火曜日の放課後の邂逅・Ⅲ
由宇はひとしきりうんうんうなっていたが、やがて諦めたように唇を尖らせて肩を落とした。
「…ダメだわ、やっぱ思い出せない」
それにはあっそ、と気のない返事だけが返る。由宇はそれに少しむっとしたような顔をしたが、云うだけ無駄と思ったか何も云わなかった。しばし図書室に沈黙が訪れる。
あっとひっとりー、かー。節のついた唄うような言葉。静寂を破ったのは由宇だった。
「探せったってねー。あんまりおおっぴらにやったらイタイ人扱いされちゃうもんなー」
すかさずバカ斗から、大丈夫お前素で結構アレだからとツッコミが入る。云われたほうは何おぅとむくれたが、オレに云わせりゃ、お前らふたりとも五十歩百歩だ。
とりあえず弘前さん、あとひとりお願いします。モチのようにふくれる由宇をほっぽって、バカ斗が文に頭を下げる。下げられた方は鷹揚に頷きながら、ひらひらと右手を振った。
「んー、いいよ。まあそりゃあ、こっちとしてもちょっと気になるしねえ。また明日までにも少し探ってみる」
「うん、よろしくアヤちゃん」
よし、そんじゃあ今日は解散ってことで。バカ斗がぱんと手を叩いたのを合図に、オレたちはめいめいパイプ椅子をがたがた云わせて立ち上がった。またしても昨日と同じように、なんとなく四人連れ立って昇降口へ向かう。だらだらと山吹色の廊下を歩き、階段を降りて一階へ到着したとき、唐突に、オレは眩暈に襲われた。
ぐるりと胃の内容物がかくはんされる感覚。エレベータに乗ったときの、あの一瞬の浮遊感に近い。
なにかがちがったのだ。
何かってなんだよとかどう違うんだよとか、思ってしまってから即行セルフ脳内ツッコミが入ったが、直感に近いその思考は問いにいらえを返さない。なんて表現すればいいんだろう、オレ様の神の如き明晰な頭脳をもってしてもいいあらわしようがない。すぐここまで出てるのに、どっかにひっかかって出てこない。ああクソ、もどかしい。
今の何、呆然としたような囁きは、隣に立ってる悪友から。目を見張った文の顔色は若干悪い、ような気がする。――――オレと同じようなことを、感じたんだろうか。
後ろを歩く野郎ふたりも、突然停止したオレらに文句のひとつもない。ごくりと音を立てて生唾と共に気分の悪さをなんとか呑み込み、バカ斗と由宇を振り返る。ヤツらは一瞬だけオレに目を向けて、すぐに元に戻した。オレもそれにならう。
オレらの視線が向く先には、窓から入るきんいろのひだまり。
何もない。誰もいない。
だというのに、視線がそこから外れない。
こち、こち、こち、こち。小さな音は由宇の腕のアナログ時計。ごくん。それにかぶせて、誰かの喉が大きく鳴った。オレらは身じろぎもしないでただそこを見詰め続ける。それは多分、予感より予想より、沈む直前の船から鼠が逃げ出すような、そういう本能に近かった。
一分、二分。硬直していた時間は、実際には多分そんなもんだった。だけど周知の通り、時間は相対的で主観的なものである。オレにはそれこそ時間単位に感じられた。息を詰めてオレらは凝視し続ける。理由なんてわからない、けれどそうしなけりゃいけない気がして。
一分、二分。それは唐突だった。そろそろ痺れも切れるころ、ふうと見えない暗幕でも取り払ったかのように。
そいつは、この世界に現れた。
一瞬、あの黒マントかと思った。でも違う。紺色のブレザーはウチの中学の制服だ。
女。後姿だが、多分オレはこいつを知っている。同じ小学校出身で、後半の三年間、一緒に学校に通っていた。
「…えーと、どうしたの?」
「へっ?」
声をかければ、そいつは間抜けな声をあげて振り返った。予想通りの見慣れた顔。そばかすの散った白い膚に映える、鳶色の瞳をまんまるに見開いた女子生徒。さらさらで色素の薄い髪を、今日は三つ編みに結わえている。
え、え、ときょろきょろ首を左右にやって辺りを見回したそいつは、オレたちに視線を固定して数秒固まったかと思ったら、バネ仕掛けのような瞬発力でもってオレと文に飛びついた。ていうか、フライングボディプレスかまされた。隣からぐふっとかいう声が聞こえたし。えっと、アヤちゃん生きてるんだろうか。しかし相棒の生死を確認する間もなく次の攻撃がやってくる。
