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虚空遣いの黒魔法師  作者: 生贄
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第一章  シュレディンガーの贈り物

 立ち並ぶ木々はざわめきを止め、湖に面した岩陰に潜む、僕の姿を眺めていた。


 岩の表面に武器を添えて構え、獲物の動きを観察する。武器なんていっても、それはただの木の枝と樹皮を合わせて作った質素な弓で、石を削って作った矢を打ち込む程度の、なんてことない道具だった。


 意識を集中させ、つがえた弓を目いっぱい引く。瞬間、動いた獲物の進行方向に向かって、毒草の液を付けた矢を放った。しかし獲物は身を翻し、弓矢を軽快に躱して見せた。それも物理法則を無視するような、瞬間移動に近い動きで。


 その先にて待つ、二本目の矢。その位置に避けてくると踏んで、一本目の矢に連ねて打ち込んだのだ。獲物の方から、もう一つの矢に向かっていくように。それは見事獲物の体に突き刺さり、儚い断末魔を伴いながら、獲物を静かな眠りへと誘った。


 「やった!」


 思わず声が出てしまったのも仕方がない。最後の弓矢が仕留めた獲物は、今日一番の大物、種族名ユニコーンラビットと言われる、非食用のトリッカー級モンスターだった。これだけは本の最後のページに載っているのを見ただけで、今まで見たことすら無かったのだ。


 家に帰れば、矢の傷跡を直してもらって、じっくり観察すことができる。角は貴重な素材になるし。


 今日はこれで最後にしようと思っていたので、せっせと体を回収すると、湖の水で軽く洗って矢を引き抜き、布で軽く包んでから持っていた皮袋にへ慎重に収納した。


 振り返って森の中央、最も大きく精霊の数も多いらしい大樹に向かって手を合わせてから、僕はいつものように、たった一人の家族が待つ我が家の方へ駆け抜けていった。


 「ばあちゃんただいま~」


 何の返答もない。普通の人なら、誰もいないのかと思うところだろうが、生憎我が家ではまったく変わったことではなかった。


 愛用の弓矢をドアに立て掛けると、僕は袋を腕で抱えながら、入口向かって正面にある、頑丈そうな部屋に足を動かした。


 「帰ったよ、ばあちゃん! はいこれお土産」


 軽薄な声で自室を踏み荒らす少年に対して、部屋の主は呆れたような態度を見せながら、持っていた羽ペンを本の上に置いて不満げに返した。


 「いつも言ってるだろう? ばあちゃんじゃなく、オズ姉さんとお呼び」


「えぇ~、そんな歳じゃ無いでしょ」


 言ってしまってからあっと思った。時すでに遅く、頭に強い衝撃が走る。


 「すみませんでした」


 僕は痛みの残る頭部をさすりながら頭を下げる。ばあちゃ…じゃなくオズ姉さんは、よろしいと言って簡単な治癒魔法をかけてくれた。


 オズ姉は椅子に座り直して僕の抱えた袋の中を覗き込む。おざなりに運んできたせいか、肝心のユニコーンラビットは他の獲物に埋もれてしまっていたけど。


 「よくもまあこんなに。 もう慣れっことはいえ、七歳で狩りに出るなんて聞いたことないよ。 基礎的な魔法も使えないっていうのに…」


 ふと顔を見てみると、柄にもなく複雑な表情をしていた。言うことは厳しいし、その割に放任主義だけど、不器用なりにやはり心配してくれているのだ。


 だけどそれは本当に杞憂なんです、ばあちゃん。なんせ僕は見た目こそ七歳の少年だけど、心は合計で大体二十歳くらいだし、生まれた瞬間、赤ん坊のころから自我がはっきりしていた。普通の人間じゃありえないってことは誰に聞いてみても明らかだ。


 これは所謂異世界転生というやつでは? と気が付いたのは、一人で歩けるようになって、初めて家の外に出た時だった。


 一目見ただけなら、ただ少し山奥にあるのかなと思っただけだったけど、よくよく辺りを探索してみたらキメラみたいに訳の分からない姿をした動物が徘徊していたり、山の頂上近くにドラゴンみたいなおっかない生物の影が見えたり。


