暗躍の裏で
「……着いたわ」
冷静沈着な声が、真剣さを物語っていた。隣の建物の屋根に着地し、状況を確認する。
高層なビルはいかにも怪しい雰囲気を醸し出していた。見える限りの階層に電気はついていない。それなのに入口付近には警備と思われる人が沢山配置されている。
『監視カメラの無力化に成功しました』
二人の耳に愛理からの報告が入る。
「んで、ここからどうやって忍び込むんだ? お前は何とかなるかもしれないが、俺は中にすら入ることが出来無さそうなんだが」
「そうね……古典的な方法にするわ」
今度は急降下していった。その瞬間の昂輝は何とか逆流する何かを戻してしまうのを我慢していた。顔が青ざめていることは、七美は知る由もなかった。
「……随分と乱暴なんですね」
光景を目の当たりにした昂輝は驚きのあまり目が点になり、口調も丁寧な物であった。
「この場所も安全とは言い難いわ。あまり悠長にしている時間はないから」
そう言われながら渡された服を急いで、今着ている服の上から被せる。七美の細心の注意を払いながら、華麗な動きで敷地内に侵入することができた。正面入り口とは真反対側の生い茂った草むらに腰を屈めながら隠れることに成功した。
そしてここから強硬策に打って出た。近くにいた警備員一人を、ステッキから出された魔法の効果で眠らせ、他の警備員に気づかれないように回収し、その身ぐるみを剥いだ。
その際にポケットに入ってあった警棒を盗むことにし、無事に武器も手に入れることが出来た。しかしながらあまりの手際の良さと躊躇ない行動に、内心では少し引いていた。
「つかこんなんでばれねぇーのかよ」
「警備の人は雇われだし、見たところ憑依されていないから多分大丈夫だと思うのだけれども」
七美の言葉がいまいち信じられないが、もうここは信じ切るしかない。その恰好はコスプレの領域になっているが致し方ない。
「で……俺はここから忍び込んで機械を破壊すれば良いんだな?」
「えぇ、お願いするわ。やり方は好きにしてもらって構わないわ」
その言葉に思わず口角が上がり、腕を鳴らすような仕草をする。草木の隙間から別の警備員が近くで歩いているのが見えたからだ。
「後の細かい事だったり、困ったことがあればそのマイクで伝えて」
「了解」
「あなたの健闘を祈るわ」
その一言を言い終えた瞬間、彼女の姿は上空へと移動していた
足音一つもせずに旅立った彼女を行く末を少しばかり見送った後、視線を戻すやいなや彼は頭を抱える。
(とは言ったものの、こっからどうやって出ていくか……)
いくら変装しているとはいえ草木から出てくるところを見られたら怪しさ爆発。見られない瞬間に出ていくしかほかないが、なにせ監視力が高いためその瞬間が無い。七美が警備員を捕獲してきたことが信じられないほどだ。
「おい、あっちで侵入者を発見したらしいぞ」
「あぁ今こっちにも連絡が入った」
近くにいた警備員の話し声が耳に入る。 それから駆け足で正面の入口へと警備員の方たちが向かっていくのを、草木の間から不思議に思いながらチャンスと見越し、何食わぬ顔で出ていった。
「マントみたいなのが見えたらしいぜ」
「マジかよ、このご時世にそんなベタな奴がいるのかよ」
心臓が張り裂けそうなほど不安と緊張が高まっている中で、あまり近づかないようにしていた昂輝の背後から会話をしながら、駆け足で向かっている警備員からの情報だった。
(あいつ……ばれてんじゃねぇーかよ)
どこか嬉しそうな表情を直ぐに隠し、他の警備員共々が目撃証言のあった場所へ向かう中、どさくさに紛れて正面の入口から忍び込もうと考えた。
両サイド警備員に立っている警備員には目を合わせようとせずに、流れで行ってほしいと切に願っていた。
