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宿舎までの帰り道、薄暮に気付いてローレンは足を止めた。
橙色に染まりかけた花壇。煉瓦らしき材質の歩道に目を落とすと足元には淡い影が作られている。彼は身動き一つせず、その場に留まった。
意識を内に向け、両手は自然と握りこぶしを作っていた。僅かに歯を食いしばり、苛む頭痛から目を逸らすように俯いた。
ローレンは今、数時間前に行われた課外授業のことを思い出していた。
課外授業の内容は、魔法についてのものだった。
担当教員はシェルダーという若い男で、彼は権威に対して挑戦的なところがあった。そのためカリキュラムから逸脱した授業を行うことで叱咤されることが度々あったものの時には注意勧告を受けないこともあった。その際シェルダーは「おや?」と内心ほくそ笑むように思い、次第にその境界線を探るようになっていた。
この日も新たな前例を作らんとばかりに勇み、挑戦的な面持ちで生徒に向かい合っていた。
「今日の授業は学園の中庭で行うよ。授業内容は……魔法についてだ。そう、魔法について」
どのようなことをするんですか? と生徒から質問が飛ぶと彼は表情を変えず、心情の機微を悟られぬよう声の抑揚を押させてこう言った。
「そうだね……うん、ではこうしよう。今から二人一組になって、新しい魔法を見つけてみようか」
シェルダーは淡々と言いながらチラリとローレンを見た。期待の新入生。生粋の天才。そんな言葉が教員内でも流れており、期待の色を表情に乗せ、妬みの思いを内に秘めながらローレンのことを見つめた。少年は最初、僅かに驚いたような顔を見せたもののすぐに落ち着き、最後には口角さえ上げて見せた。
教員はそっと目を逸らし、クラス中に視線を流して反応を伺った。
大半は動揺しているように見えた。引き潮のようなざわめきがゆっくり沸き立ちはじめ、喧噪となる前にシェルダーはパン! と大きく手を叩いて注目を仰いだ。
「まあとりあえずやってみようか。なに、別にそれほど大したことじゃないし、あまり気張らないでもいいから。ものは試しってやつだよ。それに、失敗は成功のもととも言うからね。それじゃあ、二人一組を作って……これは先生が今から決めようかな。名前を呼ばれた者たちから外に出て、課題を始めるように」
シェルダーは生徒の名前を読み上げていき、ペアにする生徒はちょっとした意図を含むものもあったが、大半は気まぐれで選んだ組み合わせだった。
そしてローレンは、ラングと組むようにと彼は言った。この組み合わせに関して意図はなく、彼はこのあとのミレイア嬢を誰とペアにするかで頭を悩ませていたので、この時ばかりは既にローレンのことなど眼中になかった。
ローレンはラングと組まされたことに最初ギョッとしたが、すぐに冷静さを取り戻すと彼に近づき、「さっ、行こうか」と声をかけた。
ラングは無言で頷き、廊下に出ると二人は並んで歩いた。
「……なぁ、元気そうだな」
ローレンはチラチラとラングを見ながら口を開く。
第三者を交えず二人だけで会話をするのはいつ以来だろうか? とローレンは妙な気まずさを覚えながらも、探るように聞いた。
「まあまあかな。きみは以前と変わらず元気だね」
ラングは表情を変えず、ローレンの方を見向きもせずに答える。
その言葉にローレンは多少苛立った。
もう今は同い年なんだから、敬語とかそういうのは一切なしでいいから。そう言った過去の自分にも腹が立ち、分かっていてもキリキリと苛立つ自分の性根を批判したい衝動に駆られるが、今は我慢して隣の同級生に最大限関心を寄せようと決心した。
「早いもんだよな。俺たち、この世界に来てもう十二年かぁ……」
ローレンの軽口にラングは頷く。その表情に変化はない。彼は春日部栞だ。そう、あの転生前の、女神とやらに声をかけられた時に一緒にいた青年。彼は今、ラング・エルンストと名乗っている。生まれ持っての白髪と、整った目鼻立ちがもたらす顔の印象は、転生前の青年の印象とさほど変わらない。
こいつは元々美男子だったのだ。それが気に入らない。
でも今は違う。俺も負けず劣らずの美男子だ。それに加え、今では俺の方が才能に恵まれ、魔法の実力においては絶対的な格差がある。その事実を意識に昇らせるとローレンは寛容となって笑顔になり、声をかける。
「思えば同郷が同じもの同士、俺たちはもっと仲良くしていいのかもな。ここに入ってからは碌に話しかけもしてこなかったけど、これからはよろしくな」
そう言って親しみを込めてラングに手を差し出した。
ラングは僅かに微笑み、「うん」と答えて手を握り返す。
こうして二人は友人となり、一緒の課題に初めて取り組むことになった。