鉄世界
「研二、これ磨いとけ。明日までな」
親方がクレーンで吊り下げるのは、腐り切った鉄骨だった。どこかの解体現場から拾ってきたのだろう。分厚い瘡蓋のようになった錆はトゲトゲとその身を守っている。
「…これ、何処から拾ってきたんですか。磨いても直ぐ折れますよ」
「うるせぇ。お前は俺に従ってればいいんだよ。気付かれやしねぇよ、どれだけの中間業者が入ってると思ってんだ」
ゴスッ。親方は無駄にある筋力で頭を殴ってから去っていく。
落ちこぼれた俺を拾ってくれた親方に恩は感じているが、錆取りは好きになれなかった。
鉄工場を名乗りながら錆び付いたトタン屋根を張り、再利用した鉄鋼を売り出す。
溶かして作り直すなんてことは滅多にしないのに、朝礼の時間には誇り一つないように毎日拭かせる。
コーティングが落ちるだけだと言ったこともあったが、親方の最後の見栄なのだろう、殴られるだけだった。
「ヤベッ」
意識が逸れていた。
右手に握るサンダーは茶褐色の錆を超え、金属の輝きを残す部分を削り火花を散らせる。
鮮やかなオレンジ色や白、鉄の粉が燃え星を見せる。
子供時代に戻ったようだ、暖かい家、優しい家族、美味しいご飯。
煌めきは一瞬で直ぐに灰褐色の世界に戻る。
「美しい」
忘れていた感情だった。
寒空の作業で、心も鉄のように冷たく硬くなっていたのかもしれない。
「何だお前、大声出したかと思えばボーとしやがって、切ったんじゃねぇだろうな」
「違います。直ぐにやります」
「言われなくてもやるんだよ」
大声に怪しんだ親方のようだが、少し削ったのはバレてないようだ。
去り際の拳骨が痛い。
今までなら痛みにぐちぐち文句を垂れている所だが、あの光景をもう一度みたい思いが俺の頭を支配していた。
今の自分に出来るのは、この腐った鉄の皮膚をひたすらに削り落とす事だけだ。
その時にちょっと勢いあまっても誰も文句は言わないだろう。
そう思えばこのゴミの塊が宝に見える。
サンダーが激しい振動と共に、静寂を切り裂く悲鳴をあげる。
回転する刃を押し当て、錆を削る。
剥がれ落ちた錆の粉が視界を茶色く汚し、呼吸を阻害する。
鈍い鉄の輝きが姿を表し、一瞬の煌めきを見せる。
錆の粉が俺を蝕むと解っていても口角が上がるのを抑えられない。
オッといけないこれ以上削ってしまえば親方に気付かれる。
幸いにも横を見れば幾らでも錆はあるのだから。
町に正午の鐘が鳴る。
昼休憩の時間だ、これ以上やればこの星が誰かに見られてしまう。
サンダーの電源を落とし、小屋に向かう。
「研二、また殴られてたけど、大丈夫か?あのクソジジイ、俺らに錆取りさせて優雅にドライブだぜ」
同僚が軍手を外しながらコンビニのパンを差し出してくれる。
「大丈夫だよ、むしろ楽しい」
「は?オイオイどうしちまったんだよ。いつもは、後ろから刺してやるわ。とか言ってただろ」
「仕事が楽しくなってきたんだよ。錆も宝物を守っていたと考えると愛おしく思えてきてさ」
「頭まで錆が回っちまったのかよ。殴られたからか?目も赤くなってるじゃないか、今日だけは俺のゴーグル貸してやろうか?」
「要らないよ、良く見えないだろ」
作業着に積もった茶色の粉を弄びながら笑顔を浮かべる。
同僚がその後も2、3日は話しかけてきたが、同じように返すと引き攣った笑みを浮かべて頑張れよなんて言って去っていく。
激励だなんてあいつも分かっていたのかもしれない。
2人でやってたら見つかる可能性が上がる。
その為に離れたんだろう。
良いぜ、お前もいい星を見ろよ。
研二の作業スピードは異常なまでに加速した。
当たり前だろう、錆が飛び、体を侵す事を恐れずにほぼ最高速で削り続けるのだ。
親方から回されるもの以外に工場の外に積まれた鉄骨まで手をつけ始め、朝から晩まで作業する。
外の物を削ったのは正解だった。
なにせ雨でより複雑に腐食している。削る箇所にも宝が残り、星を見せてくれる。
