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39話 もう一人の「希望イデア」

 何もできなかったとしても、時間というものは容赦なく進んでいく。


 当然のように朝日は昇ってくるし、たくさんある仕事の〆切だって迫ってくる。


 それに何よりも『今』のイデアのことだってある。


希望のぞみイデアの「魂」が変わった』


 その事実は僕が見た動画からすぐに各所へ拡散された。


 界隈はすぐに大炎上――とは、ならなかった。

 幸か不幸か、あまりにも突然のことで誰しもが不平不満を吐き出すより先に困惑していたのである。


 Vドルはその魂と一心同体が常だ。その魂がなんの前触れもなく変るなど前代未聞。重大なタブーを犯したも同然のことで、僕自身を含めてその事実を呑み下すことしかできなかったのである。


 ……まあ、そりゃそうだよね。

 だって、生みの親である僕だって困惑しているんだし。


 ほとんど追い出されるような形で空那(あきな)の家を去った後、僕は何度か彼女へメッセージを送ってみたものの返信はなかった。

 リュートもやり取りこそできたが、空那に関しての姿勢は一貫していて、完全に手詰まりの状態であった。


 しかし、このまま何もせずにいることは許されない。


 現状のリスナーたちは困惑しているのみだが、今後の展開次第では炎上する可能性は大いにありうる。


 それを避けるためにも、僕はまず自分に出来ることを――『今』のイデアを知ることにした。


「おはようございまーす……」


 翌日。僕はシャニプロ事務所に併設されたVR撮影スタジオに訪れていた。


 目的はもちろん、動画撮影する予定の『今』の希望イデアを見るため。空那と共に何度か訪れたことのある場所だが、1人での訪問は初めてとなる。


 僕は少しだけ緊張しながらスタジオに入り……いつもと様子の違うスタジオを見て首をかしげた。


「……あれ?」


 僕が到着したのは撮影の2時間ほど前。いつもならすでに撮影準備のためスタジオ各所で作業をしているはずのスタッフさんたちが、何故か一同に集まっていたのだ。


 それも僕の到着にも気付いていない様子で何かを話し込んでいる、いや何かをみんなして聞いているのかな? 1人が熱心に語る声が僕の方にまで聞こえてくる。もしかするとミーティングでもしているのかもしれない。


 ……邪魔しちゃ悪いし、少し外で待ってるかな。


 僕が踵を返そうとした、その瞬間。


「――『秘匿遺産の盟約騎士(シュナイダー)』ッッ! 先生の作品を語るにおいて、先生が商業デビューを飾ったこの作品を外すことなどできませんッッ!」

「へっ?」


 思いもよらぬ単語が聞こえてきて、僕はたまらず振り返った。


「現在のご年齢から逆算するに、弱冠12歳にもかかわらず、力強い筆致と魅力的なイラストは現在でも必見です! さらに同時期に展開されていたゲーム作品『オーバード・フロンティア』でも何名かのキャラクターデザインを担当されていて……」


 ……両方、僕が関わったタイトルじゃん。


 ラノベとソシャゲだ。両方3年ほど前に終了したタイトルで、まさか今になってその名前を聞くことになるとは思わなかった。

 それにしても、ラノベはともかくソシャゲの方はちょろっと脇役のキャラを担当しただけなのによく知ってるな。


 あの頃は僕の名前を知る人もほぼいなかったし、いったい誰が話してるんだろ?


「あ、あの~」

「ちょぉっとお待ちください! ただいまわたしが尊敬してやまない太刀ムカイ御大先生がどれほど素晴らしいお方なのかを解説している最中なのです! そうだ、よろしければアナタもいかがですか!? なあに、ほんの2、3時間ほどで――」

「いや、あの、それ僕なんですが」

「――――………………え?」


 スタッフさんたちの中心で熱心に語っていた女の人がキョトンと僕の方を見る。


 柔和な女子大生っぽい雰囲気の綺麗な人だ。確かフェミニンとか言っただろうか、ゆるふわな系統の服装をしている。スタジオのスタッフさんとは違う印象がする。


 彼女のタレ目っぽい瞳が僕を見つけるや否や、驚きによって大きく見開かれていた。


「た、たたたたたたた太刀ムカイ御大先生ッッ!?」

「え、あはい。僕がイラストレーターの太刀ムカイです」


 いや御大先生って。あまりにも分不相応な敬称すぎる。


 顔が引きつるのを感じながら、僕は辛うじて問いを続けた。


「それで、えっと……アナタは?」

「……ハッ! 喜びのあまり申し遅れました! わた、わわたしは史代ふみしろ未沙季みさきと申します! 年は20、3サイズは上から89、62、87です! どうぞ気軽に未沙季とお呼びください! 先生の大ファンでして、その、えっと……」