 極めつけはばあちゃんの様子。生活のいたるところで魔法力を使った不思議な力を活用していた。


 料理をするときは火の魔法や水の魔法。洗濯のときは風の魔法も。畑仕事を土の魔法でせっせと済ませてしまったときには、空想みたいな世界に飛ばされたことに喜んでいた僕も流石に、それは違くない? と思ってしまった。


 目の当たりにして直ぐに、自分もできるかもと目を輝かせて試してみたけど、それっぽい詠唱をしたり体を動かしたりしてみても火花一つ出てこない。


 あー自分には才能無いんだなと打ちひしがれた。そして無意識にこうつぶやいたのだ。この世界も退屈なのかと。


 そのまま時が過ぎて現在の七歳、なんだか色々吹っ切れて、この世界では楽しんで生きようと決心した次第。


 まあ魔法使って見たいけども! 単純な武器でひたすら変な魔物狩りまくる人生も悪くないかなって開き直ったわけで。


 そんな生き方の根本は、今僕の目の前にいる、一人の女性によって成り立っている。


 名をオズ=ウィルバートン=エレメンタリーといって、昔ある国で宮廷魔法使いとして大活躍していたらしく、エレメンタリーというのはその時に貰った称号のようなものだそうだ。


 僕が生まれたころに亡くなってしまった両親に代わり、わざわざ宮廷での優雅な生活を捨ててまで引き取ってくれた恩人であり、血の繋がった正真正銘の祖母であり、そして魔法やこの世界のことを教えてくれる先生でもある。


 僕に魔法の才能が無いと分かった時も、「魔力の総量は桁違いにあるからそのうち使えるようになるさ」といってくれた。


 そういってくれるのはありがたいけど、いつも手足のように魔法を使うばあちゃんの姿を見ていると、自分に心底がっかりしてしまうのだ。


 ただ一言に魔法と言っても実際は二種類あるそうで、魔法力を通して直接精霊の力を借り発動する『魔法』と、術式に魔法力を流し込んで発動する『魔術』というふうに区別されるらしい。


 精霊というのは万物が共生している目に見えない存在の事で、優れた探知魔法や観測魔法が使える人にはなんとなく知覚できるようになるらしい。前世で言う粒子みたいなことだろうか。


 魔法には例外なく詠唱が必要だそうで、原則魔法の扱いが未熟なものほど詠唱が長く複雑に、洗練された魔法使いは詠唱が簡潔になる。


 つまり火の玉一つ出せない思春期真っただ中の僕はいざというとき、長々と恥ずかしい呪文を口に出して戦わないといけなくなるわけだ。わっはっは。


 この性質は、精霊が直接生き物からの魔力を受け取ることができないためだそう。そのためどんなに簡単な魔法であっても、詠唱という形で魔法力を言霊に込めなければいけないらしい。


 一番習得が簡単な魔法は四代元素だ。火・水・風・土を元に、特化させたり、組み合わせたりして扱うものらしい。


 一番、といっても正直なところ決まっているのはこのあたりで、そこから先は使用者の力量にかかってくるんだそう。


 大きな魔法力で具体的な想像力を持つものほど、実用的かつ限定的な、そして威力が高い魔法が使えるのだ。


 魔術は言霊を介することなく魔法を扱う方法のことで、武器や道具、優れた者は建物にまで展開できるらしい。そして術式の付与された武器や道具などを総称して、『魔具』という。


 言霊云々以外に魔法よりも便利な点は、使用者の想像力に左右されないこと。


 これは魔法を考案し術式を展開する者と、それを解放する者が必ずしも一致しないからであり、使用者は魔力さえ流せばどんな難解な魔法も使用することができてしまう。必要な魔力量が強さとおよそ比例するので、強力な術式を集めたりしてもあまり使いこなせないらしい。


 魔法では他人と全く同じものを使うことは難しく、必ず何処か細かいところが違ってくるものらしいが、術式は物に魔法の型を定着させるようなイメージなので、製作者の技術によっては難しい魔法を術式化したり、完全に同一の魔法を量産できたりするというわけだ。


 とはいえ欠点がないわけでは勿論なく、術式を付与するときに定着する一定の魔法力と、使用した者の魔法力が異なる場合、一度使用しただけで術式が消えてしまう。つまり本人以外にとっては使い捨てというわけだ。


