30話 幼馴染との初デート
「……ああ。なんかもう、1日分の体力を使い果たした気がする」
噴水の水面に映った自分の顔を覗きながら、僕はがっくりと肩を落とした。
結局、僕はリュートから逃げることができず彼の気の向くままにコーディネイトされた。正直7割くらい本気で舌を嚙み千切ろうかとも考えたが、幸いリュートの選んだコーデはまともなものであった。
ゆったりとしたシルエットをしたパステルカラーの半袖シャツ姿で、髪型をはじめうっすらとメイクまで施された自分の顔。水面から視線を移せば上半身とは裏腹にスラリとしたスラックスが見えた。財布などの小物は肩から掛けたウエストバックに収まっている。
見ての通り、リュートのコーデは一応男として通る格好のものとなっていた。
まさかレディースの服が組み入れられるとは思っていなかったけど、リュートの話では珍しいことでもないらしい。「身だしなみはテメェでやってんだから男のコーデもできて当然だろうが」とのことだけど、確かに言われてみればそうであった。
まさしくプロのスタイリスト。流石の仕事である……けど、荷物の中にスカートなどが入っていたことを僕はゼッタイに忘れないよリュート。キミ、ボクが指摘しなかったらしれっと女装させようとしていたよね? しれっとじゃなくてもさせるつもりだったよね?
とはいえ、自分で選ぶよりよっぽどマシになっているのは事実。
そのことにだけは彼に感謝するとして、僕は空那の到着を待った。
「それにしても……また早く来すぎた」
待ち合わせ場所として選んだのは僕の家の近くにある自然公園だ。
昔はよく空那と遊んだ場所で、僕がいるのはその中にある噴水広場だ。
夏休みの子供らが元気に遊ぶ姿をしり目に近くの時計を見ると、待ち合わせの一時間前を示していた。
「リュートに追い出される形で出てきたけど、こんなに早く来ても――」
「あれ、ムカイ?」
「え?」
名前を呼ばれて振り返る。
その先に立っていたのは――美少女だった。
「おはよ~やっぱ早いねムカイ。私も早く着すぎちゃったよどうしよ~って思ってたのにまさかムカイの方が速く来てるなんてビックリ……って、ムカイ?」
どーかしたの? と言って美少女が僕の顔を覗き込んでくる。
アイラインのメイクで強調された大きな瞳が僕の姿を映し、彼女が前かがみになったことで艶やかなブロンドの髪がしゃらりと垂れ下がった。
……ていうか、なんで僕の名前を知ってるの?
「わぷっ?」
「ねえちょっと聞いてるのムカイ!? 暑さでやられちゃった!?」
いきなり僕の頬をつまんでガクガクと勢い任せに揺らしてくる美少女。
というか揺らすならせめて肩を掴ん――痛い痛い痛いッってば!?
「って、あれ? 空那?」
「そーだよ! むしろ誰だと思ってたの!?」
「いや、それは……」
……美少女に見えていました。
いやそんなバカ正直に答えらるわけないだろう!
……とはいえ適当にごまかそうにも下手な言い訳は見抜かれてしまいそうだし、どうしたものか……
コホンと空咳をついて僕は改めて空那を見る。
きれい目のオフショルダーのトップスにふわりとした膝丈のスカートを合わせた格好の空那。健康的な肌色の肩からポーチが下げられている。ギャルというよりはちょっと大人びた印象で、まさにデートへ挑む勝負服といった気合の入りようだ。
半ば感心の念すら抱いて見ていると、空那が顔を真っ赤にして慌てだした。
「え、え? まさかどこか変な所ある……?」
「ううん、まさか! すごく似合ってる!」
「ホントに?」
「もちろん! ビックリしたよ。正直――」
「……正直?」
「――可愛い、と思いました」
「…………ッ!」
ポン、と空那の顔が真っ赤になる。
「「…………」」
いや、何か返してくれよ!
真っ赤になった顔を隠すように俯いてモジモジしだす空那。ガチガチに『ギャル』という見た目に反する仕草とはいえ、いやむしろ、それがギャップとなって彼女の可愛さを倍増させているのだ。見ている僕の方も顔が熱くなってしまうというもの。
き、気まずい……!
微妙な沈黙が漂う。
これじゃあまるで僕が変なことを言ったみたいじゃないか! 可愛いと思ったのはホントだけど、なんの仕打ちなのさ!? 新手の羞恥プレイか何かなの!?
どうにか次の言葉を口にしようとした僕に先んじて、空那の口元がもぞもぞと動く。
「……え、えへへ。ムカイ、私のこと可愛いって思ってるんだ~♪」
「あ、空那さん……?」
「へっ? あ――そうだ! む、ムカイもさッ!」
空那の呟きはよく聞き取れなかった。
僕が訊き返そうとするよりも早く、空那は誤魔化すようにパタパタと赤くなった顔を仰いでから僕に向き直る。
そして、一言。
「ムカイも、カッコいい……よ?」
時が、心臓が、止まった気がした。
さっきと同じくちょっと前かがみになって、上目づかいに僕を見つめてくる空那。一歩近づいて来たことで彼女の瞳がより大きく僕を映し、ぱっちりしたまつ毛やほんのりと化粧された頬が真っ赤になっているのが嫌でも分かってしまう。
こ、これが、世に聞く「上目遣いの破壊力」……ッ!?
