第45話 挑戦 VS希望イデア
倒れた原因は「過労」だと言われた。
空那の部屋で見事ぶっ倒れた僕は、リュートが呼んだ救急車に搬送された。
2週間の強行軍を敢行した身体に夕立の中を自転車で爆走したことがトドメになったようだ。診断してくれたお医者さんにも「そりゃ倒れるよ」と呆れられたほどだ。
とはいえ、言われた通り大人しく休んでいることなどできるはずもない。
なにせ、僕ができたのはまだ空那を立ち上がらせただけだ。
空那のイデアを取り戻すことも、リスナーたちを納得させることも、何一つとして成し遂げられてはいない。
正念場はまだまだここからなのに、何日ものうのうと寝込んでいられるはずもなかった。
――空那がイデアに復帰するために必要なこと。
空那自身を立ち上がらせることはできた。
残るは木深さんや衣越さんへの謝罪、代役を務めてくれた未沙季さんへの説明。
そして何よりも、今までイデアを応援してくれた全てのリスナーたちに、再び空那を受け入れてもらえるよう認めてもらわなければならない。
それはきっと、普通に経緯を説明して謝罪するだけでは足りないだろう。
空那はそれだけのことをした。
これを覆すには生半可な言葉では到底足りるものではない。
だからこそ、僕らには準備が必要だった。
残された時間は限りなく短い。
僕らはその全てを使い――
とうとう、決戦の日を迎えた。
僕の家にある小さな撮影スタジオ。
シャニプロに所属してからは向こうのスタジオを利用することが増えたので、ここでライブ配信をすることはめっきりなくなってしまったが、メンテナンスは怠っていない。
夕食時が近いこともあってリュートには買出しに出てもらってる中、僕と空那は二人っきりでイデアルのモデルの動作確認をしていた。
「うぅ、大丈夫かなぁ」
空那の重たいため息を聞いて僕はPC画面から顔を上げる。
撮影スペースに立ち、ジャージの上からハーネス型のモーションキャプチャのセンサーを身に纏った空那。テキパキと動作確認を続けているが、その顔色はあまりよくない。
「やっぱり、まだ不安?」
「……そりゃ不安だよ」
暗い面持ちの空那が答える。
「私のわがままでいろんな人たちに迷惑かけたのに、これからすることってもっと迷惑かけちゃうことだもん。もし、失敗なんかしたら……」
「大丈夫だよ。リスナーたちが君を支持すれば、全て丸く収まる」
「むぅ~それが一番難しいことじゃん」
「空那が心の奥底から訴えかければ、きっと大勢のリスナーが君を認めるはずだ」
「でも……」
「悪い考えが巡る前に手を動かす。ホラ、次は歩きのチェックするよ!」
僕が強引に話をまとめると、空那はしぶしぶながらも「は~い」と答えて、イデアルの動作確認に戻った。
……不安、か。そりゃ不安だよね。
一度は自分の意思で背を向けた――逃げ出した『舞台』。彼女が挫折を味わった現実のそれとはとがっても、再び自らの意思でそこへ舞い戻ろうと言うのだ。
彼女の過去を考えれば不安に思うのも無理はないだろう。
けれど、それを払拭するための、今日なのだ。
今日は、希望イデアのチャンネルで「サンステ直前! オリジナルソングお披露目生放送!」が行われる。
イデアの魂が未沙季さんになってから初のライブ配信であるため、その注目度はいつもよりもかなり高くなることだろう。
僕らがやろうとしている『決戦』。
それはつまり、イデアの配信に僕らのゲリラ配信をぶつけて、イデアと空那の直接対決をすることである。
……これはきっと、無用の挑戦なのかもしれない。
そもそもの話、空那がイデアに復帰するのにこんなゲリラ配信を行う必要はない。
なにせ本来のイデアは空那だ。
彼女に復帰する意思があるのなら、木深さんたちにお願いしてリスナーたちへ経緯の説明と謝罪をすれば、それだけで空那はイデアに復帰できる。
当然、大勢の納得できないリスナーたちを置き去りにして。
未沙季さんの成ったイデアは当初こそ「こんなのイデアじゃない!」と難色を示すリスナーが大半であったが、2週間が経った現在では「これはこれで」と評判を改めている者も多い。「本来のイデアは空那だから」という理由だけで空那が復帰すれば、必ず未沙季さんのイデアのファンになったリスナーたちから反感を買うのは確実だろう。
