迫る窮地と訪れる集団
その夜、一人椅子にもたれかかる昂輝の心情は晴れていないものだった。
脳裏にちらついていた別れ際に見せた表情が忘れられなくなっていた。
(胸くそ悪いぜ……あんな顔しやがって、見るんじゃなかった)
あの時、頭を下げ頼んだ七美。今までの反撃とばかりに無慈悲にも断った。少し言い方も厳しいものだったかもしれないが、嘘ではないことは事実である。悲愴感を漂わせていた彼女の心はあと一度でも攻撃すれば、全てが壊れてしまいそうなほど弱っていた。あの言葉がどれほど七美にとっては重たいものであったのかは想像がつかない。
これまで一度も見せてこなかった弱みの顔。演技でも偽りでもないことはあの場で感じ取っていた。
(反則だろ……あんなの)
いつものように脅しじみたものだったら、いくらでも見切ることが出来る。それであれば清々することも出来たはずだ。そもそも言い争いになることを予想していた昂輝にとっては不意をつかれた形になった。
「……ちっ、コンビニでも行くか」
財布を握りしめ、溜まった曇を晴らすために足を運ぶ。
気分転換は決まっていつものコンビニだ。家近、好み、そして時間の都合が良いの三拍子が揃い、もはや別の場所を開拓しようとも思わないほど通ってきた。
その足取りは軽いものとはいえなかったが、少しでも好物を口にすれば気分も上がるのではないかと思っていた。夜道の風は昂輝の心にゆっくりと冷たく吹いていく。不機嫌のオーラを察するのか信号機は青色で留まることない。何も変わらない、変えることのない道中を進んで行た時だった。
「あ?」
二人組が昂輝の前に立ちはだかった。狭い歩道では二人が横並びになるのがやっとで、ガードレールもついているため道路に出る方法もとれない。
最初は、いやがらせか、あるいは絡まれたかと思っていた。
「おい、あんたら……」
だが、おかしいと感じたのは直ぐだった。言葉を発することは無く、ただひたすら立ち止まっていた。その目は焦点にあわさっていなかった。そして怪しげに口角が上がり、そこから垂れる水滴のようなもの。靴を履いていない足は内股で素肌が露呈し、腕は取り付けてあるだけのように力が入ってはいなかった。
このような状態の奴らと、最近出会っている。そして音楽室では追われた事実もある。
突如現れた憑依されている人物。思わず右足が一歩後退した。背筋にも汗が流れていた。その場から離れるために足先の向きを変えて、駆け出しそうと足が出た瞬間、それ以上は進むことは出来なかった。
後ろにも一人、慿心宝に憑依されている人が昂輝の行く手を阻んでいた。
「……おいおい、いつからこの町はこんなに繁殖してんだよ」
昂輝を取り囲んだ憑依された三人の人物。顔見知りでもなければ出会ったこともないような人たち、だが明らかに彼らの狙いは昂輝一点に集中していた。
「だが、逃げ場がないわけじゃねぇ!」
先手必勝とばかりに勢いよくガードレールを飛び越え、そのまま駆け出す。
遠ざかる三人の姿を見て、勝利の笑みがこぼれ出る。
「黙って立ち止まるわけねぇだろ。……にしてもおいかけてこないのは何で――」
狙いは間違いなく昂輝であった。獲物が逃げたのにもほとんど追いかけてこないのは何故なのか、そんな疑問と共に前を向いた昂輝は唖然とし足が思わず止まる。
差し掛かった交差点、信号の光は消えうせ車も一台も通ってはいない。そんな不気味な雰囲気が作り出したステージに驚きを隠せなかった。
先程の襲ってきた三人と同様な人物が両手両足の指をたしても足りないほど、憑依されている人たちが徘徊していた。追いかけてこないのではなく、他にもたくさんいるから追いかける必要がなかったことを悟る。遠くからでも普通の人ではない動作のため容易に気づくことが出来た。だがそれは相手も同じである。
獲物を見つけた未知なる化け物は容赦なく仕掛けてくる。
「……は?」