 あらゆる物体の中で、最も術式を定着させやすく効果が高いと言われているのが、『書物』である。種類や形状は特に影響がないそうだけど、植物性の紙よりも動物性、特に羊皮紙の方が効果的そうだ。その代わり本に刻んだ術式を解放するときはその術の名前を口に出さなければいけないのだそう。


 物語や資料ではない術式の刻まれた本のことは魔具ではなく『スペル』と呼び、王国では色々なスペルが商品として取引されているらしい。


 そして常識的な感覚では、この魔法と魔術両方を扱えるものは珍しく、どちらに向いているかを区別するため魔法が得意な者は『魔法師』、魔術が得意な者は『魔術師』と呼ばれている。世にも珍しい二刀流派はどちらにも当てはまらず、特別に『魔究連師』という名称があるそうだ。


 ちなみに我がおばあさまオズ姉は、かの王国唯一の魔究連師だったのだ。


 どうりで自室に大量のスペルがあるわけだよ。怖くて触ったこともないけど。


 そうだ、スペルで思いだした。


 「そういえばオズ姉」


 「なんだい」


 「新しいスペル作りにどうしても必要だって言ってたあれ、捕って来たよ」


 「……なんだって?」


 どうしてなのかばあちゃんは、想像以上に驚いた様子だった。よっぽど信じられなかったようで、馬鹿言うんじゃないよと呟きながら立ち上がり袋の中を探り始める。


 すると突然、聞いたことがないほどの甲高い悲鳴を上げてよろめいた。


 「‼‼ どうしたの!?」


 「あんたこれ、一体どうしたんだい」


 これとは、ユニコーンラビットのことだろうか。


 「捕まえたんだよ」


 「…どうやってさ」


 「??? 普通に弓で」


 おかしなことを聞くものだなと思った。僕が魔法を使えないことをばあちゃんは誰より知ってるはずだし、弓を好んで使うことも解ってるはず。


 僕の言葉を聞いたばあちゃんは、珍しく頭を抱えている。


 「な、なんか変なの? だってこれトリッカー級の魔物でしょ? そんなに強くも無かったし…」


 急に不安になって来た…。よくよく考えれば、某国最強クラスの魔究連師であるばあちゃんが手をこまねくくらいの相手。そんなに簡単なことじゃないはず。


 もしかして何かあるのか。捕ってはいけない魔物だとか、変に刺激すると仲間が襲ってくるとか…。


 ばあちゃんはゆっくりと僕の方に顔を向けると、椅子に体を預けながら机に置いていた魔物事典を開く。


 「いいかい? ふつうこの手の本にはそれぞれの動物が持つ特性や危険度、詳しいものには肉の味や、素材としての価値なんかも書いてあるものだけれど、どんな事典でも最後のページに載ってるユニコーンラビットには、そういう記載がないんだ」


 僕は机の上の事典に目をやる。確かにユニコーンラビットの説明は、名称と危険度、あとは禁食としか書いていなかった。


 「これは説明してないわたしも悪いけどね。 このページの右端、なんて書いてある?」


 「…クラス・ファンタジー…」


 僕は恐る恐る読み上げる。ばあちゃんはそうさねと相槌を打って話を続けた。


 「あんたの言う通り、トリッカー級の魔物は皆草食性で温厚。 被害といっても畑を軽く荒らされるくらいだから、いたずっら子みたいなもんだって認識で正しくはあるんだけどね。」


 そこまで言うと、ばあちゃんは本を閉じてこちらを向き直した。そしてまた思い出したように頭を抱えながら。


 「魔物にはもう一つ、別の分類があるんだ。 それがクラス。 これは魔物の凶暴性を完全に無視して、希少性を評価した指標。 強さや習性に関わらず、貴重かどうかで決まるものさしさね」


 なんだか嫌な予感がする。何の苦も無く打ち負かした相手がその道の達人だったと分かったような、何とも形容しがたい感情だ。


 「人と共生し、町の近くでも見られるような魔物はクラス・カインド、人里離れた山に住む肉食の魔物はおよそがクラス・ワイルド、といった風にね。 そしてそれら全ての魔物の頂点に分類されるのがクラス・ファンタジーなのさ」


