28話 たまの休暇はとても大切
Vドルは、いわゆるネットアイドルの一種である。
その実態のほとんどはゲーム配信を主とするストリーマーであるが、もちろん世間一般的な現実のアイドルと同じく「舞台の上で歌って踊る」タイプも数多く存在している。
正義イノリが所属するハコライブもその一例だ。
ハコライブ所属のVドルはそれぞれオリジナルの楽曲を持っていて、時折ライブ配信やイベントなどで披露している。
まあ、そんなことができるのはハコライブという業界最大手のハコであるからなのだが。
僕はあくまでもイラストレーターだ。残念ながら音楽関係の伝手はないし、流石に一から作曲の勉強をできるだけの時間はなかった。だからこそ「歌って踊る」路線はほとんど諦め、空那の希望にもあったってことでゲーム配信の路線を選んだっていうのに。
……まさか、ゲーム配信を始めようって矢先にそっちの打診を受けるとはね。
《バーチャル・サンライト・ステージ》
通称は「サンステ」。再来月の開催でで3年目となる、中規模のリアルライブイベント。個人、企業を問わずに大勢のVドルが出演するため認知度も高く、一部では新人Vドルにおける登竜門ともささやかれているイベントだ。
木深さんが持ち掛けてきたのは、なんとそのサンステへの出演依頼だった。
なんでもイベントを主催しているのがシャインライブの親会社で、その社長が大層イデアのことを期待してくれているのだとか。サンステのゲスト出演枠にねじ込まれたばかりか、披露する楽曲も向こうが用意してくれるとの至れり尽くせり具合だ。
無論、そんなご厚意を無下にするつもりもせっかくやってきたチャンスをふいにする理由もない。イデアの『魂』である空那も乗り気になってくれたので、僕らは晴れてその主演依頼を受け入れ、サンステに向けた準備に明け暮れる日々が始まった。
……まあ、僕の負担はむしろ減ってるんだけどね。
出演に向けたレッスンなど、細かい調整は全て衣越さんがやってくれるし。
何より実際に準備をするのは空那だ。ステージに立つためのレッスンに励む傍ら、ゲーム配信を始めたことでより日々の忙しさはより一層増していることだろう。
『は~い。10連勝が伸びに伸びて20連勝達成! パチパチパチ~、と言う訳で今日の配信はここまで! みんなチャンネル登録や高評価シクヨロ~。あ、今度メンバーシップも始められそうだからこうご期待ね!』
画面の向こう側から空那――イデアの声が聞こえる。
僕の自室にあるデスクトップのパソコンだ。ディスプレイに映るのはいつものステージに立った彼女ではなく、画面の右下辺りにバストアップ姿だ。画面のほとんどはゲーム映像で、よくVドルがゲーム配信をする時に使う画面レイアウトである。
その画面がエンドロール用の映像に切り替わり、完全に配信が終了するまでを見届けてから、僕は大きく息を吐いて椅子に背中を預けた。
空那の自室に配信設備を整え、イデアのゲーム配信がスタートしてから早数日。はじめの頃は自分で機材の準備をするのに戸惑ったりしていてヒヤヒヤさせられたものだが、最近は片手間で作業をしながらでも落ち着いて視聴することが出来ていた。
「それにしても、ホントに空那はゲームが上手いなぁ」
空那のゲーム配信は今回ので8回目だ。題材のゲームは毎回違っていて、今回は格ゲーだった。様々なゲームからキャラクターが参戦して大乱闘を繰り広げるというお祭り的なタイトルで、多くのVドルが配信しているものだ。
僕はあまりゲームに詳しくないものの、どうやら空那の実力はかなりのものだったらしく、確か――なんだっけ。界隈で有名らしい特定のキャラを使って挑発ばかり繰り返すのにとても強い凄腕のユーザーを初見で撃退した時のコメント欄が驚きで埋め尽くされていた。
……戦いながら立ち回りや小技の解説もしてたし。
一部のリスナーからは「元プロなのでは?」とかささやかれているほど。その正体は現役JKのギャルなんだけど、全く別の話題を話しながらも滞りなくゲームプレイをする姿は僕ですらそうなのかもしれないって思ったほどだ。
とはいえ、相変わらず僕の話をよくする上に、今日はポロっと僕の本名とかヤバい情報を口にしそうになっていたのは後でお説教をしよう。
「それにしても……」
いったい、彼女はいつの間にここまでゲームが上手くなったのだろうか。
