34話 あってはならないこと
「あれは、いったいどういうことですかッ!?」
動画を見た後、僕はすぐに木深さんの元を訪ねた。
契約の時にも案内された、シャニプロ事務所の応接スペース。
僕が押しかけてくることはあらかじめ予想していたのだろう。すぐにやってきた木深さんらが対面のソファへ座るよりも先に、僕は堰き止めていた疑問の全てを投げつけた。
「今日上げた動画、あそこにいたイデアは……仕草や口調、声質なんかも似せてはいましたが、紛れもない別人でした。木深さん、三日前に空那を呼び出していましたよね? いったい何の急用があって彼女を呼び出したんですか!?」
「それは……」
「あの子に訊きたいことがあったからよ」
言い淀む木深さんに代わり、控えていた衣越さんが答えた。
「訊きたいことがあった?」
「ええ、そう。プライベートな事だからまずあの子に事実確認をしたの」
「それが……今回の件に、関係していると?」
いったい空那に何があったというのか。
訝しむ僕の視線に気づいたのか、はたまたもう隠し通せないと腹をくくったのか。数秒の沈黙の後、木深さんはその重く閉ざしていた口をゆっくりと開いた。
「結論から言うと――荻篠さんは私たちに、ある嘘を吐いていました」
空那が、嘘を吐いていた?
真っ先に浮かび上がったのは『何故?』という疑問だった。
彼女が嘘を吐く理由が分からない。そもそも空那は無闇に人を騙すようなタイプじゃないし、何よりどうして木深さんたちに嘘を吐かなくちゃ――
「きっと、嘘を吐いたのはアナタにでしょうね。ムカイ」
「……僕に?」
それこそ意味が分からない。
どうして空那が僕に嘘なんか吐かなくちゃいけないんだ。
嘘を吐く必要も理由もどこにもない。出まかせにしても出来が酷過ぎる。
「彼女が嘘を吐いたのは、経歴の部分です」
木深さんは深く息を吸ってから、神妙な面持ちで言った。
だが、経歴といったって空那はまだ学生だ。役者の道を諦めた以上、Vドル以前の経歴として語るようなモノを記載していた様子はなかったし、僕が隣で見ていた限りでは彼女が嘘の経歴を書けるスペースなんてなかったはずだ。
だって、あそこには、空那が通っている学校くらいしか――
「荻篠さんは、冨央学園の生徒ではありませんでした」
耳を疑った。
しかし、聞き間違いではなかった。
空那が、冨央学園の生徒では、ない?
そんなはずはない。空那本人や兄であるリュートからも、彼女があの学校に通っている事は聞いている。
再会した時はもちろん、ここへ来た時にも制服を着ていたので彼女が冨央学園の生徒であることは木深さんたちも見ているはずだ。
「正確には、冨央学園の生徒『だった』と言う方が正しいでしょう。学校に問い合わせた所では、少なくとも一年生の一学期までは在籍していたそうですから」
「それは、つまり」
続きそうになった言葉を慌てて振り払い、僕は別の疑問を吐き出す。
「いや、だからってそれを理由に空那をイデアから降ろしたんですか!? 僕になんの断りもなく代役なんか用意して! 仮にっ、その経歴詐称が事実だったとして……この対応はあまりにも急すぎます! せめて、空那に弁明くらいは――」
「イデアを降りると言ったのは、空那よ」
「――――え」
衣越さんの、感情を凍てつかせたような瞳が僕を射抜いた。
「私たちだって、たかだか経歴の一つ程度で――少なくとも今回に限っては、とやかく目くじらを立てるつもりなんてなかったわ。そもそもウチとアナタたちの契約はあくまでも提携。運営にまで口出しできるような立場にはないわ。けど……」
「『ムカイに、合わせる顔がない』」
今度は木深さんが言葉を告げた。
「僕に、合わせる顔がない?」
「荻篠さんが、そう言っていました。衣越も言っていますが、弊社とお二人の契約はあくまで提携。お二人が希望しないことを勝手に進めることはできません。荻篠さんを呼び出したのも、書類の不備を確認するためだけでした」
「けど、あの子はイデアを降りると言ったわ。『嘘を吐くような私が、イデアにふさわしいとは思わない』なんて言って、こっちの引き留めに耳を貸してくれなかったの」
全身の力が抜けていくのを感じて、僕はソファの背もたれに身体を預けた。
木深さんが呼び出したのは、単に書類の不備――空那が本当に冨央学園へ通っているかの確認だけ。それを理由に彼らが空那をイデアから降ろすことはなく、希望次第では続投することができたにも関わらず、彼女はそれを望まなかった。
「……もちろん、私たちも止めました。けれども、彼女に聞き入れてもらうことはできずにそのまま音信不通。ご自宅にも直接伺いましたが、どなたも出られませんでした」
「じゃあ、今のイデアはいったい誰なんですか? 空那が本当にそれを望んだとして、いくらなんでも見つけてくるのが早すぎます」
「……私たちじゃないわ。あの子を見つけてきたのは、上」
「うえ?」
「ウチの親会社が、サンステの主催やってる所だってのは前にも話したでしょ? そこの社長がせっかく枠をやったというのにボイコットとは何事か~なんて怒り狂っちゃってツテのある養成所から連れて来たのよ。なんでもアナタの熱心なファンだそうで、イデアのキャラクターへの理解も深かったから、こんなに早く動画を出せたの」
「それを、僕に黙って……ですか?」
「荻篠さんから自分の代役を探してほしいという旨の要請は降板の話と同時に受けていました。そして……可能な限り、アナタには内密に話を進めてほしい、とも」
「………………」
要は、空那が「自分が居なくなっても問題ない」ように手を回していたって訳か。
……立つ鳥跡を濁さずって、空那はやろうとしてたんだろうけど。
……濁すどころかドロドロに汚してるよ、こんなの。
ギリリと奥歯が音を立てる。まさか、ことイデアに関して生みの親である僕が除け者になっているなんてね。夢にだって思ってもいなかったさ。
「サンステには、イデアの他にもウチのVドルたちが何人か出演予定なの。代役を強行したのは、あっちの社長から全員の出演を潰すと暗に脅されたって部分もあるわ。正直に白状すれば、シャニプロ自体が立ち行かなくなるってこともありえる」
「……荻篠さんからの要望があったとはいえ、あなたに黙って話を進めてしまったことは謝罪します。ですがどうか、どうか――ッ!」
淡々と自分たちの事情を吐露していく衣越さん。それと対比するようにして、めずらしく感情的になった木深さんが僕に詰め寄ってくる。
いつもの2人とは間逆の対応。いや、彼ら(特に木深さんにとってみれば)自分の事務所の危機である。僕にとってのイデアみたいなものだ。
めちゃくちゃな事態だけど、その原因を作ったのは僕らの方。
ここで2人と話しても平行線のままだろう。
「……木深さんたちの言い分は、分かりました」
このままでは土下座しかねない木深さんに告げて、僕はソファから立ち上がる。
「でも、その前に。話を聞かなきゃいけない子がいます」
「それは……」
「はい」
僕は頷く。
「空那から直接、話を聞いてきます」