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第二部 三章

「俺、色々知りすぎた気がします」


裕誠は手の中にあるスマホを伏せるようにして机に置き、そう呟いた。

画面の向こうにあった騒がしさが、急に遠のくようだった。


「生きているうちに知れなかったことを、死んでから語るのは卑怯ですね」


清一は肩を竦めて笑いながらそう言った。


「いや、それは……」


言いかけて、裕誠は言葉を探しながら気まずそうに頭を掻いた。


「……でも、知りすぎたのに、まだ知りたいというか……

まだ話せますか?」


清一は目を細め、ゆっくりと頷きながら、


「勿論。時間の許す限り」

そう言ってどこか遠くを見るように微笑んだ。


「……時間、ですか」


裕誠は清一の言葉をなぞるようにぽつりと呟く。


「連れて行かれてからどれくらいそこにいたか分からないってことが、位牌に没年がない理由ですか?」


「ああ、その通りだよ」


清一は微笑みを残したまま答えた。


「いつ死んだか知る権利も、家族にさえなかった。

……最初から、私は生きていなかったかのようにね」


裕誠は息を呑む。

「……そんな」


「……ひいおばあちゃんと子供は、それからどうなったんですか?」


清一は少し間を置いてから答える。


「幸い、死んだ時には家に帰れたそうだ」


それが救いなのかどうか、裕誠には判断がつかなかった。


「近所では、"あの家の人が連れて行かれて死んだらしい"っていう空気はあったらしい」


「……その、責められたりしましたか?」


「露骨なことはなかったらしい」


だが、と続ける。


「『余計なこと言うからだ』とか『変わり者だから』とか、そういう言葉は確かにあったみたいだよ」


「でも戦争が終わると、それはぱたりとなくなったそうだ。手のひら返したようにね」


「……そんな急に?」


「ああ。何事もなかったかのようにね」


裕誠はさっきまで見ていた炎上動画を思い出す。

注目されなくなると、すっかり忘れ去られてまた次の話題に飛びつく。

そして、誰かを叩き終えた指で次の誰かを指さす。

その"戻り方"が酷く現代と似ているように感じられた。


「それでも、さよは懸命に生きたよ」


清一はどこか誇らしげに言った。

それは語られることのなかった家族の時間を、初めて他人に明かすような表情だった。


戦争が終わっても、すぐに優しい時代が来たわけではない。

女性であるというだけで選べない道も多く残されてた。


だが彼女は社会に出て働き、子を育てた。

誰かに褒められなくても、理不尽なことに遭遇しても、生きることをやめなかった。


「……息子は大きくなって、教師になった」


そして清一は、少し照れたように笑った。


「君がよく知っている、"おじいちゃん"だよ」



裕誠は在りし日の祖父の姿を思い浮かべた。

畑仕事をして、テレビを観ていて、裕誠の遊び相手をしてくれていた。

特別なことは言わないが、穏やかな人だった。


今まで当たり前のように存在していた祖父の人生の奥に、こんなにも重たい時間が折り重なっていたことを裕誠は初めて知った。


祖父がどんな思いで教師になったのか。

どんな思いで、父を育てたのか。

そんなことを、考えもしなかった。


自分には関係ないと思っていた戦争という影が家族の中に、静かに、重くのしかかっていたことに気づいてしまった。

何気なく過ごしてきた日常の向こうに、誰かが踏ん張って繋いできた時間がある。


「なんか、急に現実味が出ました」


驚きとも、戸惑いとも、尊敬ともつかない、よく分からない言葉が溢れた。



「そんな私も、さよがこちらに来てから教えてもらったことなんだけどね」


清一は小さく笑ったが、その笑みはどこか寂しげだった。


「その時は、お盆に帰れなかったんですか?」


「帰れなかったというより、帰らなかった」


静かに言い直す。


「さよが、『私たちは大丈夫』と言ってくれた言葉を言い訳にしていたのかもな」