「おい、あんた何処に行くつもりだ」
が、当然通れるわけもなく厳格な対応をされる。 流石の昂輝も内心では滝のように汗が流れていたが、立ち止まり平然を保とうとしていた。
「ちょ、ちょいれに行こうと思いました」
すました顔で言い切ったが、トイレという言葉を噛み、さらには文脈が会話と噛み合ってないことに気が付くのに時間はかからない。
「……そうか、侵入者がいるらしいから早めに戻れ」
「あぁ」
その声と共にビルに侵入した昂輝がわき目も気にせずに安堵のため息を漏らしたのだった。
中は外ほどの警備員はいないがそれでも数人にはすれ違う。そのたびに動きが硬くなり、心臓の音が大きくなるが何とかばれずに済んでいた。
そして入口の警備員に言った通りにトイレの個室に駆け込んだ。
「俺だ。何とか侵入することに成功した。この後は何処に向かえばいい?」
漏れ出ないよう最低限の掠れた声で救援を求めた。
『了解。こっから俺も本気でやらせてもらうぜ』
いつも本気でやれよ、という昂輝の突っ込みは心の中で握りつぶした。今はそんなこと言っている場合ではないことくらい理解しているし、彼に余裕は生まれていない。
『とりあえず昂輝の状態を聞きたい。少しシステムの解析に手間取っていて、監視カメラの無力化には成功したけど、こっちにも無力化の映像
しか流れてこないから現状がわからない』
本来であれば通常状態の監視カメラの映像を見ることによって、敵が近くにいることや、明確に指示を出せるが、システムの防御によってハッキングした映像、すなわち誰もいない状態の映像になっている。
「今は正面の入り口近くのトイレにいる。中もおそらく警備の奴らがいると思う」
『了解。ビルの中のマップは手に入れてあるから、怪しい部屋を片っ端からしらみつぶして行くぞ。まずはトイレを出て左に曲がれ』
一輝のナビに従い、トイレの個室から出陣した。周囲に気を配りながら、コソ泥のように足音を消しトイレから脱出する。
「無理! 警備の人いる!」
ちらりと壁から顔を出し覗いた昂輝が咄嗟に一輝に通達する。一輝が示したのは非常階段へと通じる扉。明かりもほとんどついていない、さらに細い通路なのでまさにうってつけの場所。だがその前に一人の警備員が突っ立っていた。その光景を目にしてしまった昂輝は明らかに肌が粟立っていた。
『何とか頑張れ! 正規の階段は五階からじゃねぇーと危険だ。それにエレベーターは電力が足りなくて動かないから、そこしかない』
五階までが吹き抜けになっている正面の階段は幅が広く、多くの方が行き交えることが出来るが色んな面から視界に捉えることが出来るのは事実である。終業時間と節約によって稼働していないエレベーター。省エネのために時間を迎えたら余程の事が無い限り動かないため、今使えば怪しまれるのは確実視できる。
「んなこと言われても……そっちから何かサポートできねぇーのか?」
『無茶いうな! 俺はいつもの地価の部屋にいるんだぞ。流石に遠距離から対人で何かできるわけねぇーだろ! 出来たらとっくにしてるわ!』
無茶な要求に一輝の口調も熱くなる。いつもの任務とは違い今回はここらの一帯の命運も握っているといっても過言ではないため、おちゃらけた雰囲気は一切醸し出していない。さすがの昂輝も良い返答が返ってくるとは思っていなかったので、壁に隠れながら策を練る。
(何とかして後ろの扉に入れればいいから……)
いるのは一人、細い通路、照明はほとんどないため暗い、そして一方通行と言わんばかりであり、多少の距離もある。
顎に手を当てながら状況を整理する。この場面を切り抜けるのには――やはりあれしかないのだろうか?
