都合の良い言い訳。
くだらん!!
第二話 白糸。
窓を破る勢いで照りつける強光が凛鈴の意識を無理矢理浮上させる。
「ぅあ……」
混濁した頭と再び眠りにつきたいという欲を遮断する光に嫌気が差しながらも重い身体を起こし辺りをぼーっと見回す。
満遍なく行き渡る日光の下晒される枯れ葉と枝、床に染み付いた水滴の乾き跡。
無惨にも割れた窓やその硝子の破片を見て何も思い出す事は無く、未だハッキリとしない意識が昨晩起きた事の追憶を許さない。
「んぅ……」
一通り周囲を確認をした凛鈴は暫く硬直したまま動かず、やがて目を擦りながらバッグに押し詰められた替えの服と下着を手探りで取り出すが……。
「……?」
出てきたのは上下の下着と凛鈴にはとても大きすぎる一枚の白Tシャツのみ。
全くもって季節にそぐわない服に加えこれ以上探しても出てこないズボンだが、そんな問題はそっちのけでさっと着替えを済ませて下へと降りる。
——————。
階段を降りれば見えてくる昨日と同じ光景。
カーテンを揺らす冷たい風が凛鈴の顔を撫で、ビクリと反応する肌は寝ぼけた五感を叩き起こす。
「……っ!」
それも当然の事。上のTシャツは膝丈まで伸びているものの、ズボン無しの生足に衝突する秋の冷風はかなり堪えるものがあった。
人気がない居間を見渡せばテーブルに散らばる書類に開きっぱなしのノートパソコン。
階段の壁に飾られた生花に付着する水滴などからして、数分前まで詩代がいたのであろうと感じとった凛鈴は静かに席について昨日同様、膝を抱えて遠くを見つめる。
———。
午前十時を過ぎた辺りを指す針、ぴちゃぴちゃと台所の方から聞こえてくる水の音。
数分もすれば寝起き特有の情報処理能力の遅延も時が経てば元通りになり、今自分がどこにいて昨日何があったのかなどの記憶が自然にぶり返してくる。
「……」
もうあの五月蝿くて自分を貶す富士川も戻ってはこない。
だが一瞬だけでも浮かび上がる寂しさを感じた自分自身に嫌気がさした凛鈴は何も考えないように膝の中に顔を埋める。
結局、どれだけ感情的になっても次の日の朝には元通りになってしまいそうな思考に対し逆張りをしているだけなんだと、薄々気付いていたのだ。
「……先生」
やっぱり自分は生きるのが下手なのかもしれない。また自暴自棄な思考になるのを恐れた凛鈴は現実から離れる為に、自室へ戻ろうと立ち上がったその時だ。
「すいませーん! 誰かいますかー?」
「?」
玄関へと通づる廊下から居間に運ばれてくる女性らしき人の声。
高さ的に詩代の声でもない、来客だろうと感じとった凛鈴はどう対応すればいいのか分からず、立ち尽くしているとそこへさらに状況変化が起きる。
「———せんせ!」
(……先生!?)
今度は幼き高い声に混じる先生の単語。
澪根はもういない事くらい、分かってる筈なのについ身体が反応してしまい、声の方へと足が向くのだが———
瞬間、廊下の出入り口から勢いよく小さな子供が凛鈴目掛けて飛び込んできたのだ。
「……!!」
布団にダイブするかの如く、凛鈴の腰辺りへと突っ込んできた子供。
ぎゅうっと裾を握る手は妙に力強く顔は深くまで埋まっている為、あっという間に拘束されてしまった。
「せんせ! きれいなおはな!」
体の小ささからして二、三歳だろうか。見上げた子供はズボンのポケットからくしゃくしゃになった赤い一輪の花を取り出して見せる。
「えっ、あの———」
「ちょっとこうちゃん! 勝手にお家入らないのっ! しかもお靴履いたままじゃない!」
花の受け取りをせがまれ困惑している凛鈴の元に遅れてやってきた助け舟———それは最初に聞こえた声の主でもあり、子供の母親らしき人物だった。
「まま! せんせにおはな!」
「はいはい、でもそのお姉ちゃんは先生じゃないからまた今度ね」
凛鈴の足へ強固にへばりつく子供を優しく解いた母親はそのまま抱き上げながら質問を投げかける。
「すみません急に。あの、九重詩代先生は今ご在宅なさってますか? ちょっと用があって……」
「え……っ?えと———」
「もしかしていらっしゃらない?今日この時間に来てって言われたんだけど……」
「す、すみません……。自分にはよく分からなくって……」
「じゃあきっと急用でもあったんだわ。すぐ戻ってくるようであればここで待とうかしらね」