人が来ないのも良い。誰にも邪魔されず、鉄の柔肌を掘り起こし、星を散らす作業に没頭できるのだ。
夜は流石に見つかりやすい。朝早く、空が白み始めるころから茜色に染まるころまで、後は適当に削ってまた明日だ。
明日が楽しみになる。昨日仕上げたお楽しみ袋を開けていく。
研二の働きに親方も気を良くする。
放棄された鉄屑を拾い、仕事として回す。
それを売れば、金払いが良くなり、サンダーの刃を交換し、更に星が見えるようになる。
美しい世界だ。
最近は痰も黒く染まり、鉄の匂いが四六時中するようになった。
夜になれば発熱し、寒い寝床を温めてくれる。
胸が重く痛い。これが昔、母の言っていた恋なのだろう、相手は勿論鉄の魅せる星か。
ああ、すまない母よ。私の恋人は人ではないようだ。だがもうこの思いは止められない。真実の愛を見つけてしまったのだから。
「研二」
「はい、親方。今日はどうされました?」
「お前の働きぶりが良いからな。とっておきの仕事を回してやる」
「とっておきですか?」
「とっておきだ。ついてこい」
サンダーなどの仕事道具を持って車に乗る。
連れてこられたのは雑居ビルの地下3階。
「ここはな、一度浸水してから使われていない駐車場だ。これから、工事して再開発するらしいんだが、見えてる鉄骨が錆だらけだと見栄えが悪いだろ。そういうことで、依頼が来たんだよ。でも、大勢が入って行ったら怪しいからな。出来るだけ少人数でってことだ。やってくれるな?」
「喜んで」
「電源は通っているし、掃除用にブロワーも借りてきたんだ。頑張ってくれや」
車のライトが無くなると完全な暗闇に包まれる。
ヘッドライトを点け、電源を探す。
壁面と所々に立つ柱には剥き出しになった鉄骨が並ぶ。
「ここなら綺麗に見えそうだ」
延長コードを引っ張り、最初の獲物の前に立つ。
激しい振動が腕に伝わり、鼓動が早まる。モーターの悲鳴はまるで歓喜の産声だ。
ヘッドライトを消し、今か今かとその瞬間を待つ。
手に伝わる感触が脆いボロボロしたものから硬いものに当たった時、星が舞った。
世界に色が差す。
一瞬の煌めきを魅せ消えていく。
「はぁ、美しい」
もう音は聞こえない。
高鳴る心拍が次を次をと、求めている。
衝動に突き動かされるように削り続ける。
床に転がる星も、目の前で弾ける星も、上から降る星もどれもが美しい。
ここでは、地上で見れなかった星も見える。
サンダーをわざと低速で回し、目の粗いもので削ると金属らしい輝きをした鉄粉が零れる。
それに星が当たると、また美しい光を放つ。
地上の星空。俺だけの楽園だ。
「ちょっと我慢してみるか」
鉄粉を集める。
ここには俺しかいないんだ。バレることはない。
仕事もちゃんとこなしている。
削りだした鉄粉を錆と一緒にブロワーで一か所に飛ばしていく。
ヘッドライトに反射して空中に舞った鉄粉がキラキラと輝くのが美しい。地上付近を飛ぶものも見たことはないが海の波のようだ。
「さあ、行くぞ」
当たりを飛ぶ煌めきに名残惜しさを感じながら、ヘッドライトを消し、サンダーを鉄骨に触れさせる。
輝きが生まれる。
それは地へ空へと広がり、光に飲み込まれる。
滞留していた金属粉や埃が一瞬で連鎖的に引火する。
爆音が轟き、地下を炎が支配する。
衝撃波で自身が宙を舞い、肺を焼かれる。
コンクリートの壁に叩きつけられ、閉じていた瞼を開ける。
(嗚呼、美しい)
爆風によって、削りだした鉄粉が四方に飛び、最後の輝きを見せる。錆さえも赤く染まっている。所々に見える銀色や青緑色の光は何だろう。排気ガスと微粒子に覆われた本物の星空を優に越える星空がそこには広がっていた。目の水分が蒸発し、視界が白く染まる。
声にならない声を出し、穏やかな風に運ばれ、意識を星空に沈める。
重く熱い抱擁を受けてこの世から消えた。
爆発落ちなんてサイテー