 あー、と魂の抜けたような声が漏れ出た。もうやめてください、許してくださいと言わんばかりに。


 「クラス・ファンタジーとはその希少性から、空想の産物とさえ云われるほどの魔物のことさ。 例に挙げれば、魔物の身にして魔法を扱うとされるエルダードラゴンや遥か地底に棲むとされるアビスデーモン、あとは大昔、禁忌の実験にて生み出されたイフリートゴーレム何かがいるね」


 あーうん、はい。 名前だけでもうとんでもない存在って分かる。そんなことよりもう晩御飯にしませんかね。


 「とはいえ世に出回る事典に名が載っているのは、ユニコーンラビットくらいさね。 他は皆伝説みたいなもんだし、出会って生きてる者すらいないだろうから、幻想みたいなもんだって事にされてるのさ。 そういう点で言えば、ユニコーンラビットは割と広い範囲で目撃情報が出てきている。 当然お国もギルドに依頼して、捕獲や討伐に力を入れてるんだ」


 そうなんだ~と囁きながらも、僕が気にしているのは魔物どうこうという話ではなく、明日は何を狩ろうかなという事だった。


 「だが悉く失敗した」


 僕は思わずえっと呟いた。


 「ユニコーンラビットが強いわけじゃない。 何の攻撃もしてこない代わりに、こっちの攻撃も全く当たらんのさ」


 こっち? と僕はさも自分ごとのような言い方に引っかかる。


 「わたしも昔依頼を受けてね、お仲間を十人近く引きつれて挑んだよ。 襲ってこないと知っていたから、弱体魔法や麻痺魔法も使えるようにしてね」


 驚いた。まさかばあちゃんが狩りに出ていて、しかも失敗してたなんて。自分が狩った時は、とてもそんな風には感じなかったのに。


 「結果は散々だった。 私の攻撃魔法はかすりもせず、仲間の武器やスペルも。 他のあらゆる魔法もいとも容易く躱されてね。 まるでこっちの攻撃が当たるのを拒んでいるみたいに。 看破系魔法でユニコーンラビットの姿を捉えたときは、なんだいそれはって思ったことさ」


 看破魔法…確か相手の『加護』を見抜く魔法だったかな。『加護』はそのものが生きている限り、永続的に働く自分自身に付与された術式のようなもののこと。ゲームで言う、スキルみたいなものだと思う。『加護』には、意識せずとも働き続けるものと、意識して発動する二つのタイプがあるそうだ。


 祝福属性を持つ魔法や特別なスペル、国宝級に分類される魔具によって与えられることはあるそうだけど、基本は生まれ持っての先天性、故にどんな場所においても、加護があるかどうかは大きなアドバンテージになる。


 「ユニコーンラビットの加護は『天からの福音』、自分に害をなす攻撃や物体に反応して、体が勝手に回避する、ってものだそうだ。 そりゃ攻撃が当たらないはずだよ。 同時に攻撃したって全部避けられるくらいだから。 魔法力が尽きるころには、こっちの方がバテテしまったさ」


 ばあちゃんは過去の自分をあざ笑うような言い方だった。他人だけでなく、自分にも厳しい人だから、被害はなかったとはいえ少しの実益も得られなかった過去に対して今も思うところがあるんだろう。


 「おかげで依頼はこなせず、以降誰にも成し遂げられなかった。 その所為でユニコーンラビットは存在すら疑われ、楽園からの使い魔だとか、人々の風説とさえ言われるようになってしまった。 見かけたら直ぐに討伐して提出するよう、懸賞金さえ掛けられる始末さ。 あの時わたしたちが捕まえることに成功していればそんな風に思われることはなかったんだ。 ただ珍しいだけの魔物として、人と触れ合えていたはずなんだよ」


