第44話 「最強の美少女」
目指す先はこの前と同じ、2階の奥にある空那の部屋だ。プレートに『空那』と記されている扉の前で立ち止まり、僕はゆっくりと息を吸ってから扉を叩いた。
「空那、僕だ。夢海だよ」
返事はない。
だけど、在室はしている。かすかに扉の向こうで物音が聞こえてきた。
「聞こえているんだろう? 空那、この前の続き話しにきた」
「……帰って」
今度は返事があった!
しかも声は扉のすぐ近くから。間違いなく空那の声だ。無視されなかったことに安堵する気持ちをどうにか抑え込んで、僕はさらに続ける。
「イヤだね。この前はキミに押し切られちゃったけど、僕には訊かなくちゃいけないことがまだあるんだ。その答えを聞くまで、僕は何時間だってここにいるよ」
「…………なに」
苛立ちの孕んだ空那の声が響く。
でも、僕の話は聞いてくれるようだ。
扉の向こうで、空那が扉に体重を預けるような物音がする。その彼女へ届けるべく、僕は少し声を張って問いを投げた。
「空那は、イデアのことをどう思ってるの?」
「前に言わなかった、それ?」
期待して損したとばかりに空那が嘆息する。
「大キライ。すごく無邪気で明るい所が、ひたむきに前を見ていられる所が……ムカイがあんなのを最強の美少女だって言ってる所も、全部がキライ」
自らを傷つけるような、空那の物言い。
それはまるで、必死になって自分から遠ざけようとしているかのようで、
だから僕は、もう一度ここへ来たのだ。
「じゃあ、イデアに成ってどう思った?」
「……自分じゃない、自分じゃふさわしくないと思ったよ。こんな私が『魂』になるなんて、かわいそうだなって思った。……ねえムカイ、もうこれでいいでしょ? これに懲りたら、二度と私なんかに」
「でも、やりたくないワケじゃなかった」
「ッ、それは……」
「キミの厄介なライバルに待ち伏せをされてね。キミのことを白状したら、そんなことも分からないのかって怒鳴りつけられたよ。空那、本当はキミが――」
「違うッ! そんなことないッッ!」
悲鳴じみた否定が言葉を遮る。
僕は構わず続けた。
「空那、僕とデートした時に言ってくれたよね。イデアは私の新しい夢だって。それを、こんな形で手放しちゃっていいの?」
「だって、他に方法はないじゃん!」
ドン、と僕らを隔てる扉が強く叩かれる。
僕の問いに返ってきたのは、空那の涙ぐんだ叫びだった。
「もう、全部手放しちゃったの! たくさんの人に迷惑をかけた! 私なんかを応援してくれたリスナーさんたちを裏切った! こんな私を見てほしくなくて、ギャルになったなんてムカイに嘘を吐いて、また逃げ出して――ムカイを、失望させたのッ!」
それはきっと空那にとって心の吐露で、積み重ねてきた後悔の念だったのだろう。
『私なんか』
空那が自らを戒め、自らを貶める言葉。
役者の道を自らで断った原因に成った小さな失敗からずっと続く、空那をがんじがらめにする呪縛たち。
茨の如き呪縛が幾重にも空那へ絡みつき、彼女を動けなくしている。
「途中で失望するくらいなら、僕は最初からキミをイデアには選ばなかった」
だから、僕がそれを解き放つのだ。
「それに、キミができない理由を聞きに来たつもりはないよ。どうでもいいからね」
「どっ――ム、ムカイは才能があったからそんなこと言えるんだよ!」
「才能のあるなしなんてものは小さい頃に考えるのを辞めたさ。僕はただ、自分がやりたいと思ったことを全力でやっているだけだ。できるできないに限らず、ね?」
そして、と僕は言葉を切ってから告げた。
「それを教えてくれたのはキミだ、空那」
「……私、が?」
「だから、僕からの問いは一つだけだよ」
ゆっくりと、噛み締めてもらえるように。
僕は最後の問いを口にする。
「空那。キミは――イデアに成りたい?」
すぐに答えが返ってくることはなかった。
僕らを明確に隔てた扉の先で空那が沈黙する。
眼前の扉がある以上、僕は空那がどんな顔をしているのかすら知る術はない。
だけど、彼女の答えは分かる。
「……ん、なの。そん、なの」
トン、ドン、ドン、と。
縋り付くように小さく、僕へ訴えかけようと弱弱しく響く物音。
向こう側で空那が扉を叩いているのだ。僕らを隔てるこの壁を壊したいと、その呪縛の中から抜け出したいと、彼女が助けを求めて手を伸ばす。
「成りたいに、決まってるよぉ……ッッ!」
演技でもなんでもない、正真正銘、空那の本音。
「本当はイデアに成れてとっても楽しかった! 皆が見てくれる舞台の上に立てた! ムカイが生み出してくれたイデアが、諦めていた大好きな夢をまた叶えてくれた! 今さら後戻りなんて、したくなかった! したく、なかったのに……ッ!」
心の奥底から吐き出される、想いの吐露。
涙と嗚咽でぐちゃぐちゃになりながらも絞り出されたその言葉を聞くために、僕はここまで来たのだ。
――決まりだね。
「開けるよ、空那」
「へっ? えっ? ちょま――」
問答無用でドアノブを捻り、部屋の扉を開く。
扉に鍵は付いていない。今までずっと僕と空那を隔てていた部屋の扉は呆気なく開け放たれ、僕は一線を越えるように彼女の部屋へと足を踏み入れた。
前回は空那の変わりように驚き過ぎて気付かなかったけど、空那の部屋は少しばかり不思議な感じの部屋だった。
