を取り戻したのを、久保は満足そうに眺めていた。
(それでいい。やるべきことをしっかりやれば、結果はついてくるんだ)
桑谷が太い息をついた。
「まったく、俺たちが惨敗した藤森にここまで食い下がるとは。たいした奴らだよ」
「勝負はここからだ。集中力を切らしたほうが負ける。たとえ藤森でもな」
槙原の視線は天才、北条亮一を追っている。
遠藤は帽子をかぶりなおした。スタンドはうだるような暑さで、シャツも汗だくになっている。
「ここで藤森は試合を決めたいところだ。百戦錬磨の五人がミスをする可能性は少ない。ただ、君が言うように、青雲の底力は計り知れない」
隣で久美子は無言でコートを見守っている。さつきが鬼の形相で相馬に食らいついていた。双方とも譲る気配はない。
(天野選手、持てる力を発揮して……!)
ボールは麻生から服部、亮一から相馬にわたる。しかし、だれもシュートを打たない。明らかに、たっぷり時間を使うつもりだ。
流れるようにパスが回り、あっという間に残り五秒を切った。エース、亮一に麻生がボールを供給し、幻舟がぴたりとマークについている。
亮一はシュートの態勢に入り、幻舟がブロックに飛ぶ。しかしそれはフェイクで、藤森のエースは青雲の司令塔を置き去りにした。
(よし!)
久保がうなずく。だが、一瞬のスキをついて鬼神がスティールに成功した。
「おおーっ!」
まさかの展開にスタンドがどよめいた。対して、どこまでも高村は冷静だ。
「慌てるなよ!まだうちがリードしている!ディフェンスに集中して、俺たちが突き放す!」
あっという間に藤森は戻った。真琴が声をからす。
「よーし、じっくりね!ここで逆転して試合を終えるわよ!一つ一つ、大事にいこう!」
鬼神は幻舟にボールを預ける。ゴール下のさつき、外の小太郎には厳しいプレスがかかっていた。鬼神は疲労の色が濃い。
(どうする?雅和にかけるか?それとも俺が決めるか?)
打開できないまま、試合終了まで一〇秒を切った。鬼神が叫ぶ。
「時間がない!幻舟、さつきに任せろ!」
司令塔がポストを見ると、センターがうなずいている。迷わず、弾丸のようなパスが通った。
「最後のセンター対決だ!」
「天野対相馬!高校界最高はどっちだ!」
さつきは落ち着いて相馬の気配を察知する。伝家の宝刀、スカイフックの体勢に入った。相馬の巨体が飛んだ。
(俺がとめて、ケリをつける!)
相馬のブロックに対して、さつきは手首をスナップさせた。数ミリの差でボールは藤森のセンターの手を超えた。
この瞬間、多くの人が青雲の勝利を信じただろう。
しかし、無情にもボールはリングに弾かれた。体育館の空気が変わった。
(勝った!)
高村たち、藤森の五人は確信した。
そこへ、青雲の四番をつけた男が走り込んだ。コートを蹴り、男は空中を舞うボールを両手でつかむと、リングにたたきつけた。
男が着地して、ボールがコートを跳ねる。笛が鳴った。
「試合終了!」
スコアボードに映る数字は八七対八六。ドラマティックな幕切れだった。
数秒間、スタンドは静まり返ったが、すぐに歓声にかき消された。
「勝った……?」
真琴が茫然と立ち尽くす。白石がその肩に手を置いた。
「お前が手塩にかけて育てたあいつらが優勝したんだ。しっかりしろ」
由真も現実を受け入れられず、胸の前で腕を組んでいる。
久保は腕を組んだまま無言である。そのまなざしはコートに十人に注がれていた。
「幻舟、整列しましょう」
さつきにうながされて、決勝ゴールを決めた青雲の司令塔は唇を閉ざしたままコートの中央に歩み寄った。ほかのメンバーが並んでいる。
「八七対八六、青雲高校の勝利!」
「ありがとうございました!」
高橋は額の汗をぬぐう間もなく関本を見る。
「本当に……大杉たちがやってくれましたね」
「俺も実感がわかない。こんなことが現実にあるとは」
関本の本音は、いくら幻舟たちが凄かろうと、自分が情報を提供しようと、五人だけで全国制覇など不可能と思っていた。しかし、現実は違った。関本の全身が震えた。
(お前らのせいで俺の消えかけたバスケへの情熱がよみがえっちまった。クラブではもっと頑張らないと……!)
