第42話 Vドルの『魂』とは
張り裂けるような咲夏の怒声が車内に響く。
「空那は強いから大丈夫? アンタよくそんなこと平気で言えたわね! 自分からイデアを降りたって言うあの子を見て、まだアンタは同じことを言えるの!?」
「だったらどうすればよかったのさ!?」
そんなこと、キミに言われるまでもない。
胸倉を掴んでいた咲夏の手を無理矢理に振り払い、僕は彼女を睨み返した。
「イデアにふさわしくないと、自分なんかが認められるはずないと、言ったのは他ならぬ空那だッ! 出演予定のイベントだって間近に迫ってる。勝手な行動で事務所にも迷惑をかけてるんだ! 他に手立てなんて、なにも――」
「じゅあ、アキナは『イデアになりたくない』って言ったの!?」
ハッとして僕は咲夏を見た。
「言ってなかったんでしょう?」
「……うん。言ってなかった」
空那は「ふさわしくない」と言った。「認められるわけがない」とも「イデアの事が嫌いだった」とも言っていた。「成るべきじゃなかった」とまで言おうとした。
しかし、空那は一言たりとも『イデアになりたくない』とは言っていない。
「Vドルにふさわしいかどうかなんて誰が決めるのよッ? 誰かに認められなくちゃVドルをやっちゃいけないなんて、誰が決めたのよ!? 少なくとも、そんな横暴な判断を下せるのなんてこの世界でただ一人――アンタだけよ、達間夢海!」
再び僕の胸倉をふん掴み、咲夏がまっすぐに僕へ問うた。
「アンタは、アキナがイデアにふさわしくないと思う?」
「――そんなこと、あるはずがない」
ああ、そうさ。そんなことあるわけがない。
今日の撮影。未沙季さんの成った『希望イデア』を見て、改めて思った。
確かに彼女が成ったイデアは、まさしく僕が思い描いた通りの『最強の美少女』として完璧な姿であった。
今は急な交代でリスナーからの反感もあるが、いずれは必ず確固たる人気を得ることができるだろう。
それほどまでに、彼女のイデアは凄かった。
あれこそまさに、僕の描いた僕の野望。『最強の美少女』である希望イデアの姿だ。
「アンタの野望は、アンタの最強は、たかだか木っ端のイベントごときで簡単に変えられるものだったの!? 大人の事情だか何だかなんてつまんない理由を並べて、はいそうですかって引き下がれるようなものなのッ!?」
だけど、それだけじゃもう、足りないのだ。
だって、もう見てしまったから。
希望イデアはもう僕だけが描いたVドルなどではない。多くのアクシデントや偶然が重なり、空那が魂に成ることで、僕の予想だにしない希望イデアへと進化したのだ。
「あの子は、希望イデアは、みんなを夢と希望の光で照らすVドルなんでしょ!? だったら、イデアの魂であるアキナにもその光を届けて見せなさいよぉ……ッ!」
あまりにも遅すぎる気付き。
それでも、ようやく気付けた。
僕が生み出し、空那が育てた、僕らの野望。
それが、それこそが――希望イデア。
僕たちの、最強の美少女なんだ。
「……たしかに、キミの言う通りだね。委員長」
僕の胸倉を掴んだままボロボロと泣きだしてしまった咲夏をやんわりと引き剥がしながら、僕は咲夏に語りかける。
……他人のためにここまで泣けるのは咲夏の美徳でもあるけど、もう少し加減してほしかったな。服が涙でシミだらけになってしまった。
「それで、結局ムカイさんはどうされるつもりなんですか?」
「僕は……イデアを取ります」
「ハアッ!? 達間アンタまだ」
「話は最後まで聞くものだよ委員長」
ボロ泣きから一転、途端に牙を剥いてきた咲夏をけん制しつつ僕は続ける。
「ずっと胸の奥でつっかえていたものがようやく取れました。僕はイデアが最強の美少女になるために全力を尽くします。必要なものならば予算も手間も惜しまない。どんな機材でも技術でも手に入れるし、何より――魂だって、救い出してみせる」
僕の考えた最強の美少女、希望イデア。
みんなを夢と希望の光で照らすVドル。そのアイデアはVドルとしてのコンセプトではなく、ずっと昔から考えていたモノ。
『立って、前を向いて歩くの』
あの時、全てを諦めていた僕に差し伸べられた、暖かい手。
それが僕にとって全ての始まりであり、イデアにとって必要不可欠な要素。
イデアと空那。どちらかを選ぶんじゃない。
「僕のイデアは、空那です」
それこそが僕の答え。
そして、決意だった。
「……決まり、ですか」
僕の言葉を聞いて、里原さんがバンの車線を追い越しに変更する。
「では、行き先は彼女の家でいいですか? 乗りかかった船です、自分たちの時間はまだありますし、せっかくですからこのまま送っていきますよ」
「いえ、どうせなら行き先は僕の家にしてもらえますか」
「あなたの?」
「はい。今の空那には、どんな言葉を訴えた所で聞いてくれるとは思えません。木深さんや衣越さん、イデアを応援してくれるリスナーたちに対しても。今の僕にはみんなを説得して、受け入れてもらえるだけの手札がないんです」
「じゃあどうするつもりなのよ?」
「決まってるじゃないか。用意するんだよ」
首をかしげる咲夏に応えて、僕は断言する。
「一目見ただけで動かざるを得ないような、文字通り最強の切り札をね」