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鉄世界

作者: レンロズ
掲載日:2026/01/21

「研二(けんじ)、これ磨(みが)いとけ。明日(あした)までな」


親方(おやかた)がクレーンで吊(つ)り下(さ)げるのは、腐(くさ)り切(き)った鉄骨(てっこつ)だった。どこかの解体(かいたい)現場(げんば)から拾(ひろ)ってきたのだろう。分厚(ぶあつ)い瘡蓋(かさぶた)のようになった錆(さび)はトゲトゲとその身(み)を守(まも)っている。


「…これ、何処(どこ)から拾(ひろ)ってきたんですか。磨(みが)いても直(す)ぐ折(お)れますよ」

「うるせぇ。お前(まえ)は俺(おれ)に従(したが)ってればいいんだよ。気付(きづ)かれやしねぇよ、どれだけの中間(ちゅうかん)業者(ぎょうしゃ)が入(はい)ってると思(おも)ってんだ」


ゴスッ。親方(おやかた)は無駄(むだ)にある筋力(きんりょく)で頭(あたま)を殴(なぐ)ってから去(さ)っていく。

落(お)ちこぼれた俺(おれ)を拾(ひろ)ってくれた親方(おやかた)に恩(おん)は感(かん)じているが、錆(さび)取(と)りは好(す)きになれなかった。

鉄工場(てっこうじょう)を名乗(なの)りながら錆(さび)び付(つ)いたトタン屋根(やね)を張(は)り、再利用(さいりよう)した鉄鋼(てっこう)を売(う)り出(だ)す。

溶(と)かして作(つく)り直(なお)すなんてことは滅多(めった)にしないのに、朝礼(ちょうれい)の時間(じかん)には誇(ほこ)り一(ひと)つないように毎日(まいにち)拭(ふ)かせる。

コーティングが落(お)ちるだけだと言(い)ったこともあったが、親方(おやかた)の最後(さいご)の見栄(みえ)なのだろう、殴(なぐ)られるだけだった。


「ヤベッ」


意識(いしき)が逸(そ)れていた。

右手(みぎて)に握(にぎ)るサンダーは茶褐色(ちゃかっしょく)の錆(さび)を超(こ)え、金属(きんぞく)の輝(かがや)きを残(のこ)す部分(ぶぶん)を削(けず)り火花(ひばな)を散(ち)らせる。

鮮(あざ)やかなオレンジ色(いろ)や白(しろ)、鉄(てつ)の粉(こな)が燃(も)え星(ほし)を見(み)せる。

子供(こども)時代(じだい)に戻(もど)ったようだ、暖(あたた)かい家(いえ)、優(やさ)しい家族(かぞく)、美味(おい)しいご飯(はん)。

煌(きら)めきは一瞬(いっしゅん)で直(す)ぐに灰褐色(はいかっしょく)の世界(せかい)に戻(もど)る。


「美(うつく)しい」


忘(わす)れていた感情(かんじょう)だった。

寒空(さむぞら)の作業(さぎょう)で、心(こころ)も鉄(てつ)のように冷(つめ)たく硬(かた)くなっていたのかもしれない。


「何(なん)だお前(まえ)、大声(おおごえ)出(だ)したかと思(おも)えばボーとしやがって、切(き)ったんじゃねぇだろうな」

「違(ちが)います。直(す)ぐにやります」

「言(い)われなくてもやるんだよ」


大声(おおごえ)に怪(あや)しんだ親方(おやかた)のようだが、少(すこ)し削(けず)ったのはバレてないようだ。

去(さ)り際(ぎわ)の拳骨(げんこつ)が痛(いた)い。

今(いま)までなら痛(いた)みにぐちぐち文句(もんく)を垂(た)れている所(ところ)だが、あの光景(こうけい)をもう一度(いちど)みたい思(おも)いが俺(おれ)の頭(あたま)を支配(しはい)していた。