相馬とさつきが対峙している。スキンヘッドの少年は肩を震わせていた。悔し涙をこらえているのがわかった。
「俺の……負けだ……」
さつきは何と言葉をかけていいか、迷った。
「勝った僕が言うのも嫌味ですが、センターの力量ではあなたを上回ったと思いません。勝敗は時の運ですから」
相馬はゆっくりと言葉を紡いだ。
「三年前、お前に負けて死ぬ気で練習した。俺の負けだ。大学で、お前と戦えるチャンスがあったら、借りは返す」
言い残して、相馬はコートを去っていった。
高村と鬼神がにらみ合っている。藤森のキャプテンは目を閉ざすと薄く笑った。
「随分、ゴールを決められたな。エースキラーの立場がないぜ」
「おい、そんなにあっさり負けを認めるのかよ?」
むしろ鬼神が怒っている。高村はすっきりした表情だった。
「お前や北条と違って、俺は圧倒的なスコアラーじゃない。まあ、腕を磨いてリベンジするよ」
高村は手を振ってベンチに戻った。
「そのちっこい体で恐ろしい奴だよ」
服部が小太郎の頭をかき回した。
「けど、バスケは体格じゃない。最後の連続ゴール、圧巻だったぜ」
「あ、ありがとうございます」
小太郎は困惑を隠せない。雲の上ともいえる藤森のレギュラーに認められたのだ。
麻生は雅和の胸を拳でつついた。
「まさか一年にやられるとはな。お前、何者だよ?北条の連続得点で死にかけた大杉たちを生き返らせやがって」
「わしは麻生さんと違ってセンスがありませんから」
雅和も小太郎と同じく、高校バスケの王者に飲まれている。
「センスより、戦う気持ちが大切だろ?けどな、大学で同じ手は食わないぜ。お前らもこれで満足せずに上を目指してくれよ」
天才、北条亮一と大杉幻舟が握手を交わした。
「最後のダンク、お見事でした。狙っていたんですか?」
「いや、体が反応しただけだ。正直、藤森に勝てる自信はなかった」
「謙虚ですね。僕が言うのもおかしいですが、膝は?」
亮一の声が低くなる。幻舟は苦笑した。
「なんとか、だとしか言えない。ゆっくり治療するよ」
「ええ、大杉さんがバスケをやめるなんて想像したくないですから」
天才は深く一礼してコートを後にした。
藤森のベンチに全員が戻った。相馬が幼児のように泣き崩れた。
「監督、申し訳ありません。でかい口を叩いておきながら、結局、天野に勝てませんでした」
久保はしばし無言だった。常に勝つことを義務付けられた名将はじっくり思案した後、落ち着いた口調で選手たちに自分の気持ちを伝えた。
「結果は敗北だ。それはわたしも認めるしかない。しかし、お前たちは全力を出したと思うが?」
指揮官の満足そうな表情に、高村たちも言葉がなかった。
「我々藤森は高校バスケの王者で、いかなる試合も負けは許されない。わたしも指導者として、結果を重視してきた。だが、この試合で少し人生観が変わった。ひたむきにプレーするお前たち、そして青雲の選手たちが高校時代の自分に重なった。選手としては、わたしは大成しなかった。それでも、バスケができるだけで幸せだった。そして、勝たなければ意味がない、そう思いつつ、お前たちもバスケを楽しんでいたとわたしの目には映った。お前たちの人生はこれからだ。このまま、バスケを続けるもよし、別の道を探すもよし。ただし、この試合は今後の人生に大きな影響を及ぼすだろう。恥じる必要などない。わたしは、指導者としてお前たちに出逢えたことを誇りに思う!」
「監督……!」
相馬はもちろん、控えのメンバーも号泣した。
「お疲れさま」
幻舟たちを迎えた真琴の表情が晴れ晴れとしている。
「本当に、よくやったわ。ありがとう」
「お礼を言うのはこっちですよ」