「ま、まあそれは分かりますが」


 訊きたいのはその先。そんな人がどうしてここに、という部分だ。


 先を促すために僕が黙ると、未沙季さんは何故か僕と同じように何を思ったのかためらうようにモジモジしてから、意を決したように僕の手をガシっと掴んで告げた。


「わ、わたしを……先生のお嫁さんにしてくださいッッ!」

「…………ひぇッ?」


 変な声が出た。


 いや変な事を言われた。


 驚きのあまりに「は」と「へ」の間みたいな珍妙な声が出てしまった。

 なんで「アナタは誰ですか?」と訊いて「結婚してください」と答えるのか。美人だからと油断していたけど、まさかファンだと言われた後に求婚されるとは思わなかった。


 ……って、感心してる場合じゃないだろ!


 現在、僕は未沙季さんに手をガシっと掴まれたまま。

 思ったより力が強いせいで無理に振りほどけない状態だ。まわりのスタッフさんたちが唖然としたまま固まっているので逃げ道もない……というか、当の本人である未沙季さんがキョトンとしてるんだけど。


「あのぅ、先生?」

「……自分が何を言ったのか分かってますか?」

「わたしが言ったこと? わたしを、先生のお嫁さんに――」


 硬直。


 フリーズしたかのように動きを止めた未沙季さん。


「まままま、まま間違えましたぁぁぁああぁぁあ~!?」


 どうやら今さらになって自分が言った意味を理解したらしい。無事に再起動した未沙季さんはすぐさま僕の手を放し、光の速さで見事なジャンピング土下座をかました。


 ああ、なんだ間違いだったんだ。


 うん? じゃあ本当は何と言うつもりだったの?


 色々と突っ込みたい気持ちはあったが、下手に藪をつついても蛇が出てくるだけだろうし、さっきの求婚は間違いだったというだけでとりあえず一安心としよう。


 そして、一個だけ確信したことがある。


 この人は絶対――ファンはファンでも、ヤバいタイプのファンだ。


「ごめんなさいごめんなさい! あまりに唐突に尊敬してやまない先生とお会いできたことがうれしくてつい願望が――いえ違います! 今のはべ別に、先生のスミからスミまでお世話して創作活動に専念いただきたい――とかそういう意味ではなく! 正直ナマの先生がすっごく好み――でもなく! もちろん先生が望まれるならわわたしの準備は万全です! せ、先生が望まれることならわたしはなんでも喜んで引き受ける所存です!」


 ……なんでこうも見事に不穏な単語ばかり出てくるんだろ。


 土下座したままペコペコと頭を上下させる未沙季さん。僕は半ば呆れ交じりにそれを見下ろしていたが、続く彼女の言葉を聞いてその印象が一変した。


「それで、えっと……先ほどのは、先生が生み出された『希望イデア』さんの魂を僭越ながらこのわたしにお任せいただきたい、という意味でした……」

「――アナタが、イデアの?」

「そ、その子が代役ピンチヒッターってわけ」


 驚愕に目を見開いた僕の言葉に、新たな声が応じた。

 衣越さんだ。


 先ほどまでの『布教活動』からそれとなく逃げていたのだろう。機材の陰からひょこっと姿を現して、ようやく土下座から立ち上がった未沙季さんの隣に立った。


 ……ま、その線が妥当だよね。


「先に言っておくと、この子はアナタと『彼女』の関係とかは何も知らないわ。難しいことなのは分かるけど、わざとこの子に当たったりしないでね?」

「ふ、ふつつか者ですがよろしくお願いします!」

「分かってますよ」


 そんなこと、言われずとも分かってるさ。


「未沙季さん」

「ひゃ、ひゃい! 先生がわたしの名前をッ……えへへ」

「今日、僕は『イデア』を見に来ました」

「……ッ!」


 瞬間、未沙季さんの様子が一変した。


 僕が名前を呼んだだけでだらしなくよだれまで垂らしていた未沙季さん。そんな彼女が一瞬にして口元を引き締め、まっすぐに僕を見つめ返してきた。


 さながら、ただの僕のファンであった彼女から――『役者』としての彼女への変貌。


「どうかわたしにお任せください、先生。前任の方が叶えられなかった先生の夢を、代わりにわたしが叶えてみせます」


 自信に満ちた瞳をもって、未沙季さんは頷いた。

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