第7話 デビューの前に考えること
僕ら幼馴染は、将来の夢をそれぞれ芸能、芸術の分野に定めていた。
姉さんはまず絵を描かなきゃ生きていけないような人だったし、僕とリュートもそれぞれの野望があって、それに通ずる目標としてそれぞれの分野を見定めていた。
空那も僕らの例に漏れず、役者をやっていた両親に憧れておのずとその道を目指すようになった。たまたま近場にあった芸術系の学校を選んだ僕とリュートと違い、わざわざ遠方にある演劇関係の強い高校を進路に選んだのもそれが理由だ。
……それがまさか、役者の夢を諦めていたなんて。
リュートが隠していたのはおそらくこれのことだっただろう。
思い返せばこれまでの1年ちょっとの間も、ずっと空那の話題を避けていたようにも思える。リュートのことだ、空那が自分で告げるまでは黙っているつもりだったのだ。
だから、空那に訊きたいことはたくさんあった。
どうして夢を諦めたのか。諦めた今はどうしているのか。
それから、これからどうするのか。
けれど、僕と空那は1年ちょっとぶりに再会したばかり。積もる話なんて他にもたくさんあり――結局、その日は訊けずじまいに終わっていた。
「むう……」
空那と再会してから早3日。
初配信の準備やイラストの仕事などで忙しかったりするけど、僕は高校生だ。さすがに今の時期から授業をサボる訳にもいかず、今日も今日とて大人しく学校へ行っていた。
「次の授業、なんか課題あったっけ?」
「んー? 演習問題やっとけって」
「あーッ、また爆死した!」
「またー? 前々懲りないじゃん」
「ねえちょっと達間」
「なあ、それなんの動画?」
「少し前にデビューしたVドル。ジャス子のアーカイブ」
僕の通う折仲高校はよくある「生徒の自主性を重んじる」モットーで校則が緩く、昼休みなどはスマホの利用が自由。そんな中で、僕は購買で買ったパンをかじりながら近くにいる男子たちの会話に聞き耳を立てていた。
「あー知ってる。確かハコライブの新人だろ」
「そそ。まだデビューして数週間だけど配信も面白いし、何よりこのクソガキ感がいい」
「確か同期の中じゃ登録者も増えてるよな~。こりゃ3D化も動いてるのかね」
「だなぁ~最近ちょっと印象変わったけど、むしろ前より可愛くなった」
……ま、流石にイデアの話題じゃないよね。
だが、知ってるVドルの名前だ。
彼らが話しているのは、Vドルの中でも知名度の高い大手グループ『ハコライブ』――いわゆる『企業勢』のVドルだ。勝気でクセの強いキャラクター性とそれとは対照的に真面目な『魂』の性格が人気になった子である。
確か、初配信前から登録者数が数万は言ってたんだっけ。
流石は界隈最大手の『ハコ』……やはり、元の知名度が段違いなのだろう。
現在のVドル界隈はよっぽど有力な個人勢を除けば、『ハコ』のグループ勢が上位を席巻しているのが現状だ。まあ、横のつながりでコラボもしやすいし、機材や技術などのノウハウも豊富なのだから人が集まるのはむしろ当然。僕みたいなずぶの素人が一からVドルを生みだした所で、界隈をのし上がれるかは運次第である。
しかし、そんなことで『最強の美少女』を諦める僕じゃない。
「……ふ、ふふふ。今に見ているといいさ」
くしゃりと食べ終えたパンの袋を握って、人知れず呟く。
「魂はなんとかなったんだ。すぐに僕のイデアが界隈のスターダムを駆け上がって、いつか必ず皆から『最強の美少女』と呼ばれる――」
「ちょっと達間! 聞こえてるの!?」
ダンッ! と机を強く叩いた音が僕の呟きを遮った。
びっくりして肩が跳び上がる。周囲の反応も同じようなものだった。
皆がいっせいに静まり返って僕らの方へと注目し……すぐに「なんだお前か」とでも言いたげな顔で各々の話題へと帰って行った。
いやその「またかよ」って顔はやめてってば!
僕も皆のように素知らぬ顔でスルーしたかったのだが、残念ながら怒声の犯人が目の前で鬼のような形相をしているのでそれもできない。
「……い、いきなりどうしたのさ。委員長?」
「いきなりじゃないわよ。それと委員長じゃなくてショーカって呼んで」
犯人、もとい僕の目の前に立っていたのは勝気そうな印象の女子生徒だった。
艶やかな黒髪に吊りあがった大きな瞳。凛とした顔立ちとピシッとした制服姿からどこか大人っぽい印象が強い子だけど、実際は僕よりも低い身長から「背伸びしがちな子供」という印象の子だ。……たぶん、それを指摘したら半殺しになるだろうけど。
そんな大人っぽくもあり子供っぽくもある彼女の名前は、来嶋咲夏。僕らのクラスを取りまとめる学級委員長である。
「え~委員長は委員長じゃん。というかそこは名前じゃなくて名字じゃない? 委員長は僕のこと名字で呼んでるのに、不公平だよ」
「だから、そのコテコテな呼び名が恥ずかしいの! 昔から名前で呼ばれてたからそっちの方が慣れてるってだけ! ずっと言ってるじゃないのよッ?」
「僕だって委員長のこと名前で呼ぶのが恥ずかしいよ。ていうかさ、前々から思ってたんだけど、ただのクラスメイトを――」
「……ねえ達間。アンタ、もしかして誤魔化すためにわざと言ってない?」
「さーて次の授業は移動教室だったはず」
「待ちなさいっての」
席を立とうとした僕の額に咲夏の手が伸びる――ってイタタタタタタッ!? アイアンクローじゃん! しかもその角度からだと椅子から立てなくなるやつ!
すぐに「ギブギブ」と僕の頭を掴んだ咲夏の手を叩く。
幸い彼女の方にも僕を痛めつける意図はないようで、咲夏は僕の頭を解放してからこれ見よがしに嘆息した。
「まったくもう……進路希望調査。今日が締切でしょ? 確かアンタまだ出してなかったはずだから回収しにきたの。私の方でまとめて先生のとこに出しておくから」
「……ああ、なんだそんなこと」
そんなことのためにわざわざ回収しにくるの? とも思わないでもないが、口に出すとまた手が返ってきそうだったので大人しく口をつぐんでおく。
「なによ、ちゃんと持ってきてるじゃないの」
「これから出しにいくつもりだったの。委員長は僕を何だと思ってるのさ」
「忘れ物の常習犯」
……それは、イデアの作業と仕事で忙しかっただけで……
僕が視線を泳がせていると、咲夏は「やっぱり」と言った様子で腰に手を当てた。
「ホンットーにもう、何回も提出期限を破ってるもんだからって先生からも注意されてるでしょ? もっとちゃんと期限を守りなさいよね」
「なにさ、キミは僕のママにでもなったの?」
「そんなわけないでしょ。同い年のクラスメイト相手に子供みたいな駄々をこねないで」
「駄々じゃなくて屁理屈」
「似たようなものよ」
言いながら咲夏は僕の手から進路希望調査の紙をふんだくる。
それから何故か我が物顔でその内容を一瞥して、驚いたように眉を上げた。
「……あら、一応はちゃんと大学進学なのね」
「なんで勝手に見るのさ……まあ、勉強はできる内にしておけってね。親からも言われてるし、大学は大学で美術系だってたくさんあるし」
するかどうかは、きっとその時の状況にもよるだろうけど。