さつきが由真から受け取ったタオルで汗を拭いた。
「まあ、結果的に大黒柱が決めてくれましたが……幻舟」
「膝なら心配ないよ」
青雲のキャプテンは白石に一礼した。
「先生がいなければ、この勝利はなかったと思います。言葉に尽くせません」
「わしは医者としての責任を果たしただけだ。優勝できたのはお前たちがそれだけ努力したからだ。まあ、それに少しでも貢献できたのなら嬉しいがな」
由真が幻舟に歩み寄る。
「優勝おめでとう、大杉先輩」
「君のサポートが大きかった。感謝している」
二人は見つめあった。皆、心中を察して何も言わなかった。
閉会式が行われ、ベスト五が発表された。幻舟、亮一、鬼神、高村、さつき。
だが、予想に反してMVPは麻生だった。この男が常に藤森を動かしていたのを選考者たちが評価したのだろう。盛大な拍手で閉会式は締めくくられた。
控室に戻った青雲のもとに、関本や高橋たちが駆け寄った。
「俺……言葉が出ないよ」
幻舟を前にして、高橋の目には涙がたまっていた。役割を全うしたキャプテンは素直に感謝の言葉を口にする。
「お前たちがずっと俺たちの背中を押してくれたんだ。何度か心が折れそうになった時、応援団の声が支えてくれた。本当にありがとう」
「お礼を言うのはこっちのほうだよ。俺、もっとバスケを知りたくなった。雑誌を読んだり、実際に試合を観たり、いろいろ勉強する」
「そう言ってくれると嬉しい」
高橋は唐突に去っていった。おそらく、溢れ出る涙を幻舟に見せたくなかったのだろう。
「本当にお疲れ。最高の試合だったぜ」
関本が屈託なく五人をねぎらう。幻舟は頭を下げた。
「関本さんのデータがなかったら優勝は難しかったと思います。感謝の言葉もありません」
「なら、あちこち飛び回った甲斐があったな。膝は大事にしてくれ」
幻舟たちはホテルに戻って湯船につかっていた。疲れ切った体だけでなく、精神まで癒してくれる。
「俺たちが優勝か。実感わかないぜ」
鬼神が天井を見上げる。疲れ切ってはいたが、気持ちのいい疲労感だ。さつきが坊主頭の一年生を見つめた。
「まあ、功労者は雅和君ですね。僕らを奮い立たせてくれたんですから」
「いえ、わしは思ったことを言っただけです」
雅和が照れるのを、小太郎がからかった。
「それが雅和君のすごいところだよ。あれで長谷川さんが作戦を立てて、僕がスリーを決めた。でも、最後のダンクは予想できなかったな。大杉さん?」
水を向けられた幻舟は言葉に詰まった。
「さつきが決めてくれると信じて、パスを出したんだ。でも、気が付いたら走ってた。自分でも理解できないよ」
「それがバスケの面白さでしょ?」
さつきが突っ込むと、どっと笑いが広がった。
アリーナでは遠藤と久美子が無言で座っている。決勝の余韻が客席に残っていた。遠藤はカメラをしまう。
「間違いなく、僕が見た中で最高のゲームだ」
「……はい。自分が立ち会ったことが怖いくらいです」
久美子は凍ったようにハンカチを握ったままだ。遠藤は立ち上がり、弟子の背中を叩いた。
「僕らの仕事は終わりだ。君が女性としてどうするか、自分で考えるんだな」
上司が去った後、久美子はようやくハンカチをたたんだ。
(わたしは……天野選手のことを……)
人が少なくなったアリーナで、久美子はコートを見つめたままだった。
翌日、さつきが早くに目を覚ましてホテルから外出したところ、見知った顔があった。
「永岡さん……」
小柄なジャーナリストがスーツに身を固めてたたずんでいた。
「優勝おめでとうございます、天野選手」
「ありがとうございます。ずっと僕らを取材してくださったのですね?」
久美子は無言でうなずいた。
