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38話 達間夢海の挫折

 ……挫折や失敗なんて、よくあることだ。


 逃げ出したくなる。目をそむけてしまいたくなる。


 僕だってそうだった。


 積極的になど思い出したくはない……苦く、辛いだけの思い出。

 しかし、今でならあの時の『出会い』が今の僕を作ったと言っても過言ではない出来事であると言えた。


 それが、僕にとって人生初の挫折であり――空那あきなとの出会いであった。


 忘れもしない、あれは小学2年生のこと。


 僕は両親と姉の影響もあり当然のように絵を描き始め、漠然と将来は両親のように絵の仕事につこうと思っていた。

 イラストレーターという職業など知る由もなく、ただ好きだからと絵を描き、これでも小さなコンクールなどで何度か入選したこともあった。


 けれども、上には上がいると言うのが世の常であって。


 僕にとってのそれは姉さんだった。


 二つ年上の、僕の姉さん。


 彼女はまるで絵を描くために生まれてきたかのような天才であった。


 息をするように絵を描いてはコンクールなど多くの賞をかっさらっていく。姉弟仲は悪くはないし、両親は僕らを比べたりはしなかったけど、それでも。周囲の人たちは無遠慮に僕ら姉弟を比べたし、僕自身もいつしか「姉さんには勝てない」と思うようになった。


 もちろん絵は勝ち負けじゃないけど、そんな化け物が四六時中僕の隣にいるのだ。自分でも無意識に比べてしまうし、その劣等感からある日ぽっきりと心が折れてしまった。


 あの人には勝てない。あの人には敵わない。


 だから、僕が絵を描くことに意味などない。


 そこからは、まるで転げ落ちていくかのように絵が描けなくなった。

 四六時中、三度の飯より描いていた絵が急に描けなくなり、それでも「今まではできたんだから」と躍起になって完成させたモノのあまりの出来栄えの悪さに吐き気を催したほど。