昂輝の目には一人の目が一瞬、光ったようにしか見えなかった。
しかし同じタイミングで耳先にした、空気を切り裂くような音と、背後からは何か大きな物が倒れるような高い音が鳴り響いた。
「冗談……じゃ済まされねぇーぞ!」
意味がわからず急いで振り返ると、背後の道路標識を支える棒とガードレールに直撃し貫通し、棒の一部分と標識が貫かれた影響でなくなっていた、どうやら吹き飛んだ様子であった。
続けざまに先ほど目から光線を出した人物の近くにいた一体が今度は四足歩行の獣のように昂輝の体を目掛けて飛び掛かる。突然の来襲に防御の姿勢や抵抗する時間も与えられず勢いよく腰が道路に衝突し、その痛さに顔をしかめる。倒された体に理性を失った獣が覆いかぶさろうとしてくるが、何とか腕を掴みとり迫りくる魔の手からのがれようとする。その様子は戯れる犬とその飼い主といえば聞こえが良いが、そこで行われているのは命のやり取り。
憑依されている人物の体の細さから考えられないほどの力が襲い掛かる。仰向けの馬乗り状態である昂輝の腕が次第に折りたたんでゆく。迫っていく相手との距離は目と鼻の距離、滴る涎が一滴垂れた。その瞬間に両足に力が入った。
「ふらぐしゃぁああ!」
自らを鼓舞するように出された怒声と共に最大限の力を込めて胴体を蹴り飛ばした。乗りかかられていた体勢であったため致命傷になるには程遠い。だが逃げだす時間を作るのには申し分なかった。
解放された体を起こし、一目散にその場から離脱する。
「こいつら……こんなに攻撃的だったっけ?」
学校での時は、追ってくることだけがメインで直接的な攻撃は無いに等しかった。だが今は別の種族のように凶暴的になっていた。動く獲物に目の色を変え、顔には血管が浮かび上がっている。そんな彼らを気にする余裕は今の昂輝には無い。目から放たれた赤い光線が顔の目の前を横切り思わず足が止まる。逸れた光線は建物に当たり焼けるような音を出すとぽっかりと穴をあけた。その恐ろしい事実に背筋が凍る。
その動きを止めた瞬間を狙ったかのように今度は三体がかりで襲ってくることを振り向きざまの視覚と、素早い足音を捕えた聴覚で理解した。
だが理解した時、一瞬の反応が遅れた。
「やべ――」
「はぁぁああ!」
腕で顔を隠すように取った咄嗟の防御の形は意味をなさなかった。恐る恐る腕の隙間から除くとそこには襲い掛かって来ていた三人が地面に臥していた。何が起こったか状況を把握できなかったが、マントをはためかせながら軽い足音で近くに着地した彼女の姿を視界にとらえた瞬間に、理解よりも先に驚きの感情が勝った。
「お、おまっ――」
「今ここで説明している暇はないわ、片づけてからよ」
塞がらない口から漏れ出た言葉に構っていられる時間はなかった。
多勢に無勢とばかりに一気に襲い掛かってくるが、ひっきりなしに動く手元のステッキからは浄化するための光を出していた。光を浴びた人々はたちまち膝から崩れ落ちその場から動かなくなる。
昂輝を守るように背を向けながら浄化する七美の姿に目を奪われていた。
「こっちよ! ついてきて!」
七美の叫び声に、背中を押されるように走り出す。彼女によって密集地地帯が解除された場所に向かって。
痛む横っ腹を抑えながら、必死の喧騒で足を出す。昂輝の前を走る七美は行く手を阻もうとする輩に向かい浄化の光を出し続けていた。
後ろから忍び寄る恐怖の足音に耳を貸している暇はない。時折七美が振り向きながら後ろに光を出してくれることで魔の手に捕まることはなかった。
「そこに逃げ込むわ!」
七美が指さした場所は、当初昂輝が向かおうとしていたコンビニであった。出てきたゴール、失いかけていた足に再び力が宿る。開けられていたドアに足がもつれ転がるように滑り込んだ。口の中に血の味がしたが、そんなことよりも急激に減りつくした酸素の補給が忙しなく始まる。
追って来ていた輩も七美が自動ドアの前で戦闘不能にしていった。