空那は小さい頃からこういう勝負事にはめっぽう強い方だったけど、流石にここまでの実力じゃなかったはず。おそらく、僕の知らない間にここまで上達したのだろう。
役者の道を諦めた後に、たまたま熱中しただけなのだろうか。
はたまた――逃避先に利用していたのか。
正義イノリとのコラボからずっと、環境の変化や空那が件のイベント出演のためにボイトレへ通い始めたのもあって彼女とはあまり話せていない。せいぜいが事務的なやり取りくらいで、込み入った話などできる余裕もなかったのだ。
空那と再会してから、およそ3カ月が過ぎた。
昔のように接することができるようになった反面、肝心な部分には未だに踏み込めないでいる。「どうして役者になる夢を諦めたのか」はもちろん、学校での事など私生活に関することすらほとんど知らないままだ。
無論、僕らはもう高校生。それも異性である。
何でもかんでも腹を割って話せるような年齢ではないし、それを不満に思うようなことはない。
加えて、イデアの存在もある。
現在、イデアのチャンネル登録者数は6万人を超え、このままの調子でいけば10万人だって夢ではない状況だ。イノリの他にも何名かのVドルとコラボが実現し、配信の同接も動画の再生数も右肩上がりとなっている。
まさしく順風満帆。これ以上ないほどの成長速度だ。
だからこそ、下手に踏み込んで関係がこじれてしまう事態を避けていたのだ。
しかし、いつまでもこのままという訳にもいかない。
僕の胸の内にある、言いようのない、薄氷のような不安。
その正体がいったいどんなものかは予想できないけど、このまま活動を続けていけば空那の進路が絡むようになるのも時間の問題だ。
彼女の「これから」の話をするためにも、ほんの少しだけでも彼女の「これまで」を知っておいた方がいいはずだ。
「……よし」
パソコンの時計を見る。イデアの配信が終わって十分が経っていた。
僕は机の上に置いていたスマホを手に取り、チャットアプリを起動させる。
明日は動画を上げる日なので、配信はお休み。撮影や打ち合わせなどの予定も入ってなかったから、空那はフリーの休日であるはずだ。
……空那自身の予定があるかもしれないけど……
その時はその時だ。意を決して、僕は空那にメッセージを送る。
『おつかれ、空那』
『おつおつ~』
「はやっ」
ものの数秒で返ってきた。
驚きながらも入力している内に、空那の方からメッセが飛んでくる。
『どしたん?』
『いや、明日ってヒマかなって』
『うん』
デフォルメされたリスが『ヒマ!』と言っているスタンプが届く。
よし、と僕は続きを入力しようとして――
『ひょっとして、デートのお誘いだったり?』
たまらず手が止まった。
デート。デェト。でえと。
定義はまちまちだが、男女、もしくは恋人同士など親密な関係の二人が連れ立ってどこかへ出かけることを指す。
「いや言葉は知ってるよ!」
自分で自分の思考に突っ込みつつ慌てて否定しようと――いや、待った。
むしろ、これはいい機会かもしれない。
本当はリュートも呼ぼうと思っていたけど、彼は空那の兄。当然、空那の事情を知っているはずだし、どこかこの話題を避けているきらいがある。ならば、いっそのこと2人きりで会う方が話を切り出しすいはずだ。
『うん、デート。ちょっと空那に訊きたいこともあるからね。どうかな、この前の勉強会の時は委員長の事もあってそんな雰囲気じゃなかったからお流れになったけど……改めてさ、久しぶりに2人で遊びに行こうよ』
今度は、すぐに返信が来ることはなかった。
メッセージが『既読』となってから、およそ五分ほど。寝落ちでもしちゃったのかと僕がスマホを机に置こうとした寸前、ポンという通知音と共に空那の返事が来た。
『や、やさしく、シてね?』
『それは飛躍しすぎ!』
冗談にしても心臓に悪いよ!
しかし、返事はOKであったようだ。それから僕らは軽い冗談を交えながら待ち合わせ場所や時間などをやり取りしてから『おやすみ』と打ってチャットを終了した。
「……ふぅ」
デート、もとい遊びに行くの約束をしただけなのに、どっと疲れた気分だ。
時計を見ると、すでに夜の10時を過ぎている。寝るにはまだ早い時間であるが、デートしようと誘った僕が遅刻するわけにもいかなし、さっさと寝てしまった方がいいだろう。
そうと決まればさっさとシャワーを浴びて――
ぐううぅぅぅう。
「あ……ぶっ続けで作業してたから夕飯食べてないんだった」