それに何よりも、他ならぬ空那自身がそれを認めない。
ゆえに、彼女がイデアに復帰するために必要なのは、二つ。
まず一番に空那が過去の自分を、失敗から周囲の反応を恐れ逃げ出してしまった自分を乗り越えれるかどうか。
そして、空那と未沙季さん。どちらのイデアを支持するリスナーたちにも認められた上で、空那がイデアに復帰することだ。
だからこその『決戦』であり、僕らは『挑戦者』となった。
空那と未沙季さん。
どちらが最強の美少女に――希望イデアにふさわしいかどうか。
配信はほとんどアウェイの中で行われるだろう。
万が一でも動作不良などあってはならない。
配信時間は刻一刻と迫っている。
僕らは可能な限りの時間を使ってモデルの動作や段取りの確認をして、リュートの買ってきてくれた弁当で腹ごしらえをした。
「ムカイ。向こうの放送はどーなってる?」
「ちょうど始まったね。時間通りだ」
遅めの夕食を終え、僕はノートPCの画面を注視する。
時刻は20時を過ぎたばかり。
イデアの配信開始時刻だ。
敵情視察のために用意したノートPCの画面では、ちょうど待機画面が切り替わり、証明の落とされて暗くなったイデアのステージ映像が映し出された。
……あれ?
「ん? 最初に一曲歌うんじゃなかったっけ?」
「うん。打ち合わせで聞いた話だとそうだったよ」
同じ疑問を抱いた空那に僕は頷いて同意する。
満天の星空をイメージした、イデア専用にデザインした煌びやかなステージ。配信画面の向こうの舞台に立ったイデア――未沙季さんは、緊張の面持ちを浮かべたまま。
……お披露目予定のオリジナルソングは2曲。そのうちの一曲をこのタイミングで披露する段取りだったはずだ。
訝しむ僕の先で、イデアがようやく口火を切った。
『今のわたしでお会いするのは、初めてですね』
BGMすらない静寂を破ったのは、イデアの言葉。
彼女は語りながら静かに一礼する。
『改めまして、皆さんはじめまして。わたしは、希望イデアです』
僕の傍らで配信画面を見つめていた空那がぎゅっと身体を抱きしめる。
段取りにない行動。
いや、『僕に対して』黙っていた段取り。
空那のことは向こうの誰にも話していない。
しかし、僕はイデアルの3Dモデルを作成するために2週間ほど音信不通となっていた。その時点で「僕が空那についた」と察したのだろう。
『この自己紹介でうすうす察している方も多いと思います。今日の配信はオリジナルソングの初披露がお題目……ですが、その前に。わたし、希望イデアに何があったのか、みなさんにお話をさせてください』
これは、未沙季さんによる僕らへの先制攻撃だ。
してやられた。
未沙季さんにしてみれば僕らの行動は予測ができない。ゆえに彼女は僕らが動きを見せるよりも早く、こうして先手を打ってきたのだ。
「キター!」「へえ、話すんだ」「待ってました!」「そんなことよりオレたちのイデアを返せよ」「おもしろくなってきた」「謝罪くるー?」「言い訳だけならさっさと辞めろ」
ざわめくようにコメントの流れが加速する。
Vドルの『魂』についての話は話題に上げないことが界隈での不文律となっている。
そこへ躊躇なく踏み込んで見せたイデアに対する反応はさまざまだが、快く受け入れられると言う空気ではないだろう。いや、むしろ悪い状態だ。
ほとんど圧倒的にアウェイの空気の中で、それでもイデアは淡々と言葉を伝える。
『事の経緯は、こうです。まず、前の私はある契約違反をしました』
「マジか」「暴露キター!」「だったらクビでいいじゃねーか」「信者息してる?」
『しかし、それは書類上における記入ミスのような些細なもの。法律や規約に抵触するものではありませんし、これを理由に彼女が契約解除に至ることはありませんでした。運営と太刀ムカイ先生も、事実確認をした後に内々に処理する予定でした』
しかし、とイデアが言葉を切って真正面からカメラを見つめる。
『希望イデアから降板する。そう告げたのは、彼女自身でした』