26話 企業スカウト
正義イノリとのコラボ配信から一週間ほど。
夏休みに入った僕らは、再び都内にあるオフィスビルを訪ねていた。
株式会社シャインライブ。
Vドルのマネジメント業務などを行う『シャインライブ・プロジェクト』(通称シャニプロ)を運営する新進気鋭の企業だ。規模こそハコライブとは比べるべくもないが、親会社にイベント系の企業がついているので案件やイベント出演のあっせんが多く、躍進のチャンスが多いことで着々と勢力を増している企業である。
スカウトの話が来たのは、ちょうど正義イノリとのコラボの話と同時期。契約内容の調整や僕らの学業などスケジュールの都合もあって時期がかなりずれこんだが、今日はこうして顔合わせと契約のためにやってきたのだった。
「お二人とも、ようこそお越しくださいました」
会社(いや、事務所かも)の受付から案内された応接スペースでソファに座って待っていると、少し遅れてオフィスカジュアル調の服装をした若い男性がやってきた。
落ち着きのある、理知的な空気を纏った人だ。
それでいて自然な笑顔を僕たちに向けていて、彼は続けて取りだした名刺を僕らの前へ差し出した。
「はじめまして。達間さんはすでにご存じでしょうが、私は株式会社シャインライブ代表取締役、木深渡と申します」
「は、ハジメマシテ! わた、私は――」
「荻篠空那さん、ですよね? お話は達間さんから伺っています」
緊張でカチコチになった空那に木深さんがにこやかに告げる。それから僕の方へ視線を向けて思い出したように言葉を続けた。
「そうだ。この前やっていた正義イノリさんとのコラボ配信、拝見しました。てっきりウチの誘いは断ってハコライブに行ってしまうんじゃないかと思いましたよ」
「イノリさんとは偶然知り合う機会がありまして、コラボの話はその時に。スカウトの話自体は、まあ……木深さんのお誘いがなければコロッとやれていましたね」
「ということは、蹴ったんですか? ハコライブを?」
「正式なスカウトという訳ではありませんが、丁重に辞退しました。空那とも話をした上で、イデアならばハコライブの力を借りなくても……って、空那?」
「ひゃ、ひゃい! がんばりましゅ!」
隣に座った空那がビクンと飛び上がって答える。
さっきから会話に入ってこないなぁとは思っていたけど、また緊張しているようだ。ガチガチに固まって宣言する空那を見て木深さんは苦笑気味に口元を押さえていた。
「あはは、気合十分といったご様子ですね。それでは、私としても荻篠さんの気力が途切れてしまわないうちに本題へ入りたいのですが――」
「おっまたせしましたぁ~!」
木深さんの言葉を引き継ぐように、新たな声が聞こえてきた。
書類ケースを抱えてやってきた女性社員のものだ。自堕落……えっと、サバサバした感じの人で、くたびれたレディススーツの印象が強い。しかし、さりげなく目元などをメイクで整えているあたり見た目通りなだけの人じゃないなと感じさせるモノがあった。
「遅いですよ衣越さん。30分前には出社するよう言ったじゃありませんか」
「やースミマセンスミマセン。昨日はちょっと遅くまで用事があったもので」
「また飲み会でしょう? まったく、契約の時くらいはちゃんとしてください」
「失礼な。アタシが大事な約束をドタキャンした事がありますか?」
「遅刻しているなら似たようなものです」
だいぶ近しい間柄なのだろう、木深さんの言葉にさっきまでの遠慮がない。
とはいえこのまま見守っていたら目の前でお説教が始まりそうだったので、僕はそれが本格的に始まってしまうより先に口を挟んだ。
「あの、こちらの方は?」
「ああ、失礼しました。彼女は衣越智美です。希望イデアさんのマネージャーを担当する予定で、見かけによらず手腕は折り紙つきなのでご安心ください」
「ご紹介に預かりました。衣越です――って、確か2人とも学生よね? 敬語はなくてもいいかしら? 固い言葉ってニガテなのよねぇ」
「こらキヌッ」
「僕は構いませんよ」
声を荒げる木深さんを遮って僕が応じる。
約束に遅刻した上でのこの言動、正直に言えばあまり印象はない。だが、言い換えればこの人は「これだけのことをしても許されている」ということだ。木深さんも太鼓判を押しているのなら、僕も体裁を気にするつもりは毛頭なかった。
――それに、僕らを侮って見ているからという訳でもなさそうだしね。
じっとこちらを見据える衣越さんの瞳は僕らを値踏みするような色が宿っている。僕がそれに真っ向から見つめ返すと、彼女は「へぇ」と口元に笑みを浮かべた。
「流石はスズが気に入った男の子ね。カワイイ顔してるクセに肝が据わってるじゃない」
「スズ?」
「あら、正義イノリとコラボしたなら面識あるでしょ?」
面識?
「ひょっとして、鈴鉢さん?」
「せいかい♪」
同じ人物を思い至った空那に衣越さんがピンと指を立てた。
「実は私たち、あの子とは大学の同期なの。今回の話もあったから、事前にアナタたちについて話を聞いて来たの。……あることないこと、色々とね?」
「……ないことの方は忘れてください」
鈴鉢さんの「ないこと」は恐ろしすぎる。
詳細は聞かない方がいいだろう。うん。世の中には知らない方がいいことだってたくさんある。これからはあの人と2人きりになる状況は避けよう。なんて僕が身震いしていると、話が一段落ついたと察知したのか木深さんが今日の本題を切りだした。
「それでは、そろそろ契約内容の確認と行きましょう」