37話 諦めた者の気持ち
外は、いつの間にか夕方になっていた。
「リュートは、空那のこと知ってたんだ」
茜色に染まった空の下。リュートに半ば連れて行かれる形で家の外へ出た僕は、彼がこちらを振り返るよりも先に疑問を投げつけた。
「……ああ。当然、家族だからな。知らねーはずがねぇ」
庭先に立って、ゆっくりとこちらを振り返るリュート。
いつもの俺サマ然とした態度はすっかりなりをひそめ、落ち着きはらった鋭い相貌がまっすぐに僕を見つめていた。
「ずいぶん、あっさり認めるんだね。空那を連れてきた時ははぐらかしてたのに」
「なんだよ。やっぱ、あの時から気付いてやがったか」
「ううん、キミが空那に協力していたと気付いたのはついさっきだよ。期末テストの勉強会、テスト範囲を空那に教えたのもリュートだろう? 他にも色々と入れ知恵していたみたいだし、ひょっとして僕と空那で遊びに行った時もどこかで見ていたんじゃないの?」
「ああ、そうだ。チッ、どーやら少しお節介を焼き過ぎたみてぇだな」
肩をすくめるリュートに、僕はさらに問いを続ける。
「今なら、空那を連れてきた時にキミが隠したことも話してくれるよね?」
「んなことせずとも、オメェなら予想くらいはしてるんじゃねぇのか?」
「――――…………」
「……アイツを立ち直らせるためだよ」
バツが悪そうな顔で、リュートは白状した。
「学校を辞めちまったとはいえ、いつまでもああしで部屋に籠りっきりってワケにもいかねぇ。何かしらのきっかけが必要だった。オメーにとっちゃいい迷惑だろうが、アイツにとってちょうどいいチャンスだと思ったんだ。だから、お前の野望を利用した」
予想した通りの答え。
むしろ、それ以外の動機などあるはずがない。
なんて思ってしまうほどにリュートの答えは平凡で、分かり切っていたことであった。
「どうして、僕に空那のことを隠してたの?」
「それは……」
「空那からじゃなくてもいい。キミから教えてくれれば、僕だってそれとなくフォローすることも出来たはずだ。今回のことだって、僕から事務所の人たちに説明しておけば空那がイデアから降りるなんて言い出すこともなかった! それに、僕だって何か力になることだってできたはずだッ! なのに、どうしてそれをしなかったのさッ!?」
「……アイツから、お前にだけは黙っていてくれと頼まれたんだよ」
「空那が?」
「元々、役者の道を諦めた事だって黙ってるつもりだったさ。だってそーだろ? 夢も未来も全部投げ出しちまって、ずっと部屋に引き籠ってるだなんて言えるわけがねぇ」
……言えるわけが、ない?
どうして言えないんだろう?
空那の身に起きたのは、たった一回の失敗、たった一回の挫折だ。
例え全部を投げ出してしまっていたとしても、そこから立ち直ろうという気持ちがあったのなら、僕にも話しておいてよかったはずだ。
困惑に眉をひそめる僕に対し、リュートはこれ見よがしに嘆息してから告げる。
「そら見たことか。だからだよムカイ」
「……だから?」
「オレ達じゃ、挫折してボロボロになったアイツの心情を汲んでやることはできねぇ」
「そんなわけない。僕だって挫折やスランプになったことはあるし、リュートだって同じだろう? 誰だって経験があることだ。それをできないだなんて」
「だが、今は立ち直ってる。アイツが今もなお味わい続けている苦痛を、オレ達は乗り越えてここにいるんだ。前提が違うんだよ」
一度、リュートは言葉を切り、冷徹に断言する。
「オレもお前も、『失敗をはねのけて成功した側』だ。アイツができなかったことを平然としてのけたオレ達が何を言っても、アイツにゃ届かねぇよ」
……僕らが、成功した、側?
思わずリュートの顔を見る。
彼は一切の感情を排した顔をしていた。
冷徹、非情、その裏側で――僕と同じ『どうしてできないのだ』という、冷酷な困惑が張り付いていた。
……そうか、リュートも。
彼も、空那の気持ちを分かっていないのだ。
「なんてことはねぇ。オレは言わずもがな、おめぇもイラストレーターとして成功した上に希望イデアってVドルを軌道に乗せている。親父やおふくろも同じだし、アイツにはテメェの挫折に同情してやれるような奴がいねぇんだよ。オレ達にとっちゃ『たかが一回の失敗』にいつまでもくよくよしているような奴の心情なんざ、分かる訳がねぇんだ」
「そんなの暴論だ! 励ますことだって――」
「したに決まってんだろッ!」
リュートの怒声が住宅街の空に轟いた。
「使えるコネは全部使って、アイツがもう一度夢へと進めるように手は尽くした! 下げたくねェ頭も下げた! だが当の本人がそれを望んじゃいなかったんだよ! 自分で立ち上がって前へ進もうとも出来ねぇ奴に、どれだけ手を差し伸べても無駄なんだよッ!」
普段の彼からは想像のつかない、感情の吐露。
それはきっと、今までずっと胸の裡に抑え込んでいたものなのだろう。抑え込んでいたモノを吐き出すようにして叫び終えたリュートは、荒くなった息を整えるためにゆっくりと時間をかけて深呼吸をした。
「悪ぃな、ムカイ。オメェならもしやとも思ったが、勝手な期待しちまったようだ」
「リュート……」
「こうなった以上、空那はもうVドルの活動を続けることはできねぇ。代役はもう事務所の方で見つけちまったんだろ? なら、これ以上アイツに固執する理由はねぇはずだ」
リュートは苦い顔のまま僕の横を通り過ぎて玄関の扉を開ける。
それは暗に『空那は終わった』と告げているようにも感じて、僕は反射的にリュートの方へと詰めかけた。
「ま、待ってくれリュートッ!」
「迷惑掛けちまった詫びだ。オレに関しちゃ、また手を貸すぜ。オレの都合もあるが、使いたい時にゃいつでも声をかけな」
しかし、リュートに待つ気はない。
僕が詰めかけるよりも早く、もう話すことはないと拒絶するかのように玄関をくぐり、扉を閉めた。
「すまなかった」
呟くような謝罪と、締め切られた扉の音を残して。
空那の時と同じように、締め切られた玄関の扉が僕を明確に拒絶する。突き放すようなリュートの言葉が耳に残り、庭先に一人取り残された僕は茫然と立ち尽くす。
「……なんだよ。なんなんだよ、これ……」
突然に訪れた、空那との別れ。
それを前にして、僕は――
ただ、夕暮れの空に浮かんだ一番星を見上げるしかできなかった。