今(いま)の自分(じぶん)に出来(でき)るのは、この腐(くさ)った鉄(てつ)の皮膚(ひふ)をひたすらに削(けず)り落(お)とす事(こと)だけだ。

その時(とき)にちょっと勢(いきお)いあまっても誰(だれ)も文句(もんく)は言(い)わないだろう。

そう思(おも)えばこのゴミの塊(かたまり)が宝(たから)に見(み)える。

サンダーが激(はげ)しい振動(しんどう)と共(とも)に、静寂(せいじゃく)を切(き)り裂(さ)く悲鳴(ひめい)をあげる。

回転(かいてん)する刃(は)を押(お)し当(あ)て、錆(さび)を削(けず)る。

剥(は)がれ落(お)ちた錆(さび)の粉(こな)が視界(しかい)を茶色(ちゃいろ)く汚(よご)し、呼吸(こきゅう)を阻害(そがい)する。

鈍(にぶ)い鉄(てつ)の輝(かがや)きが姿(すがた)を表(あらわ)し、一瞬(いっしゅん)の煌(きら)めきを見(み)せる。

錆(さび)の粉(こな)が俺(おれ)を蝕(むしば)むと解(わか)っていても口角(こうかく)が上(あ)がるのを抑(おさ)えられない。

オッといけないこれ以上(いじょう)削(けず)ってしまえば親方(おやかた)に気付(きづ)かれる。

幸(さいわ)いにも横(よこ)を見(み)れば幾(いく)らでも錆(さび)はあるのだから。


町(まち)に正午(しょうご)の鐘(かね)が鳴(な)る。

昼休憩(ひるきゅうけい)の時間(じかん)だ、これ以上(いじょう)やればこの星(ほし)が誰(だれ)かに見(み)られてしまう。

サンダーの電源(でんげん)を落(お)とし、小屋(こや)に向(む)かう。


「研二(けんじ)、また殴(なぐ)られてたけど、大丈夫(だいじょうぶ)か?あのクソジジイ、俺(おれ)らに錆取(さびと)りさせて優雅(ゆうが)にドライブだぜ」


同僚(どうりょう)が軍手(ぐんて)を外(はず)しながらコンビニのパンを差(さ)し出(だ)してくれる。


「大丈夫(だいじょうぶ)だよ、むしろ楽(たの)しい」

「は?オイオイどうしちまったんだよ。いつもは、後(うし)ろから刺(さ)してやるわ。とか言(い)ってただろ」

「仕事(しごと)が楽(たの)しくなってきたんだよ。錆(さび)も宝物(たからもの)を守(まも)っていたと考(かんが)えると愛(いと)おしく思(おも)えてきてさ」

「頭(あたま)まで錆(さび)が回(まわ)っちまったのかよ。殴(なぐ)られたからか?目(め)も赤(あか)くなってるじゃないか、今日(きょう)だけは俺(おれ)のゴーグル貸(か)してやろうか?」

「要(い)らないよ、良(よ)く見(み)えないだろ」


作業着(さぎょうぎ)に積(つ)もった茶色(ちゃいろ)の粉(こな)を弄(もてあそ)びながら笑顔(えがお)を浮(う)かべる。

同僚(どうりょう)がその後(あと)も2、3日(にち)は話(はな)しかけてきたが、同(おな)じように返(かえ)すと引(ひ)き攣(つ)った笑(わら)みを浮(う)かべて頑張(がんば)れよなんて言(い)って去(さ)っていく。

激励(げきれい)だなんてあいつも分(わ)かっていたのかもしれない。

2人(にん)でやってたら見(み)つかる可能性(かのうせい)が上(あ)がる。

その為(ため)に離(はな)れたんだろう。

良(い)いぜ、お前(まえ)もいい星(ほし)を見(み)ろよ。


研二(けんじ)の作業(さぎょう)スピードは異常(いじょう)なまでに加速(かそく)した。

当(あ)たり前(まえ)だろう、錆(さび)が飛(と)び、体(からだ)を侵(おか)す事(こと)を恐(おそ)れずにほぼ最高速(さいこうそく)で削(けず)り続(つづ)けるのだ。

親方(おやかた)から回(まわ)されるもの以外(いがい)に工場(こうじょう)の外(そと)に積(つ)まれた鉄骨(てっこつ)まで手(て)をつけ始(はじ)め、朝(あさ)から晩(ばん)まで作業(さぎょう)する。

外(そと)の物(もの)を削(けず)ったのは正解(せいかい)だった。

なにせ雨(あめ)でより複雑(ふくざつ)に腐食(ふしょく)している。削(けず)る箇所(かしょ)にも宝(たから)が残(のこ)り、星(ほし)を見(み)せてくれる。

人(ひと)が来(こ)ないのも良(よ)い。誰(だれ)にも邪魔(じゃま)されず、鉄(てつ)の柔肌(やわはだ)を掘(ほ)り起(お)こし、星(ほし)を散(ち)らす作業(さぎょう)に没頭(ぼっとう)できるのだ。

