学園一の美少女
「おらよ」
「どうもー。ほい報酬」
「報酬って……最もマシな言い方あるだろ。ゲームのやり過ぎだろ」
「否定はしないぜー」
一輝からの報酬という名の昼食代を受取り席に座る。居心地が悪い場所から早歩きで戻って来た。
「なぁ、さっき大群に囲まれる女子生徒を見たんだけど、あの人有名人か何か?」
頭の隅に残っていた疑問が口から放たれた。
「んー……何となく誰だか想像は出来るが、その人の特徴は?」
「特徴? あんまし覚えてないけど……」
脳みそをフル回転させ、脳内に残された記憶の霞を辿っていく。
「身長は俺より少し小さいくらいで……えっと長い髪で、それで――」
「まぁたぶんあの人だろうけどお前……知らないとは言わせないぞ」
「いや、普通に知らんし」
買った紙パックの飲み物をストローで吸い上げる。オレンジの甘みは不機嫌さを緩和した。
「この学園一の美少女、人呼んで深海の王女、同学年の海道七美だぞ!」
「……いや、ここ地上だし」
熱く語りだした一輝を尻目に、パンを食そうとするが、包まれたラップの切れ目を発見できず、若干のイラつきが募る。
「一言で表すなら才色兼備。運動神経抜群! 成績上位者! プロポーションはモデル並み! そして男子を虜にさせる魔性の胸!」
「おーい、俺以外に人はいるぞー」
テレビ番組ならバンッと効果音がつくようなテンポで、教室内に響く声量は注目を浴びないわけがない。そんな一輝を止めることなく軽く流す。
女子からの敵意の目を浴びても気にしないメンタルの強さだけは見習いたい。
「お前とは大違いだな。見た目で全校生徒から恐れられている渋沢昂輝君」
「そいつにパンを買わせているお前は凶悪犯か何かじゃねぇーの?」
棘のある言い方に眉間に皺を寄せながら、包まれたラップを剥がすのに悪戦苦闘。
その恐れられている見た目は、生まれながらの茶髪で刺し通せそうなほどの短めのツンツン。さらに目つきの悪さも相まって学校では知らない人はいない不良にされていた。入学当初から異端児のような扱いを受け、最初は当の本人も払拭しようと試みるも結果は出ず。開き直るような形で、このままで良いのではないかという悟りを開き今に至る。
「で、どうだった? 彼女をこの目で見た感想は?」
「……向こうに視線が行くから助かったと思ったわ」
当然ながらそんな昂輝に向けられる視線や居心地は良いものではなく、未だに完全に慣れたわけでもない。
遅刻も最初は、路頭に迷ったハムスターのように気が気でなかったりもした。今ではさほど気にせずしているが、ほとんどは遅刻せずよう心がけている。昂輝自身が少し抜けている所を除けば、その回数はもっと減るだろう。
「かぁー! 感想がそれって……心底がっかりだわ、お前には」
「悪かったな、見る目がなくて」
ようやく取り外すことができパンを口に加え頬が膨れる。
不良少年と名をはせた昂輝には、案の定友達は少なく同じ中学で奇跡的にも同クラスになった一輝しかいない。本人が他人とあまり関わろうとしないこともあってか、学園の情報は耳に入らないため疎く、自称情報通の一輝から一方的に教えてもらうことが多い。
「噂じゃ彼女、学校を休む時がたまにあるらしく、その時に雑誌の取材やらモデルの仕事をしているって話だぜー。他のクラスの連中もほとんどその噂、信じているみたいだし」
「噂だろ? 本人に直接聞けばいいじゃねぇーか」
「あのなー、そんな簡単に話を聞けたら苦労しないって。言ったろ? 深海の王女って。俺たちみたいな凡人が深海に潜れるわけないだろ? 敷居が高くて近寄ことさえままならないんだぜ」
とどまるところを知らない気炎のように熱弁する。瞳の奥にも輝く情熱が見受けられる。
「……あほくさ」
「冷めてるなー。ま、昂輝もそのうちわかるって」
「ほー」
覇気のない返事で、どうにかこの話題を切り上げようとする。自分から疑問を持ち掛けておいてなんだが、これらの情報は昂輝にとっては必要のない物だと脳が判断し、収束の方向へとどういう風に持っていくか考えていた。