 ばあちゃんは寂びしそうな瞳で、布から露わにしたユニコーンラビットを見つめる。


 一緒に暮らしてきて分かったことだけれど、この人の強さは、自然を生きる者たちに対する、暖かな尊敬から来ているのだ。


 森で狩りをした後に、手を合わせて感謝するよう教えてくれたのもばあちゃんだった。


 今思えば、前世で何の幸福も抱かなかった空っぽな僕を満たしてくれたのは、この世界にいる魔物たちの存在だったのだ。


 進化論では説明できない奇形な容姿や、摩訶不思議な生態。そんな彼らに僕はすっかり魅せられてしまい、魔法が使えないにもかかわらずここまで退屈することなく生きてこられたのだった。


 「そんなユニコーンラビットを、まさかあんたが捕まえてくるなんてね。 今だに信じられないけど、わたしは目で見たものは疑わないと決めてある。 師としても保護者としても、あんたを誇りに思うよ」


 ばあちゃんはそう言いながら目いっぱい微笑んで見せた。


 僕はなんだか急に照れくさい気持ちになる。


 初めて狩りに出たいといった時、たくさん心配してくれて、しばらくついても来てくれた。魔法のことを教えてくれたり、弓の使い方も色々助言してくれたけど、なんだかんだ面と向かって褒められたことは一度もなかった。職人気質なところがあるし、そういう人なんだと思っていたけれど、こんな笑い方をする人だったとは。


 「いや~優秀なばあちゃんを持ったおかげですな~」


 言い切ってからまたしまったと気付く。


 見るとばあちゃんは不穏な表情で片手を構え、火の魔法詠唱を始めていた。


 「あっいやいやオズ姉さん! まだ若いのにすごい!」


 その魔法はほんとにまずいっす。家が燃えちゃう…。


 「やれやれ…あんたには色々聞きたいことがあるけど今はそれどころじゃないさね」


 ため息交じりに立ち上がり、部屋の端にある小さな籠を取り出すと、眠ったままのユニコーンラビットを布から出して檻に入れる。


 「ヒール…」


 ばあちゃんがそういいながら手をかざすと、たちまち矢の傷はなくなりユニコーンラビットは目を覚ました。


 すっご。僕は思わず口に出す。一言で魔法を使うのは本当に大変だそうだし、イメージが固まりにくいから作用も限定されがちだけど、ばあちゃんの魔法はピンポイントでユニコーンラビットの傷を治した。


 「こうなった以上じっとしてはいられないよ。 この子を王国のギルドへ連れて行かなければならん。 数十年も存在を疑われていたユニコーンラビットを捕らえたと報告しなきゃね」


 ばあちゃんは言葉ながらに荷物をまとめ、外出用の服を着始める。


 「ほんとはあんたも連れていきたいけれど、七歳でユニコーンラビットを捕まえた子供なんてあっという間に時の人さね。 ギルドだけじゃなく、王国騎士団や宮廷魔法使い、下手をしたら軍にスカウトされる可能性だってある」


 「いいことじゃない? 出世できそうだし」


 「馬鹿言うんじゃないよ! そんな歳で入隊なんてろくなことにならないさ。 それにあんたの力は未知数だ、この先どんな存在になるか想像もできん」


 褒めて…くれてる? また頭抱えちゃったけど…。


 「軍に入るってことは戦争に行くってことだ。 万が一にでもそうなったら、あんたの母親と父親に顔向けできないよ」


 ばあちゃんが王国の話をするときはいつも、両親ことを話題に上げる。僕の両親は二人とも軍人で、近年最後の戦争に出向いて亡くなってしまった。


 その時ばあちゃんに僕のことを頼んだらしく、息子には自分たちのようにならないで欲しいと言ったそうだ。


 「そうだよね…」


 ばあちゃんが宮廷の生活を放棄して辺境の地に引っ越したのは、僕がそうならないようにするためだった。


 だから定期的に尋ねてくる王国の役人からの申し出はすべて断り、僕のことを育ててくれた。


 夫の墓がある故郷から遠く離れて…。


 「今から出発してどんなに急いでも往復四日はかかっちまう。 向こうで一泊することになるだろうから実質家を空けるのは五日。 食事は作り置きしてあるけど。決して外に出ちゃいけないよ」


 「狩りもダメ?」


 「当たり前さね。 うちの家に刻んである進入禁止術式を発動しておく。 どんな魔物や人間が来ても、中に居れば安全だけど、締め出されたらお終いだ。 お昼の一時間だけは水汲みができるように解放しておくからその時だけ戸締りに気を付けるんだよ」