夜(よる)は流石(さすが)に見(み)つかりやすい。朝(あさ)早(はや)く、空(そら)が白(しろ)み始(はじ)めるころから茜色(あかねいろ)に染(そ)まるころまで、後(あと)は適当(てきとう)に削(けず)ってまた明日(あした)だ。

明日(あした)が楽(たの)しみになる。昨日(きのう)仕上(しあ)げたお楽(たの)しみ袋(ぶくろ)を開(あ)けていく。

研二(けんじ)の働(はたら)きに親方(おやかた)も気(き)を良(よ)くする。

放棄(ほうき)された鉄屑(てつくず)を拾(ひろ)い、仕事(しごと)として回(まわ)す。

それを売(う)れば、金払(かねばら)いが良(よ)くなり、サンダーの刃(は)を交換(こうかん)し、更(さら)に星(ほし)が見(み)えるようになる。

美(うつく)しい世界(せかい)だ。

最近(さいきん)は痰(たん)も黒(くろ)く染(そ)まり、鉄(てつ)の匂(にお)いが四六時中(しろくじちゅう)するようになった。

夜(よる)になれば発熱(はつねつ)し、寒(さむ)い寝床(ねどこ)を温(あたた)めてくれる。

胸(むね)が重(おも)く痛(いた)い。これが昔(むかし)、母(はは)の言(い)っていた恋(こい)なのだろう、相手(あいて)は勿論(もちろん)鉄(てつ)の魅(み)せる星(ほし)か。

ああ、すまない母(はは)よ。私(わたし)の恋人(こいびと)は人(ひと)ではないようだ。だがもうこの思(おも)いは止(と)められない。真実(しんじつ)の愛(あい)を見(み)つけてしまったのだから。


「研二(けんじ)」

「はい、親方(おやかた)。今日(きょう)はどうされました?」

「お前(まえ)の働(はたら)きぶりが良(よ)いからな。とっておきの仕事(しごと)を回(まわ)してやる」

「とっておきですか?」

「とっておきだ。ついてこい」


サンダーなどの仕事(しごと)道具(どうぐ)を持(も)って車(くるま)に乗(の)る。

連(つ)れてこられたのは雑居(ざっきょ)ビルの地下(ちか)3階(かい)。


「ここはな、一度(いちど)浸水(しんすい)してから使(つか)われていない駐車場(ちゅうしゃじょう)だ。これから、工事(こうじ)して再開発(さいかいはつ)するらしいんだが、見(み)えてる鉄骨(てっこつ)が錆(さび)だらけだと見栄(みば)えが悪(わる)いだろ。そういうことで、依頼(いらい)が来(き)たんだよ。でも、大勢(おおぜい)が入(はい)って行(い)ったら怪(あや)しいからな。出来(でき)るだけ少人数(しょうにんずう)でってことだ。やってくれるな?」