「最後の場面、僕のフックが外れて負けたと思ったのですが」
「結果論では大杉選手が決めました。でも、あの人が天野選手にかけたのだと思います」
二人の視線が交錯する。たっぷり三十秒ほど経った。
「また、大船を歩きませんか?」
さつきが一歩、久美子に近寄った。
「僕の気持ちを伝えたいんです。あの喫茶店で」
「はい、喜んで」
久美子はうれし泣きをこらえるのに必死だった。
横浜西のメンバーが帰り支度をしている。
「俺たちも引退か。まあ、頼もしい後輩がいるから大丈夫だろう」
軽口をたたく桑谷に、浅野は憮然としている。
「俺がキャプテンとして来年は全国を制しますよ。桑谷さんこそ、そんな調子で受験は大丈夫なんですか?」
「どうってことないって。運が悪けりゃ死ぬだけだよ」
塚本は無言でバッグを担いている。その光景を、槙原、金田、堀川が眺めていた。 こちらも帰宅準備中の青雲の二人、幻舟と由真がホテルの陰で逢瀬を楽しんでいた
「約束は果たしたよ。由真ちゃんは?」
幻舟の問いかけに、由真はたじろいだ。
「わたしは、幻ちゃんと違って実績がないから」
「マネージャーとして、チームを支えてくれた。実績にならないかな」
そう言うと、幻舟は最愛の少女の肩をつかんでしっかりと抱きしめた。それぞれの思いが残る中、インターハイは終わった。
翌日、白石と真琴は居酒屋で飲んでいた。白石の行きつけの店は木造建築でかなり年季が入っていたが、木の温もりを感じさせる、落ち着いた雰囲気が魅力的だった。
「それで、お前はわしに何を言いたい?由真に大杉を取られたことが悔しいのか?」
「お気づきでしたか」
白石はビールをあおってジョッキを空にするとまたビールを注文する。
「残酷な言い方だが、あの二人の絆は壊れんだろう。お前ほど綺麗で大人びた女ならいくらでも男は寄ってくる。しかし、大杉でないとお前には意味がない。そうだな?」
「ええ、それでも二人が仲良く話しているのを見るのさえつらくて」
真琴の両目からどっと涙があふれた。カウンターに小さな水溜りができあがった。白石がおしぼりで濡れた部分をふく。いつもの強気な態度から想像もできないくらい、真琴の嗚咽は悲壮感があった。
「泣け。気が済むまで泣け。今日だけ、わしがいくらでも付き合ってやる」
「先生、ありがとうございます」
赤子のように泣きじゃくる真琴の背中を、白石は軽く叩いた。
翌年の四月、鬼神は母校の体育館を訪れた。そのうち半分は男子バスケ部が使っていて、選手たちが精力的に練習していた。
「みんな、集中力が落ちてるよ!そんなんじゃ、神奈川の予選突破すら危うい。危機感を持って!」
「はい!」
メガホンを使って怒鳴っているのは小太郎だ。鬼神の姿を認めると鬼の形相から笑顔に変わる。
「岩倉さん、お久しぶりです。仕事は休みですか?」
「ああ、入社してから一回も有給を使ってなかったから上司の命令でな。ところで、真琴さんと雅和は?」
「監督は横浜西に行って練習試合の日程を調整してます。雅和君はここにいない部員と走り込みです」
「ふーん。で、どうだ?新入部員は期待できそうか?」
「ええ。去年インターハイで優勝できたおかげで中学時代、全国へ行った選手が六人、ほかにも有望株が何人かいます」
「幻舟は由真ちゃんと、さつきは久美子さんと上手くいってるみたいだな」
「岩倉さんは?」
「お前ね、俺みたいな頭の悪い奴は女にもてないと相場が決まってるんだよ。わかってて言ってんだろ?今日はもう帰る。予選が始まったらできる限り見たいから、また連絡してくれ」
「お疲れさまでした!」
小太郎は去っていく鬼神の背中に深く一礼すると、再びメガホンで指示を出した。
了