 そんな…この世界での唯一の楽しみが…。 だけど家の術式を使うくらいだから相当な事件なんだな。 元はといえば僕の所為だし、五日間くらい辛抱しよう。


 僕が口惜し気に了承すると、ばあちゃんは手慣れた様子で長旅の支度を済ませる。


 というのも僕が留守番をするのはこれが初めてでなく、ばあちゃんが近くの商会馬車に買い物へ出かけて半日ほど家を開けることは何度かあった。その時はいつもばあちゃんの部屋にある本を読み漁って時間を潰していたけど、もう読む本が無くなってしまったのだ。それからばあちゃんの手伝いも兼ねて狩りをするようになったのだけど、今回はそれも禁止されてしまったわけで。


 「もし万が一何かあったら、そこの棚にあるスペルを使うんだよ。 わたしに言伝が届くようにしてあるから」


 そういってばあちゃんは本棚にある『メッセンジャー』のスペルを指差した。


 僕が首を縦に振ったのを確認すると、よしと言って入口に向かった。


 「それじゃあ行ってくるけど、くれぐれも気を付けるんだよ。 術があるとはいえ内側から開け閉めが出来てしまうし、締め出されてもすぐには助けに来られないからね。」


 「うん、分かった~。 ばあちゃんも気を付けてね~」


 自分の身を案じるのが予想外だったのか、ばあちゃんは少しきょとんとしたが、直ぐにいつもの様子で家を出ていった。家の術を忘れずに解放して。


 そこからしばらくは特に語ることもない。自室のベッドで惰眠を貪り、たまにばあちゃんの部屋へ行って本をペラペラめくる。


 気付けば辺りは暗くなっていたので、僕は一人机に置かれたシチューとパンを口に運んだ。


 このとき食べた夕食は、この世界に来て以来一番まずく感じた気がした。


 僕はしばらく時間を置いてベッドに入る。思えば家に一人で眠るというのは、これが初めてのことだった。


 「寝付けない…」


 自室の天井を眺めながら呟く。年齢が年齢なだけにいつもはベッドに入った途端に入眠できていたんだけど、今日は魔物のことが気になっているのか、全く眠気に襲われなかった。


 羊を数えてみても途中で飽きてしまうし、そもそもまだこの世界の羊は見たことがないのだから、数えるのは無理でしょうなんて訳の分からないことを考えてしまう。そうして魔物のことが頭に浮かび、より眠気が遠のいていくという悪循環だった。


 水でも飲んでみるかなぁ。


 僕は半分諦めながらも、部屋を出て台所へと向かった。


 すると先ほど食事をした机の上に、見慣れない黒影があった。暗いせいで良く見えないけど、何かがこちらを見ているような…。


 僕は一瞬たじろいだものの、深呼吸して足を動かす。ばあちゃんの術式がある以上侵入者や魔物ではないし、もしかしたら幻覚か何かかもしれない。


 そう思いながら机の端にある蝋燭を手にしようとした瞬間、それは突然僕に呼びかけた。


 「ようやく一人になってくれたね。 少年」


 僕は慌てて蝋燭を掴み、ばあちゃんから教わった通りに、自分の魔力を通してみる。


 蝋燭は僅かに青白い光を放つと、見慣れた形の炎を灯す。いつもは危ないからと触ることすら禁止されていたので、僕はこんな状況にも関わらず術式を扱えることに安堵しているのだった。


 蝋燭を机の方に向けると、そこに見えたのは魔物ではなく、僕がこの世界の誰よりよく知る動物だった。


 四本足に柔らかな毛並み、三角にやや丸まった耳、愛らしい表情を武器に人間から愛玩動物として長く関わってきた生き物。前世で見て以降、一度もその姿を見せなかった純粋な猫の姿を、僕は視界の中央に認識していた。