「喜(よろこ)んで」

「電源(でんげん)は通(とお)っているし、掃除用(そうじよう)にブロワーも借(か)りてきたんだ。頑張(がんば)ってくれや」


車(くるま)のライトが無(な)くなると完全(かんぜん)な暗闇(くらやみ)に包(つつ)まれる。

ヘッドライトを点(つ)け、電源(でんげん)を探(さが)す。

壁面(へきめん)と所々(ところどころ)に立(た)つ柱(はしら)には剥(む)き出(だ)しになった鉄骨(てっこつ)が並(なら)ぶ。


「ここなら綺麗(きれい)に見(み)えそうだ」


延長(えんちょう)コードを引(ひ)っ張(ぱ)り、最初(さいしょ)の獲物(えもの)の前(まえ)に立(た)つ。

激(はげ)しい振動(しんどう)が腕(うで)に伝(つた)わり、鼓動(こどう)が早(はや)まる。モーターの悲鳴(ひめい)はまるで歓喜(かんき)の産声(うぶごえ)だ。

ヘッドライトを消(け)し、今(いま)か今(いま)かとその瞬間(しゅんかん)を待(ま)つ。

手(て)に伝(つた)わる感触(かんしょく)が脆(もろ)いボロボロしたものから硬(かた)いものに当(あ)たった時(とき)、星(ほし)が舞(ま)った。

世界(せかい)に色(いろ)が差(さ)す。

一瞬(いっしゅん)の煌(きら)めきを魅(み)せ消(き)えていく。


「はぁ、美(うつく)しい」


もう音(おと)は聞(き)こえない。

高鳴(たかな)る心拍(しんぱく)が次(つぎ)を次(つぎ)をと、求(もと)めている。

衝動(しょうどう)に突(つ)き動(うご)かされるように削(けず)り続(つづ)ける。

床(ゆか)に転(ころ)がる星(ほし)も、目(め)の前(まえ)で弾(はじ)ける星(ほし)も、上(うえ)から降(ふ)る星(ほし)もどれもが美(うつく)しい。

ここでは、地上(ちじょう)で見(み)れなかった星(ほし)も見(み)える。

サンダーをわざと低速(ていそく)で回(まわ)し、目(め)の粗(あら)いもので削(けず)ると金属(きんぞく)らしい輝(かがや)きをした鉄粉(てっぷん)が零(こぼ)れる。

それに星(ほし)が当(あ)たると、また美(うつく)しい光(ひかり)を放(はな)つ。

地上(ちじょう)の星空(ほしぞら)。俺(おれ)だけの楽園(らくえん)だ。


「ちょっと我慢(がまん)してみるか」


鉄粉(てっぷん)を集(あつ)める。

ここには俺(おれ)しかいないんだ。バレることはない。

仕事(しごと)もちゃんとこなしている。

削(けず)りだした鉄粉(てっぷん)を錆(さび)と一緒(いっしょ)にブロワーで一(ひと)か所(しょ)に飛(と)ばしていく。

ヘッドライトに反射(はんしゃ)して空中(くうちゅう)に舞(ま)った鉄粉(てっぷん)がキラキラと輝(かがや)くのが美(うつく)しい。地上(ちじょう)付近(ふきん)を飛(と)ぶものも見(み)たことはないが海(うみ)の波(なみ)のようだ。


「さあ、行(い)くぞ」


当(あ)たりを飛(と)ぶ煌(きら)めきに名残惜(なごりお)しさを感(かん)じながら、ヘッドライトを消(け)し、サンダーを鉄骨(てっこつ)に触(ふ)れさせる。

輝(かがや)きが生(う)まれる。

それは地(ち)へ空(そら)へと広(ひろ)がり、光(ひかり)に飲(の)み込(こ)まれる。

滞留(たいりゅう)していた金属粉(きんぞくふん)や埃(ほこり)が一瞬(いっしゅん)で連鎖的(れんさてき)に引火(いんか)する。

爆音(ばくおん)が轟(とどろ)き、地下(ちか)を炎(ほのお)が支配(しはい)する。

衝撃波(しょうげきは)で自身(じしん)が宙(ちゅう)を舞(ま)い、肺(はい)を焼(や)かれる。

コンクリートの壁(かべ)に叩(たた)きつけられ、閉(と)じていた瞼(まぶた)を開(あ)ける。


(嗚呼(ああ)、美(うつく)しい)


爆風(ばくふう)によって、削(けず)りだした鉄粉(てっぷん)が四方(しほう)に飛(と)び、最後(さいご)の輝(かがや)きを見(み)せる。錆(さび)さえも赤(あか)く染(そ)まっている。所々(ところどころ)に見(み)える銀色(ぎんいろ)や青緑色(あおみどりいろ)の光(ひかり)は何(なん)だろう。排気(はいき)ガスと微粒子(びりゅうし)に覆(おお)われた本物(ほんもの)の星空(ほしぞら)を優(ゆう)に越(こ)える星空(ほしぞら)がそこには広(ひろ)がっていた。目(め)の水分(すいぶん)が蒸発(じょうはつ)し、視界(しかい)が白(しろ)く染(そ)まる。

声(こえ)にならない声(こえ)を出(だ)し、穏(おだ)やかな風(かぜ)に運(はこ)ばれ、意識(いしき)を星空(ほしぞら)に沈(しず)める。

重(おも)く熱(あつ)い抱擁(ほうよう)を受(う)けてこの世(よ)から消(き)えた。

爆発落ちなんてサイテー

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