検討もつかない詩代の居場所を訊かれ目を泳がしおどおどとする凛鈴を横目に、女性は傍にあるソファーへと腰を下ろし、小さな子供と戯れる。
「こうちゃん、先生が来るまでままと遊んでましょーねー」
「———」
上手く言葉に言い表せない。母親の包容力に囲まれ無邪気な笑顔を見せる子供。
隣に座り、近くで見ている内に凛鈴も感じるその暖かさに気を引かれてしまうが、それよりも女性の両指に巻かれた多量の絆創膏に目がいく。
「あの———」
「この辺じゃ見かけない顔してるけど、もしかして詩代先生の新しい助手さん? 今日は雪君じゃないのね」
「雪……?」
「まま! せんせのふく、むし!」
思考を遮るように挟まる声。
じっとしていられない子供はTシャツに興味を持ったらしく、近くにいた凛鈴の服をぐいーっと引っ張る。
「あ、ちょっと! ねぇねぇが困っちゃうからめんめよ」
身を乗り出し、乗り換えようとする子供を必死に連れ戻す母親だが先程よりも強い握力に手を焼いてる様子。
「虫……?」
凛鈴本人も虫がついてるのなら追い払おうと首を動かし探すが、そこにあったのは意外なものだった。
「って貴方!その服『Bee the way』のブランド服じゃない!」
唐突に素っ頓狂な声をあげた女性は無理矢理子供の手をシャツから引き剥がし、青ざめた顔をしながら距離をとる。
「?」
無地の白Tシャツだと思ってたとばかりに気付かなかった存在。それは服の右下に小さく刺繍された蜂の絵だった。
———世界的有名且つ高級ブランドの『Bee the way』
蜂や蝶、その他昆虫のデザインが入っているのが特徴的で、その絵柄の軽さや控えめで絶妙な位置、服に限らずその種類の多さが取り柄。
顧客に合わせ、極限まで高められた着心地の良さやシンプルな見た目、さらに厳選された素材と質はどのブランド商品よりも抜きん出る物がある一流の存在なのだ。
「しかもそのTシャツ、結構な値段がついてる物じゃない!?」
とはいえ何も知らない凛鈴と子供はその価値を理解する事が出来ず、両者共々そんなに凄い物なのかとまじまじと見つめる。
「あぁどうしましょう……!よだれまで染み込んじゃってる……」
「まま、むしさんは?」
指を咥えてシャツを見つめる子供にわーわーと一人騒ぎしている女性。
「……」
そして———
「ちょ、貴方何やって……!!」
何を思ったのか凛鈴は自身の着るシャツを脱ぎ、子供の目の前に差し出したのだ。
「あげます」
「えっ!?」
「私の服じゃないのであげます」
まさかの行動に女性は目を白黒させるが、凛鈴は構わず子供の小さな手にシャツを握らせようとぐいぐいと押しやる。
「無理無理っ! 絶対無理よそんなの! 第一貴方の物じゃなくても受け取れないわ! それにそんな高いものをこの子にあげたって……」
「せ、せんせ……のでもないです。他の人のでもないです。だからあげます」
ブランドであれどうであれ自分には覚えのない、多分富士川が勝手にバッグへ捩じ込んであろうシャツ。
時間が経つにつれ沸々と出てくる富士川への怒りを思い出した凛鈴はどうせならと今着ているシャツを手放す良い機会だと考えていた。
「むし! まま、むしさんがかえってきた!」
きゃっきゃと喜ぶ子供は再び握ったシャツに無我夢中。
口に入れたり引っ張ったり、くしゃくしゃにしたりして楽しんでいる様子を見た凛鈴の表情にはほんの微かながら満足げな表情を浮かばせていた。
そこへ———
「———佐藤さん? ごめんなさい随分待たせてしまって!」
バタバタと忙しながらも居間に入ってくる詩代。
「詩代先生!?」
外は寒く、十月だと言うにも関わらず額に付いた汗や小刻みに吐く荒い息。
驚きの連続に挟まれた女性の脳内ははち切れ寸前だった。
「凛鈴ちゃん起きてたの……ってその姿は!?」
もちろん詩代はさっきまで起きていた事を知らない為、なぜ凛鈴が下着姿でいるのか、なぜ小さな子供が大人用のTシャツを口に咥えて遊んでいるのか理解できず、居間は騒然としていた。
——————。
「———じゃああの子はお手伝いさんでもなかったって事ですか?」
「もちろんよ。ちょっとの間だけこっちで預からせてもらってる親戚の子なの」
数分の時間を要し、ようやく静まり返った居間。