 それもただの猫ではなく、僕はこの子に見覚えがある。


 「君って…」


 「前世ではどうも世話になったね。 死なせてしまったお詫びに、事情を話そうと思ってきたんだ」


 そう、それは僕が前世で助けた猫。転生してきてしばらくはどうなったのか気になっていたけど、確かめようもないからもう考えないようにしていた。


 その猫が一体なぜここに…。というか何でしゃべれるの。


 「色々と話したいことがある。 室内にいるのは好きじゃないから、外にいかないかい?」


 「えっ、でも術があるし、出るのは駄目って…。」


 「大丈夫だよ。 ほら」


 そういうと、猫は軽やかに机を飛び降り、入口の方に向かっていく。そしてドアの前に立つと尻尾を立てて術を破ってしまった。


 「ちょっと!? これ生命線なんだけど!?」


 もはやどうやって破ったのかは考えない。


 「話が終わったら元に戻しておく。 逆にここで言いつけを守ったら、ここも壊れたままになるよ」


 猫は楽しそうな様子で脅しをかけてきた。未だに状況が飲み込めないけど、猫の言うことはその通りなのでおとなしく従うことにした。


 ばあちゃん、ごめん!


 心の中でそう叫びながら僕は夜の世界へ飛び込んだ。


 辺りは何も見えないほどの暗闇…というほどでもなく、綺麗な満月が出ているせいか辺りが見えるくらいには明るかった。


 「それで? 君は一体何者なの?」


 「うん。 私の名前は特に無いけど、君の前世ではこう呼ばれてた。 世界の観測者ラプラスって」


 「ラプラス?」


 「そうさ。 多くのものは、科学者の立てた仮説みたいなものだと思っているけど、その存在は僕のことを指しているんだ」


 本で読んだことがある。確か世界全ての事象を把握している全能の存在みたいなものだったかな。柄にもなく難しそうな本を読んで家族に心配されたっけ。男の子は皆量子力学って言葉に不思議と惹かれてしまうものなんだよね。まあそんなの理解できるほど頭がよくなかったけど。


 「そうなんだ、すごいね」


 「反応薄いよ。 つまらない」


 そんなことを仰いましても…。


 「僕は今は無き創造主に変わって、あらゆる世界を管理しているんだ」


 ……ちょっとスケール大きすぎて理解が追いつきません。神様みたいなものですか。


 「自然法則によって成り立つ世界はプラス、魔力や精霊の力で成り立つ世界はマイナスの宇宙にある。 その間を行き来できるのは私と私が送り出したものだけ。君をこの世界に転生させたのはこの私なのだよ」


 「なんで僕を?」


 「君が世界を救ったからさ」


 「はぁ?」


 しまった。意味が解らな過ぎてつい。


 「全く意味が解らないんだけど…」


 申し訳ない、と態度で訴えてみたけど全然気にしてないみたいだった。


 「私はね、君の元居たあの世界はもう必要ないんじゃないかと思ってたんだ。 人は多いだけで大した意思も自己も持っていないし、肝心なところは全部他人任せ。文明が進みすぎたせいか、他を排し命を天秤に賭ける創造家はほとんどいなくなってしまった。 大昔は結構いたのにね。 気付けば蒙昧な有象無象が世に溢れ、世界に疑いを持つことすら止めてしまった。 為すがまま、あるがままに生きる屍みたいな生き物さ、人間は」


 「そこまで言わなくていいんじゃ…」


 「だから観察してたんだ。 猫の体を拝借して、心の底から世界に変化を求めるものや、自己言及の極致に至るものを。 他に一切の価値も求めず、自分という宇宙を見出せる人間を。 そうしたらあの恵まれた世界で、退屈だという人間に出会った」


 うっ。


 「適度に苦もあり幸もあり、歪んだ価値観もなく幸せになれるはずなのに今を嘆く人間。 虚ろな自分の異常性を認め、それでもなお空っぽで居続けた人間」


 グサッと胸を貫かれた感じがした。


 「贅沢というかなんというか、我儘な人間だと思ったよ。 だけど少し興味もあった。 だから試すことにしたんだ。世界の存続を懸けてね」


 なんてもの懸けてくれてんだ。


 「知りたかったのは君の本性。 安全な場所で生きてる間、何を思おうと大した情報にはならない。 だから敢えて危険な場所に誘導して、死の瞬間に何を思うのか見極めさせてもらったのさ」


