40話 史代未沙季の実力
未沙季さんの言葉に偽りはなかった。
今日の予定は動画の撮影だ。
バラエティ系のストック分で、内容は三本ほど。
リハーサルなども含めてものの二時間ほどの撮影を全て見て、僕は確信した。
すごい。
いや、ここは『流石』って言った方がいいかな。
空那がイデアを降りると言ったのは、ほんの数日前。
未沙季さんに依頼の話が来たのはもっと最近のはずだ。
いったいこの短期間でどれほど資料を読みこんだのだろうか。
未沙季さんの『成った』イデアには、やはり、目を見張るモノがあった。
空那の成った希望イデアとはまるで違う。
しかし、今ディスプレイに映る彼女は紛れもなく希望イデアそのもの。
つまり、僕が最初に考えた『最強の美少女』としての希望イデアが、そこにいたのだ。
「わたしのイデアはどうでしたか、先生?」
撮影後。モーションキャプチャのスーツ姿の未沙季さんが僕の元に駆け寄ってきた。
……ハッキリ言って、完璧だった。
まるで僕の中にあった『希望イデア』という理想が、そっくりそのまま現実へ(イデアがいるのはバーチャルだけど)出てきたかのような演技だった。
大ぶりなアクションから細かな仕草まで、台詞や言葉使いの端々、場の回し方など。どれだけ贔屓目に見ても、ほとんど全ての要素が空那を上回っていると言っていい。
それほどまでに、未沙季さんのイデアは僕の理想を体現していた。
なのに、なぜだろう。
そう思えば思うほど――何か、物足りないと思ってしまうのは。
未沙季さんの成ったイデアは、僕の理想そのもの。
初配信でのアクシデントで路線変更をした空那のイデアとは一線を画すほどの完成度だと言える。
なのに……
「やっぱり、前任の方の方が良かったですか?」
「え?」
思わぬ指摘を受けて、ハッとして未沙季さんを見る。
「詳しい事情は聞いておりませんが、前任の方がほとんど一方的にイデアの『役』を降りたというのは知っています。先生にとっても、重い決断を下されたと」
「……そうですよ。だからこうして」
「先生は、本当にそれでいいんですか?」
「ッ、キミに何が――」
「どうどう。こんな所で喧嘩しないの」
カッとなった僕を衣越さんが後ろから羽交い絞めにした。
苛立ちに任せて詰め寄ることも出来ず、僕はただ未沙季さんを睨むのみ。対する未沙季さんは真っ向から僕を見据えて、ゆっくりと言葉を告げた。
「太刀ムカイ先生。わたしは先生のファンです。信者だと言われても構いません。先生が関わられた作品は全て集めていますし、同人誌や雑誌への寄稿なども全て網羅していると言っても過言ではありません。先生の作品がわたしに勇気をくれたから、今のわたしがいるんです。尊敬してやまない先生のためなら、わたしはなんでもする覚悟があります」
「そのためなら、自分の仕事が不意になってもいいと?」
「はい。先生のためになるのなら。わたしは喜んで人柱になります」
ハッキリと断言する未沙季さん。
「あ、でも叶うなら後でサインを描いていただきたいモノが20コほど」
「……いい度胸しているよね、キミ」
「はい! おっぱいのサイズはEカップです!」
「そういう話じゃないんだけど」
「先生の描く女の子はおっぱいの大きい子が多いので、先生の参考になればと色々頑張りました! ちなみに天然モノですよ? どうぞお好きに触ってください! お好きに揉みしだいちゃってください! わたしはいつでもウェルカムです!」
「……変な噂が流れない程度にしなさいよね」
「って、なんで衣越さんは止めないんですか!?」
付き合ってられないとばかり羽交い絞めにしていた僕を解放する衣越さん。
……なんか僕が手を出すのが決まってるような感じになってますが、やりませんよ? そんなことしてしまえば本当に空那へ顔向けができなくなっちゃうし。ホントにやりませんよ!?
「なによーその反応。てっきりもうスズに喰べられたものかと思ってたけど……まさかムカイ、アナタまだ童貞だったりするの?」
「喰われてなんかいません! 童貞で何が悪いんですか!?」
「何も悪くありませんよ先生! わたしもまだ未経験です! さあ! わたしと一緒に後腐れない初体験をシちゃいましょう!」
「キミはもっと自分の身体を大切にしなさい!」
ゼーゼーと突っ込み終えてから、僕は「コホン」と空咳をつく。
話がこじれたせいか、すっかり毒気を抜かれた気分だった。
気付けばすっかり敬語も抜けてしまっていたが、これはもういいや。未沙季さんも気にしてないようだし。
「未沙季さん。キミの言いたいことは分かった。たしかにキミの言う通りさ。キミがどれだけ完璧にイデアを演じようとも、僕には『まだ足りない』ように見えてしまう。その原因だってなんとなく分かっている。でも……」
でも、そのイデアは、空那は、もういない。
「今はもう彼女はいない。キミに頼る他に、僕にできることはないんだ」
だから、と僕は彼女へ頭を下げる。
「イデアを、よろしくお願いします」
「……そう、ですか」
未沙季さんが漏らしたのは、わずかに残念そうな声色。
しかしすぐにパアっと明るい笑顔を浮かべて胸元でグッと拳を握った。
「では! わたしが先生の理想となれるよう一層精進しますね!」
空那がイデアから降りた以上、イデアを続けるには未沙季さんを頼る他ない。
他にできることはない。
こうするしかないんだ。
自らに言い聞かせるように繰り返し、この日の撮影は終わった。