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鐘の音が鳴り、教室の方へと戻る最中。
ラングと並んで歩きながら、ローレンは自らの苛立ちを隠そうともせず尋ねた。
「そういえばさっき、ミレイアとは何を話したんだ?」
ローレンの上擦った声音をラングも気にする様子はなく、前を見ながら「あとで会いたいって」と話した。
「会いたい!? その……二人きりでか!?」
「そうだけど」
「へ、へぇ……そうなんだな。お前ら、そういう関係だったんだ……」
「そういうって?」
ラングは無表情に、何気なくローレンに尋ねる。その無垢な顔はローレンが最も嫌う表情の一つだった。彼は悪意のない表情から悪意を読み取ることに長けていた。それが一方的な誤解であろうとも、彼はそれを無意識による悪意だと信じ切っていた。そして本人にさえ自覚がないことにこそ彼はそこに真なる悪意があると信じて疑わない。ラングが見せた無垢さには、まさにそういった類の悪意があるのだとローレンは嗅ぎ取っていた。
ローレンは今や同級生となった若者をじっと見つめた。
この男がどのような性質の人間なのかを見定めようとするかのように。
「お前……童貞か?」
「そうだけど」
なんの躊躇もなく、躊躇う風もなく答えたラングにローレンは驚き、一瞬動きを止める。それからラングをまじまじと見つめ、不思議そうに見つめ返してくるラングを見取って大いに笑う。
「そうか。そうか。まぁ、この世界じゃ俺もまだ童貞だしな。でも今の質問は二重の意味なんだぜ。つまり、前世ではどうだったかって話を含めてだ」
「それは……」
ラングは僅かに言葉を詰まらせる。おや? とローレンは思い、面白がる気持ちを抑えて言葉の続きを待った。ラングは僅かに俯き、一点から視線を微動だにしない。
「童貞ではなかったよ。でも、あまりいい話ではないから、これ以上は話したくないかな」
その言葉は祝福だった。
ローレンは破顔し、途端にこの若者への愛着が沸いた。
「そうかそうか。まぁ、その辺りのことは俺の方がずっと詳しいだろうからな。女のことに関して、分からないことがあったら俺に聞けよ!」
先達としての気概を込めて彼にこう言い、ラングは顔を上げると不思議そうにローレンを見つめた。
「な、なんだよ?」
「これからどうしようかなって」
「あ、ああ。そのことか。なら年配者として、俺がアドバイスをくれてやる。いいか? 彼女とは会うな。その方が二人にとって絶対いい。だから—―」
「そのことじゃないよ」
ラングは美麗な顔を崩してクスクス笑う。
それから課題のことを、先ほどの魔法は提出しないようにと釘を刺されたことを話した。
ローレンはラングが見せた未知なる魔法のことを思い出しても、今はそれほど気分を害さない。「ああ、そうなのか」と憮然とした表情で頷き、「そもそもあの魔法は何だったんだ?」と尋ねながらラングの見せた魔法を回顧するように視線を宙に向けた。
「あれは魔法であって、魔法でないかもしれない」
呟くようにラングが言ったこの言葉にローレンは首を傾げる。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ」
「いや、だから……分かるように言えよ!!」
「そう。じゃあ、例えば――」
言葉を止めると、ラングはローレンのことを真っ直ぐに見つめる。
ローレンは見つめられ、端麗な顔が目の前にあることに気圧され目を逸らしそうになる。それでも目を逸らすことが一種の敗北であることを自覚すると彼は決して目を逸らさず、じっと目を見つめたまま「なんだよ?」と声をかけた。
「きみが好きだ」
「はっ!?」
ローレンは一瞬ドキっとするが、いくら美形といっても相手は男だぞ!? と自らに言い聞かせ、そして相手が悪戯に口角を上げたことですぐに気が付いた。
「おまっ、変な冗談言うなよ!!」
「ごめん。冗談であることは否定しないよ。でも、ローレンは今どんな気持ちだった?」
「どんな気持ちって……お前、変なことを聞くんだな。というか変人」
ラングはそんなローレンをクスッと笑う。
しかしすぐに表情を一変させると真剣な面持ちになり、再び「どんな気持ちだった?」と尋ねた。
「それは……悪い気はしなかった。け、けど! 勘違いするなよ。俺はホモじゃないからな。そういうんじゃなくて、その……お前から好きっていわれるのは男女関係なしに、人間として好きっていわれているような気がして……悪い気分じゃなかったよ」
「そっか」とラングは軽い声音で答える。
「そっか、じゃねぇだろ!? ていうか、さっきのやり取り何!?」
「だからさ、さっきのも一種の魔法ってこと」
「は……? 魔法?」
「うん。僕は単に”好き”という言葉を発したに過ぎない。でもそれはきみに影響を与えた。少なくとも、それはきみがさっき言ったようなものを、感じさせたわけだ。でも僕はきみが思うようなことを何も思っていないとしても”好き”と言ったことできみはきみの思うような、そして僕が”好き”と言うことで生じるであろうことを生じさせることが出来た。”好き”という言葉それだけで。さっきとは世界が少し変わったんだよ。それは魔法と大して違わないことだと、僕はそう思うんだ」
ローレンは彼の言葉を理解しようと僅かに黙り込み、それから口を開いた。
「その……言わんとすることは何となく分かったが……それは魔法とは違うんじゃないか?」
「いいや、同じことだよ」
「そうかなぁ……いややっぱり、全然違うと思うぞ」
「さっきの魔法も同じことをしたんだ」
「……」
ラングの言葉に、ローレンは言葉を詰まらせた。
「僕は多分、魔法というのは言葉のことだと思う。魔法は言葉であり、言葉が世界を変容させる力を持つのなら、それはれっきとした魔法だ」
「馬鹿言うなよ。それじゃまるで、ここへ転生する前の世界にも魔法があったみたいじゃないか」
ローレンは鼻で笑ってラングの意見を否定する。
構うことなくラングは微笑んだ。
「うん。だから前の世界にも、魔法はあったんじゃないかな」