 死んだのあんたの所為じゃないか。


 「結果はこの通り。 君が死の寸前満足そうに笑いながら目を瞑るのを見て、あの世界の人間をもう少し見てみようと思ったんだ」


 「それだけのことで?」


 「そうさ。 いるかも知れない神や仏に命を乞うたり、猫への恨みごとを連ねるようなら、もうあの世界は終わりでいいと思ってたんだ」


 思想が危険すぎる。でも今までだってそうしてきたのかもしれないし、実際そうなったとしても、僕は何とも思わなかったと思う。誰かに運命づけられるような人生じゃ、僕はきっと満足できなかったから。


 「事情はなんとなくわかったけど…それだけのためにわざわざ来たの?」


 我ながら少し嫌味な言い方だったと思う。だけどラプラスは気にも留めない。


 「まさか、本題はここからだよ。 こちらの事情で死なせてしまったお詫びに、君に大きな力をあげる。 この世界をより楽しめるように」


 「力…?」


 「そうだよ。 頭をこっちにくっつけて」


 そう言うとラプラスは猫の小さな額を突き出す。僕は不審に思いながらも、彼の言う通りにやってみた。


 「…何も起きないけど?」


 「うん。 今のは特に意味ないから」


 「何だったの!?」


 「実はもう使えるんだよね。 魔法も加護も」


 驚いた。今までそんな兆候なかったし、ばあちゃんが教えてくれる魔法は全く使えなかった。加護に至っては確認しようとも思わなかったし。


 「君に与えたのは深淵魔法が使えるようになる常時発動加護とそれ以外の意識発動加護の計四つ。 深淵魔法の特徴は簡単。 一つ、それ以外のあらゆる属性魔法が使えない」


 「はい!?」


 「二つ、術式として付与することができない」


 「ダメじゃん」


 「三つ、具現化が難しい為、下手をすると長めの詠唱が必要」


 「カスじゃん」


 「四つ、魔力消費が少なく、君の魔力量なら恐らく尽きる前に回復するから半永久的に使い続けられる」


 「急に強いじゃん」


 「五つ」


 「まだあるの!? 簡単って言ったよね!?」


 「最後だよ。 五つ、出力を間違えると世界を滅ぼしかねない」


 「ちょっとまって?」


 「深淵魔法はもともとこの世界を作った創造主が使ってたものだからね。使いづらいけど頑張って」


 …人の話聞かないなこの猫。


 「加護も旧創造主の力だけど、一つだけ特別に私の力を授けてある。 全部解説するのは面倒だから名前だけ教えるね。 加護の名は『観測者の因果律』、『禁断の果実』、『禁忌たる虚空』、そして『禁じられた遊び』だよ」


 不穏なのしかない…。しかも禁ってついてるの三つもあるよ。


 「そういうことで、私の話は終わり。 夜分遅くに悪かったね。 どうしても周りに生き物に気付かれないタイミングで出なければいけなかったから」


 「ばあちゃんがいない時なら他にも何度かあったけど?」


 「生き物っていうのは人間だけじゃないからね。 鳥や虫、全ての魔物のことを考えるとなかなか嚙み合わなかったんだ」


 「今日は大丈夫なの?」


 「今日は千年に一度の永夜だからね。 生きとし生けるすべての動物は日が昇るまで眠っているのさ。 君は僕が起こしたけれど」


 それで寝付けなかったのか。


 「それじゃあ、僕は疲れたからそろそろ行くよ」


 疲れたのはこっちなんだけど…。


 「これからまたプラスに戻らなきゃいけないし」


 「…分かった」


 僕が頷くと、彼は森の方へ駆けだす。真夜中というだけあって、あっという間に見えなくなってしまった。


 気になることが数えきれないほどあるけど、今日のところは眠ることにした。


 夜風に体を揺らしながら、家の中へと戻る。振り返って外をみても、そこには当然何もなかった。


 術のことなんてすっかり忘れて、自室のベッドへ倒れこむ。短い時間にいろんな情報が溢れた所為で、未だにそこまで眠くなかった。


 もしかしたら、これがすでに夢なのかも。


 そんな風に考えてみても、額に触れた猫の冷気が、退屈に喘いでいた僕の虚ろな心を、無邪気に弄ぶのだった。

全然進んでない……

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