子連れの女性と詩代は茶菓子を嗜みながら席に座り話を。その近くで凛鈴は貰った替えの服を着ながら子供の様子を見ていた。
「何だか色々とごめんなさい。あんな高いTシャツを汚してしまった上に頂いちゃって……」
「いいのよ気にしなくても。それでね佐藤さん、前回来てもらった時に作ったドライフラワー、調整が終わったから今日持ち帰りできるわ」
「本当ですか!?」
「えぇ。ほらここに置いてあるのが佐藤さんのね」
詩代は台所と居間を仕切るカウンターに手を伸ばし、一つの花束を差し出す。
「……すごい」
数本かの花が麻紐によって根元を縛られ一つになっているドライフラワー。
生花から幾つかの工程を経て短期的だった美しさを半永久に閉じ込めたその姿は乾燥と言えど色褪せず、互いに違った花が集って完成された小さな庭園は華やかにその存在を大きく示していた。
「貴方が一から作った物よ。この一年間お疲れ様ね」
あまりの出来栄えと均整のとれた自身の作品に驚いている女性の目尻に浮かぶ水滴。
「……ごめんなさい、人前なのに」
「大丈夫よ」
詩代の言葉も相まってか口元を手で抑え、顔を下に向けるも抑えきれない声と感情は自然と涙に変換され、テーブルをひたひたと濡らしていた。
「わたしっ、母親だっていうのに家事も育児も全然ダメで夫にも愛想尽かされて……ッ!」
嗚咽に留まらず、全く機能しないハンカチを持ちながらも咽び泣き始める一人の母親の涙は止まらない。
「この子は言語発達が通常よりも遅れてるって医者に言われた時はもうダメかもって思ったんです」
「……」
「でも詩代先生、貴方に出会えて本当に良かった。先生がくれた言葉でずっと暗かった足元に光が照らされたような感じがして……」
「よく一人で頑張ってきたね。不安になったらいつでも来てくれて構わないから」
手から落ちたハンカチを取った詩代は顔を覆う母親の手をどかしながら涙を拭う。
「本当にっ、ありがとうございます……」
「———まま! ねぇねぇに抱っこ!」
「?」
二人の会話の中割って聞こえる高い子供の声。何事かと二人が目を向ければ着替えを終えた凛鈴が子供を抱き抱えていた。
「こうちゃん……!!」
細い腕に抱かれた子供は嬉しさからか弾ける笑顔を母親に向けているのだが———
「ちょっと凛鈴ちゃん……! 大丈夫なの!?」
凛鈴の顔面を埋め尽くすかのようにしがみつく子供はまるでコアラのようであり、余計に動き回ったりするせいか長い髪まで掴まれ遊ばれている。
「ちょっ、ねぇねぇが困っちゃうから降りなさい!」
「やだやだ!」
ついさっきまで流れていたしんみりとした雰囲気と涙はどこへ行ったのやら、ふと会話に入り込んだ子供の一声だけで居間が賑やかになろうとしていた所。
見ているだけでも癒される———そんな瞬間を逃すまいと詩代は壁に掛かっているカメラを取って焦点を三人に合わせる。
「良い絵ね」
メインの二人である親と子が一番笑っている姿を、一番良いタイミングで……。
パシャリ。
人の声が入り混じる中切られたシャッターの音は誰にも気付かれない程に小さく響き、画角いっぱいに収められた親子の仲睦まじい姿を永遠に残す一枚が今、麗かな日和の下完成したのであった———。
「———色々とありがとうございました先生、ついでにこの花も。これでまた頑張れます」
「ええ。またいつでもきてね」
詩代との話を終え、親子を見送る為玄関先に集う四人。
心なしか暗かった母親の表情はだいぶ明るくなったようにも見え、凛鈴と合った当初張っていた顔にも柔らかみが出ていた。
「それと……、お姉さんもありがとう。貴方がくれたTシャツ、とても気に入ったみたい」
遊び疲れたのか親の腕の中で気持ちよさそうに熟睡している子供の両手には、凛鈴があげた服がしっかりと握られている。
「……いえ」
「それじゃあまたね佐藤さん。さっき撮った写真はお花と一緒に入れといたから後で見てね」
詩代が扉を開ければ、新たに舞い込んでくる暖かな正午の一風が四人を包み込む。
「本当にありがとうございました。また来ます」
雲一つない青空の下土の一本道を歩く親子二人の背中はあっという間に遠ざかっていき、凛鈴と詩代はその様子を視認できなくなるまで見送り続けた———。
面白いのかな?