第49話 『最強』を超える
……未沙季さんを見くびっていたつもりはない。
彼女の技量や習熟速度には目を見張るモノがあった。経験も才能も、空那を軽く凌駕する実力があることは分かっていた。
それでも、ことイデアに関してだけは空那だって引けを取らないと、思っていた。
つい先ほどまでは。
次元が違った。
たった一曲で、実力の違いを思い知らされていた。
どれだけ否定しても。
どれだけ感想を上塗りしても。
見せつけられた映像が、聞かされた歌が、僕に向けて……僕だけは、決して思ってはいけないことを思わせてしまう。
決して考えてはいけないことを、考えさせてしまう。
『――――』
だって。
これは、あまりにもッ――
「大丈夫だよ、ムカイ」
そんな僕の動揺を見抜いてしまったのだろう。
傍らで未沙季さんのライブを見ていた空那が僕の肩にそっと手を乗せてきた。
「あの人の――ううん、希望イデアのすごさは私が一番よく分かってる。えっと、ミサキさんだっけ? あの人も、本気でイデアに成ろうとしてる。本気で私のイデアを超えてみせようと、全力でぶつかってきてくれたんだって」
だけど、と空那はぎゅっと手に力を込める。
「私は、負けないよ」
「……ここで気を遣うのは僕の方だっての」
ああもう、なんでここで空那に気を遣わせてるんだ僕は!
言葉と共に僕は肩に置かれていた空那の手を取る。
僕が思ったものと同じものを必死に抑えて込んでいるのだろう。その手はぷるぷると小刻みに震えていた。
「空那、キミは負けない」
恐怖、緊張、絶望。
彼女の手は今、様々な感情によって揺らいでいるのだ。
僕はその手をぎゅっと握り、まっすぐに彼女の瞳を見つめて言葉を告げる。
「キミの輝きを、キミの魅力を、僕は知ってる。未沙季さんがどれだけすごいモノを見せつけたとしても、キミにしかないチカラを、僕は……僕だけは、知ってる」
だからね、空那。
「キミは、ソレを皆に知らしめればいい。キミのチカラを、認めさせればいい」
「……ホントに勝てると思う?」
「…………五分くらい」
「こーゆー時はウソでもいいから勝てるって断言してよぉ~」
「そう言う器用な事ができないって空那なら知ってるじゃん!」
でも、『五分』だ。
未沙季さんがあれだけのパフォーマンスを見せつけても。完璧も完全も超越したようなイデアを見せつけられても、五分。
以前までのイデアのままじゃ、まず勝てない。
でも、今の空那は以前までの「挫折したまま」の彼女じゃない。
挫折して、投げ出して、部屋の中で閉じこもっていた空那じゃない。
もう一度立ち上がろうと、再び舞台の上に立ちたいと願い――ここにいるのだ。
だから、僕がやるべきことは、かけるべき言葉は、一つだけ。
「いってらっしゃい、空那」
握った空那の手を引いて、僕は彼女を撮影スペースへと連れて行く。
才能。実力。経験。
そんなもの関係ない。
ただ「舞台に立ちたい」という願いを、「もう一度輝きたい」という夢を、僕はそっと背中を押して送り出すだけ。
Vドル『希望イデア』としての、空那を。
「ここがキミの立つべきステージであると、皆に知らしめよう」
「――――うんッ」
僕の言葉に、空那はゆっくりと頷いて返す。
その手にはもう、震えはない。
その目にはもう、迷いはない。
己の夢を、己の願いを貫くと言う決意と共に、
「いってくるね、ムカイ!」
空那は『希望イデア』として、ステージに立った。
彼女を取り巻くのは、無数のライトとカメラとセンサーの群れ。僕はすぐに空那が立つ撮影スペースから離れてPCの前に戻って『イデアル』の舞台の幕を上げる。
すぐに闇夜をモチーフにしたステージとイデアルが僕らの配信画面に姿を現した。
「やっときたか」「逃げたと思った」「あっちすごかったもんな」「待ってました!」
配信が再開したことでコメントたちが反応を示す。
善意も悪意もごちゃまぜにされたような感情の矛先が一斉にステージのイデアルへ――空那へと突き付けられる。
……まるで、針のむしろじゃないか。
現実ではカメラとライトとセンサーの群れに。そして、Vドルとしてのステージではリスナーたちの視線と、様々な感情の矛先が空那を取り囲む。
どれだけのプレッシャーがあるのだろう。
