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小説 報徳大学明星寮  作者: ytaka
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大学改革

ここで話は過去へとさかのぼる。

ここ報徳大学は、警察との破局的な衝突が起きなかったためか、それとも東京からかなり離れた地方大学であったためかどうか定かではないが、低調ながらも今日まで学生運動が生き延びてしまった数少ない大学の一つである。学生運動の活動家たちは寮や学生自治会に住み着き、三十年以上にわたって学生運動を引き継いできた。彼らは、アジア人との連帯・世界平和・マルクス経済学によって貧富のない社会を作り出すことなどを主張し、政治や大学運営に対し、常に反対の立場を表明してきた。

なぜ反対し続けるかというと、それは彼らの存在意義にも関わってくるからである。つまり、何も問題のない平和な社会では彼らは不必要な存在になってしまため、特に問題のないところでもあえて問題点を見つけて反対運動を押し進め、組織の維持に努めることになるわけだ(少なくとも高林にはそう見えた)。もちろん、彼らは真剣に世界や貧しい人々のことを思って活動を続けているのであろうが、その独善的な行動・多様な意見を受け容れない排他性・行動様式のマンネリ化など、長期にわたって閉鎖的な環境下で生き延びてきた彼らの集団が組織疲労を起こしていることは明白であった。

話を元に戻そう。彼らのこの様な活動に対して、一般学生及び一般寮生は反発を感じるものの、積極的に彼らの活動に反対するのも面倒であるし、自分たちに直接関わりのないことであるため、様々な問題を内在しながらも学生運動は生き長らえてしまった。

しかし、その学生運動もある事件を境に破綻し、終焉を迎えることとなった。ある事件とは、すなわち大学改革のことである。


ご存じの通り、大学改革では教育機能の強化・世界的水準の教育研究の推進・豊富な生涯学習機会の提供などの方向性を挙げているが、わかりやすく言うと、おそらく各々の分野において専門色を強めるということになるであろう。そのため、報徳大学では教養部を廃止し、1年生のうちから専門分野の勉強を始めることになった。

この大学改革に敏感に反応したのが、活動家の人たちである。

彼らは、『豊かな人間性の育成に重要な役割を果たしてきた教養部を廃止し、専門分野しかわからない研究者ばかりを増産することは許さん』と主張し、学生運動を展開し始めた。

おそらく、大学改革が学生運動を盛り上げるよいチャンスであると考えたのであろう。

特に、教養部と学生自治会の間で合意していたにもかかわらず、三十年近く野ざらしにされてきたサークル塔建設問題に関して、大学側が

「教養部が廃止されたので、約束は無効である」

などと言ってきたために、学生運動はますますエスカレートしていった。

活動家の人たちはこう思ったに違いない。大学改革の内容及びサークル塔建設問題に対する大学側の対応についてアピールすれば、一般学生もこの運動に理解を示してくれるはずである。ましてや、寮生は積極的に参加するに違いないと。彼らにとって、寮生はいわば身内だからである。

しかし、事態は全く正反対に動いた。

一般学生は学生運動などに目もくれず、特に支援を要請された寮生たちの間では、強固な反対意見が大勢を占めることになった。

「悪いことはまず反対し、廃案になったその後で代案を考えればよい」

と主張する活動家の人たちに対し、

「代案もないのに反対するのは無責任である」

と主張する一般寮生たち。

話し合いはこのまま並行線をたどり、活動家と一般寮生の間の溝はますます開いていった。明星寮は、至る所で対立が見られるようになり、寮費の徴収などに代表される寮運営の面で支障が生じるようになっていった。このままではいかんということで、当時懲罰委員長であった高林は寮生大会を半減させる寮則改正を提案し、ゲルト幹事(財務を司る)であった小和田は銀行による寮費の自動引き落とし案を提案したのであった。ここまで話を進めてきたが、多くの読者は疑問を持ったことであろう。寮費の自動引き落としはわかるが、なぜ寮生大会の半減が寮改革に結びつくのかと。寮生大会を半減させることで、寮運営を効率化しようというのが表向きの目的である。しかし、真の目的は寮則改正ではなく、寮生の意識改革だったのである。つまり、今までは少数の執行部の決定に対し、大多数の一般寮生は

「執行部の連中が、自分たちの意見を聞くはずがない」

というように、寮の政策に自分たちの意見を反映させるという職務を自ら放棄していたところがあった。高林はこうした風潮に一石を投じたかったのである。寮則改正案を圧倒的多数で可決することで、自分たちでも寮を変えられることを示したかったのである。  

このように、明星寮が深い対立の時代を迎えていた頃、他寮ではいったいどの様な動きがあったのであろうか。以下では、大学改革という嵐が吹き荒れる中、他寮ではどの様な出来事が起きていたのかについて述べていきたいと思う。


まず明訓寮についてであるが、この寮は報徳大学の学生運動を支えるにあたり、最も重要な役割を果たしてきた。その戦闘的な体質と統率力は、大学側にとって相当脅威であったに違いない。他寮と違い在寮期間に制限がないためであろうか、組織の硬直化は著しく、寮生大会などで議論する場合であっても、前もって結論は決まっており、別の意見が出ても

「ナンセンス」

の一言で、却下されるようなところがあったと聞いている。

明訓寮の山下君などは、寮連の総会などでよくその閉鎖的体質を指摘していた。

「あらかじめ結論が用意されているのならば、この様な場で議論する意味などないではないか」

実際、一般学生が彼らの議論を聞いても、専門用語が飛び交うため何を話しているのか理解できぬまま議論が突き進み、いつの間にか採決されているといった印象を受けたであろう。

「まともなことをまともに主張することができない」

山下君はこう言い残し、明訓寮を去っていった。 


次に明朋寮についてであるが、この寮は既に築四十年を経過し、桜町市によって危険建造物に指定されるほどのボロイ寮である。しかも、すぐ近くに活断層が走っているため、地震が発生したら真っ先にペシャンコにつぶれてしまうであろう恐ろしい寮である。そのため、明朋寮の建て替え問題が、ここ数年における寮連の最優先課題となっていた。大学側としては、さっさと明朋寮をつぶして新規格の寮を建設したかったのだが、寮連は全室相部屋・食堂の建設、さらに寮費と食費をあわせた金額が1ヶ月五千円程度の寮の建設を目指していたため、大学側とは全く条件が合わず、明朋寮の建て替えなど夢物語となっているのが現状であった。


最後に残りの2寮についてまとめて述べてみよう。

まず明風寮であるが、この寮は3年生以上でないと入寮できないので、他寮とは異なり静かな環境の下で勉強に専念できる数少ない寮である。そのため人気が高く、入寮倍率も3倍を越え、かなりの貧乏人でないと入寮できない。なお、この寮は明星寮と同じ敷地内に建っており、しかも明星寮から入寮する者も多いので、明星寮と行動をともにすることが多かった。

最後は、報徳大学唯一の女子寮、明春寮についてであるが、寮の定員は六十四名と少なく、入寮倍率はかなり高くなっている。この寮では意見の一本化ができているため、他寮が躊躇するようなことでもズバズバ発言する事が多く、他寮の者から見ると実にうらやましく感じることが多かった。

このような状況の下、高林は明星寮委員長に就任したのであった。

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