「な、何が起きてやがる!」
息を整えながら、噛みつくように七美に問いかける。店の中にいた店員も床に倒れていた。
「この周辺の人たちが慿心宝に……憑依された」
「はぁ? なんで……いきなりそんなことになってん……だよ」
「前兆があったことは確かなことなの。だから今朝、念のため三島さんに調べてもらって敵の本部に強い反応があったから、夜に仕掛けようと思った矢先の状況よ」
朝、昂輝が呼び止められた理由でもあった。反応があった以上何かが起こることは明白。だからすぐにでも対処しなければならなかった。
「反応は、無かったんじゃないのかよ……」
「それについての疑問点があるのは同感。でも結論から言うと私にもわからない。どうして反応がなかったのか、何故このタイミングなのか」
突如として起こった自体、少なくともこの辺り周辺の人々が憑心宝に憑依されている事は確認できている。だが疑問の部分も少なくはない。 多くの謎が七美のい頭の中には残されていた。
「それでこの有様ってか……冗談きついぜ」
「だから……お願い」
「あ?」
四つん這いの姿勢で肩から息をし、垂れ流れる汗の数々が。体が火照っている昂輝が声に反応して顔を上げると、同じ目線で切願の眼差しを向けていた。
「自分勝手で都合のいい話ということも理解している。けど私一人の力じゃ、たぶん勝つことが出来ないわ。だからあなたの力を貸してほしいの」
藁にも縋る思いで昂輝に懇願した。揺らめくその瞳に不安が募っていることは明白だった。そんな様子を目の当たりにして思わず深いため息が漏れ出る。ピクリと七美の体が反応するのがわかった。
「…………これだから面倒くさいことは嫌いなんだ。俺も憑依された方がマシだったか?」
膝に手を当てながらゆっくりと立ち上がり、窓から周囲の様子を確認すると数人の憑依されている人が見受けられた。こちらに気づく様子はないが慌てて身を屈めた。
「今ここで断って、一人にされてもどうしようもねぇーし……学校にでも向かった方が良いのか? どうせあいつらはもう活動してんだろ?」
七美の目線には合わせるが視線は合わせなかった。だがその言葉に彼女の表情は雪解けのように表情を取り戻す。
「ありがとう」
たった一言の感謝の言葉はとても清らかで美しいものであった。その時に見せていた表情もきっと端麗なものだっただろう。だが昂輝は照れ隠しも相まって彼女を視界に捉えていなかった。
「今回だけだからな、後はもう知らんぞ」
ぶっきら棒な返答も、どこか嬉しそうに小さく微笑んだ七美の表情を彼は知る由もなかった。
「……で、俺は何をすればいい?」
「まず……これをつけて欲しいの」
出されたのは、いつも使用しているハンズフリーマイクであった。近くに持っていくだけでマイクから音が漏れていた。
耳に嵌め込み、咳ばらいをしてから声を出していたら、
『おっと、その声は昂輝だな。お前なら戻って来てくれると思ったぜー』
いつもの聞き入った声が、感動の感情で届く。
「そもそも最初っから入ったつもりはねーよ」
『まっ、なんにせよ緊急事態だ。お前のサポートは俺がするから、なんかあったら逐一報告よろしく。出来る限りのバックアップはするからよ』
すでにマイク越しからはパソコンのタイプ音が聞こえていた。既に戦いは始まっているらしい。
「さっさと終わらせようぜ。で、場所はどこだ?」
「そうね、ここからだと少し遠いから……時間が無いから運んでいくわ」
「は? 運ぶって……お前まさか――」
次の瞬間には昂輝はコンビニの床に触れていなかった。七美の驚異的な垂直なジャンプは直ぐに電柱の先端に足が触れていた。声にならない悲鳴が途切れるのには少し時間を要することになった。
マントを靡かせ、次から次へと足場を変えてゆく。
「つーか俺が来たところで足手まといなんじゃね? あんたみたいに倒せるわけじゃねぇーしよ」