仕事のイラストで描いたこともあるけど、実際にされるとこんな威力を持つとは思ってもいなかった。僕が戦慄と共に絶句していると、空那が「ぷぷっ」と吹き出した。
「アハハッ、ムカイってば照れ過ぎ! いくらなんでも顔赤くなりすぎだよ!」
「ご、ごめん! ちょっと驚いちゃって」
「ひょっとしてうれしかった?」
「そ、そんなこと――ていうか、顔が赤いのは空那もじゃないか! むしろ空那は耳とかも赤いクセに! 照れてるのは空那だよ!」
「耳ま……!? だ、だったらムカイは首元まで真っ赤だもん! 照れてるのはムカイ!」
「空那の方が!」
「ムカイだもん!」
ムムムムムム~と、お互いに睨み合うこと数秒。
やがて、どちらからともなく、二人して笑いだしてしまった。
「アハハハッ、あ~こんな風に言い合ったのっていつぶりだっけ?」
「ん~あれじゃない? 僕らが最後のお菓子を取り合った時」
「あったあった! ずっと言い合ってたから兄さんに取られちゃって」
「そうそう! 文句言う僕らが逆にリュートから怒られたやつ!」
同じ過去を思い返して一緒に笑顔を浮かべる空那。
容姿は見違えたけど……やっぱり、空那は昔と変わっていないようだ。
僕はイラストレーターになってイデアを描き、空那は役者の道を諦めてギャルになった。
色々と変わった僕らだけど、これだけは昔のままだった。二人して笑ったことで微妙な空気だったモノも弛緩し、お互いに緊張が氷解していくのを感じた。
「リュートと言えばさ、ひょっとして空那の服はリュートのしわざ?」
「うん。兄さんに相談した、って言うよりはほとんど向こうがアレコレ言って来たカンジだけどね。じゃあ、ひょっとしてムカイも?」
「そ、朝早くにね。何か変な気でもまわしてるのかな?」
「かもね~兄さん、ああ見えて世話好きだし」
ああ……この感じ。すごく久しぶりな気がする。
ほんのささいな、他愛もない、何気ない会話。
空那と再会してからこれまで、ほとんどずっとイデアについてのことしか話していなかったから、こんなふうに話すようなことはあまりできなかったのだ。だからこそ、久しぶりだった。
――まるで、昔、お互いが夢に向かっていた時のように。
「じゃあ、そろそろ行こうか」
会話が一区切りついた所で僕が切り出す。
空那と話していたらそれなりに時間が経っているので、今から移動を始めれば何かしらのお店も開いているだろう。
「うん。あ、そーいえば今日のプランって考えてるの?」
「一応ね。考えてはいるよ」
言いながら、僕は自分のスマホに視線を落とした。
「午前中はこの前できなかった渋谷でのウィンドウショッピング。お昼はこっちで予約しているよ。午後は映画でも。時間があるようだったら、近くのゲームセンターやカラオケにも行こう。夕食はその時次第で。疲れ過ぎて明日に響かせるワケにもいかないからね」
「……わ、けっこうしっかり考えてる?」
もちろんちゃんと考えたさ……リュートにせっつかれて。
別に恋人同士のデートでもなかったので特に予定を考えていなかった所、あきれ混じりのリュートが色々とアドバイスをしてきたのだ……というか。
「なんで疑問形なのさ」
「だって、私もデートなんてしたことなかったし」
「そうなんだ」
「そーなの。なに、ひょっとしてムカイ、私がそんなに遊んでる風に見えるの?」
「まさか」
「……即答は即答でムカってくる」
じゃあどう答えればよかったのさ。
即答できたのは前にリュートが「空那は処女だ」とか言っていたからだ。そこから今までに特定の相手が居なかったことは推察できるし、そういう経験がないというのは想像に難くない。面と向かって指摘したら空那を怒らせるだけだろうから言わないけど。
ムスーっと頬を膨らませる空那をどうなだめようかと僕が思案していると、空那の方が不意にニヤリと何かを思いついた顔で僕の腕に抱きついてきた。
「あ、空那? いきなり何を――」
「だって、デートに行くんだもん。少しはデートらしく、ね?」
僕の腕にそってむにゅんと形を変える空那の胸。その先では僕らの手が絡み合うように恋人繋ぎとなっていて、密着した部分からは空那の柔らかな感触と共に彼女のむくもりが直に伝わっている。至近距離にある空那の顔はさっきよりも真っ赤になっていた。
「だからって、別に腕を組む必要なんて」
「問答無用♪ それじゃ、しゅっぱ~つ!」
突然の行動に驚く僕を問答無用に引っ張り、空那が元気よく声を上げる。
――耳元まで聞こえてくる、ドキドキという鼓動の音。
それがどちらによるものなのかは、結局デート中に分かることはなかった。