「あー、えっと、お疲れ様です。場所交代しましょうか?」
「……いえ、この時間帯は私の勤務時間帯なのでお構いなく」
「あ……まぁそうっすよね」
当たり前の返答は作戦の撃沈の合図。 白々しい演技で警備員を装うが、怪しまれたのか、或いは真面目なのかは定かではないが、希望していた類の返しではなかった。
ならばと次の作戦に移行する。
「すまんが、悪く思うなよ」
小さく呟いた昂輝は、素早く手に持ち振りかざす。
「がっ……⁉」
二度ほど頭部に直撃した後、白目を向いた相手は気絶した。
膝から崩れ落ちそうになったところを抱きしめてキャッチ。音をたてないようにそのまま壁沿いの照明の光が当たらないところに、そっと置いた。
「結構な威力出るじゃん。扉は何とかなった案内を頼む」
『マジか……あんだけ無理って言っていたのに、突破するのに何したんだ?』
「パクった警棒でぶん殴って気絶させた」
淡々と答えた昂輝の内容は軽い事ではない。そんな彼の手には確かに警棒が握られていた。
『おま……ガチの犯罪だぞ?』
「るっせ。背に腹は代えられねぇーよ」
『こちとら一応は正義側だからな。お前のやったことは悪党側だからな、あとで説教になると思うからな。俺は知らんからな』
昂輝が扉を開けて非常階段を上っている間も、このようなやり方についての話が続いていた。
「つか上っている時に気になったんだが、このビル何階まであるんだ? 外観を見た時も思ったんだが相当あるよな?」
非常階段で八と書かれた場所まで登って中に侵入した昂輝が問うた。中に入る際、開けた扉の先に警備の人はおらず簡単に忍び込むことに成功した。
『三十階建てだから、まぁ今三分の一ってとこだな』
「結構足に来てるんだが?」
『そこは頑張れとしか言いようがない。消火器が見えたら左に曲がったところの右手の部屋だ。そこだけ扉に窓が無いみたいだからわかりやすいと思う。そして他の部屋に比べると極端に狭い』
昂輝の疲労が溜まってきている報告は、ほとんど聞く耳持たず。あっさりと受け流され案内のルートに切り替わる。そのことに不満を募らせるも、今は仕方ないと一応は割り切り重たくなってきた足を前進させる。
常夜灯のような薄暗いオレンジ色の照明が多少ついているだけ。静寂の空間では自身の鼻息だけが耳に届いていた。
「この部屋か……」
警棒を改めて握りしめドアノブに手を掛ける。その時に違和感を覚えた。
(軽い……鍵が掛かってない? あれ……こんなこと確か学校でもあったような)
記憶に残っていた感触。そして覚えていた体感。
学校での一件の際での音楽室。あの時も鍵が開いていて、結果的に憑依されていた人たちが待ち構えていた。そのことから罠が待ち受けている可能性も低くはない。
「おい、この部屋の鍵を遠隔操作で開けてはないよな?」
『ドアノブを見ればわかると思うが、鍵穴があるはずだ。少なくとも電子系統は使われていない』
念のための確認も一層の不安を募らせる。
(やるしかねぇ……か――)
目を瞑り、息を吐き出す。握っているドアノブにまで早い心拍数が伝わりそうだった。
だからこそ覚悟を決めた。
不意打ちを仕掛けるために素早く扉を開け警棒を高々と掲げた。先手必勝、どんな相手が立ち塞がろうと関係ない。視界に入ったものは全て破壊する勢いだった。
例えそれが箒であろうと。
「…………」
掲げた警棒が悲しく泣いている気がした。視界に入ったのは二本の箒、掃除機、キャリー付きの掃除機、洗剤やスプレー等々、いたる掃除用具が置かれていた。
昂輝の覚悟が一気に低下していく。代わりに怒りの温度が急激に上昇していった。
「ただの掃除道具入れじゃねぇーか!」
怒鳴り散らすような声は、フロア全体に響き渡った。
たまらず一輝はつけていたハンズフリーマイクを耳から外す。
『バカ! うるせぇー! マイクに向かって叫ぶな! そんな大声出したらばれるだろ! 少しは考えろ!』
「ぐっ……にしても何で掃除道具入れなんだよ!」
『知らねーよ! こっちからわかりゃ向かわせねぇーよ。冗談やっている状況じゃねぇーのはわかるだろっ!』