どれだけの緊張が、恐怖が、空那を蝕んでいるのだろう。
けれど、それらに囲まれた中心で――
空那は、Vドルと成った。
『みんな、お待たせしました~!』
一拍の間を置き、ステージの上で『イデアル』が言葉を告げる。
先ほどまでの「イデアの前任」としての彼女ではなく、Vドルとしての彼女として。
『いやーごめんねー。あっちのわたしの歌があまりにもすごかったからちょっとばかし腰を抜かしちゃっててね! いっしょにいたパパくんもあまりのすごさに「完璧だ!」って感涙してちゃって、あやすのに時間かかっちゃいました! あ、ここからはちゃんと私としてやっていくから「いつも通り」のノリで行かせてもらうからヨロシク!』
「草」「やっぱパパくんこっち側か」「だったらこのまま引っ込んでろよ」「てか相手の歌に感激すんなよパパくん……」「勝てっこないとか思ってたんだろ」「どーせなら勝負から逃げ出してくれたら一生モノの笑い話にできたのに」
『ううん、もう逃げないよ』
にこやかに笑みを浮かべながら断言するイデアル。
『私が逃げ出したせいで、いっぱい迷惑をかけた人たちがいる。こんな私のために、手を尽くしてくれた人がいる。もう一度、立ち上れるチャンスをくれた人がいる』
だから、と空那の決心を灯した瞳でカメラの向こうを見定め、告げる。
『改めて自己紹介を! 夢と希望でみんなを照らす一番星! イデアルこと――希望イデアです!! ちゃんと聞いてね! 私が歌う曲名は――「星屑の煌めきを集めて」』
イデアルの言葉に合わせて、僕はライブを開始させた。
「星屑の煌めきを集めて」
これは未沙季さんの歌った「スターライト・シューティング!」とは打って変わったバラード調の楽曲だ。
イデアの「夢」という要素に焦点を置いた曲で、しっとりとしたリズムの中に夢へと目指す力強さを兼ね備えたナンバーだ。
イメージだけで言うなら、空那のイデアとは間逆を行く曲だろう。
それでも、空那はこの曲を選んだ。
どんな光すら呑み込んでしまう底なしの暗闇の中、ほんの小さな明かりを集めていくかのような淡く儚い歌。
けれど、集めた明かりが眩いばかりの光となって暗闇をはねのけてしまうような、前を向いて夢へと歩き出すための力が籠った歌。
空那はこの曲に、己の『願い』を乗せて歌う。
もう一度、歩き出したいと。
もう一度、輝きたいと。
闇夜の空に星屑が散らばるように、闇色だったステージがサビへ突入するのと同時に無数の煌めきを放ってイデアルの姿を照らし出す。
一瞬の流れ星のような煌めきの雨を一身に受けてイデアルは――空那は思いの丈の限りを絞って、歌詞を紡ぐ。
……誰か。誰でもいい。
どうか気付いてくれ。
どうか思い知ってくれ。
歌唱力は劣っている。振付の技術も、とっさのパフォーマンス力も、たしかに未沙季さんのイデアの方が数段も格上だ。
相手は本物の天才で、努力も重ねている。
技術も経験も劣っている空那が、歌の勝負で彼女に勝る要素はないと言っていい。
しかし、見るべきモノは歌の上手さじゃないんだ。
一度はステージから逃げ出し、夢が敗れた少女が。
何もかもを投げだし、失意の奥底にうずくまっていた少女が、今。
再び自分の足で立ち上がり、新しい夢へと向けて精一杯に前へ踏み出そうと、再びステージの上に立っている。
たとえ、それが同じ夢でなくても。
たとえ、それが現実で逃げ出したステージじゃなくても。
空那は今――新たな夢と共に、新しいステージの上に立っている。
その輝きを、その願いを、キミたちの目に焼き付てくれ――ッ!
『――――――』
さながら、夜空に迸る一条の流れ星のように。
流れ星へ願うかのような空那の歌は、やがて終わる。
時間にして3分と19秒。
鮮やかにステージを彩っていた無数の煌めきは消え失せ、全てが夢か幻だったかのように静寂が押し寄せる。
ステージに立つのは思いの限りを尽くして歌いきったイデアルのみ。
じっと瞼を閉じて勝負の結果を待っている。
彼女の『魂』である空那は、その瞼を開けると共に知ることだろう。
――己の願いが、叶えられたことを。
『イデアルch』
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