応急処置
頭からは僅からながら赤い液体が滴り、僅かながら口元が動き、微かに目が開いているが、今にも全てが閉じてしまいそうな様子であった。
一瞬で何かの事後だと悟る。開いた口が塞がらず、目を白黒させる。
「と……とりあえずは、えっと……救急車だ!」
何とか冷静を保っていた頭が働き、ズボンのポケットに入ってあるスマホを取り出そうとした時、その手を遮るのにはあまりにも弱々しく、それでいながら手首には確かに人の手の感触があった。
驚きで心臓が高鳴るが、それに相反するほど蚊が鳴いているような、力なきか細い声が昂輝の耳に何とか届く。
「びょ……病院……は…………ダメ……」
「はぁ⁉ あんた何言って――」
朦朧としている意識の中、僅かながら見つめていたその瞳は確かな意思が感じられ、口元から漏れる息が目と耳に焼き付き、昂輝から思考を奪い吸い込ませていた。
「……くそっ!」
我に返った瞬間、彼の決断は早いものだった。
「……くそったれ……はぁ……はぁ……が!」
言葉とは裏腹に、抱いた七美を優しくソファーの上に乗せた。いくら軽いといえど女子を抱きかかえて歩を進めるのには幾分かの筋力は必要だ。何せ両手が塞がったままで玄関を開けるのは態勢的にも苦痛だった。
膝に手を当て荒くなった息遣いを整えようとする。数秒もすれば元に戻るのほどの体力は持ち合わせているが、そうはならない人物がここに入る。
「はぁ……はぁ……うぅ……くっ……」
漏れる吐息、聞こえてくる苦痛の声。服やグローブは穴が開き、破かれている場所も少なくなく、そこから露出した肌は青痣やピンク色に腫れ上がっており、赤い水分が流れ出た痕も確認できる。指先は痙攣しているように微かに震え、足には人形と同じように固定されているみたいに動いていない。
生にしがみつくように呼吸が荒くなりだし、静かだった部屋に充満するには十分だった。
「あぁーもうっ! ちょっと待ってろ!」
頭を掻いた後、矢継ぎ早に外に出た。家に救護用品がないことを知っていたからだ。
「…………うっ……」
激痛の爆発していた時より、堪えることが出来るほどの痛みに軽減していた。だがそれ以上に身に覚えのない感触が七美を包み込んでいた。
カメが歩く速度のように、ゆっくりと瞼が開いていく。湿布の独特な臭いが鼻についたことで、意識が急激に戻されていく。
「こ……こは……」
目覚めた視界は薄暗く、まだ夜明け前だった。静かな部屋には誰もおらず、時計の針が進む音がひたすら耳に届いていた。
響く痛みに耐え体を起こすと、掛けてあったブランケットが床にはらりと落ちる。それを取ろうとして身を屈めようとした時に、視界に入った。荒々しく、決して綺麗とは言えない手当の数々が見受けられた。ぶっきらぼうに巻かれた包帯、捻じれたサージカルテープ、絆創膏は同じ個所に数枚重なって張ってあった。
見知らぬ場所、見覚えなどない。そもそも記憶がいまいち定かではない。頭がぼぅとする感覚に陥り、思考をすることができない。
そして自身の格好を認知した時、溢れんばかりの記憶が蘇ってきた。それは記憶の片隅に触れようとするだけで吐き気が襲い、完治していない傷口が疼くものだった
「私は……」
五感は存在している。ゆえに死んではいない。
そのことが心にとても響いた。
だがそれは別の意味も表していた。
「……どうやら失敗したようね」
その事実は決して受け入れがたい物だった。認めたくない、夢ならばどれほど救われる事やら。だけど夢ではない事は自身の身を持って肯定される。
何とか眠っていた場所のソファーに凭れながら、やっとの思いで立つ。体重を軽く掛けただけでも骨に痛みが響き渡る。ズリズリと擦れる音を立てながら足を引きずり少しずつその場から離れていく。すると足先に鋭い痛みが襲い視線を落とす。
床にとある人物が倒れこむように睡眠をとっていた。まるで今こうして瞼を閉じているのが幸せにも感じるほど、深い眠りについていた。
その顔は――いつぞやかに目に付いたものだった。
「…………」
そして彼の近くには、湿布の切れ端やグチャグチャになったガーゼ、潰れた絆創膏の箱など、至る所に救急品を使ったとみられる痕跡が見られた。
次話 13:00投稿