「ねえちょっとトーカ文さん今なんかここにヘンなのいたよねそんでなんか消えたんだけど今の何見てたでしょ幽霊もしくは妖怪いいやまさかでもそんなええええ何なになんなの今の――――!!」
テンパってオレらをがくがく揺らす女をとりあえず落ち着けて(文の顔が青黒くなってきてる!)、深ーい溜息。
そうかこうきたか、つかコイツかよ。なんかアイツの云う仲間ってロクな奴いなくねえ。えー何、このひとロクでもねえの優等生じゃん。甘い甘い、そりゃーお前らあんまり付き合いないから本性知らないだろうけどな。マジでか。ていうか何、このひとで決定なの。しかないだろ。
以上アイコンタクトでの会話完了まで約三秒。
「「「「四人目」」」」
「…………なにが?」
うつろな半笑いでいっせいに指を差され、由宇とは反対方向に隣の隣のクラスの藍田恵略称メグは、流石にちょっぴりたじろいだ。
とりあえずそのまんま昇降口に腰を下ろし、目撃者への事情聴取開始。
「いや、吐けって云われても、あたしにもよくわかってないんですけど」
眉をハの字に下げたメグは、心底訳が分かりませんみたいな顔をする。そんな顔されたって、こっちだって訳わからん。
「んっと、ヘンなのいたって云ってたよね? どんなふうにヘンだった?」
「なんかマントだった」
答えやすい質問を選び由宇が水を向ければ、メグはすぱっと即答した。…ていうか、やっぱマントか。やっぱ確定か。それってなんか色々とおかしい黒マントですかと脱力気味に問えば、知ってるのと逆に詰め寄られる。それを制したのは由宇だった。ヤツは何か云っていたかと矢継ぎ早に質問する。はたしてメグは、大意的にはオレらと同じようなことを聞いたとのたまってくれた。
「なんかね、なんかが始まるんだって。だから他のメンバと合流しろって、まずはそれからだって。夢はもう終わるんだってさ」
相も変わらず意味不明アンドなんか不吉。なんなんだろうね、一体。
一斉に遠い目をするオレらを気持ち悪そうに眺めたメグは(失礼だなコイツ)、そんでさっきのなんなのさと首を傾げた。その疑問はもっともだが、残念ながらオレらには答えられない。つーか、オレらが知りてえ。
とはいえ放置プレイなんてかました日にはきっと死ねるし、コイツも確実関係者なので、オレらは今までの話をざっとかいつまんで説明した。それぞれが例の黒マントに遭ったこと、イタい発言してくれやがったこと、そしてこれで、多分メンバ全員揃ったこと。
「…え、何その二次元展開」
何のラノベだと云いたくなるその話に、嫌そうに顔をひきつらせるメグ。気持ちはとてもよく分かる。
とりあえず、と気楽げに由宇が笑う。
「じゃあ全員揃ったし、これでストーリィ進められんだよな?」
「だねえ。必要な条件は「四人集めろ」でしょ? 揃ったじゃん」
呼んだら出てくっかな。出てきそうっぽいね。呼んじゃおっか?え、マジでやるの。つーか今からかよ。ごちゃごちゃ云い合って、うん、と一斉に頷きひとつ。絡む視線に彩色された感情は好奇心。非日常への期待と不安。
あほみたいだけど、でもなんかちょっと、面白そうでもあるだろう?
なんて呼べばいいのかな、そういや名前知らないね、小首を傾げて、黒マントで良くねと結論。少し強ばってる顔、顔、顔、顔を見回して、一同すうと深呼吸。目顔でせーの、と合図をし、呼気と共に音を吐き出そうとしたその途端。
「…あ、ゴメン今日駄目だ!」
素っ頓狂なメグの声に全員のめる。
ジト眼を向けられあはは、と乾いた声で笑ったメグは、ごめんごめんと軽い調子で云い訳した。
「ごっめん、色々聞きたいこととか云いたいこととかあるけど、あたし今日これからピアノ」
発表会近いのよ、遅れたらものっそい怒られるのよー。
思いっきり空気ぶち壊してくれた女を半眼で睨みつけたが、そういやァ今日火曜日だっけとオレもはたと思い出す。オレも塾だわ、そう云ったら皆次々になんだかんだと用事を思い出す。今時の中学生は、下手な大人よりもよっぽど忙しいと思うんだ。
「今日火曜?おれも行かなきゃ、駅前留学」
「俺そーいやいっちーに呼び出されてたっけ。忘れてた」
「あれヒマなのひとりだけ…。…いいや、情報収集してよ。じゃあまた明日ね」
「「「「うーい」」」」
順次解散の流れとなりました。いいかんじにグダグダだった。