 さらには学校でも絵ばかりにかまけて周囲になじめず孤立していて、相談できるような相手が居なかったのも災いした。


 やればやるほど、頑張れば頑張るほど挫折の苦しみが心を蝕んでいき、いつしか「もうどうにでもなってしまえ」と全てを諦めていた。


 僕が空那と出会ったのは、そんな苦しみのどん底にいた時だった。


「――アンタたち、何やってるの?」


 家の近くの小さな公園。夕立の後で、空が茜色に染まっていたのをよく憶えている。 


 小学生とは自分たちになじめない同世代の相手になら何をしてもいいと考えているらしく、その日も僕は名前も知らないクラスメイトの男子にランドセルを奪われていた。


 足の速さなどクラスの下から数えた方が早い僕に、彼らに追いついてランドセルを奪い返せるはずがない。どうせ無視していればどこかで飽きて捨てていくだろう。

 僕がそう考えて公園を去ろうとした時、颯爽と現れたのが空那であった。


「ハア? 女子が何の用だよ?」

「コイツずっと一人だからオレらが遊んでやってんの」

「あっそ。じゃあこれから私と遊ぶからアンタたちは用済みだね」


 安い挑発。しかし、男子たちの逆鱗を刺激するには十分だった。


 それからは、まるで小さい嵐を見ているかのようだった。


 僕が気付いた頃には男子たちは「おぼえてろよ!」と安い捨て台詞を吐いて逃げ出していて、ペタンと座り込んでいた僕に空那が僕のランドセルを差し出していた。


「あ、ありが――」

「なんで諦めたの?」


 予想外の問いに思わずドキリとした。


「え、な……何が?」

「鞄、追いかけるのやめたじゃん。どうして?」

「そんなの……無理だからに決まってるから」

「無理だって、誰が決めたの?」

「……質問ばっかするね」


 正直に言って、初対面での印象は最悪だった。


 他の男子を颯爽と蹴散らし、踏み込んだ問いを突き付けてくる同世代の女の子。


 それまで友達という友達を作った事がなかった僕にとって彼女はあまりにも異質で、不審で、同時にほんの少しだけ興味を惹かれた。


「何かあったんでしょ? 私に話してみなよ」

「なんで?」

「誰かに話したら楽になるかも」


 しかし、興味があった所で踏み込むだけの勇気があるはずもなく、僕はランドセルだけ受け取ってから逃げるように公園の出口へ向かう。


「何か悩みがあるんでしょ? そんな顔してる」

「流石にしつこいんだけど」


 それを、空那が先回りして僕の行く手を阻んだ。


 また僕が踵を返せば、空那はまた先回りをして僕の前に立ちふさがる。さらに僕が背を向ければ空那もまた先回りをして――それはいつしか掴み合いになり、挙句の果てには彼女との追いかけっこに発展していた。


「教えなさ~い!」

「ぜったい、イヤ!」


 とはいえ、結果は火を見るよりも明らかだ。

 数分もしない内に僕の体力が切れ、飛びついて来た空那によって押し倒される形で追いかけっこは終わった。


「やっと捕まえた!」

「……な、なんて諦めの悪い」

「ふっふ~ん。私は努力家だからね!」

「自分で言うの……それ?」


 二人してゼーハーと荒い息を繰り返しながら、泥混じりの地面を転がる。


 ……変な女の子。


 先に起き上がった空那が差し伸べてくる手を見て、僕は思った。

 初対面の僕を相手にここまで追いかけまわすような子が普通な訳がない。いったい何をもって普通かなんて今も昔も分からないけど、僕にとっての空那の第一印象はそんな認識であった。


「諦めなかったから、キミを捕まえることができた」


 少なくとも、差し伸べられた彼女の手を取ろうとしたその瞬間までは。


 夕焼けに照らされた空那。太陽が沈んでいき、ゆっくりと夜の帳が彼女の向こう側から押し寄せてくる。

 茜色と暗闇、昼と夜の境目に立ったような空に一番星が爛々と輝き、地上にいる僕らを見下ろしていた。


 神秘的な情景の中、僕が見ていたのは――空那だった。


「立って、前を向いて歩くの」


 夢と希望で満ちあふれたような、力強い輝きを秘めた彼女の瞳。


 気がつけば、空那が僕の手をぎゅっと掴んでいた。


「何を悩んでるのか分かんないけどさ、私たちはまだ子供だもん。やれることはたくさんあるはずだよ。たったそれだけの、ちっぽけなことかもしれない。でも、きっと、強く輝き続ければ、必ず誰かがそこに価値を見つけてくれるから」

「……でも、それでもダメだったら?」

「また頑張る!」

「ポジティブすぎるよ……」


 走り疲れた末の、幻覚であったのかもしれない。


 思い出の中で美化されただけの、幻想だったのかもしれない。


 でも、だけど。この時、この瞬間――


 僕は、生まれて初めて『この光景を描きたい』と、強く思った。


 それが僕と空那の出会いで、僕が『最強の美少女』を目指したきっかけ。


 言うなれば彼女は僕の恩人なのだ。

 あの時の出会いがあったから、僕は夢を見つけることができた。

 夢に向かってまっすぐ、ひたむきに突き進むことができる空那の『強さ』があったからこそ、僕も全力で頑張ってこれたと言っても過言じゃない。


 でも、空那は――自分の夢を諦めた。


 彼女が役者の道を諦めたと聞いた時、僕は心のどこかで「空那なら大丈夫」だなんて勝手に思っていた。

 けどそうじゃなかった。

 あれだけまっすぐ、ひたむきに突き進んでいた夢が破れ、夢から逃げ出して、空那は動けなくなっていた。


 空那には、僕のように「手を差し伸べてくれる」人がいなかったのだ。


 ……何かをしてあげたい、という気持ちは本物だ。


 けど、僕は空那ではなかった。


 何をしてあげればいいか分からない。

 何ができるかも分からない。


 気持ちだけが空回りしたまま、今の僕はただ立ち尽くすだけであった。



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