「ま、向こうもたまに休んでるくらいだし、違うクラスだから会う機会もねーだろ」
「それも一理あるか。今日を土曜日だって勘違いするやつだしな」
「だからそれは違うって」
止むことのないイジリは女子生徒の話題よりも厄介なものだと気が付くのには、少し遅かったようで会話を止め昼食に集中することにシフトを変えた。
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「じゃ、いつもの通り俺はこの後やることあっから。明日は休みだぞ」
「おい、それ止めろ」
授業終了後、止むことのないイジリに瞳が怒りで燃えていたが、どうにか頭を冷やし持ちこたえる。
部活動に所属していない昂輝はすぐに帰路に就く。一輝も部活動には所属していないが、いつも放課後に何やら残っている。何をしているのかは教えてくれないので、わからずじまいだが、あまり気にしないようにしている。
周りのガヤは煩わしいノイズと同じで耳を塞ぎたくなる。全てがこちらに注目しているような気がならないし、昂輝の目の前を通り過ぎる生徒は、こぞって恐怖でおののいている。
だが一度、校舎の外に出れば窮屈な場所から心も開放される。溜まった苛立ちの空気を喚起することが出来るのはこの時と、自宅にいるときくらいだろう。
「あいつは……」
いつもなら何事も考えずただひたすら足を進めていたが、今日はその足が止まった。
狭い歩道にポツンと置かれた、年老いたバス停に一人。
学校から見て東側に駅があるため、ほぼ全員が東側の方へ足を運ぶ。対して昂輝の自宅は反対の西側。つまりほとんどの生徒が利用しない。というか近辺に住んでいる人ぐらいしか使用しない帰宅ルートである。当然、駅がある東側より栄えているわけもない。
日の光に照らされた長い黒髪がほんのりと青みが透ける。大人びた顔立ちに加え、高校二年の女子の平均身長をゆうに超えており、制服の上からでも確認できる膨らみは、思わず唾を呑んでしまう。現実離れした美しさは確かに一輝が興奮していたのがわかる気がしていた。
最も今の心境で興味があるかどうかは別として。
不審な視線を感じたのか、言いようのない不快感を醸し出していた。
「何か用かしら?」
「あ、いや……少し寄ってくれないか? 丁度ぶつかりそうなもんで」
振り向いた彼女のつけていたペンダントが揺れた。一瞬ペンダントの赤い石が光ったかのように昂輝は感じたが、すぐさま視線を戻し訳を伝えた。
人通りが少ないためか、すれ違うのには肩がぶつかるほど狭く作られた歩道。そんなところに置かれたバス停の一歩後ろに位置するため、帰路を塞がれている形になっていた。
一瞬、何かを受信するみたいに停止したが、その後はスッと道を譲ってもらった。何事もなかったかのようにその場を通り過ぎる。さざめく木の影の道はどこか不思議な物だった。これでやっと人と出会わなくて済む、そう思った矢先の事だった。
「……噂と違って意外と普通の方なのね」
独り言にしては大きめな声量だった。
「あ? それはどういう意味だよ」
「こういう場合って、人の事なんて気にせずぶつかって来て、さらには難癖付けられると思ったのだけれども、あなたはそんなことをしなかったってことよ」
昂輝が振り返ると視線がぶつかり合う。無表情で淡々と話す学園一の美少女の言葉は、学園一の不良と言われている少年には皮肉交じりの嫌味と捉えた。
「そうですか。次の時はご期待に応えられるよう努力しときます」
と、こちらも負けじと反撃の口文を繰り出した。
道路を走る車の音が観客みたいに、生まれ出た闘争心を騒ぎ立てる。出された言葉を思いだすとふつふつと怒りが込み上げてきた。なんだか馬鹿にされているようでならなかったからだ。
とその前に一つの疑問が生まれた。
(つーか今の話の流れ的に俺のことを知っていたのか?)