正当な回答は、頭に上った血を徐々に下げさせる。代わりにやるせない思いが強くなっていった。一発、八つ当たりの蹴りをかまし、すぐさま一輝に求めた。
「……次はどこだ」
『ちょっと待ってろ。その場所が掃除道具入れなら何個か候補が消える。階は違えど同じ大きさの部屋が何個かあったから』
壁に寄っかかりながら、ため息が漏れた。昂輝の中で張りつめていた緊張の糸が切れた瞬間だった。脹脛をもみながら疲れを取る。今になって蹴った反動が響いていた。
『ひたすら登れ! 二十六階にいかにも怪しい場所がある!』
「にっ――お前それ本当なんだろな!」
突如聞こえてきた一輝の指示は、想像を絶するものだった。階段で約二十階分を上がれとのこと。
『あぁ多分間違いない。三島さんがそれらしきものを、その階で感知したらしい』
「そうかい、お前よりずっと信頼できるな」
彼女の情報なら信憑性が高い。道を戻り、念のため非常口から向かうことにした。
鉄骨の階段は気を抜けば、すぐに音が鳴ってしまう。外のため風が吹けば寒く感じるが、景色と一緒に今は二の次だった。
無心で登っていた時だった。
「おいっ、そこのやつ止まれ! 貴様か、一階の警備の方を気絶させたのは」
下から聞こえた声に反応しておもわず足を止めた。自身に集中していたのか、いずれにしてもその存在に気が付かなかった。そして発せられた言葉でどういう事態が起こって、どういう事になって、どういう疑いがかけられているのか、全てを悟っていた。ゆえに彼の取った行動はいたってシンプルなものだった。
「待てっ!」
その二文字が言い放たれた時には、昂輝の止まっていた足は動き始めていた。
すでに何段昇って疲れた足に鞭をひたすら入れ続けた。駆け上ってくる足音は段々と増していくのがわかる。
「クソがっ……」
近くの扉を開け中に入り込んだ。額から垂れ落ちる汗を拭いながら、鍵をかける行為は忘れていなかった。
呼吸を整えている間に、ドンドンと扉を叩く音が響く。外から声がするが耳を傾けている暇はない。
「どこだよ、ここ……」
勢いで入ってしまったがために、今自分がどこにいるかわからない。それに今までの階層は大小様々な会議室が設立されていたが、昂輝が今いる階層は構造が丸っきり変わっていた。
見れば見るほどその内装は、地下通路のようなものだった。石質床材が使われ、壁は石灰のような灰色で統一されていた。部屋への扉全て窓が付いてなく、一本の幅広い直線状の廊下の左右に扉が付いている構造だった。
「なんなんだよ……気味悪いな」
中央付近だけに白い照明がついていた。端に行けば行くほど暗くなる廊下に鳥肌が立っていた。
「おい、変な所に迷い込んだ。案内頼む」
『いやどこだよ。それがわかんなきゃ案内できんわ。なんか情報はないのか?』
歩きながら周りを見回す。が目ぼしい物は見つからない。
「むしろ何もないのが特徴だ。長い一直線の廊下、多少は上の階だ」
『しょうがない、こっちでル――』
何かを言おうとしたところで、プツンと音を立てた。その後に耳に挟むのは無慈悲な砂嵐。
「おっ、おい! う、……嘘だろ……おいっ、おいっ!」
血の気が失せる通信の切断に、冷や汗が止まらなくなる。未知なる場所にて頼りの情報網が無くなった。何度も叫ぶが反応は無かった。
「どうすんだよ! 敵地で迷子とか終わったも同然じゃねぇーか!」
頭を抱え込みながら、それまでため込んでいた感情がここで一気に爆発した。ビービーと天井に付いていた警報ランプが騒ぎ立てるように赤く点灯しながら辺り一面に鳴り響く。どうやら昂輝の声に反応したらしい。瞬く間に一面の視界は赤色に染まり、彼の頭の中は真っ白に塗りつぶされる。
「う……うそ~ん……」
拍子抜けた声と共に、後ろから大きな音が聞こえてきた。
そして次に聞こえてくるのが大量の足音。
「いたぞ! あいつだ!」
「捕まえろー!」
そして訪れる敵の軍団は掻い潜れる隙間がなくなるほどの人数だった。
「く、くそったれがー!」
今日ここに来たことをおおいに後悔し、どこにぶちまけていいかわからない怒りを叫びながら昂輝は逃げ出した。
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