第20話 Vドルになる覚悟
「ここまで言えば、もう気付いていますよね? どうしてあの子――正義イノリが『希望イデア』とのコラボをアナタたちに持ちかけたのか」
「……イデアに、闇之チカと同じ末路を辿らせないため」
はい、と鈴鉢さんが首肯する。
「行き過ぎた批判も、いわれのない攻撃も、全て真っ向から受け止めてしまい――闇之チカというVドルはこの世界から姿を消しました。彼女というVドルを守ろうとして、その魂を蔑ろにして、結果としてどちらを守ることもできなかった。残されたのは、リスナーの皆さんの後悔と悲しみ、そして同期のイノリに起きたとある変化だけでした」
「……魂とVドルを切り離した?」
「もちろん、表面上でリスナーに気取られないほどの些細な変化です。自分自身の要素を抑え、より『正義イノリ』らしく成れるように。キャラクターとしての要素を抽出し、洗練し――あくまで別人として『成り切る』ことが、今の彼女です」
「なるほど、それであんな――特徴的な泣き方を」
「いえ、あれはあの子元来のものです」
「…………」
そうなんだ……委員長あんな風に泣くんだ……
ンン、と鈴鉢さんが空咳をついてから話を戻す。
「結果論ではありますが、正義イノリの変化は良い方向に作用しました。だからこそ彼女も自分のスタイルに自信を持っています。余所のVドルであるイデアさんにとっては出過ぎたことをしているというのはわたしも思います。ですが、わたし自身の気持ちはイノリと同じです。もう二度と、あの子のような終わりは見たくない」
全ては、いわれのない批判で、根も葉もない悪評で、魂を壊さないために。
言葉の奥底に自らの感情を塗りつけるように、鈴鉢さんは続ける。
「現在のVドルにとって、仕事と趣味の境界は非常にあいまいです。お二人がどちらにいるつもりなのかは分かりませんが、もしも『希望イデア』に何らかのトラブルがあった場合、批判の矢面に立つのは彼女です」
「……老婆心からの忠告、という訳ですか」
「お姉さんの気遣いと言ってください」
最後の言葉こそアレだけど、鈴鉢さんは真剣に僕らのことを心配してくれているのは分かる。
僕らが炎上することでイノリにも飛び火してしまうことを危惧してるというのもあるだろうけど、それでも彼女の言葉からにじむ後悔の念は本物だ。
……初配信の前科があるぶん、余計にって感じかな?
Vドル、いや人の前に出る世界に身を置く以上、炎上とはは切っても切り離すことのできない、いついかなる時も起こりえるものだ。僕らだって可能な限り気をつけているけれど、いくら万全の対策を施したとしてもそれは万全とはいえない。
「あなたはどうしますか。先生――いいえ、『達間夢海』として」
だからこそ、鈴鉢さんは僕に問いをかける。
「希望イデアと荻篠空那。万が一の時、あなたはどちらを選びますか?」
同じ「Vドルをそばで見守る者」として。万が一の炎を前に、どう立ち向かうのか。
否。どちらを守るのかを。
「今の調子でいけば、イデアさんはいずれ様々なイベントやコラボに出演する機会が増えてくるでしょう。同時に、炎上などのトラブルのリスクだって。もしも彼女に何かあった場合、アナタは彼女たちのどちらを守りますか?」
すぐに答えることができず、僕は唇を固く閉ざした。
……空那はイデアの『魂』だ。本来、2人は同一って言うのが普通だけど。
鈴鉢さん――咲夏の「問いかけ」においては、その認識は間違いである。
Vドルという界隈は現在、ようやくその規模に内部のシステムが追いついてきたと言える状態だ。
まだまだ目に見えないような課題は多く、思いもよらない事態によって彼女たちのどちらかを切り捨てなければならない場面だって皆無という訳じゃないのだろう。
例えば、闇之チカの『魂』のように。
当時そこでどんな話があったのか、部外者である僕には分からない。
だけど、もしも万が一に希望イデアの活動で彼女と同じような事態が起きた場合、イデアと空那のどちらかを選ぶよう迫られた場合、僕が選ぶのはきっと、
「僕は、イデアを守ると思います」
「…………理由を聞いても?」
「もちろん、それは最後まで抗った上での選択です。どっちも守れるのなら誰だって両方を取るでしょう。けど、もし万が一にでもそれが叶わないのなら……僕はきっと、『希望イデアの生みの親』としての選択をします」
「では、空那さんは見捨てると?」
「いいえ。その必要がないというだけです」
怪訝そうに首をかしげる鈴鉢さん。
僕はなおも勝負を続ける空那たちを見つめながら続ける。
「空那は、強い子です。僕よりも、ずっと。たった一人でも自分の意志を貫き通すことができる。どんな非難にもめげず、どんな苦難にもへこたれない。どんな困難にも立ち向かう。それが僕の知る彼女であり、だからこそ僕は彼女にイデアを託しました」
空那なら自分で判断して、自分で動くことができる。初配信の時は本調子じゃなかったみたいだけど、今日の配信では空那のアドリブが功を奏して成功に終わった。……そのアドリブで僕が炎上しそうになったんだけど、それはともかく。
ギャルになったとしても、空那は空那だ。
小さい頃、僕を強引に連れまわしていた時のように、自分の意思で決断し――
「空那なら大丈夫です。空那なら……」
そして、自分の夢を、諦めた。
今と昔の空那における、ほんの少しの――ごくわずかな、差異。
わざわざ猛勉強して僕やリュートとは別の、遠くにある芸能関係に強いと評判の学校へ進学したと言うのに、空那はあっさりと「役者の道は諦めた」と語った。
彼女がその結論へ至るまでにどんな葛藤があって、どんな決意を持ったのか。
その結論を経て、今の空那にどんな変化をもたらしたのか。それを僕は知らない。
しかし、仮にどんな変化が空那にあったとしても、僕の答えは決まっている。
「もっとも、そのような状況に陥らせないのが僕の役目だと考えています。イデアだけを守るのは本当に最後の選択だし、そんな選択をしないために、僕は全力を尽くす。僕自身の野望のため、決断するための基準はただ一つだけだ」
じっとこちらを見据える鈴鉢さんを真正面から見つめ返して、僕は告げる。
「僕が最強の美少女を描くための選択をする。それが、僕の答えです」
鈴鉢さんからの言葉はなかった。
数秒の沈黙の後、彼女はチラリと現在も撮影スペースで勝負を続けている咲夏の方へと視線を向ける。
「……だ、そうですよ。イノリ」
「え……ッ!?」