一度も名乗ってないことが思い浮かび、気になって振り返ってみると、そこには誰も立ってはいなかった。
(変な奴……)
こうして帰路を再び歩き始めた昂輝の背には、やるせない思いが乗っかってあった。
自宅には他に誰もいない、そんなことは日常茶飯事だ。人がいないからこその自由である。夕方であろうが、閉店したお店みたいに動きはない。
スマホをいじっていたら、窓から光が一切入らなくなることもしばしば。そんなことになったら、ほとんどは床に就くのが渋沢昂輝の一日であるが、この日はそうにはならなかった。
「……腹……減ったな」
深夜零時を過ぎたころだった。腹の虫が鳴りだし寝むれぬ状況を生み出した。自宅の冷蔵庫には間食用の食糧どころか、ほとんどが飲み物と調味量しか確認ができなかった。
「コンビニ……しかやってないか」
静まり返った住宅街は眠っており、道路には車の音もない。自身のサンダルがこすれる音が聞こえるものの微々たるものだ。電柱と月明りが辺りを照らすも耳とは違って目は仕事を強要させられる。ただすれ違う人は誰もおらず、自宅から一分で着くコンビニの店員が唯一遭遇する人物だった。
口の中で広がるバジルの風味とチキンの油が合わさって生まれるハーモニーに感動しつつ小腹を満たした昂輝の機嫌は良いものだった。
「新作も割といけたな」
ついでに買った缶コーヒーを片手に釣られてしまった、のぼりを見てしみじみと感慨にふけていた。
こうして夜中にコンビニに足を踏み入れる回数は多くなっていた。特に金曜日は次の日に学校の授業がないため習慣になっているといっても過言ではない。家に注意する親はいないのだから。
口当たりの苦みが最後を迎えた時には、家の前に到着していた。
何も変わらない何の変哲もない、この時までは。
ゴンッ!
「あっ?」
鍵を開けた時の音は、上方からの物音に掻き消された。続けてズルズルと何やら滑り落ちていく音が鈍く聞こえてくる。
明らかに不審な音がし、その場で動きが硬直した。嫌な予感がしたからだ。様々な可能性を頭の中で考察したが、結局の所何とかしなければならないのは変わらないので意を決して、玄関の扉を離れ、後方から見上げた時だった。
「あっ⁉」
斜面の屋根からズルズルと音を立てながら、昂輝がいる方に何かが落下していることがわかった。そして一部分が屋根から飛び出したとき、あることに気が付いた。
(もしかして……人か?)
そしてもう一部分が離れ出た瞬間に、その考えは確信なものになった。暗闇ではっきりとは見えないが、確かに二つ。足らしきものがぶら下がっている。
そうなれば全てが落下するのに時間は要さなかった。重心が重力と同じにベクトルに働いた時には屋根に残っているものはなにも無い。
「ぐぎっ⁉」
落下地点に入った瞬間にそれは落ちてきた。落下速度が合わさったことからズシリと膝に負荷がかかり筋肉が軋むも、見事にキャッチすることに成功。
だがそれも一瞬だった。
重力が抜けた瞬間、先ほどまでの重さが嘘のように軽くなった。まるで中身が空っぽの紙袋のようだった。
「なんなんだ一体……」
恐る恐る抱きかかえてものを視界に入れてみる。
「お、おまっ……⁉」
腕に置かれた顔は確かに見覚えがあった。驚きで心臓が激しく動悸する。
今日確かにこの目で見た。今日一番印象に残っている人だ。間違いない。一輝が言っていたことが当てはまる。学園一の美少女、海道七美が今こうして昂輝の腕の中にいた。