照れ隠しのように視線を逸らし、


「本当は知るのが怖かったんだ。

自分がいない間に、どんな時間を生きてきたのかを。

……まったく、私は駄目だな」



「駄目なんかじゃないです」


裕誠は思わず声を強めてから、慌ててトーンを落とした。


「俺なんかが言える立場じゃないですけど……

同調圧力って逆らうだけで悪者にされることもあるし、何かこれまでと違うことをしようとしただけで"変な奴"って言われることだってありますし」


拳を握りしめる。


「それが命に関わる状況だったなら、尚更誰だって怖くなるし、黙りたくもなります。

……それに」



——誰かの命を奪って正しさを証明することは

できない


——それぞれの考えを、皆の望む道を口にすること

すら許されないのは賛成しかねる


清一が話していた、連行される前に言い放った言葉を思い浮かべ、裕誠はそれに、と続けた。


「……その言葉が逆鱗に触れたのかもしれないけど、

誰かにとっては救いの言葉になったと思います」


一度言葉を探すように視線を落とし、


「大袈裟かもしれないけど、その言葉が誰かに届いて戦争を終わらせるきっかけになったかもしれない。

あのまま何もしないで戦争が続いていたら、家族も、

俺だってここにいなかったかもしれません」



「……偉そうに、すみません。

だから、ひいおじいちゃんは駄目なんかじゃないです」



その瞬間、清一の目に溜まっていたものが静かに零れ落ちた。

そして、それを誤魔化すように笑った。


「……参ったね」


そう言いながら、指先で目元を押さえる。


「自分勝手なことをしたという後悔が、消え去った気がするよ。

……何もできなかったと思っていたことが巡り巡って、こうして返ってくるなんてね」


目に滲んだものをそっと瞬きで溢しながら微笑んだ。


「裕誠、ありがとう。

教師冥利に尽きるよ。本当に」



そう言うと、清一の輪郭が少しずつ薄れていった。


「……えっ?」


裕誠は思わず立ち上がる。

無情にも、時間が残されていないことを悟った。


「ちょ、ちょっと待ってください。

まだまだ話したいですよ」


焦りで声が上ずる。

清一は穏やかに微笑んだ。


「今の言葉で、十分だよ」


そう言って、少し視線を遠くに向けた。


「今度は、裕誠がこっちに来た時に積もる話をしよう。

……でも、まだ来ては駄目だ」


「縁起でもないこと言わないでくださいよ。

それに、また来年お盆に帰ってくるんじゃ……」


清一はくすりと笑い、ふと思い出したように言った。


「帰ってきてもこうして会える保証はないんだ。

……それじゃあ、最後に一つだけ」


「え?」


「置き土産みたいなものだ。

私の好きな言葉でね」


「……何ですか?」


清一は少し照れたように笑い、静かに告げた。


「"弓を引いて力一杯張り切って放つ矢は必ず中らない"」


裕誠はその言葉を反芻する。

「……どういう意味ですか?」


「焦って、力任せに"正しさを振りかざすな"

ということかな」


少しだけ真面目な顔になる。


「この言葉を残した彼もまた、命を守るため戦争に反対し続けた一人だった。

表舞台から去っても、揶揄されても、叩かれても……

それでも人を攻撃せず、言葉を曲げずに生きた人だ」


清一の姿がさらに薄くなった。


「……焦らなくていい。

張り切り過ぎず、誰かが放つ正しさに流されないで。

自分の矢を、自分の速さで放ってほしい」



裕誠の目に滲んだものが、瞬きで溢れる。


「……はい。忘れません。

この先、ずっと」



そして、清一は風に溶けるような穏やかな声で告げた。


「それじゃあ、元気でな。

こっちへ来るのは、遅くていいから」



ピロン——。


裕誠のスマホが鳴った。

日時は八月十六日、午前0時。


「ありがとう、ひいおじいちゃん」


その声は届いたどうか分からない。

裕誠の目の前には、もう誰もいなかった。


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