ベッドやドレッサーなどは可愛らしいデザインが多い反面、ゴテゴテしたゲーミングPCや配信機材、そして……おそらく引きこもり中にのめり込んだのだろう、本棚には大量のゲームソフトが納められていた。
「い、いいきなり中ににゃんて、デリカシーがなしゃすぎないッ!?」
「僕らに残されてる時間はないんだ。少しくらい無理矢理になるさ」
部屋へと踏み込んだ僕の足元で、尻もちをついた空那が抗議の声を上げる。
驚きのあまりか、はたまたぐちゃぐちゃに泣きべそをかいてるためか、呂律が回っていない。
……散らかってないんだから、別に恥ずかしがる必要はないと思うけど。
それはともかく、僕は慌てる空那の視線を合わせるべく片膝をついた。
以前と同じ黒い髪に、パジャマを着込んだ本物の空那。
夢破れ、挫折し、今再び胸に抱いたモノを自分の手で投げ出そうとしている今の彼女をまっすぐに見つめ、告げる。
「前にさ、僕が思う最強の美少女って何なのって訊いたよね?」
「……ひぇ? う、うん」
「キミだ、空那」
驚いた空那の瞳が僕を見た。
「僕らが初めて出会った時、絵を描くことができなくなっていた僕を引っ張り上げてくれた女の子。それが僕の原点で、キミのことだったんだ」
なぜ、はじめて空那がイデアに成った時、あそこまで「しっくり」きたのか。
なぜ、あそこまで彼女がイデアにふさわしいと思ったのか。
今なら分かる。
逆なのだ。
空那がイデアに似ているのではない。
僕が『最強の美少女』としてイデアを描き始めた際に、最初にイメージしたのが他ならぬ空那だったのだ。
だからこそ、僕が告げるべき言葉はただ一つ。
「空那。キミこそが――僕の『最強の美少女』だ」
まっすぐに、空那の瞳を見据えて告げた言葉。
空那はそれに対し、サッと僕の視線から逃れるように瞳を伏せる。
「でも……今さらどうするの? 私はイデアから逃げ出しちゃったし、イデアにはもう代役の人がいるんでしょ? 木深さんや衣越さんにも迷惑をかけちゃったし、リスナーさんたちだって、私を認めてくれるとは……」
「迷惑ならかければいい。けど、リスナーに対してはキミ自身の言葉で説明しなくちゃ認めてはくれないだろうね」
「説明って、どうやって? まさか実写で?」
「ううん。だから、僕はそのための『切り札』を作ってきたのさ」
言って、僕は持ってきていたノートPCを開いて画面を空那へ見せる。
リュートに確認してもらった時からスリープ状態にしていた画面には、僕が心血注いで作り上げた『切り札』が表示されたままだ。
それを見た空那が目を大きく見開いた。
「え、これ――イデア?」
「『イデアル』って名付けたよ」
空那が勘違いするのも無理はない。
僕が完成させたのは、Vドル用の3Dモデル。細部のデザインや衣装イメージ、髪や瞳の色などは異なっているが、それでもイデアの2Pカラーみたいに見えているのだろう。
首をかしげながらそのモデルを凝視する空那に僕は続ける。
「元々、個人的に作っていたイデアの新モデルを改造して作った新しいVドルだ。これならきっと、キミが『イデアの魂だった子』だとすぐに分かるはずだ」
「これで、私が……」
食い入るように『イデアル』のモデルを見つめる空那。しかし、その顔にはまだためらうような、怯えるような色が映っていた。
「ほ、ホントにいいの? 私なんかが、また輝いても……」
「キミが心から望むのなら」
言葉と共に僕は空那の手を取る。
不安に震える小さな手のひら、それをぎゅっと握って僕は続ける。
「空那。イデアはみんなを夢と希望の光で照らすVドルだ。その光がイデアの魂であるキミに届かないというなら、僕は――イデアの光をキミに届ける鏡になる」
「かが、み?」
「うん。昔、僕を挫折の絶望からキミが引っ張り上げてくれたみたいにね。キミがイデアの光の届かない場所にいるのなら、僕がそこに光を届けて見せる」
だからこそ、僕はここに誓おう。
「今度は、僕がキミを失意の暗闇から救い出す番だ」
真正面から空那を見据えて告げた、僕の決意。
大粒の涙が彼女の瞳からこぼれるのを拭おうと、僕は空那へ手を――あれ?
「空那。また僕と、いっしょ、に……」
どうしてだろうか。
僕は空那と真正面から向き合ってたはずなのに。
なんで、僕の視界から彼女の姿が消えたんだ?
わずかな違和感。ぐらぐらと歪む視界。
一瞬、ここまで来て空那に逃げられたのかとも考えたけど、大丈夫。
空那はちゃんと僕の頭上に……
頭上?
そう言えば視界がすごく床のカーペットに近い気がする。
まるで僕が床にぶっ倒れたようだ。
「え、ちょ、ムカイ? 大丈夫なの、って熱ッ!? すごい熱じゃん!?」
慌てて僕を抱き起そうとした空那が驚きの声を上げている。僕は「大丈夫」と答えようとするけど、口が上手く動かなかった。というか、意識が朦朧としていた。
「ムカイ? ムカイ!? 兄さん来て! ムカイが、ムカイがぁッ!」
「んだよ騒がしいな。ムカイが何し――ったく、マジで倒れんなよこのバカ」
僕の足元の方からリュートの声がした。
辛うじて視線を向けると、半眼になって僕を見下したリュートがスマホでどこかに連絡している。
救急車でも呼ぶつもりだろうか。大丈夫だからと僕は起き上がろうとするけど、もう身体を動かすだけの力もない。
あ、ヤバ。ダメなヤツだこれ。
「もう! 決めるなら最後までカッコよく決めてよ! ムカイのバカァァッッ!」