結局のところ付いてきているわけだが、七美のように特殊な力を持っているわけではない。ただの一般人に過ぎないのは明白で戦力どころか足手まといなのではないかという懸念があった。しかしそんな昂輝の心配は杞憂に終わる。
「あなたには慿心宝を動かしている元手を突き止めて欲しいの。きっと何か裏があるのには違いないわ」
「根拠はあんのか? 無駄骨は最悪だぞ」
「この前のチップが埋め込まれたスマホを道端でいくつか発見したわ」
「おいおい、かなり悪用されてんじゃねぇーか」
「敵のニステルが一人で慿心宝を酷使しているのなら、それで問題は無いのだけれども、こんな大規模には工場のように機械で何かをやっているのに違いないと思うの」
「それを壊してこいってことか?」
「えぇ、今はこうして自由に行使しているけど、停止させることができれば、全員は難しいかもしれないけど多少の人数は元に戻るかもしれない。そうなれば向こうも動きにくくなるわ」
町の状況を見る限り、ほとんどの人が憑依されている。一人ずつ浄化していくのは効率が明らかに悪い。ならば元手を叩いた方が迅速であり尚且つ的確である。慿心宝の特性上その力は割り振られる、いわゆる樹形図のような構造になる。何らかの方法で生み出した慿心宝をスマホを使った憑依させている。学校での出来事から推測するに元手がいるはず。それがニステルであれば大きく戦力が削がれていることになり、尚且つ倒すことができれば解決する。
だがそんなに簡単な話ではないと考えた七美は、工場でチップを作っていた経緯から考え何らかの機械によって制御されているのではないかと考えた。
「簡単に言ってくれるな……こちとら武器すら持ってないんだぞ」
「そうね。だからあなたは屋根裏から忍び込んでもらうわ。極力の戦闘はさけてもらって、あるであろう機械を破壊してもらうわ。仮に戦闘になっても秦野君がサポートしてくれるから何とかなるわ」
空中での移動の際の作戦会議を何とか耳に入れる。しっかりと気を入れてなければ聞き漏らしてしまう状況になっていた。それには空中での怖さも一つだが、ある問題があった。
抱きかかえている状態は、いわゆるお姫様抱っこというやつである。ただ世間的には男性が女性にするものであるが、いまの二人の立ち位置は逆であった。それゆえにサラサラのグローブから伝わる微かに暖かい体温といい、結んだポニーテールから放たれる微かな香りといい、水々しくプルンとした唇といい、彼女の魅力をふんだんに堪能することになっていた。
「あ、あの……海道さん?」
「あまり動かないで、運びにくくなるから」
思わず口調が丁寧になってしまうほど昂輝は混乱し戸惑い、そしてなによりも困惑していた。
逆お姫様抱っこもそうだが、その態勢上ゆえに彼女の女性としての部分が、移動のたびに揺れ動き昂輝の体に触れていた。
「いや……その……こちとら色々と問題が、あってですね……」
「……? ……っ⁉」
目を逸らし頬を赤く染めていた昂輝。その理由を知った瞬間、七美も同じく頬を赤らめた。そして彼女は意識的に姿勢を上げた。
「……ごめんなさい。気を付けるわ」
「……頼む」
昂輝の視界は目まぐるしく変わる外の景色を何とか映そうと必死に目をそむけていた。七美が態勢を上げたからと言って昂輝の居場所は彼女の腕の中である。そのためレオタード状の衣装を着ているとはいえ、明らかに突出している胸の部分を目が捉えてしまうはもはや必然的である。だからといって別場所に向ければいいというわけでもない。ロンググローブと肩の間の露出した腕は細身でありながら美しい素肌が垣間見え、上部に向ければもはや鎖骨のラインさえ見るのを躊躇ってしまうほど綺麗である。
男子にとってはご褒美のような瞬間であったが、昂輝の視線は全てチラ見しかできない程度の度胸であった。
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